譲二の冒険
「やっぱりやめようよ兄貴、もう帰ろう?」
僕は先へ先へと進もうとする兄貴の肩を掴む。
兄貴は僕の手を荒々しくふりほどくと、やや怒号を含んだ声で言った。
「何だよ、譲二? お前びびってんのか?」
僕と兄貴は家から少し離れた洞窟に来ている。時刻は正午を回ったころ、異様なほどの静けさがそこには充満していた。
「び、びびってなんかないよ! ただここに来たことがばれると父さんたちに叱られちゃうよ」
何があろうとあの洞窟には近づくな、さもないと命を落とすことになる。
僕達が幼少のときから聞かされていた戒めだ。この教えは先祖代々から伝わるらしい。
「お前、あんな話まだ信じてるのかよ? あれは親たちが作った嘘に決まってんだろ、そんなこと万に一つもある分けがない」
兄貴は僕の顔を一瞥し嘲笑する。
僕と兄貴は双子の兄弟だ。兄貴の名前は譲一、僕が譲二。
幼いころから一緒に過ごしてきた。それはこれからも変わらないと思っていた。
「俺独り立ちするわ」
兄貴が親にそう告げたのは昨日の晩のこと。父と母は最初こそ渋ったものの、兄貴の真剣さに折れ独立を認めた。
兄貴がいなくなるのは寂しい。しかし、そんな理由で兄貴を縛ることは出来ない。僕は兄貴の独立を祝福した。兄貴もまんざらでもなさそうで、お前も早く独立しろよ、と笑顔で返してくれた。
そんな次の日のことだった。
「なあ譲二、俺たちが会えるのも今日が最後だ。なにか、思い出でも作らないか?」
兄貴は荷造りを手伝う僕に声をかけた。
僕が首を縦に振ると、それならあの洞窟に行ってみようぜと兄貴は言った。
僕自身、得体の知れない不気味さをかもし出すあの場所には近寄りたくなかったが、これが兄貴と遊べる最後の機会だと思うと、断れなかった。
「いつまでそこで惚けてるつもりだ? 俺は先に行くぜ」
「ま、待ってくれよ兄貴」
あわてて兄貴の背中を追う。あたりはだんだんと暗みを増していき、視界を狭めてくる。
さすがの兄貴も少し不安になったのか、歩みを止め周囲の暗がりに目を凝らす。
「なあ、兄貴もう――」
「しっ!」
鋭い声で兄貴が叱責する。前方の闇を神妙な面持ちで見つめている。
「譲二、何か匂わないか? こう……腹の中をくすぐるというか……」
僕は必死に鼻を利かす。自慢ではないが僕の鼻は大変よく利く、はるか遠くの食べ物も匂いだけで当てることができる。しかし、今回に関しては分からなかった。確かに兄貴が言うような香しい匂いを捕まえてはいるのだが。
「何の匂いだろう。ただ、たまらないほどいい匂いだ」
「だろ? こっちの方向だ行くぞ!」
兄貴とともに走り出す。先ほどまで感じていた恐怖心はどこに行ってしまったのやら、僕らは匂いのする方へとひた走り続けた。
「こ、これは!? 家か?」
しばらく走り続け、僕らの目の前に現れたのは小さな家だった。おかしなことにドアがない。だが匂いは確実にここから漂っている。
「は、入るか?」
僕は静かに頷く。なんとしてもこの匂いの基を突き詰めなければならない使命感が僕にはあった。
兄貴が静かに家の中へと足を踏み出した。と、そのとき。
「うわあ、な、何だこれ!? 動けねえ!」
目の前の兄貴が絶叫する。何かネバネバしたものが兄貴の足に絡み付いている。兄貴は何とかして抜け出そうとするも、暴れれば暴れるほどネバネバは兄貴の体を絡めとり、ついに完全に身動きがとれなくなってしまった。
「あ、兄貴! 今助けてやるからな」
急いで兄貴を救わんと、家の中に入ろうとする僕を兄貴が必死に押しとどめる。
「バカヤロー! お前まで動けなくなっちまうだろうが! 俺のことはいい、さっさとここから逃げろ」
「で、でも……」
小さいころから兄貴は僕のヒーローだった。
よく近所の悪がきにいじめられていた僕を助けては、体中あざだらけになり、父を怒らせ、飯抜きにされた僕にこっそり自分の分を届けてくれた。
いつも僕は兄貴に助けてもらってばかりだ。今だって兄貴を犠牲にして僕だけ助かろうとしている。
そんなの嫌だ。
今度は僕が兄貴を救う番だ!
僕は助走をつけ家に体当たりをする。家はわずかに揺れるがびくともしない。もう一度体当たりをする。それでも変わらない。何度も何度も体当たりを繰り返す。
「譲二、お前……」
「兄貴はいっつもカッコつけすぎなんだよ! たまには僕だってヒーローになって見せる!」
兄貴の姿が霞む。手で強引に顔をぬぐい、鼻水を思いっきりすする。おそらく僕の顔は見ていられないほど無様な状態になっているだろう。それでも僕は体当たりを続ける。
何十回目かの突進の後、僕は地面に崩れ落ちた。もう肩はぼろぼろだ。結局僕は何も出来やしない。
「もういい、もういいんだ……譲二、ありがとな。お前は、お前は立派なヒーローだぜ」
「兄貴……兄貴いいいいい!」
ガラガラ、パン
「お母さん! 戸棚の中にアレがいたからスリッパで倒したよ! あ、もう一匹もホイホイに入ってる!」
「まあ、ゴミ箱に捨てておいてくれる?」
「はーい」