第五章・その男、漢につき~ARURU‘S view④~
「はい、タッチぃ。次は地味子が鬼なのじゃ♪」
「……なんでもいいんですが、私の呼び名は地味子で決まりなのでしょうか……」
「わ~い、おねぇさんがオニぃ♪♪オニぃさんこっちらぁだゾ♪♪」
「あの、ココさん?それでは私がまるで男性であるかのように聞こえて……」
「あながち間違ってはおらんじゃろ?おそらく青春時代はオノコよりもオナゴにモテてきた口じゃろ、お主?」
「ぐっ……」
「あれじゃな?学園祭の出し物である喫茶店で何故だか一人だけメイドではなく執事の格好をさせられて女子どものハートを鬼のように食い散らかしちゃうみたいな感じじゃ」
「……何を言っているのかさっぱりわかりませんが、侮辱されているのだろうということだけは嫌になるくらいに伝わってきますね」
「このまま歳をくってもずっと独り身で『仕事が夫で出世が子供よ』とそれらしいことをうそぶきながら後輩がどんどんと寿退社していく度に実は内心焦りまくった挙句意を決して参加したお見合いパーティーだけれど、中途半端に高くなってしまった理想のために結局目ぼしい相手が見つからなかったその帰り道、目についた駅前のペットショップで子犬を衝動的に買うことになる未来のお局さんこっちらぁ♪♪」
「……いいでしょう。子供相手だからともう遠慮はしません……」
「にょっほっほ……って、あれ?動けないのじゃ」
『塵は塵に散り散りに、返す返すも変わり還る……』
「いやいや。≪早撃ち≫どころか無詠唱の影縛りからの多段詠唱とか本気出し過ぎじゃろ」
『一夜一夜に一所、千夜一夜に人見ごろ……』
「いやいやいやいや。これ、ただの鬼ごっこじゃよ?子供の戯れじゃよ?そんな即死系の高位魔術披露する場面と違うよ?」
「今度はリリーちゃんがオニなんだゾぉ」
「お~狐っ娘。同じロリ枠のよしみで助けてくれんかのぉ?このままじゃと我、砂塵と化して消えちゃうんだけれども」
「わ~逃げろぉ~♪♪」
「いやいやいやいやいやいや……」
「…………」
二人して新しくカップに注いだ紅茶を飲んでいる間も。
「…………」
常に冷静沈着な眼鏡の才女が幼女二人に振り回されてワチャワチャとしている間も。
わたくしたちは言葉を交わしませんでした。
「…………」
イチジ様はイチジ様が抱える問題について思いを馳せ。
「…………」
わたくしはわたくしが背負い込んだ責務について思いを巡らし。
サァァァ……
風はそんなわたくし達のこと……いいえ、この世に巻き起こるあらゆる事象に対して興味がないとでも言いたげに、ただ初夏の香りを纏って吹き抜けるばかりです。
「……いい……庭だよな……」
どれくらい、そんな時間が続いたでしょうか。
紅茶を飲み干して空になったカップを指で弄びながら、イチジ様がポツリと呟きます。
ちょうどわたくしの思考が落ち着くべきところに落ち着いた頃合い。
彼の方でもまた、何かしらの答えへと辿り着いたのかもしれません。
「なんだかこうしてるだけで自然と落ち着く」
「……ありがとうございます」
「昔……子供の頃に住んでた屋敷にもさ、こんな場所があったんだ」
「庭園ですの?」
「いや、全然。庭園というほど規模も大きくないし華やかでもなかったよ。錦鯉が泳ぐ小さな池と松の木がちらほらあって、背の低い椿の植え込みがあって地面には玉砂利が敷かれてて……。アルルには馴染みがないだろうけれど、いわゆる武家屋敷の庭のイメージがそのままぶちまけられたような色気のない場所だった」
「ここも色気という点では決して特別なものではありませんけれど」
「そうかな?十分立派だと思う。サラサラと流れる新鮮で豊富な清水。色とりどり、形もとりどりの草や花。そして多分、魔力……じゃなくて魔素のせいかな?何よりも空気がとても澄んでいるような気がする」
「ええ、おっしゃる通り。この一画に漂う魔素に関してだけは、他の場所とは一線を画す特別なものと胸を張れますわ」
「なるほど……」
「……そのお庭は、イチジ様にとって大切な場所だったのですね?」
「大切……うん、そうだ。大切な場所だったんだと思う。正しくは庭自体というよりそれをボンヤリと眺めることのできる縁側のことなんだけれど」
「何か印象深い思い出が?」
「いや、むしろなんにもなかった」
「何も?」
「そう……なんにもだ」
遠い記憶を回顧するように。
失われた時間を懐古するように。
イチジ様は少しだけ目を閉じ、そしてまた現在へと帰ってきます。
「俺には生まれてから十年間の記憶がないことはアルルにも言ったっけ?」
「……はい。≪龍神の子≫などと呼ばれる所以となった特殊な出自のせいか、目を覚ました最初の記憶からイチジ様はもう十歳であったとか」
「その十歳だってあくまでも推定だから何とも言えないんだけれども。まぁとにかく赤ん坊や幼児であった覚えは実感としてまったくないわけだ」
「……はい」
「記憶や実感どころじゃないか。何かを考える知識も言葉を話す知能もない。生きるとか死ぬとか、時間とか空間とかいう概念もない。自分が何者であるかもわからず、それどころかわからないことすらわからない。……それがどんな気分だったか、君にはわからないと思う」
「そう……ですわね。……申し訳ありません」
「いや、全然責めてるわけじゃない。君に限らず……俺自身だって今となってはその時の自分がどんな風に毎日を過ごしていたのか殆ど思い出せないくらいなんだから、きっとそれは誰にもわからないことなんだろう」
「わからないということは、それはもうイチジ様はイチジ様としてしっかりと足を踏みしめているという確かな証ですわ」
「……ありがとう」
そう言ったイチジ様の口が微かに笑って見えたのは他でもない。
彼がこれまで人と生り、ひいては確たる人間性をわたくしへと示してくれた結果に違いないのですから。
「そうなんだろうな。しっかりとしてるかどうかはともかく、どうにか俺はこうしてタチガミ・イチジをやれるようになった。考える頭も喋れる言葉も手に入れた。柔らかなパンや香り高い紅茶を美味いと思えるようになった。子供の無邪気さを微笑ましいものと感じられるようになった。……生の痛さも辛さも、死の哀しさや安らぎなんかも少しは理解できるようになった」
「……はい」
「色んな人たちの犠牲、手助け、優しさのおかげで、俺は一丁前に人間をやれるようになったんだ。……まぁ、ヒトデナシには違いないけれども」
「……はい……」
「だけど、あの縁側に座っていた時の俺は何者でもなかった。人でもヒトデナシでもなく、バケモノでも龍神の子でもない、ただの肉の塊だった」
「そんなことは……」
ありません、とは言えません。
知ったような口ぶりで、安易な慰めなど決して言ってはいけません。
さきほどイチジ様も仰っていました。
一国の姫であったり、貴族の長女であったり。
衰退した一族の血を引いていたり、魔女であったり。
誰かの息子であったり娘であったり。
人間であったり、草花であったり、獣であったり……。
その人生の先に何が待ち構えているのかは別として、どこの世界においても、誰しもが何者かとなってこの世に生まれ落ちます。
わたくし達が特別などではなく、それは当たり前のこと。
世の摂理として、仕組みとしてなどと表現することも大げさな。
新しく芽吹いた命が極々当たり前に持たされる、当然の権利。
……しかし、イチジ様はその当然でさえ持ち合わせてはいなかったのです。
「何物でもなくて何者でもない。真っ白な空白か、真っ黒な空虚か、それともそのどちらもか。そんなのに塗りたくられたところからどこにも行けず何にもなることのできなかったあの一年。……俺はそんな感じで毎日縁側から庭やら空やら時間の移ろいやらをボンヤリと眺めていたんだ」
「手を差し伸べる者は現れなかったのですか?」
「いや、一人だけ……」
「一人だけ……」
脳裏に走るのは黄金色の輝き。
「たった一人だけ、俺の傍にはいつも姉がいてくれた」
「姉……」
目蓋にちらつくのは慈愛に満ちた柔らかな金。
「もちろん血の繋がりはない。俺と違って喜怒哀楽の感情表現がハッキリとした実に人間らしい性格をした姉だった。普通……とは天地がひっくり返っても言えない、やること為すことのことごとくが常識を大いに踏み外したとんでもない生き様だったな、あれは」
「そう……ですか……」
眼前に見えるのは同じくらい愛に溢れ、あからさまに柔らかくなったイチジ様の表情。
「言葉をかけても触れ合ってもロクに反応を示さない俺なんかに構わず、随分と勝手気ままに振り回してくれたよ。今にして思えば、アイツもアイツなりに抱え込んだものと必死で戦い、抗っていたんだと思う……いや、ごめん。ないか。あの周囲を盛大に巻き込むだけ巻き込みながら当人だけは澄ました顔でニコニコしてる台風の目みたいな気質に、そんな殊勝さは期待できるわけがないな、うん」
「…………」
ああ、自分の狭量さが嫌になる。
またしても自分の未熟さが嫌になる。
記憶の中に刻まれ、おそらく幼いイチジ様の横に寄り添うように腰掛けて一緒に庭を見ていたその女性が羨ましいと思ってしまいます。
追憶の中に現れ、愛しさと切なさの入り混じる複雑な顔をしたイチジ様を過去へと連れ去ってしまうその女性がとても妬ましく感じます。
―― 何も思い出がないだなんて……嘘じゃありませんの…… ――
それはもう立派な思い出であり、素敵な夢想です。
イチジ様本人に自覚があるかどうかまではわかりませんが。
そうやってその縁側のことを思い出す時……。
そこを大切な場所だと改めて自覚した時……。
その光景を形作るうえで掛け替えのないピースとして。
一緒になって浮かんできた人物の顔があったはずなのです。
「……戻りたいですか、イチジ様?」
……ですがわたくしは、そんな黒々とした感情をグッと堪えます。
女々しくも零れそうになった不満をググッと抑え込みます。
嫉妬にしろ疎外感にしろ、浅ましい想いを抱いてしまったことは事実。
しかしながら、それでもその思い出が、今のイチジ様を構成している要因……それも原点に等しいほど大事な一片であるならば。
わたくしに、受け入れられない道理はないのですから。
「もし叶うのならば、その在りし日の縁側へと帰りたいとは思いますか?」
「いや、思わない」
「……きっぱりと言い切るのですね?」
「言い切るさ。言い切らないと……ダメだろう」
そう言いながら、イチジ様がむくりと立ち上がります。
そして座り続けて凝り固まった体を解すように軽く伸びをし、一つ大きく息を吐いてからおもむろに視線を上へと向けます。
そこには雲一つない快晴の空のどこまで広く深い青と。
夏の初めの太陽が、大きく丸く鎮座しています。
その空と太陽は、あなたにはどんな風に見えているのでしょうね?
「そりゃ懐かしいさ。何もなかったし何者でもなかったけれど、その分、身は軽かった。考えることも喋ることもしないで、ボケェっとしてるだけであっという間に一日が過ぎていく。そんな日々を繰り返し繰り返し重ねていっても、積み重なっていく物なんてなかったんだから、まぁ、軽いし楽だよな。煩わしいと思えるほど他人と関わってはいなかったし、関わらない以上、迷惑をかけることだってもちろんなかった」
「……はい……」
「……だから誰も死なせることはなかった。俺みたいなもんに関わったせいで、みんな、みんな死んだ。親しいやつらにしろ真っ赤な他人にしろ、直接にしろ間接にしろ近因にしろ遠因にしろ、俺のせいで多くの人が消えていった」
「…………」
「そんなものの上に、今の俺の命は成り立ってる。その命、その無念、その優しさ、その怒り……。タチガミ・イチジというヒトデナシのバケモノは、大半が俺以外の要素でできている。何者でもなかった俺を何者かにしてくれたのは、紛れもなくそんなモノたちだ」
「…………」
「だから帰りたいなんて思ったらダメなんだよ、アルル。楽になりたい、何も考えたくないだなんて言って逃げてしまったら、多くの人達の想いを踏みにじり、裏切ってしまったのなら……もうそれは俺じゃない。俺が俺じゃなくなって消え失せてしまう」
「そうですか……あなたは……あなたでありたいのですね、イチジ様……」
「そう……願わくば最期の最後のその時まで……俺はタチガミ・イチジであり続け……そして死んでいきたい」
スッと伸ばされた腕。
パッと開かれた右の手のひら。
何度も見惚れた大きな背中やその表情は、逆光に遮られてきちんと見ることはできません。
しかし、最後を語る割にどこか前向きな声の調子や。
まるで太陽を掴もうとするかのように掲げられた右手に淡く輝く朱色の光が。
イチジ様の決意を何よりも雄弁に表しています。
「アルル」
「……はい、イチジ様」
「前にも聞いたことがあったかもしれないけれど、もう一度だけ尋ねたい」
「ええ、なんなりと」
「俺はこの世界で何をすればいい?」
サァァァァ……
「そして俺は……」
何をすれば死ぬことが許されるんだろう?
サァァァァ……
目を瞑り、深呼吸。
サァァァァ……
心を決めて、また深呼吸。
サァァァァ……
大きく息を吸い込むたび、優しい風に乗った清浄な空気がわたくしの体の中に染み込んでいきます。
まるでこれまでイチジ様にどうしても言えなかった話の重みを。
まるでこれからイチジ様にすべてを語ろうとすることへの不安を。
まるでいつか抱いたものをさらに強固なものへとした決意を。
気まぐれに慰撫し、背中を押してくれているかのようでした。
……風……。
そういえば、イチジ様をこの≪幻世界≫へと連れてきた時にゲートが開いたあの場所。
ラ・ウール領土のはずれもはずれ、シラザクラの大樹が一本そそり立つあの丘でも、こうやって気持ちの良い風がわたくしたちの間に吹いていましたわね。
≪次元接続≫によって構築したゲートの座標があれほどまでにズレこんだことを容疑者Xであろうリリラ=リリスに問いただしたところ、彼女は『偶然じゃよ、ぐーぜん』と相変わらずの調子ではぐらかされたわけですが。
思えばその長寿ゆえ、精霊の宿る樹として世界の変遷を優しく見守るのだと言い伝えられる聖木・シラザクラが鎮座するあの静謐なる場所に飛ばされたことに、何かしら大魔女の意図があったのかもしれません。
……まぁ、直後に野性味むんむん、殺気がビンビンのホーンライガーと遭遇してしまったところまでも筋書きの範疇なのではないかとどうにも訝しんでしまうのは、彼女の日頃の行いのせいですから仕方がありません。
しかし、仮に当初の予定通り双方がゆっくりと納得できるまであちらの世界で話し合いをし、わたくしの地下工房へと何事もなく繋がり、魔素酔いやいきなりの魔獣との戦闘行為などもなくこちらの世界へと≪現人≫を……イチジ様を招くことができたのなら、またわたくしたちの関係は今とは違ったものになっていたでしょう。
ほとんど互いのことを知らないうちから死線を共にして。
道なき道をひたすら歩き続け、木の実や川魚を摂って野営をして。
人の好い老人宅に身を寄せ、同じ部屋で食事を摂り、同じ部屋で眠って。
互いの思惑は違えども、あの燃え盛るドナにおいてそれぞれに人々を救おうと奔走して……。
共に過ごした時間の量というよりも質。
遠回りというよりも紆余曲折の数々を繰り返した挙句。
―― こんな俺でも……生きていていいのかな…… ――
二人して身も心もズタボロになったあの時……。
―― 君は一緒にいてくれるのかな、アルル? ――
そんな風にこの死にたがりの、生き下手の殿方からその言葉を振り絞るように引き出すことができたのは……。
やっぱりこんな回りくどい時間を共有し、わたくし達なりの絆のようなものを確かに結べたおかげだったのだと、わたくしは確信しているのです。
そのイチジ様の在り方を構成しているのが、他者の命や想いであるならば。
そこにわたくしのささやかな命や強い想いも確かに混ざり混むだけの猶予があったはずです。
そして……。
優しい優しい黄金色がこれまでのイチジ様に寄り添ってきたのであるならば。
今度はこの白銀がこれからのイチジ様をお傍で見守り続けていくのです。
過去のしがらみから解き放ち、未来へと確かな未来へと目を向けられるまで。
わたくしは……。
わたくしは全身全霊をかけて、イチジ様と運命を共にしていくのです。
「……イチジ様には、とある者たちと戦っていただきたいのです」
「とある者?」
「はい、この一先ずは均衡と平穏を保ち続けているラクロナ大陸……ひいては≪幻世界≫全土にも広がりかねない厄災の種……」
「厄災……」
「それらと戦い、それらを滅ぼし、根絶せしめて世界に調和をもたらして欲しいのです」
「なかなか過激な話だなぁ」
「ええ、御伽噺のお姫様なら口にする前に卒倒してしまいそうなほど過激で苛烈で物騒なことだとは重々承知しております。ですが、わたくし達はやらなくてはなりません。そのためにわたくしはイチジ様の世界へと飛んだのです。……激しく凄惨になることが必至であろう戦いの最前線を駆け抜ける、異界からの救世主を求めて」
「なるほど……」
「なので……もう一度言わせていただきます、イチジ様」
ああ、甘い。
ああ、あれほど固く決めたはずの決意がここにきて鈍る。
「このわたくし……」
これ以上、彼に傷を負ってほしくはない。
これ以上、その手を血に染めて、ヒトデナシだなどと彼の口から言わせたくない。
これまでの人生の中で、一体どれだけのものを彼は奪われてきただろう。
これからの人生の中で、またどれだけのものを彼は失っていくのだろう。
できることならば、何もさせたくない。
かつて温かな陽だまりのある縁側で静かに世界を見やって過ごしてきたように。
日がな一日、この庭園でお茶を飲みながらボンヤリと生きてほしい。
争いも憎しみも、痛みも傷も。
白も黒も、赤も朱も。
生も死も、世界も異世界もまるで関係のない。
穏やかで幸福な日々を甘受してほしい。
彼にはその権利がある。
もう何者かになれた彼は、そんな当たり前の幸せを求める権利がある。
……だから言えなかった。
彼を知る度、彼の過去を覗き見る度。
彼にどんどんと惹かれていく度に。
彼を呼んだ目的を告げることができなかった。
そうですわね、ええ。
リリラ=リリスの言う通り。
いつの間にか、自分の弱さや甘さの生ぬるい湯に浸ってここまで先延ばしにしてきてしまった。
お父様……ラ・ウール十三世のように、大事な者と民を秤にかけたとしても決してどちらかに傾ぐことなく平等に愛することができず、彼への気持ちに重きをかけてしまった。
お母様……先代・シルヴァリナのように、自分の想いを押し殺し、世界の人々の安寧を願って己の身を捧げるほどの覚悟がどうしてもできなかった。
やっぱり、買い被りですわよ、リリラ=リリス?
わたくしはそんなに強くない。
そんなに強さに、なんの魅力も感じられない。
わたくしは極々普通の女の子……。
恋に恋し、愛を愛する、そんなどこにでもいる普通の小娘でいたい……。
……そう
……いたいだけなのに……
「このわたくし、ラ・ウール王国第一王女にして討伐連合軍西方部隊司令・アルル=シルヴァリナ=ラ・ウールの名においてタチガミ・イチジに命じます……」
「……うん」
「これより討伐連合軍へと参加し、反帝国組織『革命の七人』を塵も残さず殲滅せしめなさい」
「ああ、わかった」
逡巡する間もなくあっさりと。
正式な宣誓もなくすんなりと。
サァァァァ……
こうしてタチガミ・イチジは、また血なまぐさい戦場へと戻っていきます。
サァァァァ……
「…………」
「…………」
見つめ合うわたくし達の間にまたも一陣吹きすさむ風は、やっぱり何も運んできてはくれません。
ええ、風はいつでもいつも通り。
後戻りできないところまで来てしまったわたくしとイチジ様の髪を、そっと撫でていくばかりなのです。
サァァァァ……
「おう、アル坊!!」
なので何かをもたらすのはいつだって人。
……んんん……人?
「こんなところにいたか!王宮中を探し回ったぞ!がっはっは!!」
今回の使者は、どちらかといえば人よりも……。
熊に近いような気がしますわね。




