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サラは街道を歩いていた。
王都の門を抜けて外へ。普通ならウェルズリー家であるサラがそんなことをすれば、あっという間に身柄確保、家に強制送還、であるが、今の格好ならば問題ないだろう。
トレードマークの銀髪は、大きな帽子の中に丸ごと押し込められ深くかぶった帽子から紫の目が見咎められることはない。
焦げ茶の綿のズボンに長靴、くすんだ色の麻のシャツを着てれば、どこからどう見ても村の少年だ。
サラは空を見上げる。
「あぁ、今日もいい天気だな」
男言葉もだいぶ板についてきた。ハンマーで盗っ人退治もしたし、次は何しよう···イノシシ捕獲とか?皆で鍋にしたら喜ぶかなぁ。
サラは一人空想して、ニシシ、と笑った。
と、うしろからいやに急いだ様子の馬が走ってきた。上には騎士らしき人が乗っている。
蹴られては大変、とサラは、道の端に避けてやり過ごす。
しかし馬は通りすぎず、サラの目の前で急停止させられていた。
「どーぅどうどう。すまん、すまんな急がせて」
馬の首の部分をなでて必死に機嫌をとる人物を、サラは唖然と見つめる。
「アンタは···」
なんとか馬を落ち着かせ、手綱を結ぶとヴォルターは少年に向き直った。
「君の後ろ姿を見かけて、つい馬を急ぎ走らせてしまったんだ。また会えたらいいな、と思っていたから」
サラは心を落ち着かせる。大丈夫、バレやしない。
それより謝らなきゃ、ずっと気にしていたから。サラはヴォルターを見上げて言った。
「こないだはごめん。急に家を出れなくなって」
そう、突然に来るのだから。大叔母さまったら、毎度のことながらいい迷惑だ。
ヴォルターは一人納得したように頷いた。
「そうか、そうだったんだ。いやいいんだ。こないだのお菓子はとても好評だったよ。また買ってこよう」
そう、知っている。サラは知っている。それが村の人たちにどんなに喜ばれたか。子どもたちはいまだに包み紙をとっておいてるし、女たちはどうにかして同じような味が作れないか試行錯誤中だ。
自分にはできない。できないような形であの村に行ってしまったから。
自分自身のことで精一杯で、あんなにも近くに、あんなにも優しい人たちがいるなんて知りもしないで、ただすがってしまった。
「ありがとう、みんな喜ぶよ」
ブルルっ、と馬がいななく。
サラは馬に蹴られないよう、注意して頭の方へ移動した。
その昔、知りもしないで馬の尻側に回ってしまい、爺やにこっぴどくしかられた。
あの時の必死な顔から、蹴られると相当やばいんだろうと想像がつく。
「君は馬を知っているんだね。でも気を付けて、こいつは···」
ヴォルターが少年に注意を促そうとしたまさにその時
「人の髪の毛で遊ぶのが···あ···」
「あ···あぁっ···!」
ヴォルターは目をまんまるにしたまま固まってしまった。
くすんだ色の洋服に囲まれて、それはもう綺麗とかそんなレベルじゃなく、もはや神々しいほどに輝く、銀色の髪の毛が、帽子から溢れ出してきたからだ。
小さく細い手で、必死に隠そうとするがそれは無謀というもの。
貴族の女性の髪はとても長い。正装で高く結い上げる必要があるせいだが、それはつまり、かなりな量になるということだ。
慌てふためき揺れる瞳は、アメジストのような紫色。
「貴女は···、サラ=ウェルズリー···」
事情があるのだろう。どんな事情かはわからないが、事情があることくらいはわかる。
ヴォルターはさっと街道に視線を走らせ、人影がないことを確認すると、帽子を手に苦戦しているサラの腕をつかんだ。
「まずはあっちへ行こう。人目につかない場所があるから」
普通ならそのセリフ、紳士が淑女に言っちゃだめなやつね、一番ね。
サラはそう思うと、なんだかもうおかしくなってくすくす笑いだしてしまった。
「ここなら街道からは見えないし、まず安心だろ。椅子も茶もないけど···、ん、なんだよ、何笑ってるんだ?」
ヴォルターは肩を揺らしているサラを見る。
「ぶぷー、あっはっは、もうだめだ我慢できねぇ···あはははは!」
帽子がぱさっと地面に落ちるが、サラは気にしていない様子だった。
「アンタ、グレンヴィルんとこのだろ?たまに夜会で見るよな。いつも小うるさい系の女侍らせてる奴」
ヴォルターは愕然とする。こいつ···なんだ···人違いか?双子?いやいや···
「夜会で見かけた女性と、君は別人か?」
ヴォルターは必死だ。必死に自分の常識に照らし合わせようとしている。
母も姉も、周りに群がる少女たちも、女はたくさん見てきたつもりだ。でもどれとも違う。
だって見てみろ、目の前のこいつは、肩をコキカキ鳴らしたかと思うと、落とした帽子を拾い、そのまま地面にあぐらをかいてしまったんだぞ。
「ん〜、まぁ、別人説もありっちゃありか。でもほら、結構目立つしね、この見た目。結局お前あれだろって話になるならメンドくせーよね」
知らなかった。空いた口が塞がらないって、比喩じゃないんだ。本当だったんだ。
ヴォルターはパクパクと口を動かす。が、出すべき言葉を持っていない。
「アンタの好みじゃないだろうけど、女にお優しいグレンヴィル様ってことでさ。ここはひとつ、見逃してくんない?俺、あの村結構気に入ってんだよね。行けなくなるのは困るんだ」
頼むよ〜って、拝まれても困る。あぐらで。すごい格好だ。あぐらなら俺もする。でも、あんなにすごい格好だったんだな。知らなかった。女がすると、あんなに罪深きものだったんだな···。
「わかった、とりあえず全くわからんが、わかった」
ヴォルターは小刻みに頷く。
「俺は今日、街道の見廻りをせねばならん。だからもう行くが···」
ヴォルターは、もうすっかり隠し終わった帽子を見つめる。
「またあの村に、行ってもいいか?俺も」
サラは、よいしょっ、と立ち上がり
「あぁ、みんなも喜ぶ。また来いよ」
と、男気たっぷりに笑った。
ーー
ヴォルターはそれから、週に一度の休日を、あの村で過ごすようになった。
名目上は、騎士様の視察。
だから駐在や村長の話を聞いてやったり、子供達と交流したりする。
部下達からは無理しすぎだ、と怒られるが、ヴォルターの本当の目的は、サラと会って話すことだった。
夜会が嫌いな自分と同士。そう思うから。
かなり一方的な感情なんだと思う。
サラはどういう法則か、現れたり現れなかったりする。
次の休みはこの日なんだ、とヴォルターが伝えても「ふ〜ん」と興味なさげで、来たり来なかったりだから、合わせてくれる気はないみたいだ。
夜会の方でもたまに見かけるが、こっちはもうもっと無理だ。
なんというか取り巻きみたいなものがタッグを組んでて、『もうこれ以上ライバルは増やしません』っていう雰囲気。
サラもヴォルターに声をかける気はないようで、扇子の向こうからそれはそれは冷たい視線を浴びせてくださる。
ヴォルターだって、別にサラの事なんかどうでもいい。ただ、ちょっと気になる···、なんであんな格好であんな仕草であそこにいるのか?を、なんか一度きちんと聞きたかった。
ただの興味本位だから、きっと相手は話したがらないだろう。
そのくらいはわかる。なにもかもよくわからないけど、そのくらいはヴォルターにだって、わかるんだ。
なんかもう、色々がごっちゃになって、今目の前に神様が現れて、何かひとつ願いを叶えようか?って聞いてきたら、ここ一ヶ月の記憶を消してくんねぇ?って言うだろうなってくらいは混乱していた。
そんな時、村に行ったら彼女がいた。
道を歩き、村に入ると、入り口すぐに彼女はいた。
手にはいつものように猫じゃらし。くるくると回しながらこちらを見、
「よう」
と、これまた男っぷりたっぷりな挨拶をする。
「今日は来てたのか、夜にフィアラン家の夜会あるだろ?だから来ないと思ってた」
「あぁ、あるな」
サラは空のずっと遠くを見ている。
ヴォルターは何も言わず隣に座った。
「夜会、嫌だな···」
ポツリと、サラが言う。
ヴォルターは何も言わなかった。
知ってた。サラが夜会に興味ないこと、周りの男を見てもいないこと。そこにいる自分は自分じゃないと言い聞かせているだろうこと。
でも何も言えなかった。
何もしてやれない。から。
彼女はウェルズリー侯爵家のご令嬢だ。夜会に出、良家の男性と縁を結ぶのが存在理由なはずだ。
だから、何も···。
「いや」
ヴォルターはつぶやく。
「あるぞ、いい方法」
サラは、ん?と隣を見た。
ヴォルターはサラに向き直った。
「なぁ、俺と婚約しろよ。いや、他にいなければの話だけどさ」
やった、ざまーみろ。口開けて呆けてやがる。それあれだよ、空いた口が塞がらないってやつ。本当だろ?本当になるんだよ、
俺もつい最近知ったんだ。
「俺、実はそろそろ相手決めとけって親に言われるんだ。あぁ、いや、そんなうるさくは言わない人たちなんだけど、形だけでもひとまず安心させたいな、とか。で、な?お前もどうせそのうち何してたって嫁がされるんだろ?その間、せめてその間だけでも平穏に暮らしてみないか。お互い婚約者ですわーってすれば、夜会もただの音楽会になるだろう?」
サラは瞬きすらしない。
ヴォルターは笑う。
「一緒にいてやる。俺がお前を守るからさ」
ヴォルターは情けない顔になった。
「お前が俺のこと守ってくれよ」
ぶ···
ぶぶふ〜〜〜〜!!!と盛大に吹き出した、それはたった今婚約を申し込んだ俺の仮の彼女だ。なんかもう色々出てる。
女として、ってか人間としてそれどうなん?ってものまで出してる。
「わかった、あぁ、わかった。俺に任せろ、お前を守ってやんよ。知らなかったよ、夜会のあれ。嫌々だったんだな。俺てっきりタラシなんだと思ってた、お前の事」
ぐっくっくっく···と、名誉毀損をぶちまく女。
て、てめぇ···、俺は一目見てお前の苦境を思って人知れず涙したというのに、お前は全くの無関心、無同調かっ!!
鼻の頭にシワを寄せる。ちっ、ちぇっ、同類がいるってほっこりした、俺の拠り所を返しやがれっ!
そんなヴォルターの肩に、サラはポンっと手を乗せる。
「じゃぁ、今日の夜会を出逢いの場にするわけだな?やるならいっちょ盛大にやったるか」
ふっと笑い、ヴォルターは頷く。
「あぁ、一発で全員に思い知らせ、平穏な日々を手に入れようぜ。親友」
ヴォルターは思った。良かった、何にしても彼女に元気が戻って良かった。
たとえ今、男同士のハイタッチをしていようとも、これで良かった···のだ。
ーー
ここは夜会会場。
いつもなら少しでも被害を最小限に抑えるべく、存在を消そうと躍起になるところだが今日は違う。
ヴォルターは今までで一番気合を入れて準備してきて、会場に入った途端に彼女を探し始めた。
「失礼、お嬢さん。隣よろしいか?」
きっと今日は彼女も頑張ったんだろう。なんてったっていつもの取り巻きたちがいない。
「まぁ、グレンヴィル様。ご機嫌麗しゅう。どうぞおかけになって」
ぞわってした。背中が。
思わず笑顔が引きつると、座った途端肘てつ喰らってしまった。
彼女は扇子を顔の前に開きこちらをみつめる。ちょっと見ると、うっとりしてるようにも見えるが、彼女は隠した口からいつも通りの口調でこう言った。
「おい何だその顔。もっと『天使見つけた!』くらいのノリでいけや」
え、何、扇子ってそういう使い方?俺の知らないこと、世の中いっぱいあるんだな。
彼女は、扇子で上手に口元を隠しつつ、小声で俺に話しかけてくる。
「おい、見ろよあそこ。プロイセン卿いんじゃん?見える?あれ、あの髪の毛、ヅラって知ってた?」
おおおおいおいおい、お前いい加減にしろ。俺には扇子ねぇんだぞ?笑えない、笑えないから。プロイセン卿ってゲオルグ·フードリヒ·フォン·プロイセン大公だろ?王に続いての第二位の血族じゃん!?
くつくつ笑ってる女に、あったまきたので少し声を上げて話しかける。
「ウェルズリー嬢、よろしければ一曲いかがですか?」
差し出す右手。恨めしそうな顔。
へへん、踊ってる間は扇子使えまい。しかも俺らラブラブアピール中だしね、ダンス拒否とかできないしね。
なるべく皆に見せつけるよう、中央まで出て踊りだす。
こんなとき、姉が4人もいてよかったと思うよ。練習相手でこき使われたからね。
サラももちろんさすがの侯爵家令嬢。きっちりついてくる。
ふ、と顔を寄せてきたので、ん?と耳を澄ますと
「さっきのターン間違えやがったな、あとでしばく」
それ、すごいよね。すごい天使みたいな微笑みでよく言えるよね。感心しちゃったよ。俺も頑張ろう。
「なんなら朝まで踊り明かしますか?ご令嬢」
この日、俺は初めて、夜会が楽しかった。
踊りながらくるくる会場を回って、彼女の息が上がる頃、やっとソファまで戻ってきた。
「ちくしょー、お前の体力どうなってんだよ。熊並か?」
くやしそうにサラはいう。
ふふん、騎士団ナメるなよ。いや熊じゃねぇーよ。
「自信があったのか?とりあえず褒めてやろう。並の女じゃあそこまではいかん」
「明日っからなんか稽古すんかな···」
とつぶやくので、ヴォルターはこう返した。
「別に俺は構わんが、筋肉ってのは硬いしでかいから、未来の夫に嫌がられるぞ?たぶん···」
サラは扇子で顔を仰ぎ、あさっての方向を見ていた。
そろそろ帰るか···ってくらい夜が更けた頃、彼女はまたしても扇子で口をかばいながら近づいてきた。
「送ってく?さすがに初日じゃ早ぇかな?」
この雰囲気の無さ。
ちなみに、男性が女性を自分の馬車に乗せて送るってのは、『これ俺の女だから』宣言みたいなものである。
普通は当然男性が言うんだ、意中の相手にそれ言わせて、瞳煌めかせるのが、俺の知ってるオンナって生き物。
そんなことされても困るけどね。俺って結構わがままなんだな···。
「なんか俺さ、最近新たな自分発見しすぎてる気がするんだよね」
「あぁ、それわかる。俺もよ」
サラは珍しく同調した。
「結構単純で素直だなって、思った。最近」
え、まじで?どこでそう思ったの?そんなことないよ全然。
って言ったら当然肘てつくらった。痛いよそれ結構!
結局俺は彼女を送ってはいかなかった。
初日じゃ真実味ないかもしれん。とか、いろいろ並べたけど
結局とどのつまり、俺はもう一度彼女と夜会に行きたかった。
別に、もっと肘てつ喰らいたかったわけでも、貴族の裏話に詳しくなりたかったわけでも、彼女のドレス姿見たかったわけでも、なく、たぶん。
彼女と過ごしたかった。夜会の彼女は孤立無援で、村にいるときよりもずっと、俺しかいないから。
俺はひどい人間なんだな。彼女を彼女の嫌がる場所に押し込み、彼女に俺しかいないと錯覚させて、有意義に過ごそうなんてエゴの塊で吐き気がする。
でもやっぱり、彼女と夜会に行ける日が、楽しみでしょうがなかった。
初対面なはずの夜会から何度も行って、3回目か4回目くらいから彼女を家まで送り届けるようになって、俺が仕事で、夜会に行くのが遅くなっても彼女の周りにハエがたからなくなった頃
今日は夜会に行く、と彼女からお知らせがあった。
珍しく騎士団詰め所に人をよこして手紙渡してきたと思ったら、それか。
俺は詰め所を抜け出し彼女の家に行って彼女に言った。
「俺今日遅くまで勤務なんだよ、夜会には行ってやれないぞ?」
俺結構お前と夜会行くの楽しみにしてんだけどな。
行けないときに予定入れるってどうなん。お預けくらった馬か、俺。
彼女はあんまり元気がなさそうだった。だから余計に、ついていけないことにイラついていた。
「俺仕事あるし、もちっと早めに言ってくれると助かるな。お前も一人で行くのは嫌だろ?」
なんだよ、なんで手もじもじしてるんだ。言いたいこと言えないお子ちゃまか?
「悪いな。今日はどっちにしろお前とは行けない。今日の夜会は大叔母さまからの指示だから」
暗い顔で彼女は言う。
「俺、なんだろう。操り人形って感じかな。従うしかないんだ、それが俺の義務だから」
そう言って彼女は屋敷に姿を消した。
俺は、俺は何も言えなかった。すぐに彼女が姿を消したからじゃない。
そうじゃなくても、俺に何かを言う隙間なんか、彼女の生きる道の上には
なかった。
次回 サラ視点
9/17を予定しております