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いつかのこと  作者:
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■この世のこと


「オレが、こんな人間みたいになりてえわけがねえだろう」


 むなくそが悪い。


「こんな仲間を見捨てて逃げ出すような、自分のたいせつなものひとつ守れねえような。 弱くて、ひきょうで、みっともねえ人間なんぞに誰がなりたい」


 そうとも。 オレはもう逃げ出さない。 弱くて、ひきょうで、みっともねえオレは、あのとき死んだんだ。

 オレの村が、人間どもに焼き尽くされたあのとき。


「逃げろといわれたから、戦わずにすんだだと? ひきょうないいわけをするんじゃねえ。 おまえはただ、死ぬのがこわくて逃げ出しただけだ」


 オレにだって、そういってくれたやつがいた。

 最後にきいたおやじの言葉は、逃げろだった。 最後にみたおふくろは、オレを殺さないでくれと人間どもにすがりついていた。


「おまえらは、この世の地獄で笑っていやがった。 だから、あの世の地獄では、オレたちが笑いながらおまえらをいたぶるんだ!」


 ひとりだけ、生き残った。

 逃げたから、見捨てたから、おびえたから。 戦わなかったから、ひとりだけ生き残った。


 腹がへっていた。

 死にそうなくらい、腹がへっていた。


 焼けた肉が、そこらじゅうにころがっていた。

 オレは、死にそうなくらい腹がへっていた。


 嫌なにおいのする焼けた肉が、そこらじゅうにころがっていた。


「赤ん坊も、おまえと一緒にいたいだと? おまえら人間が、ゴキブリみてえにふえやがって! この世に地獄をまきちらして、いずれは地獄へ落ちていくだけのおまえら人間が!」


 お空のむこうだと? ゆるさねえぞ、オレはゆるさねえ。

 あれだけのことをしておいて、その報いをうけねえなんて、なんの償いもしねえなんて。


「その腹の子も、生まれねえほうがしあわせだ。 どうせただ醜く生きて、地獄にいくだけなんだからな!」


「ちがうよ! そんなことのために、生まれてくるんじゃないよ!」


 むすめが、オレに大声をぶつけてきた。

 このばかが、なんにも知らねえくせに何をえらそうにいいやがる。


「じゃあ、何のために生まれる。 おい、シンちゃんよ、おまえならわかるだろう。 おまえがほんとうに鬼だったなら、生きていることを呪っただろう?」


 生まれないしあわせを、願ったことがあったはずだ。

 生きているやつらを、生きている自分を、呪ったはずだ。


 やろうはただ、うつむいたまま、静かに口をひらく。


「おまえの言うとおりだ、鬼よ。 だがわたしは、その子には絶対に生まれてきて欲しい」


「なんでだ!」


「この世を、見せたい」


 見せたいだと? この世のどこに、生まれてまで見るべきものがある!


「雛子に会わせたい。 わたしに会ってほしい。 わたしも雛子も、その子に会いたい」


「たったそれだけのためにか!」


 おまえは、自分の都合だけで、こんな地獄まみれの世の中に、赤ん坊を落っことそうっていうのか!


「この世の地獄は、人間と鬼がつくったものだ。 鬼よ、わたしとおまえがつくったものだ」


「ちがう! おまえら人間がつくったんだ。 オレたちはただ、生き残るために戦った。 やらなけりゃ、やられるから戦った!」


 みんな戦った。 あのとき、みんな戦っていたのに、オレは逃げた。

 だから、こんどこそオレは戦わなけりゃならない。

 生き残ったオレは、生き抜いて人間どもを、もっと、もっと地獄に。


「鬼よ、わたしはまちがっていた。 わたしは戦いたいと望み、戦うしかないのだと自分にいい聞かせてきた。 だがほんとうは、争いたくないとおもわなければ、あの地獄はくりかえされるだけなんだ。 わたしには、帰りたい家がある。 わたしには、ともに生きたい人がいる。 だから、ともにしあわせであるために、争いたくないんだ」


 ふざけるな。 おまえのような人間こそ地獄へいけ!

 その悲しそうなつらはなんだ。 勝手なことを、自分につごうのいいようにかたりやがって!


「何様のつもりだ! おまえら人間が、オレからそのすべてをうばった! 帰る家も、ともに生きたい人も! そのしあわせをうばい返すために、オレは戦うんだ!」


「なら、ヒナのしあわせをあげる」


 なんだと? やろうと同じようなつらで、むすめがオレを見つめている。


「ヒナはシンちゃんといっしょにいるとしあわせ。 赤ちゃんがうまれるのもしあわせ。 でも、それをうばって鬼さんがしあわせなら、ぜんぶ鬼さんにあげる」


 けっ。 かんねんしたってことか。

 まあどうせ、おまえらふたりともここで死ぬ運命なんだ。 見苦しい茶番もこれでおわりだ。


「でも、おしえて。 鬼さんはそれでしあわせ? ほんとはどうしていきていたかったの?」


 ぐずり、とオレの胸のおくでいやな音が聞こえた。


 せきが出る。

 まただ。 いやな音が大きくなる。


 あのとき、村がなくなったとき。

 おやじがいったからじゃない。 こわかったから逃げた。 おふくろが願ったからじゃない。 こわかったから生きた。


 死ぬのが、こわかったから。


「オレは」


 ああそうさ。 オレは死ぬのがこわい。

 地獄にだっていきたくない。

 あのとき逃げだしたオレは、きっと地獄で人間どもとおなじように、仲間にいたぶられるんだ。


 死にたくない。 このせきがとまるなら、生き胆でもなんでものむ。

 死ななくてすむなら、オレはなんでもする。


「鬼よ、もう一度いう。 おまえのやまいは、生き胆なんかではなおらない。 もしわたしの言葉をほんのわずかでも聞いてくれるなら、わたしのせんじる薬をのんでくれないか」


 あ? なんだそりゃ。 泣き落としがきかねえとなったら、べつの命ごいか?


「シンちゃんはおいしゃさんなの。 となりのむらまでよばれるくらい、えらいんだよ」


「信用できるわけねえだろう。 うまいことこの場を逃げのびたら、村じゅう総出でオレを殺しにくるにきまってる」


 きたねえ人間の考えそうなことだ。


「それなら、ヒナがここにのこる」


 何をいい出すんだこいつは。


「シンちゃんのおくすりはすっごくきくの。 だけど、あっというまにはなおらないかもしれないから、そのあいだはヒナが鬼さんをかんびょうする」


「人質ってわけか」


 びーびー泣きわめいていたくせに、こいつは自分がいっていることがわかってんのか?


「ヒナしってるよ、ひとじち! シンちゃんはやくそくやぶったりしないから、ほんとはいらないけど、鬼さんがそうしたいなら、ヒナがひとじちになる!」


「雛子。 それは無理だ」


 ほらみろ、おまえらのたくらみはお見通しだ。 やろうがそんなことを許すわけがねえ。


「胸のやまいは長くかかる。 自分のお腹が大きくなっていけば、看病はできない」


 このやろうまで、おかしなことを言い出した。

 おい、おまえらはどうしてオレの心配をしている。 いまここでオレに殺されるってのがこわくて、ついに頭がおかしくなったのか?


「看病なんていらねえし、薬もいらねえ! どうせ毒でももるつもりだろう!」


「シンちゃんはそんなことしない! だからお願い!」


「助かりたいから、うまいことを言ってオレをだまそうってんだ」


 だまされねえぞ。 オレはだまされねえ。


「鬼よ、薬はわたしが届ける。 おまえの目のまえで、わたしが先にのんでみせる。 だから、たった一度でいい。 この一度だけ、わたしにだまされてくれないか」


 頭を下げるな! おまえら人間は、そうやってこずるく、ひきょうなまねをして、自分たちにつごうの悪いことをねじまげる。


「おまえらはここから逃げ出せればそれでいいんだろう。 そのあとオレがのたれ死のうが、知ったことじゃねえはずだ!」


「そんなことない!」


 むすめが声をあげる。 どこかつらそうで、くるしそうな声だ。


「自分たちを殺そうってやつに情けをかけて、なんの意味がある。 おまえら人間は自分のことしか考えない。 だからここを逃げ出せば、絶対にもどってなんか来るものか!」


「それは、ちがう」


 なにを歯をくいしばっている。 おまえは鬼殺しじゃねえのか。


「なにがちがう。 おまえらを殺すオレを助けようなんて言葉を、信じるわけがどこにある!」


「だって鬼さんは、ヒナたちをころさなかったじゃない!」


 なんだって? 殺さなかった? ばかな。 そいつは、まだ、ってだけのはなしだ。


「すぐにでもできたはずだ。 だが、おまえはそうしなかった。 わたしがここに来てからも、おまえはわたしたちと会話をしてくれた。 話しを聞き、そして話をしてくれた。 言葉をかわせるのなら、それを聞く耳があるのなら、わたしたちはおまえを信じることができる。 だから、鬼よ、どうかおまえもそうであってほしい」


 話しを、聞いたから、だと?

 そんなもの、オレのただのおあそびだ。 おまえらが悲しんだり、泣いたり、くやしがったりする姿をみて、たのしみたかっただけだ。


 だが、おかしい。 オレはいま、ちっともたのしくなんかねえ。


 そうか。 オレはさっき、こんなことを考えちまった。

 死ななくてすむなら、オレはなんでもする。

 だから今、オレはこいつらを殺さなくてもいい。


 でも、ほんとうにオレは死ななくてすむのか? おまえらが、オレをだまさないとどうしてわかる。


 むすめを見る。

 オレになぐられたこと、けられたことを忘れたように、おびえながら、それでも涙と鼻水でよごれた顔で、どこかやわらかく笑っている。

 やろうを見る。

 忘れられない光景があるといっていた。 そんなもの、オレにだってある。

 なあおまえ。 このヒナとかいうむすめは、そいつをおまえの代わりに忘れてくれるのか?


 だから、おまえが忘れられなくても、おまえは人間にもどれたのか。


「おい、おまえらの赤ん坊に見せたいこの世ってやつに、オレたち鬼はいるのか?」


「もちろんだ。 それに、わたしたちが勝手に鬼と呼んだおまえたちが、おなじ人間なのだと必ず教える。 だから」


 やろうは、すこしだけ考えたあと、ふたたび口をひらいた。


「おまえにも、生きてその子にあってやってほしい」


 オレの胸のおくで、息が詰まるほど大きな石のようなものがごろりと動いた。

 それと同時に、腹のそこからまっ黒な何かがこみ上げてくる。


「もういい。 帰れ」


 そういって、ふたりに背中を向けるのがやっとだった。


「ありがとう鬼さん!」


 だまれ。 うれしそうな声をきかせるな。


「ありがとう。 だが、まずおまえの胸のぐあいを診させてくれないか」


 ばかやろう。 まだ安心した声をだすな。


「うるせえぞ! 帰れ!」


「だが」


 いいかけたやろうの首に、オレの腕がのびる。

 どうしようもなく、オレの腕はやろうの首をしめあげた。


「調子にのるなよ人間。 今回はだまされてやる、だが、オレはもう人間にはもどれねえ。 どういわれようと、オレにはもう無理だ。 いまでも、腹の中でまっ黒なものが煮えたぎってる。 こいつをおさえられているうちに、そのむすめをつれて、さっさと帰れ! そしてもう二度とここへは来るな!」


 手をはなすと、やろうはすぐさまむすめの手足をしばる帯をとき、むすめを立たせながらいう。


「薬は、峠の地蔵に供えておく。 朝夕と、必ずのんでくれ」


 やつらの気配が遠ざかっていくのを背中に感じながら、オレは血が出るほどこぶしをにぎりしめた。

 そうしなければ、ふりかえってふたりを八つ裂きにしてしまいそうだったからだ。


 やろうが言ったように、地獄はオレの中にある、このまっ黒なものがつくりだす。

 どうやらオレは、ほんの少しだけ、この世にふみとどまっていられたようだ。

 

 そして、ひたひたと冷たい音を立て、冬がやって来る。




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