一
■鬼のこと
いつまでも、忘れられない光景がある。
まっ暗な夜空をまっ赤にそめる炎。
ごうごうとうなる風。 さけび声とおたけび。 鉄のやいばが骨をきりさく音。
逃げまどうひとびと。 追いまわすものたち。
くるった祭りのようだった。
家がもえる。 畑がもえる。 俺の村がもえていく。
がれきの下で息をころして、俺はすべてがきえていくのを見ているしかなかった。
おびえながら、ふるえながら。 ただ、ただ、目のまえの光景を。
やけに大きな月が、ひとりぼっちでふるえる俺を、冷たく見おろしていた。
まっ赤な炎にあぶられた心のおくで、まっ黒な炎がもえあがり、俺はこの日、鬼になった。
■雛子のこと
ヒナは雛子っていうの、ほんとは。
でも、みんながヒナ、ヒナって呼ぶから、雛子はヒナなの。
ヒナはひなたぼっこがすき。 庭のお花をながめたり、畑でやさいをかじってる虫さんを見るのもすき。
お空をながめて、ほわほわの雲がながれていったり、鳥さんがぱたぱた飛んでいくのを見てるのも大すき。
でも、むらのみんなはヒナをおばかっていうの。 みんなおばかっていって笑うけど、ヒナは笑ってるみんなもすき。
だってヒナをおばかっていってても、お祭りの日におばあちゃんの手作りのおはぎをくれたり、子どもたちといっしょにあそんでたら、こもりのお礼だってあめをくれたりするもの。
畑のおてつだいとか、おせんたくとか、赤ちゃんのおせわとか、みんながよろこんでくれるとヒナもうれしい。
ヒナにはおとうさんもおかあさんもいない。
ほんとはいたけどヒナが小さいときにいなくなっちゃったから、ヒナはあんまりおぼえてないの。
だから、ヒナはお兄ちゃんが育ててくれたんだ。
だけど、そのお兄ちゃんも三年前にいなくなっちゃったの。
おしごとだって、みやこに出ていって、それっきり帰ってこなかったの。
ヒナはいっぱい泣いて、いっぱいはしって、いっぱいさけんだけど、胸のところがいたくって、息がくるしくってどうしようもなかった。
むらのみんなはヒナのことをとってもしんぱいしてくれたのに、ヒナはわるい子になってたから、みんなにひどいことをいって、みんなからにげてた。
そんなヒナを、シンちゃんが助けてくれたの。
シンちゃんはお兄ちゃんのおこつをもってきたひと。
みやこでお兄ちゃんといっしょにおしごとをした、おともだちだって言ってた。
ずっとヒナのそばにいて、何もたべられなくなったヒナに、ごはんをたべさせてくれたり、きものをかえて、かみのけもあらってくれた。
もっともっと、いろんなことをしてくれた。
ヒナがわがままなわるい子のときも、やさしく頭をなでてくれた。
ヒナはシンちゃんがすき。
ずっといっしょにいてほしいし、シンちゃんもずっといたいっていってくれた。
ヒナはいまシンちゃんとくらしている。
シンちゃん、おいしいごはんつくってくれてありがとう。
おふろも、おせんたくだって、さいきんはずっとシンちゃんがしてくれてたよね。
だからね、ヒナもちょっとはシンちゃんのおやくに立ちたかったの。
シンちゃんがすきなくりごはんをつくってあげたかったの。
でも、ごめんねシンちゃん。
シンちゃんとのゆびきりをまもらなかったせいだね。
とうげのお地蔵さまよりさきにはいっちゃいけないっていわれてたのに。
お山に鬼がいるって、しんじてなかったわけじゃないんだよ。
でも、おひさまがでてるうちはだいじょうぶだって、そんなふうにおもったヒナがいけないんだね。
ヒナ、こわい鬼につかまっちゃった。
たべられちゃうのかな、もう、おうちにかえれないのかな。
こわいよ。 シンちゃん。
■鬼のこと
オレには、若いむすめの生き胆がひつようだ。
村のようすを見に山をおりようとしたオレの目に、のんきに栗ひろいをするむすめの姿がとびこんできた。
こいつは運がいい。 見たところ十七、十八か。 胆を取るにはちょうどいい年頃だ。
オレはそのむすめをさらって山道をかけ上った。
むすめは、さいしょは叫んであばれたが、すぐにむだだとわかってこんどは泣きはじめた。
オレは山おくの洞窟にむすめをつれこんで、逃げられないように着物のおびで手足をしばりあげた。
むすめはまるでガキみたいにわんわん泣いていたが、洞窟のおくにかくしてあった包丁をとりだしてみせると、いちど悲鳴を上げたきり大人しくなった。
オレに喰われるとでも思ったんだろうか。
ばかなやつだ。 食べるならもっと肉のついたやつを選んでる。
たきぎを集めて火をおこすと、泣きつかれたむすめが、鼻水をたらした顔で口を開いた。
「ヒナを、たべるの?」
「ヒナ?」
「ヒナは雛子だよ」
よくわからねえが、ヒナというのがこいつの名前らしい。
「食べねえよ。 ただ、おまえの胆をもらうんだ」
「胆ってなに?」
おびえたように聞いてくる。 オレはおもしろくなってわざと怖がらせるように言った。
「おまえの腹のなかにあるものさ。 いまからこの包丁でおまえの腹をかっさばいて、そいつをとりだすんだ」
にやりと笑って見せると、むすめの顔から血の気がひいて、また涙を流し始める。
「なんでそんなことするの?」
「オレにはそいつがひつようだからさ」
言い終わったとたん、苦しくなってせきがでた。
まただ。 いつも夕暮れ時になると、このいまいましいせきがでる。
しってる。 これはわるい胸のやまいだ。
せきがとまらなくなって、どんどんわるくなる。 このままだと、冬はこせない。 雪がとけるまえにオレはおしまいだ。
そう、だからオレにはこいつの生き胆がひつようなんだ。
むかし、どこかで聞いた。 せんじてのめばどんな病もなおすことのできる薬だと。
「鬼さん、くるしいの?」
いつのまにか泣き止んでいたむすめが、オレのことを見つめていた。
「くるしいものか。 それに、おまえの生き胆さえ飲めばなおるんだ。もうすこしのしんぼうさ」
オレがわらって見せると、むすめはふたたびあおい顔になる。
「こわいか、オレが?」
人間はひとりなら弱虫だ。 そんな弱い人間の恐怖にゆがんだ顔をみるのは、ゆかいだ。
むすめはゆっくりとうなづいてみせた。
「こわいよ。 だっておなかをさかれたら、ヒナしんじゃうもの」
ふるえながら、むすめがこわごわとそんなことを言う。
「なんだ、おまえ死ぬのがこわいのか」
「うん。 鬼さんだってこわいでしょ?」
なみだぐみながら言うむすめの顔に、オレは思わずふきだした。
「ばかな。 そんなものがこわいはずないだろう」
「だって、こわいからヒナのおなかをさくんでしょ?」
なにを言いだすかと思えば。 弱くてばかな人間の考えそうなことだ。
「おいおまえ、地獄をしってるか?」
にやりと笑ってオレがたずねると、むすめはびくりと身をふるわせた。