第三章・王を狩る者《セリアン・スロープ》~ANNA‘S view➁~
チリーン……
「なっ!?」
私は反射的に手に持った小太刀を構え、臨戦の態勢に入ります。
はい、本当にそれはただ反射でした。
どれだけ打ちひしがれ、うつむき、うなだれ。
状況に対する絶望というよりかは、自分に対する失望に心が折れていたとしても。
体の方では積んできた鍛錬を確かに覚えていたようです。
「止めてほしいんだゾ、おねえぃさん」
舌足らずな口調。
小さな体躯。
クリクリと大きくありながらも、どこか漫然というかボンヤリとした瞳。
いかにもフンワリと柔らかそうなクセの付いた明度の低い紫の髪。
ゆったりと着こなした、ラ・ウールから見て極東に位置する小国特有の『キモノ』という衣装にも似た、精緻な模様の描かれたスミレ色の服。
同じ生地で織られた小さな鈴のついたチョーカー。
姫様やタチガミ様がリリラ=リリス=リリラルルだというあの不遜な女の子のことをよく幼女と表現していますが、そんな彼女よりももう少しだけ年上という印象。
とは言え、見た目が幼いことには変わりなく、おそらくは十歳から十二歳よりは上ではないでしょう。
紛うことなく年端のいかない子供。
どこにでもいる、あどけない女の子。
……しかし、そんなただの少女相手に私の戦士としての勘が敏感に反応するわけもありません。
「……二人目の……セリアン……スロープ……」
「そうだゾ。ココはせりあんすろぅぷだゾ」
少女は変わらぬ調子であっさりと言い放ちます。
滑らかな毛に覆われ、細く長く、上向きに張った獣の耳。
こんもりとした長く大きな尻尾。
ただの少女では……ただのヒト種では持ちえない体の部位。
ピコピコと動く耳。
ユラユラと揺れる尾。
素直に愛らしいとは思いますが、同じようなものを持った者から殺されかけた直後の私としては、そのたった二点だけで、警戒するに十分な理由となります。
「……お聞きします」
なので私は小太刀の刃先を向けながら冷たく問います。
無垢な子供相手にそんな物騒な真似をすることに心苦しさはありません。
「あなたは、あの青年の仲間ということでいいのでしょうか?」
「ちがうゾ」
「違う?」
「うん、ちがう」
「違う……」
「ちがう」
「こんな寂れた廃聖堂で、あんな有無も言わせず私たちを殺しにかかった男の正体があろうことか滅びたはずの種族である獣人で、そんな男と同じ外貌を持ったあなたが無関係であるとでも?」
「ちがう」
「『何でも屋』……などとあの青年は言っていましたが、ようするにあなたもまた殺しから猫探しまでなんでも請け負うという仕事に携わっているのですね?」
「……うん」
「単なる同僚なのか、仕事上のパートナーなのか。上司なのか部下なのかはわかりません」
「……うん……」
「しかし、この場にこうしているということは、それ相応に後ろ暗い裏稼業に従事してきたのでしょう。……あなたのような小さな女の子がそこに至るまでには相応の事情があったのかもしれません」
「…………」
「……正直、嘆かわしいとは思います。幼くしてその手を血に染めざるを得なかったあなた自身のことも、それを黙って見過ごしてきた周りの大人の無関心にも……。ですが、だからと言って簡単に殺されてあげるわけにもいきません。私には私の事情があります。大人として責任を果たさなければいけないこともまだたくさんあります」
「…………」
「……なので、全力で抗わせていただきます。……獣人族二人を相手にどこまで立ち回れるか自信はありませんが、やれるだけはやってみる所存です」
「…………」
「……ダンマリですか?」
「…………」
「それは、私の足掻きなど無駄だという余裕のあらわれでしょうか?」
「…………」
「確かに、私などあなたたちから見れば取るに足らない矮小な存在なのかもしれません。……はい、実際、取るに足らないのでしょう。……彼らの戦いのあまりの壮絶さに立ちすくむしかなかった私など、本当に本当に弱くて脆い存在です。なにが近衛騎士団ですか。何が副団長ですか。なにが……なにが……」
―― アンナベル……その名の通り、とても凛とした方ですわね ――
「なにが……凛としているものですか……」
ググ……
頭の中で響いた声。
私よりもよほど『凛』という言葉が相応しい高潔な佇まい。
それこそ鈴の鳴るように美しく澄んだ声。
自然と小太刀を握る手に力が入ります。
……そうです。
私は……私はなんとしても生きなければなりません。
何があっても、何を引き換えにしても。
あの方の大切な人を、無事にあの方の元へと帰さなければなりません。
それが事情。
それこそが責務。
もはや無傷というわけにはいかないでしょうけれど……。
それでもタチガミ様を、絶対に姫様の元へ……是が非でも……。
チクチクチク……
またぞろ、胸の奥が疼きます。
……うるさいです。
……うざったいです。
チクチクチク……
……いいのです。
……私はそれでいいのです。
私自身は何も望みません。
私自身は何も願いません。
私はいつでもあの方の……姫様の影。
光り輝く白銀の花の傍でひっそりと咲く、汚らしくくすんだ名も無き草でいいのです。
そこそが私の生きる意味。
それこそが私が私らしくいられる唯一の意義。
それこそが……あの日からずっと変わらない私の誇り。
だからこそ、私は絶対に死ねない。
死んではいけない。
「……死んで……なるものか……」
私は小太刀を真っすぐに掲げ、攻撃の型をとります。
「…………」
それでも、獣人の少女はボンヤリとしたままマンジリとも動きません。
「その気だるげな調子、脱力しきった構え……」
「…………」
「あまり私をナメないことです……」
「…………」
「そんないかにも眠そうな、今にも眠りそうな……というか眠っているような目。それが痛い目に変わっても知りませ……」
「……ぐぅぅ……」
「……ぐぅ?」
「……ぐぅぅ……ぐぅぅ……」
「ホントに寝てる!?」
「……ぐぅぅ、すぴぃ……ぐぅぅ……むにゃむにゃ……ZZZ……」
「しかも本寝だと!?」
『すぴぃ』とか『むにゃむにゃ』とか『ZZZ』とか……。
しかも鼻ちょうちんまで膨らませているんですけど。
まるで本の中の登場人物が今まさに眠っているだということを文字だけで伝える為に使われる表現を、まさか実際に体現せしめる者に出会えるとは。
……そんなに私の話、退屈だったのでしょうか?
……うーん、子供にはちょっとだけ難しかったのかなぁ?
「ぐぅぅ……すぴぃぃ……ふごぉ!……ぐぅぅ……」
「…………」
かなり本気で殺し合う覚悟を決めていた私のこのシリアス、どうしてくれるんですか……。
「……やだ……本気で恥ずかしい……」
「いや……でも、カッコよかったと思うよ」
「え?」
ボゴン!!
……ググググ……バタァァァンン!!
青年の放った槍によって築き上げられた瓦礫の山。
それが一際うず高く積もったところがうごめき、壁だった思しき大きな一片がおもむろに前へと倒れて床に叩きつけられます。
「ケホッ、ケホッ……いやぁ、参った参った」
そして再び舞い上がる石や砂でできた埃。
咳込みながらも壮健そうな声を放ち、こちらに歩んでくる黒い人影。
「メチャクチャやるなぁ、あの猫耳君」
タチガミ・イチジが。
姫様の想い人が。
……私の心の奥をざわつかせる不思議な人が。
土煙に汚れたそののぼぉ~っとした顔をそこから表します。
「タチガミ様!!」
「ごめん、負けちゃったよ」
「負けたって……」
刃を交えたことによって体中万遍なくつけられた切り傷。
必殺の一撃によって吹き飛ばされ、瓦礫に埋もれたことによる無数の擦過傷と打撲痕。
力なく垂れた右腕。
そして閉じられた右目の上の目蓋。
そこからは今もダラダラと血が流れ落ちては床を赤く染めています。
どう見ても重傷。
目に見えて重篤。
常人では立っていることさえやっとでしょうに、この人ときたら……。
勝ちだとか負けだとか、そんなことはどうでもいいのです。
不思議と、あの人がそう易々と死んでしまうわけはないという確信がありました。
はい、本当に根拠もなければ論拠もない、妙な確信が。
しかし、実際にこうしてまた、こちらが職務だと思って真面目に監視をする気概を削いでしまったような、そのノンビリとした顔を見せてくれたことは、素直に嬉しいと思えます。
……そう、嬉しいのです。
姫様に悲しい思いをさせなくても済むことに対する安堵よりも。
ともに戦わなければならなかった仲間を失わずに済んだという安心よりも。
……ただ、彼が生きていてくれたことが、私は何よりも嬉しく思うのです。
……よかった。
……本当によかった……。
……いらぬ心配をかけさせないでください。
……ホント……浅はかなんですから……。
「……よくぞご無事で……」
「無事、というにはヒドイ有様だけれど」
「それでもあの直撃を真正面から受けてその程度で済んだのなら僥倖と言えるでしょう」
「まぁ、それは君から借りたコレの丈夫さと……」
多少汚れは見られますが、それでも刃がかけることもなく健在のまま右手に握られた小太刀。
「そして、あの猫耳君の芸風を事前に見ていたおかげ……かな」
「芸風……ですか?」
「それで、その彼は一体どうしたんだ?」
タチガミ様はそう言って片目だけの目線を礼拝堂の中央に向けます。
その視線の先には。
「…………」
大技を繰り出した後にしても長すぎる硬直と、静かすぎる沈黙をまとい。
半壊した礼拝堂の崩れ落ちた天井から降り注ぐ陽光を一身に浴びたまま。
まるで魂が燃え尽きてしまったかのように立ちすくむ、獣人の青年がいました。
「ゼノ君を止めてほしいんだゾ」
チリーン……
そこで、いつの間にか目を覚ましていた少女が、チョーカーの鈴音とともに三度言います。
……そういえば彼女の存在をすっかり忘れていましたね。
「その子は?」
「えっと……彼女は……」
「ココはココだゾ」
「ココ……それは君の名前?」
「うん」
「俺はイチジ。タチガミ・イチジだぞ」
「イチジ」
「うん」
「イチジ……」
「うん……」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
無言で見つめ合う二人。
かたや片目が塞がった無感情な黒。
かたや相変わらず眠たげで無邪気な紫。
二人はジッと互いの瞳を交差し合います。
「……イチジ」
「……ココ」
「イチジ」
「ココ」
「イチジ!!」
「ココ!!」
「イチジ!イチジ!!」
「ココ!ココ!!」
「イチジ!イチジ!!(きゃっきゃ♪)」
「ココ!ココ!!ココ!!!(きゃっきゃ♪)」
「あ~一回おおいんだゾ!!」
「あ、本当だ」
「ココの勝ちぃ♪♪」
「くそぉ~負けたかぁ。ココは強いなぁ」
「どやぁ~♪♪」
「うん、強い強い(なでなで)」
「ふふふんふん♪♪」
「いい子いい子~(なでなでなで)」
「むふぅぅぅ♪♪」
「……タチガミ様?」
私はメガネの弦をいじりながら、私史上、もっとも冷たいであろう声を発します。
……いえ、これは仕方がないでしょう?
「何を遊んでいるんです」
「あぁ、ごめんごめん。……君も一緒にやる?」
「いえ、仲間外れにされたことを怒っているのではなく……」
「ヤキモチなんだゾ」
「そうなの?」
「いえいえ、なんですかその断言は。誰がヤキモチなんて……私はただこの現状を鑑みて……」
「おねぇいさんも頭なでてほしいんだゾ」
「そうなの?」
「いえいえいえ、私をないがしろにして少女と戯れているタチガミ様が、実に楽しそうに、実に穏やかに、普段からは考えられないくらい表情を緩めていることに対して、ああ、きっとこの人との間に子供が出来たらきっとこんな風に素敵な父親になるんだなと微笑ましく思いつつも、頭を撫でているその柔らかな手つきが気持ちよさそうだなぁとか、私もやってもらいたいなぁなどとは欠片ほども思っていませんが」
「……語るに落ちてるけれども」
「なんですか?文句ありますか?やりますか?やるんですか?うけて立ちますが」
「なんで君とのバトル展開に発展するんだよ」
「ZZZ……ZZZ……」
「あなたもまた寝ないでください。あれですか?二行以上の長台詞を聞くと眠ってしまう病気か何かですか?もう少し頑張ってください、お願いですから」
……なんですか、この弛緩した空気。
獣人の青年が言っていたことではありませんが、ホント調子が狂う人です。
そしてもう一人。
この獣人の女の子……ココという名前の少女もまた、私のペースをかき乱すタイプの性格のようです。
「それでココ?」
タチガミ様は少女の鼻から膨れ出る鼻ちょうちんをツンとつつきます。
「(パチン)……なんだゾ?」
「ゼノ君ってのは、もしかすると彼のことを言っているんだろうか?」
そして突いた指先をそのまま獣人の青年の方に向けます。
「うん」
「君の仲間?」
「ちがうゾ」
「違う?」
「うん、ちがう」
「違う……」
「ちがう」
「いや、タチガミ様。それ既に私がやったやつで……」
「ああ、そうか」
と、何故だか納得したようにタチガミ様は頷きます。
「ゼノ君はゼノ君……そういうこと?」
「うん」
少女もまたその小さな頭を大きく沈めて頷きます。
「ゼノ君はゼノ君なんだゾ」
「……なんです?その禅問答?」
「たぶん、この子にとって彼は、仲間だとかなんだとかいう以上に深い繋がりがあるってことなんだろう」
「深い繋がり?……家族でしょうか?」
「どうだろう。ただの繋がりの深さというなら確かに家族並みではあるけれど、ニュアンスが少し違うような……。そうだな、たとえば俺とリリーの関係に近いんじゃないかな」
「主従の関係?」
「もしくはもっと隷属的な関係」
「隷属……。どちらにしても、彼女と彼の間には明確な上下関係があると?」
「たぶんね。そしてこの子の方が立場は上」
「どうしてタチガミ様はそんなことがわかるのですか?」
「実際に俺たちの戦いを見ていて、君は何か気づいたことはない?」
「いえ……申し訳ありません……」
気づくも何も、目で追うことだけでやっと。
それすらも後半は着いていけなくなった私に、何を気づけと言うのでしょう?
「戦いに酔ってハッちゃけているようで、明らかにある方向を庇うように立ち回っていたんだよ、彼」
「庇う?」
「そう、庇う。打ち合う度にコロコロと攻守や立ち位置は変わっていたけれど、ある一点だけは絶対に俺に譲らず、常に自分の背中にくるようにしていた」
「もしかして……そちらには……」
「この子がいたんだろうね」
そうしてタチガミ様はまた少女の頭を優しく撫でます。
それを受けて、彼女は気持ちよさそうな顔をし。
こんもりとした尻尾をユラユラと動かします。
「そういうハンデを負っていなければ、俺はあそこまで善戦できなかったと思う。途中でそれに気がついてさりげなくその方向に入ってみようとした途端にあの必殺技だ。俺が気がついたことに、彼の方でも気がついてキメにかかったんだろうな」
「…………」
なんと高度な戦いだったのでしょう。
速さや重さ。
所々に織り交ぜられた互いの熟練した戦闘センスもさることながら。
そんな心理の読み合いまでも並行して行っていたとは……。
立ち直ったばかりの心が、また折れそうになってしまいます。
「むふぅぅぅ♪♪」
そして、タチガミ様に頭を撫でられて愉悦に浸っている獣人の少女。
青年が切り札を惜しげもなく晒してまで守ろうとしたこの子の正体は一体……。
「ねぇ、ココ?」
「うううんん??」
「君はゼノ君を止めてほしいんだね?」
「うん、そうだゾ」
「じゃぁ、具体的に俺たちは何を止めればいいんだろう?」
「うん、それは……」
グヲォォォォォォォォォンンンンンン!!!!!
突如として礼拝堂に響き渡る咆哮。
もはや壁も天井も半ば崩れ落ち、ただでさえうち捨てられた廃聖堂がより廃墟らしい様相を呈している中で、反響もなにもあったものではありませんが。
それでも、その荒々しく猛った咆哮は、建物全体を揺るがすがごとく、確かな振動を伴って私の耳にまで入ってきます。
「ゼノ君を……止めて」
四度目になるココという少女の『止めて』……。
彼女が何を止めて欲しかったのか、ここでようやく私は理解します。
別に回数を積んだからというわけではありません。
終始ボンヤリとした少女には似合わぬその切実さを含んだ声色と。
「グヲォォォォォォォォンンンンンン!!」
全身から途轍もない量の魔力を吹き出しながら。
陽だまりが差す天井に向かって高らかに吠えたてる。
一匹の獣。
いま私たちが止めなければいけないものがあるとすれば。
きっとアレ以上のものは他にないのですから……。
「……はてさて……」
そう零すしかないですよね、タチガミ様?
はてさて……。
あれを私たちに、どうしろと?




