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9

ガキィン!!


と、物凄い音が修練所に響く。


「うわっ!あっぶねぇ···!」


「だ、団長っ!何やってるんですかっ!!」


何人かの部下が、ヴォルターに駆け寄ってきた。


ヴォルターの目の前には板壁。

そこに剣が深く刺さり、ビィィィン···と震えている。


ヴォルターは顔を上げる。


「ん、あぁ。怪我はないかお前ら」


と落ち着いて聞く。


「別に俺らは何とも···」


「う、わ、団長っ!腕っ!腕っ!!」


ヴォルターの左袖は大きく切られ、赤く滲み、下げた指の先から血が滴っていた。


「あぁ、すまんな。汚してしまった。あとで掃除しよう」


ヴォルターは、珍しいものを見るかのように血に染まった左手を見ながら、ふら〜っと建物に帰っていく。


そんな団長の背を、部下たちは心配そうに見つめた。


ヴォルターは詰め所に戻ると、自分で救護箱を取り出して布を出し、傷をめちゃくちゃに縛り、取りあえず血で汚れないようにした。

周りには部下がいるが、皆自分の業務で忙しく、静かにもそもそ動いているヴォルターに気付く者はいない。


薬は必要ない。治すつもりもない。


ヴォルターが修練所に戻ると、血は綺麗に掃き清められていた。


ヴォルターは、部下に礼を言い団長室に戻り、今度は書類の整理を始める。

すると、そっと入って来る部下がいた。


「団長、こちら、ウィンザー家の調べです」


あぁ、そんなのもあったな。


「あぁ、それならもういいんだ。その辺に置いといてくれ」


は?と、部下は目を剥く。


「ちょ、団長。ここまでが大変だったんです。これからって時に途中で手を引かせるなんて···!」


途中?いや、終わったよ。終わったんだろ?

ヴォルターは思うが、はっとして、ギュウっと目を瞑った。


「あ···あぁ、すまない。そうだな。侯爵の士官や官僚などを調べるのは骨が折れたろう。ありがとう、すまなかったルイーズ。お前の事を頼りにしている。これからも頼みたい。今は体を休めてくれ」


ルイーズと呼ばれた部下は、団長の目の前に押し込むように書類を置く。


「いつでも呼んでください。俺動きますから!」


満足そうに出ていく部下を見やり、ドアが閉まるとヴォルターは、目の前に置かれた書類を見、両手を髪につっこんでぐしゃぐしゃかき回して、うなだれた。


「くそ」


なんだかわからない。


俺は踊らされた、のか。

さぞ無様なタップだったろう。


心の中で、笑っていたのかな。


次はどうするか、とか、2人で話し合ったのかもしれないな。


2人で。

そう思うとヴォルターの腹にはドシリ、と重たいものが沈む。


そして考えたくなくても、いたずらの計画に目を光らせるサラの瞳が···。


ヴォルターは、バチーン、と自分の頬を叩く。


さて、仕事仕事。



今回の一件は、いい教訓であった。


鍛えるべきは体だけではない。


もしこれが、ただの余興ではなく、もっと悪意のある企みだったのなら?


ヴォルターはもちろん、部下にだって被害は及んだかもしれないのだ。


俺は甘かった。そういう事だ。


血を吐き悲鳴を上げる心を強引にねじ伏せ、ヴォルターは邁進する。


だから夜会にも出た。


女達がしゃべる、意味の分からない単語も、理解しようと耳を傾け

魅惑的な誘惑も、すんでの所までいっては身を引き、駆け引きを磨く。


ヴォルターの内側は、血を流し弱々しく泣いている。

外側はきらびやかに、華々しく輝いている。


崩れそうなバランスも、ヴォルターの意思の力で強引にねじ伏せられていった。


あれ以来、サラはどこにも姿を出さなかった。


会ってしまっても困る。ヴォルターにはどうしたらいいかわからないから。


何事もなかったように話しかけられても混乱するし、冷たく無視されても傷付くだろう。


どっちにしろ、サラが出てこなくて助かっていた。


そうして何日が過ぎただろう。


ヴォルターは眠そうな顔で、団長室にいた。 


昨夜は参った。

どうやら、レディをその気にさせすぎたようで、今夜から自分を送っていっても構わない、と、寄りかかってこられたのだ。


「それは無理なんです」


ヴォルターは即答してしまう。

だって俺には、送っていくべき···人が···


いなかった


ヴォルターは、笑みを作るのも忘れ、口を半開きにし、会場を見廻し


サラを探した。サラに逢いたかった。腕の中に閉じ込めたかった。その髪に、その頬に触れていたい、ずっと。


もう離さないと誓ったのに、やっと捕まえられたと思ったのに。


あんなつまらなそうな顔で、吐き捨てるように、


ゲームだった


なんて······


ヴォルターは両手で顔を覆う。

駄目だ、こんなところで。

内側に戻っていろ、今は出てきちゃ駄目だ···


ヴォルターが内心慟哭している間に、レディは親まで連れてきて、家族公認でどうこうと話を進めていて、穏便に断るのにえらい時間がかかってしまった。


くぁ···、と、部下には見せられない大あくびをする。


パサっと、書類の束が落ちた。


それは、先日ルイーズが調べまとめ上げてくれたウィンザー家の資料で、目の前に置かれ、ヴォルターの手によって端に追いやられていたものである。


そういえば、ウィンザーはずいぶん黒いことをしていそうだったな。


ヴォルターがそうされたように、人を陥れハメようとしているのを、見過ごすわけにもいかない。


ヴォルターは、書類の束を開くと、中を確認していった。


そこには、あくどい手で金を稼ぎ、それをワイロとしてばら撒いていく様が見て取れた。


そして、ヴォルターが調べた資料と、ルイーズが調べてくれた報告を合わせ考えると、すべてはウェルズリー家を失脚させるべく動いているものと取れた。


だが···。

ヴォルターは思った。


ウィンザー家はウェルズリー家の流れを汲む枝派である。

なぜ本家を攻撃し消耗させる?


一族間の派閥争いということか。


旧家では、こんな化かし合いが日夜繰り広げられているのだろう。


ヴォルターは苦々しい顔をする。


しかし、犯罪が絡んでいる以上、ヴォルターも看過するわけにはいかない。


相手が侯爵旧家だと、まずは···。


ヴォルターは、再び資料をめくり始めた。


ーー

ヴォルターは、とある立派な建物に来ていた。


ここはウェルズリー家が運営する場所で、今日のヴォルターの、ウェルズリー侯爵との面談の場でもある。


ウェルズリー侯爵とは、つまりサラの父親だ。


サラがいるであろう自宅には行けなかった。

情けない話、まだ会って普通に接する自信がない。


応接間に通され、少し待つとウェルズリー侯爵が現れる。


ヴォルターは右手を出し、ウェルズリー侯爵も快く挨拶に応じる。


「この度は、捜査のために時間をとっていただき、誠にありがとうございます。ウェルズリー侯爵閣下」


ヴォルターが几帳面におじぎする。と、


「捜査?あぁ、見当が外れてしまった」


と、ウェルズリー侯爵は弱々しく笑う。


ヴォルターは怪訝に思うも、仕事に集中する。


ウィンザー家のしたことは、通常であれば裁かれるべき事案なのだが、旧い家だと、権力がありすぎて糾弾する側が潰されてしまう。


なので、ヴォルターは、まず本家当主にお伺いを立てたわけだ。


しかも、この当主、当の被害者である。


ウェルズリー侯爵が後ろについてくれれば、立件も容易いとの判断であった。


「君は、これをどこで···」


困惑したウェルズリー侯爵に、権力という文字は当てはまらない感じがする。


「お恥ずかしい話、きっかけは自分がハメられたからでした。その後の捜査については、申し訳ありませんがお答えすることはできません」


「···君が。君も···。そうか。侯爵家相手に、君は、自分の立場が危ぶまれるとは考えなかったのかね」


温度の下がったウェルズリー侯爵に、ヴォルターは居住まいを正す。


「正しいことが、時に人の不興を買う事は理解しているつもりです。だからこそ、私は常にそうあらねばならないと考えております」


ウェルズリー侯爵は、ヴォルターが差し出した資料をじっと見ている。が、視線はどこか遠くにいっているようにも見えた。やがて資料をトントンっとまとめると、侯爵は再び右手を出し言う。


「よく教えてくれたね。ありがとう。一度、一族を集い話し合わねばならない。順序を間違えばもみ消されていただろう。よくやってくれたよ。悪いようにはしないつもりだ。私に一度、預けてくれるね?」


ふっと、笑った顔が、サラに見えた。


全然似てないのに、笑い方も違うのに。


なんかやってくれるような気がした。俺って単純だな。


「ひとつだけ」


ウェルズリー侯爵が指を立てる。


「君に言わねばならぬことがある」



ーー

サラは疲れて床にしゃがみこんでいた。


ついさっきまで、まるで発作のように泣き喚いていたのだ。


なんてことはない。

机の上に、お母さまに話しかけるべく書いたリストを見つけたからだ。


それはまだ途中で、リストといっても3個しか書かれていない。


『私はヴォルターを愛している』


『ヴォルターと結婚してこの家を出る』


『この家には迷惑かけないし、今後近寄ったりしないから』


もしもこの世に神様がいて、ひとつだけ願いを叶えてくれるなら


あの日あのキスの自分に戻り、そしてそのままヴォルターから離れない、のに。


願いとはそれ即ち実現されない思いの欠片。


獣のように暴れたあとは、何もかも抜けきって凪のときが訪れる。


サラは、それこそ魂まで抜け落ちたかのように、ただそこにしゃがみこんでいた。


「お嬢···さま」


様子を見ながら侍女が声を書ける。


「あの、ドレスの採寸を。お店の方がお見えです。本邸のほうへ起こしください」


「気分が優れない。またにしてもらって」


何度目だろう、断るの。ドレスなんか作ってどうするよ。そこらの木にでも着せといたほうが役にも立つだろう。


「おどき」


大叔母さまが、侍女の二の腕に扇子をびしっとぶつけてどかして入ってきた。


大叔母さまは、サラの様子を一瞥し、それには触れることなく言う。


「何度も迷惑かけるものではありませんよ、立場をわきまえなさい。わざわざこんな所までワタクシが来るなんて。早く取り掛かりなさいな、ケントとの婚約の儀で着るものを作るのだから、手抜かりは許しませんよ」


ぞろぞろと人が入って来て、サラの住む小さな別宅はギュウギュウ詰めになった。


そのせいか、侍女とドゥ=シャーロットの人たちが、なんとか言い包めて大叔母さまを本宅に帰す。


「サラ様」


優しい顔のドゥ=シャーロットの人が、床にべっちゃり座り込んでるサラの前に、膝をついてしゃがむ。


「わたくし、レウムと申します。サラ様は覚えていらっしゃらないでしょうが、以前ご来店いただいた時にお世話させて頂いた者でございます」


サラの様子は異様だった。

顔にはいくつも涙の跡があり、髪はボサボサで、部屋も、投げつけられたのか物が散乱していて埃っぽい。


たが、レウムは一向に気にする風もなく、普通な人に普通な場所で普通に話しかけているように努めた。


周りから見て尋常ではないサラの様子も、本人にはわからない。サラは涙を拭くでもなく、髪を整えるでもなく、普通にレウムに向き直る。


「あぁ、覚えているよ。あのときはありがとな」


レウムは、まぁ、という顔をする。


「光栄です。サラ様、あの時、鳥とずっとお話してらしたでしょう?あれがとてもかわいらしくて」


と、レウムは口に手をやる。


「まぁ、ご令嬢にかわいいだなんて、失礼でしたわね」


サラはレウムを見た。あんまり悪びれてなさそう。


「気にしないよ。···そうだ。あの鳥に誤解させたままだった」


レウムは、にっこり笑って先を促す。


「レウム、悪いけど、あの鳥にこないだのは誤解だって伝えてくれる?俺は構わないけど、迷惑かかる奴がいるからって」


レウムは軽く頭を下げ、


「承りました。ですがサラ様、それでしたらどうぞご安心くださいませ。あの鳥は、オウムと申しますが、大変口が固いと定評でございます。何を申されても大丈夫でございますよ」


サラは目を見開く。


「オウム?オウム···、レウムに、似てるね」


まぁぁぁ、と、レウムはころころ笑った。


その日、レウム達は何もしないで帰っていった。


レウムはただ、サラの隣に座ると、サラが話し始めるのを待ったり、ポツポツ自分の事を話したりする。


レウムにはサラと同じくらいの娘がいて、小さな頃から病気がちで、レウムは苦労したそうだ。


夜にグーンと熱が上がると手慣れたもので、水の張った桶にオシボリ、タオル、ろうそく、それに、一晩はもつだろう分厚い本を用意する。そして、娘のベッドの横に椅子を持ってきてどっかり座る。


「レウムは、寝ずの看病ができるのか?」


サラが聞くと、レウムは


「えぇ、そりゃまぁ、母ですし···」


と苦笑した。


「すごいな、俺にはできなかったんだ。レウムはすごいよ」


レウムは困ったように手を振る。


「すごくはございません。ただの···そう、負けず嫌いなだけですわ。我が子がある程度の歳行くまでは、子供が大変な時に、母である私が一番に名前を呼ばれなければ···そういう、気合みたいなものですわね」


レウムは、失礼ながら恰幅がよく、本人曰くギュウっと締めているウエストはサラの倍くらいあり、

甘いものに目がなくて、と言いながらお菓子を頬張り、詰め込みすぎた、と目を白黒させてお茶を飲む。


サラはおかしくて笑う。


そうやって過ごして3回目の時、サラは恐る恐る、あの破かれたドレスをレウムに見せた。


「これを、元通りにできるかなって、思って···」


くしゃっと泣きそうなサラの顔を見、心底残念そうにレウムは言う。


「大変申し訳ございません、サラ様。これを元通りにする事はかないません。もしよろしければ、その理由を説明させていただけますか?」


サラは、口を開けたら零れるかと言うように、口をつぐんでコクコクと頷く。


「こちらの生地と、こちらの生地を繋ぐには、縫い代というものが必要です。ちょっと失礼いたします。ほら、ここ、こちらとこちらがあわさってございますね?このように、布に余分が必要なんです。このドレスは、サラ様のお体にピッタリ沿うよう作られてございますので、破けた場所をちょっとつまんで、縫い付けるというわけにもいかないのです」


サラはじ···っと、ドレスの破けた場所を見つめている。


「ですが」


レウムは、破けた左側の袖を、丸ごと向こう側に折り返した。


「このように、袖のありなしで、アシンメトリーにするデザインがございます。ご存知ですか?もちろん、破けた所以上に、切る必要がございます。袖を一本切り落としますし、肩の部分もなくしますわね」


サラはじっと、何かを考えている風だった。


「ただ、これにも問題がございます。元々はv字ネックのドレスでございましたから、右側とのつながりが、多少不自然になります。その辺りをどこまで修正して、しまうか···」


レウムは探るようにサラを見た。


「首元が、寂しいって、言ってたんだ···」


大切な呪文のようにゆっくりと、サラは言葉を紡ぐ。


レウムは、ちょっと泣きそうな顔で、頷きながら、「まぁそうですか、まぁそうですか」と繰り返していたが


「ほぼぁっ!」


と、およそ淑女とは思えぬ低い咆哮を上げたかと思うと後ろに控えている店の者に声をかけた。


「ちょっと!誰かハンカチーフを持っていて?えぇ、これでいいわとりあえず」


レウムは大きめの薄いハンカチーフを、それは器用にドレスの首元にひだをたくさん作りながら仮止めしていく。


サラは目を見開いた。


「すごい···」


ハンカチーフは、大きめとは言え、ひだを作るとほんの少し、もとの襟を隠すだけだった。が、サラはそれを、そっと撫でる。


それを優しい顔で見ていたレウム


「次は沢山の生地をお持ちしましょうね。華やかになりますわきっと」


と言って、仕立てに使う、生地を傷めない細い細い針ピンで、ひだをつけたままのドレスを、壁に飾ってくれた。


「そういえばサラ様」


あらたまってレウムは、そう言ったかと思うと内緒話するように口元に手をやる。


「実はウィンザー様に、一刻も早くサラ様のドレスをお仕立てするよう言いつかっておりますの。お仕立ては非常に順調で、もう、すぐ、出来上がるだろうとご報告申し上げておりますの」


サラは、不安な表情を浮かべた。そんな、生地合わせも、仮縫いもしてないのに、ドレスってできちゃうんだ···。


「次にでも完成する『予定』ですわ。ですが!」


レウムは残念そうに首を振った。


「もうすぐ、それはそれは不運な出来事があって、ドレスは丸ごとダメになってしまう『予定』ですのよ」


え?と、サラは怪訝な顔をした。


レウムは、ずいぶんと面白そうにニンマリ笑うと


「サラ様、よろしければこの、ささやかないたずらに、ご協力いただけないかしら?」


サラは、「うん」と言った。涙がポロリと落ちる。


「俺はレウムの事大好きだ。協力するよ、どんないたずらでも」


レウムは、まぁまぁ、まぁ、と言いながら、サラの背をさすってやった。


「レウム、切り取った袖はどうなる?俺、返して欲しいな」


レウムは、あやすように言った。


「えぇ、えぇ。もちろんですよ、サラ様。すべてきちんとお返しいたしましょうね」


サラは顔を上げてレウムを見た。

瞳煌めかせてサラは言う。


「良かった、雑巾にしようと思うんだ」


「···は?」

次回10/11更新予定

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