2日目
「俺、たぶんお前のこと知っている。」
昨夜、そんな衝撃的な言葉を発した、散々私を無視し続けた男の子は武藤集と名乗った。電車で20分ほどかかる私立の高校に通う高校1年生だそうだ。
「ほんと!?ねぇ、私のこと知ってるの?私の名前知ってるの!?」
そう問い詰める私から若干目をそらしながら武藤は、気まずそうに言葉を濁しながら、
「いや、まぁ、知ってるといえば知ってるし、知らないっていえば知らない…」
「それって結局知ってるの!?知らないの!?」
煮え切らならい武藤と何度か押し問答を繰り返した結果わかったのは、同級生の一人が数日前に亡くなったという噂は聞いたことがあるものの、面識はなく、名前や性別まではわからない…というものであった。とりあえず私の来ている制服が武藤と同じ学校の女子生徒のものであることは間違いないので、翌日、学校でその亡くなった女子生徒について調べるということで話はまとまった。そうしないと、これから毎日1日中付きまとう、という私の一言が効いたらしい。
「いってきまーす。」
5分で朝食をかき込み、寝癖も対して直さず歯だけはきちんと磨いた武藤は、まだ眠そうな目をしたまま家を出た。そんな武藤を追いかける形で私は武藤の頭上と飛びながら彼を追いかけている。
「…んで、お前はほんとについてくるのか?」
周りに人影がいないことを念入りに確認しながら、武藤は私に話しかけた。確かに、道端で歩きながら私に話しかける様子は、ほかの人から見たら武藤が独り言を言っているようにしか見えないので、ただの不審者である。ちなみに、昨夜は武藤の姉(1月前に一人暮らしをするために出て行ったらしい)の部屋のベッドで休ませてもらった。休むといても、一向に眠ることはできず、ひたすら天井とにらめっこをしていたが…どうやらこの体は睡眠を必要としないらしい。むしろ、永遠に眠っている状態なのだからまぁ当然かもしれない。
一人の夜は想像以上に長く、孤独だった。昨夜、武藤と言葉を交わしていなかったら、もっとつらかっただろう。眠ることができないことがこんなにも恐ろしいことだとは思ってもみなかった。だから、朝がやってきてこうして武藤と会話できることは死ぬほどうれしいのだ。いや、もう死んでいるのだけれど。
「だって、一人でいても暇だもの。それに、学校に行けば何か思い出すかもしれないし。」
「そう、都合よく思い出せんのかよ。名前すら忘れちまってんだろ?」
「でも、思い出せるって、言われたんだもの…」
あの、不思議な場所であったことだけはなんとなく覚えている。あの男の子は確かに思い出せるといっていた。他にも、私の魂がどうのこうの言っていた気がするけれど、ちゃんと思い出せるのは、私の生前の記憶は取り戻せるものであるという事だけだ。
「ふぅん?まぁ幽霊の事情なんて俺にはわかんねぇや。」
そう言うと武藤はポケットからイヤホンを取り出して音楽を聴き始めてしまった。これ以上私との会話を続けることはないという意思表示だろう。私はあきらめて武藤の後をついて行った。
昨夜、少しだけ武藤の話を聞いた。彼がいわゆる霊感をもっているときが付いたのは小学校低学年の頃だったらしい。それまでは、自分しか見えていない人や、自分としか話ができない人がいる事には気が付いていたものの、それが幽霊だと認識したのはそのくらいになってからだという。それまでは、家族や学校の先生、友達からはやたら独り言が多い変な子、といった認識をされていたらしく、自分が見たり話していたのは幽霊だとわかってからは極力幽霊だと思われる者とは目をあわせないように、関わり合いにならないように気を付けて生活をしてきていたそうだ。ちゃんと幽霊だ、と認識している相手と会話をしたり、関わるのは今回が初めての事らしく、死んだ人間が起億を失っていたり、その記憶を取り戻すために再びこちらをさまよっている事などは彼も知らなかったらしい。
よく晴れた5月の朝。昼ごろになれば少し汗ばむくらいに気温が上がってくるかもしれない。私はきっと、汗をかくこともできないのだろうけど…。そんな自虐的な事を考えながら、見覚えのある風景を探しながら私は武藤の後をついて行くのであった。
武藤の通う高校につき、昇降口で靴を上履きに履き替える頃になると、周囲には武藤と私と同じ制服に身を包む男子生徒と女子生徒が大勢いた。なるほど、確かに私の来ている制服は彼女たちと同じ制服のようだ。なかには、ブレザーを脱ぎ、ワイシャツ姿の生徒もいるが、私がこの学校の生徒であったことは間違いないだろう。教室の入り口まで来ると、武藤は突然振り返って周囲を気にしながら小さな声で私にささやいた。
「放課後、この教室まで戻ってこい。それまでは俺に付きまとうな。」
私の返事など最初から聞く気はなかったようで、それだけ告げるとくるりと背を向け、教室へ入り、ぴしゃりとドアを閉めてしまった。
私は仕方なく、一人で学校を探検することに決めた。さすがに、武藤も1日中幽霊の視線を気にしながら過ごすのは嫌だったのだろう。昨夜、私の情報を集めることについては約束してくれたので、それを信じて私は私なりに自分の情報を集めることにした。
しばらく校内をうろついていると、チャイムの音とともに1限目の授業が始まったらしく、あたりはしん、と静まり返り、授業を進める教師の声がかすかに聞こえるようになった。私は、校庭から体育館、音楽室、理科室、家庭科室、と片っ端から行ってみたものの、見覚えのあるものはなかったため、授業の行われている教室を回ってみることにした。
朝最初の授業だからだろうか。机に突っ伏して寝ているものや、船をこいでいるものがやけに目につく。わけのわからない数字の羅列が板書されている教室や、英語の文法を説明している教室、歴史について先生が熱弁している教室など様々だったが、なにひとつ身に覚えのある風景はなかった。途中、武藤のいる教室にお邪魔した時、武藤が丁度現代文の音読を指名されている最中だったため、つい、動きを止めてその様子をうかがっていると読み終わった武藤に睨まれてしまったので肩を竦め、次の教室へと移動した。
次に入った教室でも特に変わったものもなく、また隣の教室へと移動した。そして、その教室で、今までの教室とは違うものを見つけた。教室の廊下側の列の一番後ろの席。誰も座っていないその席には、小さな花瓶に花が活けられていたのである。今まで巡った教室にも空席はいくつかあった。しかし、それらの席には花瓶など置かれてはいなかった。花が供えられている意味など、少し考えれば誰にでもわかることではないか。
「ここ、私の席だったのかな…」
思わず口をついて出てきたその言葉に反応してくれる人は誰もいない。みな、退屈そうにしながらもノートにペンを走らせている。黒板や教科書に視線をやり、突如教室に入り込んだ幽霊など、誰一人として気が付いている様子はない。
私は、その花のおかれている机に腰掛けた。椅子に座ろうにも、椅子を引くことは生憎できなかったので、机に腰掛け、黒板を見た。これが、私が生きているときに見ていた風景なのだろうか…。そう思うとなぜだか少し悲しくなり、懐かしくもなった。他にもう行きたいと思う場所もなかったので、私は1日この席で、授業を受けることを決めた。
1時間ごとに教科が変わる中、私はノートをとるわけでもなく、居眠りをするわけでもなく(どちらもできないだけなのだが)ひたすら授業に耳を傾けた。授業の最初に出席を確認する教師が、私の席を見たときに少しだけ表情をゆがめたことがなぜだか嬉しかった。
1時間、2時間と過ぎていく中、私はずっと授業を受けていた。数学や英語はほとんどわからなかったものの、古文の授業と歴史の授業だけは面白いと感じることができた。やがて昼休みになると、近くの机をくっつけてお弁当を広げだしたり、お弁当をもって廊下に出ていくもの、学食へと友達を誘うものと学校中が騒がしくなった。そんななかでも私の机の周りはなにか見えないバリアーで隔離されているかのように誰も近寄っては来なかった。私はただ、みんながお弁当を食べる様子をひたすら見つめていた。今更ほかの場所に移動する気もなく、ただただ、見つめ続けた。
ガラッと勢いよくドアが開かれ、驚いて横を向くとそこにいたのは武藤だった。そして、私を一瞥すると、武藤は迷うことなく私の座っている机の椅子を引いてその席に座った。私は思わず立ち上がり、武藤に話しかけたものの無視されてしまった。その様子を見ていた者は、みなぎょっとした視線を武藤に送ったが、そんな視線などものともせず、武藤はおどろいて固まっていた目の前の席の男子に話しかけだ。
「なぁ。ここに座ってたやつって、たしかGW中に死んだんだよな?」
「…お、おう。担任が確かそんなこと言ってたよ」
「なぁ、名前わかるか?」
「確か、依田とかだったと思うけど…ほとんど学校来てなかったからあんまりおぼえてねーな」
依田・・・下の名前はなんだったんだろうか。苗字を聞いてもピンとこない。
「下の名前わかる?」
「ん~出席簿とかでちらっとしかみたことねーけど…カズミ、とかだった気がする。」
「カズミ…ヨダカズミ、か。さんきゅ。助かった。急にごめんな」
ヨダカズミ…ヨダカズミ…それが私の名前。自分の名前を聞けば少しは何か記憶が戻るだろうと思っていたのに、全く何も思い出せない。表情を曇らせた私をちらっと見ながら、武藤は立ち上がった。立ち上がった武藤が、席をそのままにして、人ひとり座れる状態にしていってくれたのはきっとしまい忘れたのではないと思う。
「いや…」
いきなり武藤に話しかけられた男子生徒は困惑しながらも、前を向いた。そろそろ、予鈴もなり、午後の授業が始まるようだ。
私は、武藤が座れるようにしてくれた席におとなしく座って、午後の授業を再び聞くのであった。
すべての授業が終わり、チャイムが鳴ると、生徒たちは一斉に立ち上がり教室をあわただしく出て行った。すでに校庭では部活の準備が始まっているらしく、にぎやかな声が外から聞こえてくる。私は武藤が待っているであろう教室に向かうために席を立った。いまだに自分の机なのかどうか実感は沸かないが、花が飾られた誰も座らない席。そこはきっと、私の席なのだろう…。
教室で私を待っていてくれた武藤は、私と目が合うと無言でカバンをもち、歩き出した。相変わらず人目があるところでは話してくれないらしい。私はおとなしく武藤の後ろをふわふわとついて行った。
「ただいまー」
そう一言のこして家についた武藤はまっすぐに自室へとむかった。
カバンをどさっとベッドになげ、ブレザーをハンガーにかけると、ワイシャツのまま
ベッドにうつ伏せで寝ころんだ。
「え、ちょっと武藤?」
武藤の自室まで来たらさすがに話を聞かせてもらえるだろうと思っていた私は、武藤がこのまま寝てしまうのではないかと焦って声をかけた。
「武藤ってば!!私の事調べてくれたんじゃないの!?」
武藤はめんどうくさそうにうつ伏せから体をもぞもぞ動かし、あおむけの状態になると、目元に腕を当てながらゆっくりと口を開いた。
「依田、カズミ。まぁ、名前はあってるかわかんねぇけどな。GW中に死んだと思われる。入学式から約一か月間、ほとんど出席することはなかった。近くの病院に入院してたらしい。病弱ってことはわかったけど、友達もいなかったらしいし、詳しいことは不明。面識もないのにいきなり死んだ奴のこと嗅ぎまわり始めてって変な顔されながら聞き込んだんだけど、これぐらいしかわかんなかったよ。」
「そっか…。ありがとう」
ほとんど学校に通っていなかったから、学校の様子をみてもなにも懐かしい感じがしなかったのかもしれない。記憶に残るほどの思い出はきっとなかったのだろう。でも、制服を着て幽霊になったからには、この制服というか、学校に対して強い執着があったのかもしれない、なんて他人事のように思った。
「保険医からさ、依田の入院していた病院がどこか聞けたよ。明日、土曜だし、ちょっといってみるぞ。」
え、今、武藤もしかして…?
「武藤、今私の事、依田って…名前で呼んだ?読んだよね!?」
ほんの数時間前まで名前がわからなかったのだが名前の呼びようなどなかったのだが、初めて名前を呼ばれたことがなんだか無性にむずがゆくて、心がじーんと震える。
「私、初めて名前呼ばれた!!」
「うっせ!こんくらいでさわぐな!名前わかったんだから、普通に名前で呼ぶさ馬鹿やろう!」
「ううん。ありがとう、武藤」
「お、おう」
いつの間にかベッドから起き上がっていた武藤は、お礼をいう私からなぜか目をそらしながらぶっきらぼうにそう返事をするのであった。
「あ、そうだ武藤」
「あ?」
「武藤って、漢字読めないんだね。」
現代文の授業で音読を指名されていた時に、漢字を読み間違えて先生に訂正されていたことを指摘してやると
「うるさいわ!」
と近くにあった枕を投げつけられてしまった。(枕は私をすり抜けて後ろの壁に当たった)
「疲れたから飯まで寝る!話しかけんなよ。」
「はーい。」
武藤が話しかけるなっていう事は、何度話しかけても返事をしないっていうことを学んだ私は、おとなしくすることにした。
武藤とのこんなやり取りが楽しいと感じてしまう私は、少しおかしいのかもしれない。
夕飯と入浴を済ませ、髪も乾かさずに武藤は自室でゲームを始めた。対戦ゲームのようで、武藤はオンラインで世界のどこかにプレイヤーと対戦を始めた。私も特にやることがなかったので武藤の横に座りながらゲームを観戦することにした。
「あ~くっそ!つよいなこいつ!!」
私にはよくわからなかったが、武藤の悔しがる様子から、どうやら負けてしまったらしい。「楽しい?私にはよくわかんないけど」
「まーな。お前はゲームやれるの?」
ふ、と何か思いついたようで武藤は、ゲームの手を止めた。
「え?名前も思い出せないんだよ。テレビゲームやったことあるかなんて覚えてるわけないじゃない。」
「ちがうって。今の話だよ。お前、コントローラー触れるの?」
そういって、武藤は持っていたコントローラーを投げてよこした。
が、案の定コントローラーは私の手をすり抜け、床に落ちた。
「ダメか…。あ、じゃあ依田、オセロとか、ボードゲームならできるだろ?」
勝手に決めつけた武藤は、今までやっていたゲームの電源を切ると、クローゼットをごそごそと漁り始めた。
「たしか…この辺にしまったはずなんだよなぁ…お!これだ」
とりだしたのは、オセロ盤だった。
「中学の時、昼休みにはやったんだよな~。ジュースとかかけてやんの結構燃えたんだぜ?」
そういいながら床に板を広げて、マグネットの石を中央に白と黒を交互に並べてセットした。
「ほら、依田が白な。」
オセロをすることはもう決まっているらしく、武藤はいきなり黒石をおいて白石をひっくり返し始めた。
「え?ちょっと!」
「ほら、オセロなら指差してくれれば俺がひっくり返すから。白石おくとこ指させよ。」
「う、うん・・・」
おそるおそる指を指すと、武藤が白石をおいてひっくりかえしてくれた。
そして、対戦が始まる。
「あ、くっそ、角とられた。」
「あれ?武藤オセロとくいなんじゃないの~?」
「ふん。角一つとられたくらい、すぐに巻き返してやるわ!」
そこから私と武藤の角の取り合いが始まった。しかし、その結果は割とすぐに出た。
「なんか、私、オセロ得意だったみたい。」
枚数を数えるまでもなく、圧倒的に白の勝利だった。
「はぁああああ!?なにお前!オセロなんてやったこと覚えてませーんって顔して、俺を油断させるとか卑怯だぞ!!」
「ちょっと!その言い方はないでしょ!ほんとにオセロやったことあるかないかなんて覚えてないし!それに、武藤がただ弱かっただけでしょ。」
「久しぶりすぎて勘が戻ってないだけだ。お前こそ、俺が手を抜いてやったから勝てたけだ。次はない。」
「そうやって言い訳するのね。武藤ってかっこ悪ぅ。」
「おい!もう一回やるぞ!!」
武藤の勘が鈍っていたというのは、案外いいわけではなく事実だったようだ、1回戦目で圧勝したものの、その後は勝ったり負けたり。負けた方が、もう一回!!と勝負を持ちかけるため、結局二人で夜中まで遊び続けた。もう何度目の勝負だろうか。ふと、武藤の手が止まったことに気が付き、武藤の顔を覗き込むと、座ったまま寝てしまっていた。
時計を見ると、深夜2時を回っている。一体何時間二人で遊んでいたのだろうか。眠れない私はしばらく武藤の寝顔を眺めていた。
こんな風に、誰かと夜中まで遊ぶことが楽しいなんて生きていた私は知っていたのだろうか。ずっと友達もいなくて、病弱だったという私は、こんな風に勝負に熱中することがあったのだろうか。たぶん、なんとなくだけど、今日が初めてだったんじゃないかな。
だから、武藤、
「ありがとう。おやすみ。」
既に夢の中で聞こえてはいないだろうけど、私は声に出して言いたかった。
起きてる時はぶっきらぼうで口も目つきも悪いのに、眠ってる武藤はなんだか幼く見えてかわいかった。もう一度だけ武藤の寝顔を見ると、私はとなりの部屋に移動した。
昨日は長かった一人の夜が嘘みたいに、今日の夜はさみしくなかった。