第七章・囚われの姫君~ ICHIJI‘S view④~
その瞬間。
動いた者は五人。
百数十人にも及ぶ会場内の人間の中で、わずかにそれだけだった。
一人目、アンナベル=ベルベット。
「っっっ!!」
日頃からの忠誠心、いや、他ならぬ純粋な親愛の情からだろう。
脇目もふらず……部署は違えど同じラ・ウールに仕える同僚の惨たらしい死に様すら厭わず。
真っ先にアルルの前へと立ちはだかり、姫君に降りかかるあらゆる厄災を薙ぎ払う矛、あるいは退けんとする盾となる。
二人目、リリラ=リリス=リリラルル。
「…………(パチン)」
創世の魔女にして空前の悪女。
日頃から何者もおそれぬ不遜な態度、何事にも頓着のない傲慢な姿勢。
口に出す言葉の八割が戯言で、残りの二割が痴れ事という悪辣な黒衣の幼女。
この時もまた何を考えているのか、はたまた何も考えていないのか。
真面目なのか不真面目なのか笑っているのか泣いているのか判然としない表情。
しかし、指を鳴らして何か魔術を発動させた様子に、不思議とふざけた調子は感じられない。
……そして。
「っ!」
「ふん!」
「ちっ!」
俺、ギャレッツ、ゼノ君、は有無も言わせず闖入者へと飛び掛かる。
三人にコンマ数秒ほどのラグもない。
申し合わせ、息を合わせ、互いを慮る時間なんてあるわけもない。
本当にたまたまの偶然。
たまたま三人の思惑が一致し、偶然にタイミングが重なったがゆえの必然だ。
バチィィィンンン!!!
右側面に俺の回し蹴り。
脳天にギャレッツの両拳。
左側面にゼノ君の膝蹴り。
これまた寸分違わず同時に相手へと炸裂。
肉を肉でしたたかに打ち据える乾いた音が弾ける。
手応えあり。
俺の足に、何かを確かに蹴り飛ばしたという感触と衝撃が伝わる。
……しかし。
「ふむ、なかなかに……」
まるで効いていない。
三人の渾身の一撃を受けて、まったく微動だにしない。
なので、相手が言葉を言い終える前に俺たちはすかさず追撃。
俺は一度沈んでからの飛び膝を脇腹に。
ギャレッツは振り下ろした拳をそのまま突き上げて顎に。
ゼノ君は体を回転させながら肘鉄を背中側から肝臓に。
今度は少しだけ緩急がついた二撃目を、それぞれに放つ。
……だが。
「……戦士の粒は揃っているようだ」
結局、言いきられてしまう。
今度は音も手応えも反動も感じない。
空振り、
空振り、
空振り……。
俺たちの攻撃はことごとく空を切る。
立ち位置は変わらない。
ただ最小限の動きだけで俺たちの攻撃にできた僅かな間隙を縫い、躱して、逸らして、捌いてみせる。
……近接、肉弾戦、効果なし。
そう頭によぎるかよぎらないかのうちに、俺は少し後方へと飛び退る。
「イチジさん!!」
呼び声とともにアンナがドレスの裾から取り出した二本のクナイを間隔を置いて投擲。
直接狙うとなればいささか距離がある。
なので、狙いは俺の背中。
弾道にブレのない、正確無比のコントロール。
さすがの技術。
さすがの判断力。
これ以上ないくらいに中継しやすいところにクナイが飛ぶ。
俺はタイミングを計り、その場で体を右回転。
ちょうど半身になったところで目の前に届いた一本目のクナイの柄を左の逆手で掴み軌道を修正、遠心力と俺の膂力をプラスして相手に投げつける。
なお体は回転中。
わずかに遅れて来た二本目を今度は右手。
それは掴まず、二本の指で柄の先端に触れ、手首の力だけで軌道をそらす。
スナップスローの要領で放たれたクナイは一本目の軌道を忠実になぞり、飛んでいく。
「ふっ!!」
クナイとは逆方向。
これまた同じタイミングでゼノ君の放った矢が風切り音をあげている。
彼も俺と同様に接近戦を諦めて離脱。
その際にいつの間に取り出したのか、例の瑠璃色した弓の弦を引き絞り、つがえた矢を置き土産とばかりに射っていた。
アンナの投擲と違わぬ技量。
早い弾速、正確な狙い。
相手の眉間を目掛けて一直線に矢は飛んでいく。
「ふんんんっ!!!」
そしてギャレッツ。
気合い一合。
大きな体を縮め、相手の下半身へタックル。
そのまま力の限りに締め上げて動きを封じ込める。
ギャレッツも徒手空拳のままでは不利な相手だと既に判断している。
距離を取り、様子を見ることが賢明な判断であることもわかっているはずだ。
しかし、彼は離れない、逃さない。
取柄である力技。
取柄にして最大にして、唯一の武器である逞しき肉体。
ゆえに一たび相手との距離が出てしまえば何の役にも立たない近距離特化型。
それを己自身が一番理解しているからこそ、彼はあっさりと賢明な判断を破棄。
俺とゼノ君による狙撃の補助役を愚直にこなす。
「……ふっ……」
笑った……のだろう。
迫りくるクナイと矢。
そしてすさまじい力で万力のようにギリギリと絞られる体。
控えめに言って詰んでいる。
一秒にも満たないうちに、クナイの鋭い切っ先や慣性を帯びた鏃が自分の脳髄を貫くであろうそんな状況において……。
相手は……相手の男は、微笑ともとれる具合に口元をわずかに歪めた。
……そして。
ブヲォォォォォムムムムムム!!!
竜巻が巻き起こる。
発生源は男。
発生させたのも男。
彼の足元から何の前触れも予感もなく、鈍色の激しい竜巻が天井に向かって逆巻いた。
「むぅぅぅぅぅぅ!!!」
当然、巻き込まれるのはギャレッツ。
張り付いていた体、そのゼロ距離から膨れ上がるように吹き荒れた暴風。
その瞬間的な風速の凄まじさは数値として置き換えるまでもなく……。
「ぐはぁぁぁぁっっっ!!!」
十人中十五人ほどが大熊、と評するギャレッツの巨体を軽々と中空へ吹き飛ばしたことで簡単に証明できるだろう。
もちろん、飛来物などひとたまりもない。
今まさに男を射抜かんと高速で迫っていたクナイも矢も、なしのつぶてほどにも意に返されず、あらぬ方向へと進路を変え、おのおのに床だの壁だのに突き刺さるしかなかった。
ズゥゥゥゥンン……
ギャレッツの巨躯が受け身も取らず、床に叩きつけられる。
その衝撃の強さをあらわす音と震動が、会場内に重々しく響き渡る。
竜巻の発生はほんの一瞬。
発生した時と同じように気が付けば消えていた。
しかし、余波までは消せない。
暴風の名残が天井のシャンデリアを鳴子のように掻き揺らし、窓ガラスや飲料の注がれた色とりどりのグラスが震え、一部が割れる。
……さて、これだけのことが起こっておいて、その実、所要時間は十秒と少し。
会場の扉があわただしく開かれ、兵士が駆け込み、王の拘束を告げ、そして命を散らす。
それを合わせてみたところで三十秒にも満たない僅かな時間。
ただ、それだけで、あの和やかだった宴は……いや、平和だった世界はガラリとその色を変質させたのだった。
シン、と静まり返る会場。
ギャレッツが伏した音もグラスが砕ける音の残響すら跡形もなくなる、不自然なほどの静寂。
ふと見渡せば、床一面を覆うように漆黒色した魔術の陣が描かれており、討伐軍のメンバー……それも顔見知りの八人と件の男、それ以外の人間百数十人の周りには陣と同じように艶のある黒色の壁ができている。
壁には透過性があり、そこに透けて見える紳士淑女たちや他の討伐軍参加者が何事が起きたのだと困惑している様子がうかがえるけれど、パニックを起こしているわけではなさそうだ。
そこに少し違和感を覚える。
常識的に考えて、突然の人死にや暴力を目の当たりにした一般人がとるリアクションにしてはあまりにも反応が淡白に過ぎるような気がする。
「……にょっほっほ」
静寂の中で聞こえる、軽薄な笑い声。
「急ごしらえじゃが、とりあえずこんなものかのぉ」
「神域結界……この短時間でこれだけの密度と精度、か」
「粒が揃っとるのは戦士だけではないじゃろ?」
「ああ、実に魔術師の練度も素晴らしい」
「では、その素直な称賛に応えておまけじゃ(パチン)」
ジャラジャラジャラジャラジャラ……
ガキィィィィィンンン!!
リリーが指を鳴らすと同時。
男の頭上の空間から四本の鎖が飛びだし、瞬く間に体を縛り上げる。
「……魔術……いや、実体を持っている?……≪召喚≫か」
「それもお主というオノコを計るに相応しい、な」
「ますます素晴らしい。先ほどの流れるような連携、一つ一つの攻撃の威力……それ以前に、俺を瞬時に敵と判定してからの有無も言わせぬ電撃的な先制、どれをとっても合格点だ。……いや、素晴らしい。本当に素晴らしい……」
ギャレッツの拘束と同様、鎖による束縛もまた特に気にするではなく。
男はあくまで自然体に、あくまで冷静に、淡々に。
ただただ俺たちを褒めたたえる。
「…………」
……なんだ、コイツは?
今まであまり感じたことのない妙な薄気味の悪さ。
得も言われぬ、ぬらりとした妙な圧迫感。
不利な状況下で虚勢を張って余裕をみせているわけではない。
かといって、ご追従を述べてこびへつらっているわけでもない。
見下しも見上げもしない、まったくの対等な目線からの純粋なる考察。
それ以上に意味を含まない平坦で無味乾燥な瞳。
……そして、その瞳が。
「よくぞこれだけの面子を集めた……ラ・ウールの姫君よ?」
アルルをとらえる。
アンナの背後、彼女にしては珍しく幾分ボンヤリとした覇気のない様子で立ち尽くす、我らが討伐軍リーダーへと矛先を向ける。
「っっつ!!」
別段、威圧的なモノが含まれていたわけでもない。
しかし、アルルは射すくめられたように身を固くする。
「わた、わた、わたくし……は……」
……アルル。
あんなことを聞かされてしまった直後なのだから、無理もないか。
スッ……
「い、イチジ様……」
だから、俺は男が向ける視線の射線上に体を入れる。
「姫君を守る勇敢なナイトまでいるか。穴のない布陣だ」
どれだけ強くても、どれだけ高潔でも。
たとえ、どれだけ俺が憧れる本物であったとしても。
愛すべき肉親への情に心は揺らぐだろう。
両親を知らない俺でもそれくらいはわかる。
唯一、家族だと思えた姉を失った俺だからこそそれは痛いくらいにわかる。
……だから、俺は守る。
そんなわけのわからない色をした目で更に彼女の心を掻き乱そうとする男の視線から。
俺がアルルを守る。
「……アンナ」
背中越しにアンナに声をかける。
「状況確認」
「はい」
かつて相棒だったパクに向けるのとまったく同じ調子の端的なやり取りだけれど……。
「……数1。侵入方法は不明……」
やはりアンナは応えてくれる。
「入室と同時に兵士一人を殺害。その時点で敵対勢力と認定。排除行動を行うも失敗。現在≪召喚≫による拘束で捕縛中。しかしながら警戒レベルは最大を継続。被害状況は死者一名、負傷者一名。これより会場内に残る非戦闘員の避難を最優先とし、侵入者の尋問ならびに侵入経路の確認、王宮周辺の警備強化とともに他にも宮内に紛れ込んでいる者がいないか警戒を密に行います」
「あの男について分析はできてる?」
「団長を巻き込んだ竜巻、そして諜報部の兵士の五体を破裂させたモノは魔術。属性は『風』。物理攻撃を受けた時の様子から体にも風を纏わせ、防御や回避に応用しているのかと思われます。出力は並み以上。攻撃についてはまだ何とも言えませんが、守りに関しては非常に堅牢かと」
「あいつの正体は?」
「はい。風の鎧という特徴、手配書の人相書きとの一致、他にも……」
「回りくどいことは抜きにしよう、分析官。互いに時間は有限だ」
アンナの言葉を遮るように、他でもない侵入者の男が口を挟む。
「そうだ、俺こそがデレク・カッサンドラ。貴様らが討つべき反逆の徒。逆賊、凶賊、太奸、悪漢、人畜生。帝国に仇なす革命組織『革命の七人』の首領だ」
男は含みもみせず、誤魔化しもせず、あくまでも淡々と正体を明かす。
「意外性もなく申し訳ないが、なにぶん先走った部下の行動を御することが難しくてな。早々に俺自身がカタを付けに馳せ参じた次第だ」
「……カタ?」
「そうだとも、ナイト様。貴様にとっては目下最大級に退けなければいけない緊急の事案だろう」
俺にとって最大級?
俺……ナイト……。
ナイト……守る……。
守る……守る……まも……る?
「っ!!」
「俺がここにいる理由はただ一つ」
俺がハッと目を見開いた姿にも。
「ラ・ウール王国の第一王女にして我らを殲滅するべく結成された討伐連合軍の西方部隊司令官。そして今代の『シルヴァリナ』であるそこの娘を……」
「っ!!!!」
背後でアルルがさらにすくんだ姿にも。
デレク・カッサンドラは相も変わらず態度を崩さず、淡々と、訥々と……。
―― この手でもって殺すことだ。
そう、言ってのけるのだった。




