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ヴォルターは、怒り任せに廊下を歩く。
ここは王城だった。
毛足の長い絨毯のおかげで、足音は掻き消えていたが荒々しく外に出る。
なんだよ、もう。
ヴォルターは、騎士団を取りまとめる委員会におしかりを受けてしまった。
ここんところどうもおかしい。
提出したはずの書類が出ていなかったり、出ていても、報告の数値が大幅に間違っていたり
今回も覚えのないミスが自分の責任の元起こったとかで、3日間の謹慎処分となってしまった。
決定事項は覆らない。
仕方なくヴォルターは自宅に篭り、鍛錬をしつつ頭を回す。
一体どいつが喧嘩を売っている?
天下のグレンヴィル伯爵を敵に回すたぁ、いい度胸だ。
謹慎が解けて1週間。
自分の持てるコネを最大限活かし、捜査した結果、出てきたのはウィンザー家の名前だった。
ヴォルターは頭を抱える。
ウィンザーといったら、サラの大叔母で、孫か知らんがサラのドレス引きちぎった奴だろ。それの、父親かな、今回の手引は。
まぁ、息子の事殴ったし、俺はそいつにサラ渡す気ないし、おもしろくないよね、困ったな···。
糾弾できるだけの下調べはついてしまったが、どんな形でサラに迷惑がかかるか計り知れない。
ヴォルターは、一旦留保することにする。
つまりは俺に、付け入られるだけの隙きがあるってことだろ?気を引き締めていくか···。
これ以上ナメられるわけにもいかない。
ヴォルターは騎士団内の伝達系統をイチから見直し、大改革を行った。
ーー
そんなこんなで、ヴォルターはしばらく村に行けない日が続いた。
サラと逢うのは、夜会くらいということで、
2人はいつものごとく夜会に来ていた。
先日ドレスを破られて以来、すぐに新しいドレスを作ろうと言うヴォルターを、サラはのらりくらりと躱している。
なんだよ、いいじゃん。もう破かれないような色にするからさ。
鼻にしわ寄せて頼んでもサラは笑うだけ。
なので、今日のドレスはとろけるような質感の淡いピンクのふんわり広がったタイプのものだった。
そんだけ広がってると近づき難い···。
そのせいで、いつもよりちょっとだけ距離があった。
上げるとすればそれが理由?
ヴォルターは目の前の惨状を見ながら思う。
サラの周りにはハエのように男どもが群がり、高い背の紳士に囲まれ姿が見えない。
ヴォルターの周りにも、しなだれかかってくる淑女が集まっていた。
うわぁ、なんだ、この覚えのある戦慄···。ジンマシン出そう、助けてヒーローっ!
「今日は随分と室温が上がっておりますわね。失礼。ワタクシちょっと、装い直しをいたしますわ」
優雅な一礼、すぐの扇子装備。
扇子の向こうでしゃくる顎。
うっ、ありがとう。部屋に行くのね。助かったよ。さすが俺のヒーロー···。
着替えるっつってんのに並んで向かうわけに行かないから、ちょっと間をおいて部屋に行く。
サラは、窓を開けて椅子をそこまで寄せて座り、外を眺めてた。
はぁぁぁ、天国。
「なんだったんだろうな、今日」
俺が話しかけると、サラは肘ついた手に顎載せて、外見ながら呟く。
「あれが普通だと思うぞ。今までが平和だっただけで」
サラは外から視線を外さない。
「お前はイケメンだし、優しいし、背も高く、誰とでも打ち解けて、家柄もよくその上跡取りで、将来安泰だ。言うことないさ。オンナが群がるのも無理はない」
俺は苦笑する。
「随分褒められたな。それは、お前も同じだという自慢につながるんだろ」
あんまりいい事ばっかり言うから恥ずかしくなって、俺は冗談半分でそう言ったが、サラは自嘲気味に首を振る。
「あの中の何人が俺を知っている?例えばあそこで、あぐらをかいて大口開けて笑ったとして、何人が残る?俺に群がってるんじゃない。ウェルズリー侯爵令嬢に傅いてるにすぎない。別に今更だ。ただ」
俺はサラに近づいた。
サラの顔にはなんの感情も浮かんでいなかった。
「ここんとこ楽しかったから、俺が俺でいられたから、久しぶりに逃れられない現実を目の当たりにしてちょっと戸惑った」
俺は、自分の顎をおいてるサラの手をそっと取り、こちらに向けさせた。
改めて、現実を言葉にしても、おまえにはもう感情が浮かんでこないんだな。
なんだか悲しいな、それ。
柔らかなサラの頬を撫で、顔を近づけ、俺はそのまま···
コンコンっ!
ノックの音で飛び上がった。
な、な、な、な、なに?やだもうびっくりしたよものすごく。
なんだかサラの顔が見れなくて、俺は急いで応対する為扉を開けた。
少女のようなかわいらしい侍女が、ワゴンで飲み物を運んできている。
「お待たせいたしました。グレンヴィル様。お飲み物にございます」
ん、頼んでないよ?
俺が怪訝な顔をすると、侍女は怯えたように震えた。
「も、申し訳ございません。何か手違いがございましたでしょうか」
いや、そんなことないけど。俺がいじめてるみたい、泣かないでね。
「アナタ、お名前は?」
いつの間に来たのか、真後ろにサラがいて、侍女に極上の笑みを浮かべて話しかけた。
「そう、ミーナとおっしゃるの。ちょうど喉が乾いた所でしたの、どうもありがとうミーナ。いただきますわ」
ワゴンを部屋まで進め、給仕したと思ったら小さな侍女は逃げるように出て行く。
なんだよ、俺そんなに怖いか?
クスクス笑いながらサラはグラスをあおる。
「そうショげるな。少女にはお前が熊のように見えたんだろ。ちっこかったしな」
俺はサラを振り返り
「お前かわいい系の女子好きよな···」
「持って帰りたい感じではあったな。お前は飲まないのか?」
サラはもう一つのグラスを持ち上げる。
俺、いいや···。
「どうした、シャンパン飲めないわけじゃあるまい」
いや別に飲めるけど。なんか今は、少しのアルコールでも危険かもしれないから。
サラは、喉が渇いていたのだろう。2杯目もぐびーっとあおる。
濡れた唇を舐める仕草に、俺は視線を外す。
あ〜もう、いや。
俺は頭を激しく振った。飛んでけ飛んでけ雑念よっ!
「ヴォルター」
サラは、らしくなく乱雑にグラスを置いた。カシャン、とグラスが倒れる。
「これ···変、だ······飲む···な···よ」
そして、ソファに座ったまま真ん前に倒れ込んだ。
うわっ、あっぶね。そんな寝入り方聞いた事ねぇぞ。
ヴォルターは寸でのところでサラを抱きとめそのまま抱き上げた。
サラはスースー寝息を立てている。
変だっつったな。酒に薬入れやがったか。
でも寝息に異常はなさそうだ。眠り薬か何かか。
乾杯してたら終わってたな。
2人とも寝てたら何でもやりたい放題じゃねーか。
やれやれ。一体どいつだ、こんな手の込んだことする奴は···。
ヴォルターは、サラの靴を脱がせベッドにそっと横にする。
顔にかかった髪をはらってやり、そのまま頬を撫でた。
お前にはいつも助けられてばっかで、ちっともサマにならないな。
まぁ、今日の所はゆっくり寝てるといい。
ヴォルターは、上着を脱ぎ腕まくりをし、伯爵印である大ぶりの指輪を外して机の上に置いた。
そして扉の陰で仁王立ち。そこからピクリとも動かなくなった。
それから1時間が過ぎた頃、ノックもせずに静かに扉が開く。
男が2人、様子を伺いながら部屋に入ってくる。
ヴォルターは大きく息を吸い込み、近くにいた方の男の顎を的確に殴りつける。
ヴォルターの動きはそんなに大きくない。が、正確に顎を揺らされた男は、一発で床に大の字に倒れ込んでしまった。
「ひぃっ」と短い悲鳴を上げるもう一人のスネを、ヴォルターは素早く蹴る。と同時に扉を締めて退路を断った。
途端に崩れる男の顔に、更に軽めの一発をお見舞いした。
男は尻もちをつき顔を抑えて慌てている。
あ···鼻血出てる···加減しきれなかったみたいね、つい。
ヴォルターはそう思いつつ、男の胸倉を掴み上げた。
「ご用件は?」
男はしきりに扉の方を見ながら、部屋を間違えた、とか、こんなことをしたら大変なことに、とか言っている。
ヴォルターは反対の頬を殴り、もう一度胸倉を掴む。
「次は腹へいくぞ。やめといたほうがいい。俺もここをお前のゲロで汚したくはない」
男は涙を流し始める。
「指定された時間に部屋を訪れ、薬で寝てる男女の、女の方のドレスをビリビリに引き裂けって、金もらったんだ。手は絶対出すな、破くだけって···」
「誰に?」
「···」
ヴォルターはため息をつく。
「なんだよ、女の方だけか?」
「いや、男の方は···」
ん、俺も何かされるの。
「全裸にしろ、って」
いやだ、えっち!
鼻血と涙と鼻水でぐっちゃぐちゃになった男にノビた男を連れて行かせて、ヴォルターは扉を占めた。
あんだけ痛い目見ればもう来ないでしょ。
黒幕じゃないなから糾弾しても意味ないし。
夜会会場の家の者には、サラが今日帰れないことをウェルズリー家に伝えてもらう。
サラの薬がいつ切れるかわからないから、ヴォルターは、ベッド傍に椅子を置き、スースー寝息を立てるサラを一晩中見つめていた。
全く、どうしたらいいかな。
まさかサラにまで手を出すとは、薬を使うなんてやりすぎだ。どうにかしなけりゃな。
薬から目覚めたとき、俺が真っ裸で、サラの服が破かれてたらどう思う?
サラが普通の女だった場合、俺への信頼はなくなるよな。なんかサラなら違う解釈しそうだけど、そこは突っ込んで考えないようにしよう。
つまり俺らを仲違いさせて離れさせようとしたわけな。
ホールでの取り巻きからして、その計画の一旦だったわけね。
関係ない人いっぱい使って、随分余裕のないやり口だな。
ウィンザー家、もうちょい調べるか···。
窓の外が白んできた頃、サラが少し唸りつつ目覚めた。
俺は顔を近づけ、小声で話しかけた。
「目が覚めたか、気分はどうだ?」
薬の種類はわからない。
昨日の2人組と、薬を盛った人物は別らしくてわからなかった。
頭痛や吐き気がするタイプのものかもしれないから、大声は避けたい。
「んん、ヴォルター···?俺、なんで···」
「あとで説明する。まずは、今の気分を教えてくれ」
そろそろ、と、サラの腕が伸びてきた。
と、怪訝に思う俺の顔を撫でた。
「ふ、ふふ、本物だ。良かった。···俺なら何ともない」
顔を撫でるサラの手を、ヴォルターは握る。
「大丈夫だ、俺は本物だぞ。ここにいる、ちゃんと。吐き気や頭痛はないか?頭がふらついたりしないか?」
サラはゆっくり起き上がる。ヴォルターは背中に手を当て、支えてやる。
「ん···平気、ちょっとフラフラする、かな?なにがあったんだ?」
サラは、薬の余韻か、あどけない顔でふわふわしてる。
そこに、先日の、大泣きしてた顔が重なる。
ドレスを破かれたとき、あんなに泣いてた。
「俺らに薬盛って、俺の服丸ごと盗もうとした?」
サラは「なんじゃそりゃ」と言って、ベッドから抜け出した。
「誰の差し金だよ、俺がとっちめてやんよ」
と、ガッツポーズするサラの頭に俺は手を乗せる。
「そういうのは騎士団に任せるんだ」
サラはぶーたれてる。
ヴォルターは苦笑し、椅子に座って言った。
「これに懲りたら、やたらめったら食べたり飲んだりするんじゃないぞ。お腹壊すからな」
水差しからコップに水を注ぐ。と、
サラが近づいてきて、ヴォルターの頭をぐしゃぐしゃにした。
あ〜ぁ、手ベタベタになるよ?色々ついてんだから。
サラはべーっと舌を出し、俺が汲んだ水を一気飲みする。
そして、
「さて、帰るか」
と言う。
ヴォルターは時計を見た。
「気持ちはわかるが、今はまだ御者たちも寝ている時間だ。起こすのは偲びない。お前もう少し寝ていろ。俺が見ててやるから」
「俺ならもう平気だ。だが、お前を早く休ませたい」
サラは、ヴォルターの髪を、梳くように撫でた。
「寝てないんだろ?」
俺の髪はそんなに滑りは良くない。それに今は、夜会だからって油つけて撫で付けているし。それをサラがかき回すもんだから、ひどいことなってそう。
でもサラの指はすごく細くて、するすると俺の頭を滑っていく。
俺は目を閉じる。あぁ、夢の国に落ちそう、俺。
ふ、と、顔に風が当たった気がして目を開けたら、サラのドアップがあった。
俺は息を呑む、何してんの、近いよものすごく。
「今ならノックも、ないだろ···」
サラはそう言うと、まつ毛を伏せて小さな、小さな、それは小さなキスをした。
俺は全くの無警戒無反応、無心構えだった。
え、え?···えぇ!?
何今の、ちょっとおばちゃん、ワンモアプリーズ?
俺は、眠気も吹っ飛び大混乱した。
サラは、ぶわ!っと音がしそうなくらい勢い良く離れると
「さて、御者起こさないならどーすっか。馬駆る感じで行くかな」
と言ってる。
ちょ、待、待、待ぁーつのだ。
今のは何だ。全然わからなかったじゃん、言って、やる前に言って、準備するからさぁ!
ちょっと!ファーーストがこれで終了?納得行かないよ!
扉を開けたサラが、
「おい置いてくぞ」
とか言ってる。泣いていいよね、俺。
トボトボついてく俺に、サラは振り返る。
屋敷の中は静まり返っていて、まだ夜中みたいな雰囲気だ。
自然とサラは声を落とす。
「俺んとこもお前のも、馬車は2頭引きだろ。1頭ずつ先に連れ帰っても、まぁ問題なく馬車引ける。それで帰ろうぜ」
お前が馬に乗るの?その格好で?
「お祖母さまの所にいる頃は乗ってたから何とかなるだろ」
ダメ、絶対ダメ。それなら御者起こす、あぁ、叩き起こしてやる。
「なんだよもう」
ぶーたれるサラ。
俺らは、厩舎に着くまでに言い合い、俺の方の馬1頭に2人で乗るってところで手を打つことにした。
厩舎の番に事情を説明。家の人にも、後で正式に詫びるからね、と挨拶。
鞍はお借りするとして、サラをまず乗せる。
「跨がるなよ」
「えっ」
えっ、じゃない。このじゃじゃ馬め。
俺も乗って、サラの家の方角に馬を向ける。
流石に早駆けはできないから、早足程度だったけど、サラは上機嫌になった。
楽しそうね。ホーストレッキングもいいな。今度企画しよう。
朝靄の静けさ中、腕の中にサラを包み馬を走らせるのは、ものすごく気分が良かった。
家に近くなったので常歩に速度を緩めて進んでたら、サラがポツリと言った。
「俺···お前と婚約したいな、正式なの。ダメかな···」
俺はサラの耳に口を近づける。蹄の音で聞こえませんでした、とか無しな。
「俺も、お前が特別だって、言ったろ」
サラは首を振った。
「あ、あれは、俺に合わせてくれただけだろ?マコにだって、『俺が兄ちゃんになってやる』って」
はぁ〜、そういうこと。
「俺はお前が好きなんだ。神の前で嘘はつけん。正真正銘素直な気持ちだよ。ちゃんと覚えとけ」
サラは俺の胸に顔をうずめた。
心臓バクバクなのバレちゃうかな。
門のところでサラを降ろす。
「俺、お母さまに言ってみる。あの人は俺がどこかの跡取りと結ばれてくれたほうが都合いいから、きっと悪くない」
俺はサラの肩を抱き、引き寄せた。
サラが固まり、俺を見上げる。
朝日が光る清らかな不浄の世界の中で、
今度こそ、俺からのキスをする。
サラの唇は小さくて、風を受けて冷たくて、少し震えていた。
さっきのは無しにして、これを正規なファーストキスとしよう。
あぁ、でも、お前からのキスってのも悪くない。
やっぱり無しにするのは無しにしよう。
女から、って、俺ららしいよな。
まぁ、俺の頭はサラにかき回されてぐちゃぐちゃだし、サラだって、ドレスのまま寝たからスカートヨレヨレ、頭は鬼ババみたいにぼさぼさだし、冴えないな。
「うまくいかなかったら俺を呼べ。攫って行くから」
でももう離さない。俺のだもんね。
やっと恋愛小説みたいになってきたけど、次にはどす暗い雰囲気になります(何
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