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マジカル・ビート・タクティクス -異世界ってこうですか?-  作者: YAMAYO
RHASE:01 眼鏡の才女
17/75

第四章・王を宿す者《タチガミ・イチジ》~ICHIJI‘S view①~


 ドクン、ドクン、ドクン……


 ……熱い……。


 ドクン、ドクン、ドクン……


 焼け付くように。

 焼き尽くされるように。

 ……とにかく熱い。


 全身、隈なく、熱くないところがないと言ってもいい。

 

 単なる熱エネルギーとも違うし、このところ慣れはじめてきた魔力の感覚ともまた違う。


 たとえるなら……なんだろう?

 

 俺にはこの体を巡り駆けていくモノをたとえあげるような語彙を持ち合わせてはいない。

 

 無知というよりは未知。

 

 未知でありながら、どこまでも慣れ親しんだような既知。

 

 そんな背反する、矛盾する、対極に位置するよくわからない感覚が、その反発力すらも糧として、俺の中で徐々に徐々に膨れ上がっていく。

 

 特に右半身。

 

 借り受けた小太刀をとりあえず握ってはいるけれど、まるでその感覚がない右腕。

 

 流れ出る血を避けていたわけではなく、どうにも重たく、開くのが億劫だった右目蓋。

 

 あまり相方を心配させたくはないと無理矢理こじ開けてみたけれど、気を抜くとすぐにでも目を閉じてしまいそうになる。

 

 「……タチガミ様……その瞳の色は……」

 

 さきほどまで俺の目蓋に当てていた手を逆の手で握りながら、アンナベルが呆けたような声を出す。

 

 彼女の理知的な目が真っ直ぐに捉えるのは俺の目。

 

 視線を合わせるという趣ではなく、文字通り、俺の瞳そのものを驚いたように見つめている。

 

 「色?」

 

 「……その右目、何か違和感はありませんか?」

 

 「目自体は特に……。色が変なのかな?」

 

 「……はい、赤く……」

 

 「赤?」

 

 「正確には朱。……血のような赤でも宝石のような紅でもなく、より鮮やかな朱色。……それもどこか艶のある朱色……です」

 

 「朱色……ねぇ……」

 

 自分ではまるで実感がない。

 

 朱色。

 

 血の色でも、宝石の色でもなく。

 記憶にこびりついたあの街の忌まわしい色でもなく。

 俺からすべてを奪い去ったあの『バケモノ』の憎らしい色でもなく。

 

 朱色。

 

 特に美術に造詣が深いわけではないけれど、その色合いぐらいは想像できる。

 

 黄色の割合が多い赤……。

 

 特になじみ深くも因縁めいてもいない色。

 

 この場でそんな色に変わったところで何かを抽象し、暗示せしめるにはどうにもピンとこない色。

 

 ……いや、より鮮やかで艶やかだとアンナベルは言った。

 

 黄金と赤が混ざり合った、という具合だろうか。

 

 「ふむ……」

 

 強いて言うならば。

 あえて理由を強いるならば。

 

 なんとなく無理矢理にこじつけて語ることができそうな気もする。

 

 若干、センチメンタルに走っている感は否めないけれど、まぁ、仕方がないだろう。

 

 ……黄金という色は、それだけ俺にとっては特別な意味のある色なのだから……。

 

 「ダメなんだゾ」


 ポス……


 不意にみぞおちあたりにくすぐったい感触があった。


 「めっ!なんだゾ、おにぃさん」


 おそらく難しそうにしかめられていた俺の顔は、そのケモ耳少女の可愛らしい『めっ』によって解きほぐされた。 

 

 「簡単に『じゅうか』しちゃいけないって、ゼノ君が言ってたんだゾ」

 

 「……ごめん。俺は悪い子だったな」

 

 「そうだゾ。ゼノ君に『めっ』てされるんだゾ。こわいんだゾ。いたいんだゾ」

 

 「…………」

 

 確かにあんなのに『めっ』ってされたら怖いな。

 

 『めっ』どころか『滅っ』と潰されるんじゃないだろうか。

 

 「彼の芸風……そういうことでしたか」

 

 アンナベルが妙に固い声で呟く。

 

 「君からの忠告を忘れていたわけではないんだけれど、緊急事態だったもんでつい」

 

 「では傷が治らないというのは……」

 

 「そうなんだ。これは彼との戦いで負った外傷じゃない」

 

 俺は右目蓋の上、自分の額に意識を向ける。


 

 ドクン、ドクン、ドクン……


 

 「これは内側から裂けたもの。……そしてどうやら今も裂け続けてるみたいだ」

 

 そう、これは言ってみれば単なる自傷。

 

 確かにかすり傷くらいは受けたかもしれないけれど、血を流すほどに悪化したのは、体中を駆け巡るエネルギーが行き場を求めて俺の脆くなった部分から外に出て行こうとしているからに他ならない。

 

 「とはいえ力を使ってみたのは一瞬だったし、こうまでヒドイのは右の、それも上半身だけ。問題はないさ」

 

 「その一瞬でもこの有様ではないですか……」

 

 「それを言われるとグゥの音もでないな」

 

 「グゥ、グゥ~」

 

 「君がだしちゃうん……」


 

 ヒュン……


 

 ボゴォォォォォォォォンンンン!!!


 

 『グヲォォォォォォォォンンンンンン!!』



 「きゃ!」「お」「お~」


 驚き、桃ノ木、無邪気の木。


 会話を真っ二つに断ち切り、俺たちに三者三様のリアクションを取らせたのは。


 唐突に飛来したとともに轟音を立てて砕け散った大きな石塊だった。


 無駄に豪奢な装飾が施されているところを見れば、おそらくは剥落した天井の一部。


 どうやら闇雲に荒れ狂っている獅子の獣が弾き飛ばした流れ弾が、いよいよこちらの方にまで届きはじめてきたようだ。


 「もう少しだけ休んでいたかったところだけれども……」


 「タチガミ様……」


 「動けるね?」


 俺はアンナベルに向かって言う。


 獣化というものを目の当たりにした時、驚愕と畏怖の為に固まってしまった彼女。


 どうにか持ち直してはくれたけれど、今度は俺と青年との戦いの激しさにあてられてしまった彼女。


 「……はい……大丈夫……です」


 決して臆病者ではない。

 決して戦いに慣れていないわけではない。


 むしろ、そこらの人間よりもよっぽど勇敢で実戦経験も豊富。


 よく回る頭は常に冷静に戦局を見守り、分析していた。


 「さきほどは申し訳ありませんでした……」


 ……ただ、この場に限って言えば彼女の優秀さが逆に仇となっている。


 良くも悪くも常識的な人間性を持ったアンナベル。

 

 そんな彼女にとって、常識を軽々と超えた早さと熱量でもって繰り広げられた攻防は、フリーズさせるに足るだけの負荷を彼女の思考に与えた。


 常人では理解しようとする以前に、何が起こっているのかわからず戸惑うだけ。


 なまじ目で追えることができ、状況を把握できてしまったからこそ、それをフル回転で処理しようとする頭が彼女の体を硬直させてしまっただけの話。


 「本当に……本当に、ごめんなさい……」


 それでも彼女は……許せない。

 

 完璧主義にして潔癖主義な彼女は、そんな自分を許せない。


 「……謝ることじゃない」


 そう、別に謝ることじゃない。


 実際、彼女のその優秀さを信じていたからこそ、俺は青年のように背中を気にせず、心のまま、思い切り戦えたわけなのだから。


 「俺がまた前に出る。君はココを守りつつ、後方から支援をしてくれるかな?」


 「い、いえ、タチガミ様。その体では……」


 「本気でアレに勝てるだなんて思ってないさ。なんとか隙と時間を作ってみるから、状況を見て君はこの子を連れてこの聖堂から出るんだ」


 「……逃げないのではなかったのですか?」


 「もちろん、逃げない。君は急いで王宮に戻るか、何らかの魔術を使って通信するでもいい。とにかく、君には急いでリリーを呼んできて欲しいんだ」


 「リリラ=リリス……ですか?」


 「リリーならきっとアレを止められる。倒すでも殺すでもボコボコでもギッタンでもなく、全知全能とうそぶく彼女なら行き過ぎた獣化を止めるための術だって心得ているはずだ。……いや、あの子のことだから知っていても面白がってボコボコにしそうではあるけれども。まぁ、どちらにせよ、ゼノ君を元に戻すには俺たちよりもよっぽど適役だと思うから」


 「リリーってだれ?」


 「うん?ココみたいにちっちゃくて可愛らしい女の子のことだよ(なでなで)」


 「むふぅぅぅ♪♪ココかわいい??」


 「うんうん、かあいい、かあいい」


 「かあいい~~♪♪」 


 「……偉そうなことを言っておきながら、足手まといにすらなれないだなんて……」


 悔しそうに唇を噛むアンナベル。


 「私はなんて無力なのでしょう……」


 「いや……」

 

 そんな彼女の顔を見て俺は喉元まで出かかった言葉を飲み込む。


 慰めるのは簡単だ。

 励ますのも簡単だ。


 優しく、慈しみ、頭でも撫でてやって君は何も悪くないんだと言ってしまうことはとても容易い。


 またセクハラまがいのことでもして気を逸らしてやるのも手ではあるけれど、多分、それも一時しのぎ。


 これからはじまる青年との……もはやただの荒ぶる野獣との間で矛を交える第四幕にしておそらくは最終幕。


 より激しさを増すこと請け合いなその凄惨な戦いを前に、安っぽい慰めや励まし、優しさで誤魔化してみてたところで……。


 生き残ること、生き抜くことはきっと難しいだろう。


 「…………」


 これが品行方正な正義の味方であったり。

 強さと優しさを兼ね備えた勇者であったり。


 清く正しく、すべてのものをマルっと一抱えにしてもなお皆を幸せな結末へと導くヒーローであったりするならば。


 そんな彼女のことも、獣と化した青年ことも、大事な人を助けてほしいと言った少女の願いも、誰一人この手から零れ落とすことなく救えるたのだろう。


 ……だけど、俺は正義でも勇者でもヒーローでもない。


 むしろ、この手から零れ落とし続けてもまだ無様に生きながられているだけの愚か者。


 口だけ偉そうなことを言っているのは俺なんだ。


 無力なのは俺の方なんだよ、アンナベル。


 ……だから、俺に出来ることと言えば。

 ……こんな俺に出来る、唯一のやり方と言えば……。


 グイッ……

 

 「……え?」


 「……どうした、パク?()()らしくもない」


 俺は彼女の襟元を掴んでグッとこちらに引き寄せる。


 俺は彼女の混乱する目を覗き込みながら、言葉で冷たく突き放す。


 「そんなそこらの女みたいに弱々しいツラ下げて、情けなくうつむいて。普段から俺のことを散々、浅はかだとかバカだとかしっかりしろだとか言ってるくせに、ちょっと厄介そうな奴を相手にしただけでそれか、パク?」


 「た、タチガミ……様?」


 仲間であったアイツに向かって言うように乱暴に。

 同士であったアイツに向かって言い放つように尊大に。

 ライバルであったアイツに向かって叱咤するように不躾に。


 「お前がそんなザマじゃこっちの命まで危なくなる。バディを組んでるんだから自分のことばかり考えてないで少しは相方のことにも気を遣えるようになれ」


 かけがえのない友であった……誰よりも大切な親友であった……。


 上も下も守るも守られるもない、あの世界でただ一人、俺とどこまでも対等な存在であったアイツと、再び戦場に立っているかのように。


 俺は物理的にしても精神的にしても、まったくのゼロ距離でアンナベルと対峙する。


 「そのメガネは伊達か?ただのオシャレさんか?クールなお前は一体どうしたんだ、パク?」


 「…………」


 「どうした、パク?まだビビってるのか?それともまたケツなり乳なりを俺に触って欲しくてワザとやってるのか?」


 「……さい……」


 「聞こえない」


 「……るさい……です……」


 「全然、聞こえない。もっと声張れよ、パク」


 「……うるさいです……」


 「そんな根暗メガネだから、いつまでたっても男ができな……」


 「うるせーっつってんでしょうーがぁぁぁ!!!」


 ボクシャァァ!!


 「おふぅ」


 炸裂する頭突き。

 ひしゃげるメガネ。


 「いたそう……だゾ……」


 「今日一で……いたいんだぞ……」


 『グヲォォォォォォォォンンンンンン!!』


 我がことのように痛がる可愛らしい少女。

 我が額に走る鈍痛に痛がるどこまでも愚かな男。

 我がもの顔で暴れ回る荒ぶった獣。


 ……そして。


 「うるさいうるさいうるさいうるさいうるさいぃぃぃ!!!」


 我がパーソナリティの一部たるメガネの惨状など構わずヒステリックに喚く美しい才女。


 「パクパクパクパクと何なんですかさっきから!?誰ですか!?なんですか!?お腹でもすいてるんですか!?パクパクしたいんですか!?あれですか!?暗に私のことを食ってやるぞという宣言ですか!?おしりを触って胸を揉みしだいて顔を舐めましてパクパクするんですか!?不潔ですっ!!」


 「パクパク言ってるのは君だろうに……」


 「私の名前はアンナベル!!アンナベル=ベルベット!!名家ベルベット家の長女にしてラ・ウール王国王室近衛騎士団副団長・アンナベルです!!パクなどという名前ではありません!!不潔ですっ!!」 


 「いや、別にパクという言葉にいかがわしい意味はまったくな……」


 「不潔です……不潔なんです……そうやって私を……私の容姿を透かして別の女のことを考えているなんて不潔以外の何者でもありません……」


 「…………」


 「はい、それはそれは似ているのでしょう。はい、きっとあなたはこんな風に彼女とずっとタッグを組み、こんな風に心の折れた彼女に対して、あえて厳しくして鼓舞していたのでしょう。はい、はい、もうわかります。わかってしまいます。何故だか知りませんが、私の中でとても懐かしいと思っている部分がそれはそれはもう嬉しそうにしていますから、鼓舞されて喜んで、踊り狂っていますから、わからないわけないでしょう」


 「君の……中?」

 

 「何を想像してるんですか。不潔です」

 

 「この流れで何を想像するんだよ。むしろ君の方が不潔……」

 

 「……アンナです」

 

 「ん?」

 

 「私の名前はアンナです。アンナベルです。懐かしいとか……嬉しいとか……勝手に私の気持ちを弄ばないでください。……その弄ばれている誰かと私は違うんです……別人なんです。……思えばあなた……『君』とか『ねぇ』とかばかりで私のことを名前で呼んでくれたこと、一度もありませんよね?……それはやはり、あなたが重ねている誰かと間違えてしまうからですか?」


 「……そう……だっけ?(フニフニ)」


 「とぼけないでください」


 「ふにゃぁ♪♪」


 「とろけないでください。ってゆーか少女の耳をいじって胡麻化さないでください。不潔です」


 「……それでは、手筈通りに頼んだ」


 「さも何事もなかったかのようにしないでください。話のそらし方、下手くそですか」


 「…………」


 「アンナ」


 「…………」


 「ア・ン・ナ」


 「アンナ♪♪アンナ♪♪」


 「ほら、ココさんだって簡単に呼んでますよ」


 「…………」


 「呼んでくださいませんか……タチガミ様?」


 キュ……


 アンナベルが、離れた俺の体に改めて近づき、そっと俺のシャツの胸元を握る。


 「それだけで……ただそれだけで……私は私として……アンナベル=ベルベットとして、あなたのバティとして相応しいだけの仕事を必ずいたしますから……だから……」


 キュ……


 「お願い……勇気をください……イチジ……さん……」


 「…………」

 

 ドクン、ドクン、ドクン……


 普段の凛とした彼女からは想像できないほど乙女らしい仕草と表情、そして声。


 まるで思春期男子みたいな体の熱と早まり続ける鼓動はあくまで獣化の真似事のせい。


 別に彼女に対して湧き上がった愛おしさからくるわけじゃない。 



 ……それでも。



 策士、策にズブズブと溺れ。

 ミイラ取り、カラカラとミイラになる。


 そんなニュアンスだけで適当に言っているだけの慣用句が意味もなく頭によぎるくらいには、吊り橋効果……プラシーボ的な感情のすり替えは行われているらしい。


 ま、とにもかくにも、彼女を立ち上がらせるためだけには、やり過ぎてしまったようだ。


 ……そう、彼女はまた立ち上がる。

 ……つまずいて、転んだ時よりも、ちょっとだけ高く立ち上がれる。


 「『STAND A LITTLE TALLER』……」


 「……はい?」


 ふと、そんな言葉が思い出された。


 同じようにへこんでいた女の子。

 同じようにうなだれ、自分の無力さに打ちひしがれていた女の子。


 こんな時に思い出すのはここにはいない。

 身長にしても体つきにしても性格にしても、目の前の女とは似ても似つかぬロリ巨乳のツインテール。


 そして、不覚にも軽くプラシボってしまっている相手は紛れもなく。

 身長にしても体つきにしても性格にしても、あまりにも似通い過ぎた目の前の女。

 

 ……そう、決してアイツにじゃない。

 

 キュッと俺の服を掴んでいるのは。

 この絶体絶命の状況で、俺とバティを組んでいる彼女は……。

 

 


 アイツとは別人なんだ。



 

 「……それでは、手筈通りに」


 スッと彼女の体を押しやり、俺は改めてそう言う。


 「……やはり……呼んではくれないのですね……」


 「……ココのこと、頼んだ……」


 「……はい……」


 「…………」


 「…………」


 俺は彼女に背を向ける。



 『グヲォォォォォォォォンンンンンン!!!』


 見据えるのは獣。

 圧倒的な力の差を持った怪物。


 助けがくるまでの時間稼ぎとはいったものの。

 今の俺に、一体、どこまでやれることやら……。


 ああ、今すぐ力が欲しい。

 すべてを守れる、すべてを救えるだけの正義の力が欲しい。


 今更、俺がそんなものを持てるはずもない。


 正義にも勇者にもヒーローにもなれない俺が、そんなものを望むことさえおこがましい。


 だったらせめて……それが叶わぬというのなら……。


 「……ねぇ?」


 俺は背中を向けたまま、彼女に声を掛ける。


 「……はい、なんでしょうか?」


 それでも『ねぇ』としか呼びかけられないことを悲しむような小さな声。


 「さっき、俺のこと、下の名前で、しかも『様』をつけないで呼んだよね?」


 「……そう……でしたっけ?」


 「あれ……実は割と嬉しかったりする」


 「え?」


 「それと、素顔も美人だけれど……やっぱり君はメガネをかけている方が似合ってるよ……」


 「え、えっと……」


 背中越しなので実際のところどうなのかは知る由もないけれど、彼女が今は地面へと落ちてしまったメガネの弦をいじるような仕草をしている姿がありありと想像できる。



 キュィン……



 俺は懲りずに、また体に魔力を廻す。


 ほんの少しだけ、本当に本当に少しだけ。


 途端、体の熱がさらに増す。

 ようやく落ち着き始めた傷口がまた開く。


 それでも……。

 それでも……俺は……。


 「だからまた、お互い無事に帰ることができたのなら……また、メガネをかけた君の顔を見せてくれ……アンナ……」



 ガゴォォォォォンンン!!



 俺は跳ぶ。


 床を蹴り。

 空気を裂き。

 

 上がらない右腕を、気怠い体を。

 魔力を廻すことで無理矢理に動かして。


 真っ直ぐに跳躍する。



 どこに向かって?


 『グヲ?……グヲォォォォォォォォンンンンンン!!」


 もちろん、荒ぶる獣に向かって。



 

 何のために?


 「い、イチジさん!!!!!」

        

 もちろん。


 アンナのメガネ姿を、もう一度、拝むために。


 何の力ももたない俺に、守るためという理由と勇気をくれた。


 アンナベル=ベルベットという、ただ一人の女のために。


 

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