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マジカル・ビート・タクティクス -異世界ってこうですか?-  作者: YAMAYO
RHASE:01 眼鏡の才女
20/75

第四章・王を宿す者《タチガミ・イチジ》~ICHIJI‘S view④~

              @@@@@@


 『申し訳ありませんでした、イチジさん……』


 『なんだよ、改まって?』


 『私の指揮下にある者の不始末を、あなた一人に尻ぬぐいさせてしまいました……』


 『ああ、そんなことか。……気にするな。お前が悪いわけじゃない』


 『いいえ、すべては小隊の指揮を任された私の責任ですから』


 『別に≪龍神たつがみ≫は折り目正しい会社組織でも、詰襟立てた軍隊でもない。部下の無能が上の無能とイコールになって引責を負わなければならないなんて一般常識、ここにあると思うか?』


 『……しかし』


 『あくまでそいつのミスはそいつだけのミス。そいつの命はそいつだけの命。自分の生を誰かに預けたり、自分の死を誰かの責にするんじゃない。……あの若作りなジジイが俺たちガキどもに散々偉そうに言ってたろ?』


 『…………』


 『……なんだよ、その顔は?』


 『いえ……ちょっと驚いていただけです。……あなたは今でも変わらず、幼い時に元総代から頂いたお言葉を大事に覚え、尊重しているのですね』


 『……誠に遺憾で、心からシャクに触るんだが……これはあれか?すりこみってやつか?』


 『あなたは誰よりも素直な子供でしたからね……はい、本当に真っ白で純粋な男の子でした』


 『今ではものの見事に真っ黒けってか?』


 『……そうでもないですけどね……』


 『ああん?』


 『いえ、ガラだけは悪くなったかもしれませんね。どこのチンピラですか』


 『……ふん』


 『……それで』


 『ん?』


 『……誰かのミスが他の誰かの命を危機にさらすことになったとしても、あなたには関係がない……そういうわけなんですね?』


 『そういうわけだ』


 『……たとえ、あなたが常人では生きているのが不思議なほど多量のドラッグを投与され、こんな風に病室のベッドで寝た切り状態になっていたとしても?』


 『としてもだ』


 『本当にそう思っているんですね?』


 『……ああ。……だからもう謝るなよ、ウザいから』


 『本当に?』

 

 『しつこいな。次同じこと言ったらケツ触るぞ』


 『…………』


 『その形のいいケツを撫で繰り回し、そのメガネのレンズを舐め繰り回すからな』


 『…………』


 『いやだろ?メガネビトにとってレンズは己の命の次に大事なもの……人によっては魂と同等の価値があるものだと聞いたことがある。俺なら自分の魂ベロベロしてきた奴がいたら八つ裂きにした上にその肉片をさらに三枚おろしにしてもまだ許せないけどな』


 『…………』


 『…………』

 

 『…………』

 

 『…………』


 『……そうやって……』


 『あ?』


 『そうやって……私には責任を負わせるどころか心配さえもさせてくれないんですね……あなたは……』


 『…………』


 『……浅はかです、あなたも私も』


 『……そうか?』


 『いいえ、違います、違いますね……』


 『……パク?』


 『きっと私が、浅ましい女というだけなのでしょう……』


 『…………』


 『やっぱり、私は……彼女のように無垢な心で、真っすぐにあなたへと信頼を向けることができません』


 『……そうか』


 『そう……たとえ、生まれ変わったとしても……姿も形も立場も変わってしまったとしても……これだけはきっと、変わらないんでしょうね……ははは……』

 


 そう投げやりな呟きとともに力のない笑い声を漏らした時のパクが一体どんな顔をしていたのか、俺にはわからない。


 いつにもまして生真面目な様子に居心地が悪く。


 いつものような辛辣な態度とはまるで違う殊勝な様子に何より気持ちが悪く。


 目をそらし、肩をすくめるだけだった俺には、簡素な病室のくすんだ白い壁以外、何も見えていなかった。


 ボロボロになった俺を、俺以上に心配してくれていた優しさからも。


 彼女が唇を噛んで今にも零れ落ちそうな涙を必死にこらえていた強さからも。


 『浅ましい』という言葉の中に込められた苦悩からも。


 人知れず抱え込んだどこかの金髪碧眼に対する劣等感からも。


 俺は目をそらした。


 ……特段、この時だけに限ったわけじゃない。


 たぶんずっと……幼い頃に彼女と出会い、そして別れるまで。


 俺はパクが事あるごとに示してくれていたであろう温かな好意を、何かにつけて躱してきたような気がする。


 仲間で、同士で、ライバルで、親友で……。


 ある部分では姉に対してよりも心を開いていた唯一の存在。

 

 信じて、信じられて。

 頼って、頼られて。


 たとえそれが無垢でも真っすぐでなくとも。


 『信頼』という言葉の意味を、まさに文字通りになぞったような対等な関係性。


 そう言える。

 そう断言できる。


 彼女は……パク・クライネル・アーバンハイト・キリザキという望みもしない数々のものをその長い名前とともに与えられた、厳しくも優しい女は、俺にとって特別な意味を持った女だった。


 何のてらいもなく、そう他人に言ってきた。

 微塵の躊躇もなく、そう誰かに断言してきた。


 昔も、今も、これからも。


 それは永遠に不変なのだと、誇らしく胸を張ってこの異世界中に宣言だってしてもいい。


 ……だというのに……。

 ……それなのに……。


 俺は別れの最後の最後、間際の間際まで。


 どうしてか彼女本人にだけは、そう言ってあげることができなかったんだ。

 


             @@@@@@


 

 「あなたは黙って、そこで見ていてください」


 俺の右手から自身の持ち物であった黒柄の小太刀をそっと抜きとりながら、アンナはくるりと身を翻す。


 そうして俺に背を向けたまま歩みを進める。


 コツ、コツ、コツ……


 乾いた音を打ち鳴らすヒールが目指すのはただ一つ。


 『グヲヲヲヲヲヲ……』


 俺とともに魔術の十字架によって縛られ、喘ぎ、苦悶する獣。


 苦し気に身をよじってはいるけれど、徐々にその動き方が大きくなっていく。


 おそらくは≪早撃ち(クイック・ドロー)≫で放たれた簡易的な束縛。


 そう遠からず、獣の戒めは解かれることになるんだろう。


 「っぐ……」


 行かせてはならない。

 止めなくてはならない。


 「こ……の……」


 それは君の役目じゃない。

 君はそんなことを担わなくてもいい。


 わざわざ危険に自ら飛び込む必要なんてない。

 わざわざ見ず知らずの少女の願いを律儀に聞き届ける義理なんて君にはない。


「ぐ……が……」


 これは俺がやりたくてやっているだけのこと。

 これは俺がやれると思ったからやっているだけのこと。


 それも、別に君のように優しさから、善良な心から彼を助けたいと思ったからじゃない。


 ただ単に、それは俺の義務だから。

 俺が身勝手に背負った義務感があったから。

 


 誰かのミスは所詮、誰かのミス。

 誰かの命は所詮、誰かの命。

 殺し殺され、生かし生かされなど結局は単なる結果でしかない。

 殺されても恨むな。殺してもさいなむな。

 生かしても誇るな。生かされてもうやまうな。



 ―― 自分の生き死にを、他人様に押し付けるんじゃねぇ ――


 

 長らく俺を縛り付けてきた立神零厳たちがみれいげんの言葉。


 まるで、組み込まれたプラグラムを忠実になぞるだけの機械のように、何も考えず、ただ幼い時に胸へと刻まれたその言葉に従って生きてきた。


 従って、信じて、ひれ伏して。


 そんな風にしてひたすら他人の命をかえりみずに奪い、奪われてきた。


 なんの疑念も浮かばなかった。

 なんの感情も抱かなかった。


 自分の命も、他人の命も。

 その尊さについて、かけらも考えたことなんてなかった。

 

 ……そう……あの日まで。


 燃え盛る赤い街で一人取り残され、立ち尽くしてしまったあの夜までは。



 ブブブ……ブブブ……


『グゥゥゥ……ヲォォォォォォンンン!!』


 パキィィィィィンンンン!!


 十字架の戒めを力づくで破った獅子。


 その力、その勢いもそのままに、目の前に立つアンナへと躍りかかる。


 大きく開かれたアギト。


 そこからのぞく牙の殺傷力は、さきほどまで刃をまみえていた俺にはよくわかる。


 もしも一たび咬みつかれようものなら、脆弱な人間ごときの外殻なんてなすすべもなく食い破られてしまう。


 「ふっ!!」


 それも彼女だって重々承知していたのだろう。


 受けるでも、流すでも、カウンターを狙った紙一重でもなく。


 アンナは相応な距離をとりつつ獣の牙を躱す。


 ブォォォォォンンン!!


 咬みつきが不発に終わり、次に放たれたのは爪による横なぎ。


 それもアンナは苦も無く躱す。


 青年が人型を保っていた頃は言うに及ばず、俺と対峙していた時よりもさらに精細さを欠いた獣の攻撃。


 技巧さのかけらも見受けられはしないけれど、早いことは早いし、重いことは重い。


 爪を振るたびにこちらまでその引き裂かれた空気が風となって届き。

 牙を剥くたびに吐き出される咆哮が鼓膜をひりつかせる。


 「っふ!!」


 それでもアンナは軽やかに躱す。


 「はぁっ!!」


 それでもアンナは臆することなく黒柄の小太刀を振るい、獣の皮膚を裂いていく。


 青年を二人がかりで攻撃した時とはまた違う刃の軌道。


 それが鋭く線を描くたび、的確に相手の急所をとらえていく。


 「…………」


 情けないことに、どうやら俺は彼女の実力を見誤っていたらしい。


 確かにそこらの武芸者や魔物・魔獣の類が束になってかかってきても簡単に退けることはできるだろうくらいには思っていた。


 よく回る頭でもって導き出される戦術。

 小器用に扱う暗器や魔術の数々。


 ちょっとやそっとの相手では、決して彼女に傷をつけることなどできないだろう、と。


 「はぁぁぁ!!」


 『グヲヲヲヲォォォォン!!』


 しかし、この獅子はちょっとやそっとの枠から大いに逸脱した相手だ。


 あの十字の束縛には体を縛る以外に何かしらの効用があるのか、天井知らずに高まり続けていた魔力は落ち着き、毎秒のように更新されていた身体強化はとりあえず停止している。


 とはいえ、あくまでも高水準での停滞。

 俺の目から見て、脅威度の判定は変わらずレッドゾーンだ。


 どう甘めに見積もってみても、アンナの細い体にはあまりにも超過荷重な相手。


 そんな『バケモノ』とまともにやり合えるような奴は、同じく『バケモノ』の称号を持つものしか務まらない。


 だから、今すぐに逃げてほしかった。

 

 どこまでも人らしい、優しさと気高さを兼ね備えた君は、この場の役者としては相応しくない。


 ……そんな俺の焦る思いを……。


 「……アン……ナ……」


 『美しい』という思いがあっさりと上書きしてしまった。


 「せやぁぁぁ!!」


  回避する身のこなしにしても、反撃の太刀筋にしても、すべてがとにかく美しかった。


 彼女の修めた流派の型や戦闘スタイルそのものが関係しているのかもしれない。


 まるで、その流れるように優雅な戦い方は踊っているかのよう。


 こんな半壊したような礼拝堂をダンスホールとして。

 天井から注ぐ陽光をスポットライトとして。


 蠱惑的にステップを踏み。


 叙事的にターンを決め。


 情熱的に小太刀を振るう彼女の姿は、本当に艶やかだった。


 どれだけパートナーが理性を欠いた不作法者であったとしても構いはしない。


 アンナは巧みに相手を導き、手懐け、衆目の目を惹きつけてやまないダンスへと昇華させた。


 文字通りの≪剣の舞≫。


 小細工も魔術も使わない、純然たる剣の技にして武の力。


 傍目からは猛烈な攻撃を躱してからの反撃という、受けの姿勢のようにも見えるけれど、その実、戦いの主導権を握っているのは間違いなく、あのすらりとした細腕。


 ラ・ウール王国王室近衛騎士団副団長・アンナベル=ベルベット。


 ……君はそこまでやるのか。


 「キレイ……だゾ」


 アンナの戦いぶりを見て、そんな俺と同じ感想を漏らした声が傍で聞こえた。


 この舌足らずな口調。

 それに輪をかけてどこか平坦で感情足らずな声は、間違いなくあの狐耳の少女だ。


 まぁ、手を引いていたはずのアンナが今、こうして目の前で交戦しているのだから当然といえば当然か。


 おそらくは隠れていろとでもアンナに言い含められていたハズだろう。


 そしてたぶん、うんうんとココは何度も頷いたハズだろう。


 基本的には素直な娘なんだとは思う。


 けれど、それは大人の言いつけを律儀に守るような素直さとはまた違う種類のもの。


 あとで俺やアンナ、あるいは正気を取り戻したゼノ君に怒られるかもしれないということも。


 この場に立つことの危険さも。


 すべて承知の上で、自分がここにいたいからいるという一心に従う……そんな、俺にはついぞ持ちえない素直さだ。


 「コ……コ……」


 声のする方へと顔を向けたくても、体は相変わらず動かない。


 獣のように力技でどうにかしようにも、筋肉の動かし方を忘れてしまったかのようにそもそも力むことすらままならない。


 これが魔術。


 科学の発展と引き換えに……いや、科学の発展する余地そのものを駆逐してしまった、この世界を≪マホウの世界≫たらしめる力。


 この身に受けたのは初めてだったけれど、なるほど、理屈も仕組みもまるでわからない、確かにトンデモな力だ。


 「んんん??おにぃさん、動けない?」

 

 「……う……ん……」

 

 「動きたい?」

 

 「う……ん……」

 

 「わかったゾ」


 カプ……


 なにがわかったのか?と、わかるよりも先に、俺は首筋にヒヤリとした感触を感じた。


 痛みはない。

 違和感もない。


 ただ水気を含んだ冷たさと、そこからもう少しだけ上の方に当たるこちらも湿った温もり。


 そしてほとんど重さのない、何か軽くてふんわりとした柔らかなものが、右腕に乗った感覚があるばかりだ。


 「カプカプ……むぐむぐ……」


 「む……」


 どうやら感度の鈍さが緩まってきたようだ。


 何やら可愛らしい擬音とともに、静かな波が打ち寄せるがごとく、段々と皮膚がこそばゆさを感知し始める。


 「むぐむぐ……はぐはぐ……」


 「んん……」


 こそばゆさが、明確なくすぐったさに変わる。


 触覚が、今まさに首筋を襲う異変を明確にとらえ、弱弱しくも警鐘を鳴らす。


 「はぐはぐ……ぐむぐむ……ガブガブガブガブ!!」


 「いや、痛い、痛い、痛い(チョップ)」


 「みゃ」


 体に流れる獣の血が疼きでもしたのか、夢中になって俺を捕食しかけたココの脳天に軽く左手でチョップを入れる。


 もちろん、調子の悪い家電か調子に乗ったアルルかにかますような痛烈なものではなく、極々優しく手加減したものだという注釈を入れておきたい。


 ……そう、どれだけ加減したものとはいえ、手が動くようになったということも含めて。


 「……『みゃ』って、君は猫か?」


 「ううん、ココはココ」


 「……そう言うと思った」


  俺はありがとうと言いながら、ココのピンと張りだした、どう見ても狐のような耳をフニフニと触る。

 

 言葉もすんなりと出るし、指先でフサフサとした滑らかな体毛の流れをなぞることもできる。

 

 「ココ、えらい?」

 

 「ああ、えらいえらい。本当に助かった」

 

 「むふぅ~♪」

 

 俺は空いた方の右手でココの頭を撫でる。

 

 なでなで、なでなで……


 なんの違和感もない。

 

 イマイチ自由が利き辛いのは十字架に押さえつけられる前からの話。


 それを踏まえれば元の通り、一応は自分の体の一部だという実感が戻ってきていた。

 

 いまだ南十字星の瞬きは健在ではあるし、腰から下は相変わらずピクリとも動かせないけれど、とりあえず、少女の健闘を称えることができるくらいにまでは、状態は戻ってくれたようだ。

 

 「これは……君の能力なのか?」

 

 「マリョクを食べたんだゾ」

 

 「魔力を食べる?」

 

 「甘くて酸っぱくて、すごく美味しかったんだゾ」

 

 「……それは魔力じゃなくて俺の味だと思う」

 

 というかパンケーキの味だと思う。

 

 獣人族はそこまで敏感な味覚と嗅覚を持っているのか。

 

 あんな小洒落たものを食べたせいで、危うく貪りつくされるところだったじゃないか。

 

 直前に食べたものが餃子とかホルモン焼きとかじゃなくてよかった。

 

 臭いと思われるのが嫌なわけじゃない。


 ……この子の好みとしては、なんとなくそっち系のガッツリした食べ物のほうが好きそうで、きっと冗談抜きで食われていたかもしれないという危惧を抱いてしまう。

 

 魔術で具現化されたものの由来は、突き詰めれば魔力でできているもの。

その大元を食べてしまえば魔術自体、消し去ることができる。


 ……ということでいいんだろうか?


 そう誰かに尋ねたくとも、当人は頭を撫でられてフンニャリしているし、無知な俺にあれこれと解説してくれるお姫様や幼女は遠く離れた場所にいて。


 「せやぁぁぁぁ!!」


 『グヲヲヲヲォォォォン!!』


 専属観光ガイドは今もまだ華麗に舞い続けている。


 「……ココ、残りのこれも食べられないかな?」


 俺は体を貫いたままの十字架を指さしてココに尋ねる。


 「……それはムリだゾ」


 「そっか……」


 「うん、ムリ。……ううん、イヤ、なんだゾ」


 「え?」


 「このマジュツ……すごいんだゾ」


 「まぁ……詠唱魔術ってやつは威力も魔力の消費も大きいらし……」


 「ちがうゾ」


 お腹をさすりながら、ココは妙に真剣な様子で俺の言葉を遮る。


 「ココはマリョクを食べることができる。マリョクはジュツをとなえたヒトの想いのつよさがそのまま……()()()()()()()()()()……」


 「……ココ?」


 あどけない少女。

 可愛らしい狐耳と尻尾。


 小さな子供であることはまったく変わっていない。


 ただ、心なしか……。


 舌足らずな口調にしっかりとした芯が一本走り。


 その真剣な表情には、いくらか大人びた雰囲気がまとわれたような気がする。


 「だからココは食べた魔力から、術者の想いを少しだけ汲み取ることができるんだぞ。……その魔術に込められた術者の願い、記憶、感情……そういった言葉にできない言葉を」


 「……想い……」


 「だから嫌なんだぞ。こんなにもココの精神状態に影響を与えてしまうほどに強い想い。……この十字架でお兄さんを縛ったお姉さんの切実な願いを知ってしまったココには、勝手にそれを踏みにじることはできない。しちゃいけないんだぞ」


 「それは……」



 ヴゥン、ヴゥン、ヴゥン……



 耳に届くのはあの不吉なタービン音。



 『グゥゥゥゥ……』


 ありあまる力を引き絞るような唸り声。



 バシュゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ!!!!!



 解き放たれた魔力による衝撃波。

 


 『グヲヲヲヲヲォォォンンンン!!

 

 「ぐぅぅぅぅぅ!!!!」


 己にみなぎる力に浸るような、多幸感に染まった雄たけび。

 はじき飛ばされそうになるのをこらえ続ける必死な声。


 おそらくはアンナの戦いぶりが見事すぎたせいで、一方的に傷つき、闘争本能を刺激された獅子。

 

 鎮静状態にあった獣の無限強化が、怒りに呼び起されるようにして再び発動しはじめた。


 「くっ!」

 

 俺は動かないことを承知で、それでも無理やりにアンナの元へと駆け寄ろうとする。

 

 さすがに、アレは無理だ。

 

 どれだけアンナが優れた武芸者でも。

 どれだけその戦意が瞳から未だ消えていなくとも。

 

 アレはそういったレベルの話じゃない。

 

 理性や知性を蒸発させ、迫りくる自壊への危機感など微塵も抱いていない野獣を相手に、駆け引きも太刀筋の美しさも、折れない強靭な精神力もまるで意味なんてなさない。

 

 ただ力のおもむくままに自分にも周りにも破壊をもたらすだけ。


 そんな意思なき『バケモノ』の暴力に。


 あくまでも人間らしい美しさを失わない君では、相性が悪すぎる。


 「こ……んんのぉぉぉぉぉぉ!!!」


 『グヲォンンンン!?』


 果敢に攻め込むアンナ。


 「やめ……ろ……」


 『グヲォォォンンンン!!』


 「くぅぅぅぅぅ!!」


 斬りつけられた痛みに構わず振り回された獣の爪が、ついにアンナの体をとらえる。


 彼女もまた魔術によって身体強化を施しているらしく致命的な傷にはならなかったようだ。


 それでも驚異的な一撃であることに変わりなく、この戦いで初めてアンナがまともなダメージを受けた。


 「やめ……てくれ……」


 「これしきの……ことでぇぇぇ!!」


 『グヲヲヲヲォォォォン!!!!!!』


 切り裂いては、切り裂かれる。

 殴っては、殴られる。


 舞いのようだった二人の戦いは、流麗さも耽美さも、もはや見る影もなく。

吹き出す互いの鮮血が、その面影ごと真っ赤に染め上げてしまう。


 ……ダメだ。


 アンナは戦いに呑まれている。


 引き際を完全に見失い、人間のままでありながら、人外の領域にある相手のペースにすっかり侵されてしまっている。


 「くっ……ココ!!」


 こみ上げる焦燥感。

 いつか覚えのある無力感。


 そんなものにとらわれた俺は、思わず声を荒げてしまう。

 

 「頼む!今すぐこの魔術を喰ってくれ!!」

 

 「できないと言ったぞ、お兄さん」

 

 戦いによる恍惚におぼれるアンナと獣。

 戦うことのできない焦りにもがく俺。

 

 そんな三者をしり目にココだけ一人、冷淡とも言えるほどに冷静さを保っていた。

 

 「君はアンナがどうなってもいいのか!?」

 

 「いいわけない。ココ、あのお姉さんのことが好きだぞ」

 

 「だったら!」

 

 「好きだからこそ、お姉さんの気持ちをココは尊重するんだぞ」

 

 「っつ……今はそれどころじゃ……」

 

 「怖い?お兄さん?」

 

 「……は?」

 

 ココは俺の正面に立ち、真っすぐに俺を見つめる。

 

 あのボンヤリとした眠たげな目や、頭や耳を撫でた時のとろけるような目つきはどこへやら。

 

 まるで、伝説の大魔女たるリリーがたまに見せる、この世のすべてを知り尽くした賢者のような達観した奥行きのある瞳だ。

 

 「友が傷つく、仲間が血に染まる、大事な人の命が削られる……それをお兄さんは今、確かに恐怖として感じているはずだぞ」


 「きょう……ふ?」


 「それも生の側ではなく死の側へと自分から進んでいくような無謀、まったく自分の命なんて考えずに突っ込んでいく愚行。……どう、お兄さん?そう言われて、思いあたる節はない?」


 「おれ……は……」


 「これはどこかの誰かさんが、今まで散々やってきたこと、そっくりだとは思わない?ねぇ、お兄さん?」


 悟りきった表情のまま、小首をかしげるココ。

 

 その仕草自体は可愛らしいものなのだけれど、いかんせん、そんなのっぺりとした顔のままでは、えも言われぬ不気味さがある。

 

 ……いや、たぶん、それは受け手側である俺の方に問題があるだろう。

 

 核心を突かれた。

 図星を言い当てられた。

 

 その気まずさが、その賢者の問いと導き出された答えに対する後ろめたさが。

 

 ココの顔をそんな風に見せてしまっているのだ。

 

 「……お姉さんはちゃんと言ってたぞ」

 

 衝撃に目を逸らすことさえできなかった俺に構わず、ココの方がクルリと後ろを振り返って視線を切ってしまう。



 チリーン……



 首に巻かれたリボンについた鈴の音が涼やかに響く。


 アンナと獣が繰り広げる戦いの喧騒にくらべれば極々小さな音であるはずなのに。


 不思議と耳や頭、そして胸を打つ清らかな音色だった。


 「黙って見ていろって。……それはね、お兄さん?これまでお兄さんが傷つき、血に染まり、命を削っていく様を、ただ黙ってみることしかできなかった者たちの苦しみを代弁しているんだぞ」


 「…………」


 「そのお兄さんを縛り付けている十字架。……なんでゼノ君に使わないのかとは思わない?そうすれば戦いはもっと楽になるだろうし、そもそもゼノ君を正気に戻すというココのお願いを叶えてくれるだけなら、あんな風に殺し合う必要なんてない。ある程度痛めつけてオーバーフローした分の過剰魔力を外に出してくれるだけでいい。これ以上の魔力の生成ができないように外側から強制的に魔力炉の過活動を停めてくれるだけでいい」


 「…………」


 「……お姉さんにもそれはわかっているはず。そして、こんな影や体どころか、術を受けたものの在り様そのものに干渉できるような高等魔術を操るお姉さんなら、他にももっとやり方があったはずだぞ」


 「なら……どうして……」


 「わからない……とは言わせないぞ、お兄さん?」


 ……ああ、わかる。

 ……わかってしまった。


 ならどうして彼女は、わざわざ俺のとった泥臭いやり方を引き継いだのか。


 ならどうして彼女は、わざわざ最善策を放棄して、一番危険な方法を採用したのか。


 どうして彼女が今……。


 「ぐはぁぁぁぁぁ!!」


 『グヲヲヲヲォォォォン!!グヲォォォ!!』


 あんな風に体中から血を垂れ流しながら、それでも前に前に進んでいくのか。


 わかりたくなくても、わかってしまう。


 そう、心も体もアイツとそっくりな彼女だから。


 信じているけれど信じていないという、少し歪んだ『信頼』からいつでも俺の身を案じて傍にいてくれていたアイツと似ている彼女だから。


 俺が目をそらさず、正面から向き合ってみれば、こんなにも簡単に彼女の……彼女たちの想いというものがわかってしまう。


 「……そんなもん……見せつけるなよな」


 「いいだけ見せつけてきた本人がそれを言っちゃいけないんだぞ」


 毛量の多い紫色の尻尾が、どこか楽し気にユラユラと揺れる。


 「怖い?」


 「ああ、怖い。本当に怖いな」


 「嫌?」


 「ああ、嫌だ。こんな吐きそうになるくらいの嫌悪感なんて、ホント久しぶりだ」

 

 「吐いてもいいんだぞ。今は誰も見てないし」

 

 「……いや……」


 俺はジッと前方に目を凝らす。


 速さを増していく獣の猛攻に、傷を増やしていくアンナの体。


 その姿がアイツと重なる。

 その姿から視線を背けずに俺は見つめ続ける。


 「……(ボソリ)……」



 カチン……


 ヴゥン……ヴゥン……ヴゥン……



 「アイツも他の仲間たちも……アンナも、アルルも、バカ姉も、誰一人として吐かずに俺を見ていたんだ。……俺だって……そうしないといけない」


 「……ようやく何かを掴めそうかな、お兄さん?」


 「……どうしてそれを……って、そうか。魔術の魔力だけじゃなく、俺の魔力も少しは食べたのか、ココ?」


 「うん、甘くて酸っぱかったぞ」


 「それは魔力じゃなくて体の味だろ?」


 「甘くて酸っぱくて美味しくて……そして悲しくなったんだぞ」


 「……何を見た?」


 「何も……何も見えなかった。何かを見るにはちょっと少なすぎたから」


 ピタリと尻尾の揺れが止まる。

 

 「それは償い?」

 

 「……いや」

 

 「それじゃぁ、罰?」

 

 「いや、違う」

 

 「それじゃぁ……何?」

 

 「反抗……なんだろうな、きっと」

 


 殺されても恨むな。殺してもさいなむな。

 生かしても誇るな。生かされてもうやまうな。


 「自分の生き死にを、他人に押し付けるな。……そう信じ続けていたけれど、結局、俺の手元には何一つ残らなかった……」


 誰が生きても感情を揺らさなかった。

 誰が死んでも何も思えなかった。


 そこで俺が何かしら……普通の人間がごく当たり前に抱くであろう感情のままに心を乱したりしたなら、もっと違う結果になっていたんじゃないか……。


 最後に残った一人。


 大事で大切で、大好きだった姉をこの手で殺すことになるその本当に寸前、ようやくそう思えた時には、もう何もかも取り返しがつかなくなっていた。


 本当に、もう、どうしようもないくらいの……末期だった。


 「……だから、救うの?昔の自分を否定するために、昔の自分に抗うために、お兄さんは誰かの命を救うの?他人に生を、自分に死を押し付けて?」

 

 「そんなトコだよ」

 

 「やり方が極端だぞ……」

 

 「そうかな?」

 

 「それに考え方は変わっても、自分の命に頓着がないそのやり方自体はずっと変わってないと思うんだぞ」

 

 「そうかな?……ああ、いや……そうだったんだろうな……」

 

 だからこそ、アンナとパクがこうも重なる。

 

 変わろうとあがき続ける俺を知る彼女と。

 変わろうとも思わなかったあの頃の俺を知るアイツ。


 重なって見えてしまうのは、きっと俺の根本が何も変わっていないという何よりの証拠なんだろう。


 「あれから十年……。もう二十歳のいい大人だったけれど、育ての親に対する遅れてきた反抗期を今も引きずっているのかな?」


 「そして、誰かと誰かに押し付けられたその生……それに対してもお兄さんは絶賛反抗中?」


 「……ホントに俺の魔力を食べたのはちょっとだけなのか?何から何まで知られちゃってる気がするんだけれども」


 「見なかったことにしてあげるんだぞ。……というか、あのお姉さんの魔力を消化したらココは全部忘れちゃうから大丈夫。頭のいいココとはバイバイだぞ」


 「相変わらず、理屈のわからないことばかりが起こるな、この世界は……」


 「……だから、お兄さんの()()も見逃してあげる」


 「……バレるか……そりゃ……」


 

 キュィィン……



 「セリアンスロープの前で獣化しようとして誤魔化せるわけがないんだぞ」


 「『めっ』ってするかい?」


 「ううん……わからず屋のお兄さんに誰かが傷つくのを見せつけてやろうっていうお姉さんの想いはすごくわかるし、共感だってする。だけど、お兄さんの誰も傷ついてほしくないっていう気持ちもココにはわかるんだぞ」


 「俺、今、ゼノ君を傷つけにいこうとしているんだけれど?」


 「大丈夫。ココはゼノ君を信じてる。殺されるくらいじゃ、ゼノ君は絶対に死んだりしない」


 「……いい信頼関係だ」


 「お兄さんとお姉さんの関係も素敵だぞ?なんていうか……お互いに優しさをこじらせて結果バカみたいなことをしちゃうところとか」


 「……優しいのは彼女の方だけだよ」


 「きっと、お姉さんもそう言うんだぞ」


 

 キュィィィィィンンンンンン……



 回る、回す、内なる力。

 燃える、燃やす、命の灯り。


 探り探りじゃない。

 加減なんていらない。


 余計な演技もいらない。

 ややこしい葛藤もいらない。


 ゼノ君を助けるためという名目よりも。


 目の前で俺のためにあえて傷だらけになってくれている一人の女を守るという大義のために命を燃やす。


 それでいいじゃないか、立神一?

 あんたも実はこういう展開が好きなんだろ、立神零厳?


 殺されても恨むな。殺してもさいなむな。

 生かしても誇るな。生かされてもうやまうな。


 その言葉に、俺が救われていたことも事実だ。

 

 何にもなれなかった俺が何かになる上で、指針となり規範となり、軸となっていたことは紛れもない事実なんだ。


 だから、恨まない。

 礼なんて絶対に言わないけれど、それも俺はアンタを決して憎んだりしない。


 俺の憎しみはただあの『バケモノ』一匹に対するもの。


 俺をこの世界に繋ぎとめるクサビとなっているこの力と同じような『バケモノ』にだけ。


 俺は何も変わらない。

 変えたくない。


 この憎しみも、あの絶望も。

 この生き方も、あの生き方も。


 全部、全部、いなくなった皆との繋がりがあるものだから。


 それではどうする立神一?

 それではお前は何を為すんだタチガミ・イチジ?


 「……悪いな……アンナ……」


 俺を変えようと傷つき続けるアンナに向かい、俺は静かに謝罪する。


 「君の想い、確かに受け取った。君のその勇気と優しさのおかげで、俺はまた一つ、人らしさに近づいたんだと思う……」



 ヴォン!ヴォン!ヴォン!ヴォン!!!



 「だけど、変えたくないものもあってさ。……うん、義務とか責務とかじゃないその素直な気持ちに、ちょっと従ってみることにする」

 


 バチバチバチバチィィィ!!!



 「……≪解放リリース≫」


 シュゥゥゥ……


 ヴァフィィィィィィィィンンンンン!!



 「これは……獣化じゃ……ない……?」


 ココの驚いたような声。

 それがハッキリと耳に届いている。


 真っ白な空白にからめとられることもなく。

 真黒な虚無に侵食されることもなく。


 ただ朱色あけいろの煌めきだけが、俺を満たしてくれる。


「お兄さん、その右腕……」


 俺は右手を何度か握ってみる。


 変質した……まるで朱色の鎧の一部をまとったかのように硬質化した右腕の感覚に違和がないことを確かめる。


 「なるほど……名実ともに≪龍神の子≫になっちゃったかな、これは……」


 「世界の覇王……ドラゴン……」


 さて、いこう。

 

 ≪王を狩る者(セリアンスロープ)≫。

 ≪王を宿す者(タチガミ・イチジ)≫。


 種族の存続をかけたかつての争いの再現といえば少し大げさになるか。


 だってこれは、ただの自己満足。

 メガネの才女がいうところの、俺の傲慢でしかない。


 ごめんな……アンナ。


 俺は君を救いたい。

 君が流す血の色だなんて、もう見ていたくない。


 だから、ごめん。


 君をこれ以上傷つけないために。 


 また傷ついてくれ。



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