第4話 迷いと後悔
ハゲかけてた髪もある。
一本、抜いてみるとそれは白髪じゃなく黒かった。
痩せ衰えたはずの肉体が、若き日の筋骨隆々さを取り戻し、はちきれんばかりに膨れ上がっている。
ぼやけていた視界は鮮明だ。
耳を通る音は透き通るように聞こえる。
歯は岩をも噛み砕けるのではないかという頑強さを持って生えそろった。
身体全体に力が溢れている。
少し動いただけで、このボロ小屋を吹き飛ばしてしまうんじゃないかと思えるぐらいに。
「……これは現実か?」
「いかにも。わたしの力だ」
悪魔には人間に無い能力がある。
これがモンモンという悪魔の能力なのだろう。
「わたしと契約すれば、夜間だけお前は全盛期だった若いころへ戻れる」
「なるほど、な」
右足を失い、年老いたポンコツの俺にデーモンバスターを殺せと頼みに来た理由に合点がいった。
若いころの俺ならば、現代の軟弱な奴らなど敵ではない。
束になってかかってこられても、勝てる自信がある。
「各国最強のデーモンバスター討伐をやりとげてくれたなら、お前を不老不死にしてやる。その若さは永遠にお前のものとなるのだ」
「馬鹿な。それをやり遂げたとして、俺がお前らを裏切ってデーモンバスターに戻らないとは限らないだろ。永遠の敵を作ることになるぞ」
「安心しろ。契約は絶対だ。悪魔を裏切れば、お前は魔物と化して人間を食い荒らすだけのモンスターになる」
「……なるほどね。それじゃ契約不履行はできないな」
ある意味で、馬鹿ではなくて安心した。
悪魔が馬鹿では、世界最強として悪魔を葬りまくった俺まで馬鹿に思えてしまう。
「もう契約はしたのか?」
「まだ仮だ。正式にするにはお前の血が必要になる」
「……そうか」
右手を握る。
ただそれだけの動作で、老いた体とはくらべものにならない力を感じた。
二度とまみえることはないと思っていた我が最強の相棒。それがふたたび俺の元へと帰ってきた。
この筋肉があれば誰にも負けない。
各国で最強を謳っているデーモンバスター達が相手でも負けるはずが無い。
復讐も遂げられる。
金だって富豪並みに大金を得られるだろう。
でかい家にも住める。良いベッドで寝られる。うまい飯だって食い放題だ。
手にするはずだったものが手に入る。この若く、みなぎる力があれば……。
「正式に契約しろ。レイヴン」
「……」
「どうした? その力があれば、多くの富が得られる。復讐も遂げられる。迷うことなどないだろう」
少女の爪が鋭く伸び、俺の頬へと近づく。
が……その手首を俺は掴む。
「……舐めるなよ悪魔」
「……」
「俺は金がほしいだけでデーモンバスターをやっていたんじゃない。人間の敵を駆逐するためにやっていたんだ。悪魔のボスが殺されてくれるなら結構なことじゃないか。それを止めるなんてことはしたくない」
乞食に堕ちても、心はまだデーモンバスターだ。
悪魔に魂を売ってまで、富や復讐の成就を求めたりはしない。
「各国最強のデーモンバスターは、お前から右足を奪った連中の子や孫だ。奴らを殺せば最高の復讐になるぞ」
「俺は悪魔じゃない。子孫に復讐するつもりなんかないよ」
本当にことを言えば、考えなかったわけでもない。
だが、そんな復讐はあまりに悪魔的だ。実行するには俺の良心が許さない。
モンモンという悪魔は目を瞑りながら腕を引っ込め、
「……残念だ」
一言、そう呟いて姿を闇にくらませた。
――朝、目覚めると、体は元のポンコツジジイに戻っていた。
歩行も人並みにできない、物乞いの年寄りに……。
これでいい。
これでよかったんだと、俺は無い右足に触れた。
今日は別の場所へ物乞いをしようと、いつもの通りからは離れた場所へやってきた。
人通りは少なく、貧乏人の多い通りだが、そのぶん金持ちであるクリスタスとも会わないで済む。
「どなたか恵みをくださいませんか?」
と、声をかけるが、昨日にくらべて施しはさっぱりだ。
投げられてもせいぜい1ヴィンである。
これじゃ今日は飯が食えないな。
人が通らなくなり、俺は黙って俯いた。
なにもしていないと、昨夜のことを思い出してしまう。
あれでよかったのだとは思う。
しかし俺も普通の感情を持った人間だ。若い力への憧れはある。
若く、力に満ち溢れていた若き日の自分。右足を失う前のあの頃へ戻れたらどんなに嬉しいかを考えなかったわけでもない。
昨夜、一時でもそれが叶ったときは、正直、天にも昇る思いだった。
……だが、若さ欲しさに悪魔と契約なんかをすれば、俺は人類の敵となる。
それでいいはずはない。
だから断ってよかったのだ。俺は間違っていない。
……それで納得したはずなのに、心のどこかに後悔があるような気がしてむず痒い。
もう一度だけ若い力を得たいか? 右足がほしいか?
そう心へ問えば、イエスという答えが即座に返ってくる。
復讐も、富を得ることも諦めたはずだ、
しかし、可能性を得てしまったせいで、気持ちのくすぶりが戻ってきた。
あの悪魔と契約すれば、ほしいものを手に入れられるという可能性が、俺の人間としての誇りや良心を揺れ動かすのだ。
「――おじさん?」
「うん?」
俯いていた頭を上げると、そこには昨日の少女がいた。
昨夜の悪魔ではない。施しの硬貨をくれた少女だ。
「やっぱり昨日のおじさんだ」
「やあ、昨日のお嬢さん。こんなところへお買い物かい?」
「うん。そこのお店に野菜を買いに来たの。あ、これ少ないけど……」
硬貨を2枚、帽子に投げ入れてくれる。
「ありがとう。お嬢さん」
「おじさん、どうして今日はここにいるの? ここあんまり人通らないよ」
「ははっ……。おじさんみたいに汚いのがいると嫌がる人がいてね。綺麗な通りではやらないことにしたんだ」
嫌がられるどころか、命の危険すらある。
実入りが少なくても、ここでやるほうが安全だ。
「ひどい人もいるのね」
「お嬢ちゃんがやさしいだけで、普通は乞食なんか嫌がるもんだよ」
しばらく話し、それから少女は頭下げて行ってしまった。
俺から右足を奪って富と名声を得た奴らや、クリスタスのようなクズも人間にはいるが、あの少女のようにやさしい者も人間にはいる。
悪魔はその人間の敵だ。
ボスである帝が討伐されれば人間の世界に恒久的な平和が訪れる。
やはり俺の判断に間違いはなかったのだ。
心優しい少女のおかげで、心に残っていた未練は断ち切れた。
乞食でも人間だ。人類の敵である悪魔に加担することなどできるはずはない。
あれでよかったのだと、名も知らぬ少女のおかげでようやく自分を完全に納得させることができた。
さて、夜も更けてきた。
少女に施してもらって以降はさっぱり恵みはなく、稼ぎは昨日の半分も無い。
暗くなってきたせいで人通りもさらになくなり、ここにいる意味もなくなった。
今日は飯抜きだ。
慣れているのでそれほどの苦ではない。
「帰るか……」
そっと杖をついて立ち上がる……と、
「おじさんっ!」
「おや? さっきのお嬢ちゃんじゃないか」
だいぶ前に帰ったはずの少女がまたここへ戻ってきた。
なにか落し物でもしたのだろうか。
「どうしたんだい?」
「あ、えっと、これ」
少女はひとつのパンを手に持って、こちらへ差し出している。
「これは?」
「よかったら食べて」
「いいのかい?」
「うん。今日はあんまりお金もらえてなかったみたいだから」
ニコリと少女は微笑む。
ありがたい。
俺は礼を言い、少女からパンを受け取った。
「――そこでなにをしているんだ?」
「えっ?」
背中にかけられた声に俺は振り返ると、
「ぐあっ!」
「きゃああ!」
何者かにいきなり左腕を斬りつけられた。
斬られた腕の傷口からは血が大量に流れ出る。
「僕はお前に出て行けと言ったんだ。聞いていなかったのか乞食野郎」
眼前では怒り顔のクリスタスが、俺を睨んでいた。