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マジカル・ビート・タクティクス -異世界ってこうですか?-  作者: YAMAYO
RHASE:01 眼鏡の才女
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第三章・王を狩る者《セリアン・スロープ》~ANNA‘S view③~

 「あれを俺たちにどうしろと……」

 

 私の心の声とまったく同じ言葉を、タチガミ様は呟きます。


 いえ、私たちに限らず。


 アレを目にした者ならば。

 アレを目の前にした者ならば。

 

 きっと誰もが同じことを呟いてしまうでしょう。

 

 どうしろと……と。

 

 魔物の血が混じったヒトだとか。

 ヒトに魔物の特性が付与された者だとか。

 

 正の魔素だとか、負の魔素だとか、割合だとか。

 

 繁栄だとか、衰退だとか。

 

 血脈だとか、歴史だとか、文化だとか。

 

 ……そんなものは何一つとして意味をなしません。

 

 『グヲォォォォォ!!グヲォォォォォンンンン!!』


 比喩表現ではなく、あれはもはや獣。


 全身を覆い尽くした橙色の毛並み。

 あからさまに太く鋭くなった牙と爪。 

 理性の欠片もうかがえず、光りを失った虚ろな瞳。


 床にベタリと張り付く四つん這いの姿勢。


 果たすべき職務も責務も忘れ。


 守るべき者の存在すらも忘却して吠えたてるだけのその姿は……。


 まさしく、野性を解放した、ただの獣以外の何者でもありません。


 「……ココ」


 「んん?」


 「どういうことになっているのか、説明できるかな?」


 「う~ん……」


 タチガミ様の問いかけに、少女は小首を傾げつつ考える素振りをします。


 素振りという言い方では彼女のことをまるで信じていないように聞こえてしまうかもしれません。


 しかし、実際、表情自体は相変わらずボンヤリとしていて、何を考えているのかわからない……いいえ、何かを考えているのかどうかさえ怪しいのです。


 「う~~~ん(ピョコピョコピョコ)……」


 それでも狐のような細長い耳と毛量の多い尻尾。


 それが忙しなく動く様子を見るに、一応は彼女なりに必死で思考をめぐらしているでしょう。


 彼女にしかわからない何かについて、真剣に、とにかく一生懸命に。


 どう言えば私たちの理解を得られるのか。

 どうすれば私たちの助力を得られるのか。


 どうすれば……大切なものを守れるのか。


 「……『おおばぁふろぉ』……なんだゾ」


 そうして、熟考した挙句に彼女がようやく絞り出した一言。


 ですが、それでもやはり私には理解しがたい言葉でした。


 決して舌足らずだったからではなく。

 決して言葉足らずだったからでもなく。


 「……あれが獣人族の『オーバーフロウ』……なのですか?」


 その言葉の意味というよりも、あくまでその言葉が意味する現状に対して……です。


 「オーバーフロウ……ってそのままの意味でいいんだろうか?」


 どうやらタチガミ様もそれは同じようです。 


 「つまりは、何かが許容量を超えたってことで」


 「はい、魔術用語です。……よくご存じでしたね?姫様ですか?」


 「いや、俺の思ってるのとは少し違うと思うけれど……魔術的なオーバーフロウって?」


 「簡単に言えばタチガミ様の仰ったとおり、許容量を超えた魔力が供給されることで起きる魔力炉の暴走です。魔力炉というものは魔力を生み出す役割の他に、生み出した魔力を貯蔵するという役割も同時に担っているわけですが……」


 「ダムの……えっと……貯水池から水が溢れだすみたいな感じかな?」


 「まさしく。……溢れだし、行き場を無くした魔力は必要以上に魔力路へと流れ込み、それに耐え切れなくなった路を焼き切ります。……大抵の場合、後戻りできなくなるほど魔力が溢れる前に魔力炉は自動で停止し、しばらく冷却期間を置けば元通りに自然と回復していくものですが、痛めつけられた路、過活動をした炉、ともに損傷が激しければ最悪もう生体活動に必要な分だけの魔力供給しかできなくなり、一生涯魔術行使ができない体となります。それがいわゆるオーバーフロウという現象です」


 「なるほど……」


 「あくまでもざっくりとした説明ではありますが、身の丈に合わない魔力が過剰に供給され、体が破壊されるのを防ぐために安全弁が働く、とでも捉えてください」


 「……魔力の過剰供給」


 「はい」


 「……安全弁」


 「はい」


 「で……」


 「……はい……」


 『グヲォォォォォ!!グヲォォォォォンンンン!!』



 ボゴォォン!!

  バコォォォンン!!



 「……あれ、働いてる?安全弁?」


 「……ですよね……」


 膨れ上がった身の丈は概算で三倍程度。

 発達した筋肉や牙・爪などの各部位。


 獅子のようだった青年の姿は今はもう、紛うことなく一頭の獅子。


 こちらを標的としてとらえているわけではありませんが、身の回りに散らばる瓦礫や礼拝堂の備品を闇雲に破壊している様子は、その有り余る力をもてあましているかのごとくです。


 「むしろリミットブレイクしてよりパワーアップしてるみたいなんだけれども」


 「……私が説明したのは、あくまでも≪幻人とこびと≫におけるオーバーフロウの定義ですから」


 「獣人族は獣人族でまた別の定義があると?」


 「……正直……私に聞かれましても……」


 自然と私たちの視線は一か所に集まります。


 「おおばぁふろぉ、わかる?」


 そう。


 この崩れかけの廃聖堂の中で、唯一、事情を説明できそうなただ一人の存在。


 自分の発言に、私たちの理解が追い付いているのか、どこか不安げな様子をしている少女にです。


 「大丈夫、わかるよ。ありがとう、ココ」


 そう言ってタチガミ様は膝を曲げ、少女と目線の高さを合わせると、また彼女の頭を撫でます。


 「ゼノ君がオーバーフロウすると、あんな姿になっちゃうんだ?」


 「うん、そうだゾ」


 「いえ、タチガミ様。それでは何の説明にも……」


 「いいじゃないか、今は」


 触り心地の良さそうな少女の髪をクシャクシャと優しく撫でながらも、タチガミ様は固い声を発します。


 「理屈なんて後でいくらでも聞けばいいさ。とりあえず、彼がより厄介な相手になったことがわかればそれだけで十分」


 「タチガミ様……」


 「そして、この子が一生懸命『止めて』と訴えかけてきたこと。……それが何より重要だ」


 「おにぃさん、ゼノ君を助けてくれる?」


 クリクリとした瞳で、ココという少女はタチガミ様を見つめます。


 『止めて』から『助けて』へと変わった言葉。


 あの獣の姿になることを『止め』られなかった私たち。


 そして彼女のにとって、今度は『助ける』必要があるほどに状況が切迫したものに変わったということなのでしょう。


 「ま、こんな小さな女の子の健気なお願いだしなぁ。オッサンとしては是非とも格好つけたい場面だ」


 「一応提案なのですが、まだこちらの存在に気づいていない今ならば、逃げることも可能ですが……」


 「『一応』というところに君の優しい性根を感じるな」


 「……わ、私は別に……少しでもあなたが姫様の元へと帰れる可能性の高い選択を、冷静に、冷徹に考えて提示して……」


 「いまさらクールぶっても遅いって」


 「ぶってって……」


 なんという言い草。

 他に言いようはなかったのですか?


 「俺の知っている君なら。……ココの切実な願いを聞いてしまった君ならば、何もかもこのまま放り出して逃げ出すだなんてできないはずだ。たとえ相手が、自分たちを殺そうとした敵であっても」


 「……あなたが私の何を知っているというのです?」


 「……割と、何もかも?」


 ……またです。


 少女の身長に合わせて屈んだまま、またタチガミ様は私の方を見やって小さく小さく微笑みます。


 まるで本当に私の何もかもを知り尽くしているような。


 こんな状況になった時、私が何を考え、何を優先し、すべてを考慮した上でどんな判断を下すのか、既にわかっているとでも言いたげに。


 「…………」


 他人に自分のことをそんな知った風に言われたのなら、普段の私であればまっしぐらに不愉快になっていたことでしょう。


 はい、きっと不愉快のあまりに滑らかな弁舌と毒舌と饒舌でもって、無礼をはたらく相手を完膚なきまで論破して組み伏せてしまうことでしょう。

 

 しかし……。


 ……確かに、私のことをあなたは誰よりも知っているのかもしれません

  ……ええ、あるいは私以上に……

   ……そのことを恥ずかしいと思う反面、実はすごく嬉しかったです

   

 ……だけど、イチジさん?

   ……あなたが最後の最後まで……そして最後を過ぎた今もなお

    ……知りはしない、知る由もないものだってあるんですよ?


 ……たとえば私の気持ちだとか……

    

 ……それなのに私の全部を知ったような口をきいて……


 ……ホント……浅はかなんですから……


 「……親友……か(ポツリ)……」


 「どうかした?」


 「い、いえ、なんでもありません」


 私はコホンと咳ばらいをし、メガネの弦を思わずいじってしまいます。


 なんですか、今の心に広がった桃色一色の気持ちは。

 どこの恋に不器用なウブ乙女ですか……。


 「それで、青年を助けると言ってもどうやって?そもそも何を持って助けたことになるんでしょうか?えっと……ココさん?」


 私は誤魔化すように獣人の少女……もはやこの無害っぷりから敵対者ではないと認定することにしたココさんに向かって問います。


 「やっつけるんだゾ」


 「……え?……」


 「ポコポコたたくんだゾ」


 「……ポコポコ……」


 「ボッコボコだゾ(シュッシュッ)」


 「…………」


 無害で無垢でおまけに無邪気な調子で、結構物騒なことを言い始めましたけど、このケモ耳っ娘。


 まるで腰の入らない、自身の髪の毛のようにフワフワな拳を何もない空間に放っていますが、彼女のイメージの中ではきっと、『助け』なければいけないはずの青年がボッコボコにされて『助けて』と泣き叫んでいるのかもしれません。


 「私が言うのもあれですが……そんなのでいいんですか?」


 「うん」


 ニパァっと花が咲いたような、これまたなんとも無垢な笑み。


 「フルボッコだゾ」


 ……えっと……本当はゼノ君のこと大嫌いなんですか?


 犬猿の仲ならぬ、猫狐ねここの仲?


 「ま、シンプルでいいさ」


 そうしてタチガミ様はココさんの頭から手を放し、すっくと立ちあがります。


 「ボッコボコのギッタンギッタンにしてやるよ」


 「ギッタン♪♪ギッタン♪♪」


 「そう、ギッタンだ。どこぞの雑貨屋の跡継ぎじゃないけれど」


 「ギッタン♪♪ギッタン♪♪ジャイジャイアンアン♪♪」


 「ん?」


 ハンデを背負っていたらしいところでようやくの五分。

 それが獣と化したことで更に力を増したであろう敵。


 加えて……。


 「……せめて治癒魔術をかけさせてもらえませんか。ギッタンはその後で……」


 さきほどからダラリと垂れたままの右腕。

 ずっと閉じたままの右目蓋。


 まるで表情の変わらぬ顔も相変わらずですが、額にはジットリと汗が浮き。


 治癒の為に近寄っただけの私にも伝わるほど、体からは異常な熱が発せられています。


 ……やはり、青年の大技……≪エヴ・ゼノス≫でしたか。


 あの直撃を受けて命があるだけ、奇跡的なことなのでしょう。


 「こんな状態で、まともな戦闘など無理です」


 「いや、大丈夫だ」


 何を強がっているのでしょうか、この男。


 右の目蓋に手を添える私。


 触れるそばから手の平に感じる焼け付くような熱。

 触れたことにも反応を返さないほど著しく鈍っている感覚。


 「私にまで格好つけるんですか?」   


 「そりゃ、美人の前ではよりカッコつけないと」


 「何言ってるんだか……」

 

 ポゥ……


 無造作に伸びた黒髪。

 以外に長いまつ毛。


 ≪キュアブライト≫の灯が、そんなものを照らしていきます。 


 どれだけ優しい光でも拭い去ることのできない深い闇をたたえた瞳も。


 どれだけ誰かが想っていても、頑なにその気持ちを拒み続ける孤独な心も。


 私の拙い魔術では……癒すことが叶わないだろうことも……。


 「……え?」


 そして灯りは、もう一つだけ私の無力さを暴き立てます。


 「……傷が……塞がらない?」


 手始めに目蓋の上に走る裂傷。


 そこを重点的に治癒しているのですが、その傷口は、いつまでも赤い裂け目を剥きだしたまま。


 確かに即時全快というほどに強い魔術ではありませんが、それにしたって一向に閉じてくれる気配すらもありません。


 「……どういうことです?」


 「おおばぁふろぉだゾ」


 私の疑問を解消してくれるかのように、唐突にココさんが答えを提示します。


 それも、どこかで聞いたことのある台詞そのままに。


 「ダメだゾ、おにぃさん。じゅうじんでもないのに、じゅうかしたら」


 「え?」


 「少女にたしなめられちゃったよ。……カッコ悪い」


 戸惑う私。

 バツが悪そうなタチガミ様。


 彼は「ありがとう」と呟きそっと私の手を避けてから、代わりに自由の利く自分の左手を右目にあてます。


 「ねらいは悪くなかったと思うんだけれどなぁ」


 「タチガミ様?」


 「いくら緊急事態だったからといって……」


 それから乱雑に血を拭って手を外したかと思ったら、ゆっくりとその右目を開きます。


 患部をそんな風に扱ったらダメじゃないですかとか。

 血を拭うならハンカチくらい貸しますよとか。


 色々と言ってやりたいことはありました。


 しかし……。 


 「やっぱり見様見真似で慣れないことはするもんじゃないな」


 そうして見開かれた右目の色。

 反対の目と同じように深く暗く黒いはずの瞳。

 

 それが、朱色あけいろの輝きを雅やかに放っているのを見て。


 私の発するべき幾つかの言葉はことごとく失われてしまいます。


 それはまるで……。


 その朱色に。

 燃え立つような朱に。

 

 灰も残さず焼き尽くされてしまったかのようでした。

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