ランダムお題「素晴らしい黒板」
即興小説トレーニング(http://sokkyo-shosetsu.com/)様での制限時間30分設定で書いたものです。そちらにも投稿されてます。
月が替わった。肌寒さが残るものの、吐く息が白くなくなることが無くなった三月。三年間通ったこの高校に来るのも、今日が最後だ。
卒業式。高校最後の大イベント。同時に、俺達がこの学校から大学、あるいは社会に羽ばたく記念になる日。そんな日でも俺にとっては割とどうでもよく、淡白な感じだった。なんとなくいつもより少し早く来て軽く掃除でもしようかと思い至り、普段―――これまでこの学校に通ってきた三年間の平均登校時間より―――三十分ほど早く学校に着いていた。玄関を抜け、階段を上り、廊下を歩く間誰ともすれ違うことが無く、高校最後の日の朝をいっそう静かに迎えられたように思う。
一年間、平日の間は毎日入った教室の引き戸を静かに開く。誰も居ない、閑散とした教室。黒板には昨日の放課後のうちに誰かが書いたのだろう、クラス全員の名前やへたくそな似顔絵がいっぱいに描かれていた。思わずふっと笑んでしまう。好き、というほどでなくとも、嫌いではないクラスメイト達。全員が集まれる機会は今日が最後だと思うと、少しだけ寂しく思えた。
水道の水は冷たく、雑巾を絞る手に痛みが走る。昨日のうちにきっちりと掃除をしているとはいえ、隅々まで行き届いているわけではない。大体は綺麗になっているので、窓のサッシや教室の隅といった細々としたところの掃除に集中できた。前述したように俺にとっては卒業式なんて割とどうでもいいことで、ただ一緒に生活してきたクラスメイトや学校への義理でやっているだけのつもりだったが、やっているうちに色々思い出してきてしまう。体育祭、文化祭、それから去年……いや一昨年か。修学旅行や受験戦争。色々あったなぁ、などと柄にもなく物思いに耽っていた。
十五分ほどで概ね掃除が終わったので、どこか掃除できそうなところを探そうかと思ったが、自分が殆ど行かないままだった美術部室の方も掃除できたらいいな、と思い至り向かうことにした。この時間になるとぼちぼち生徒たちが登校をし始めて、高校生活最後になる挨拶を交わしているのが見受けられる。部室は美術室の隣にある小ぢんまりした部屋で、半物置になっている部屋であるが、入学してしばらくは真面目にこの部室に足を運んで絵を描いていた覚えがある。もっとも、同学年も先輩もそもそも男子が少なくて、その数少ない男子も話しかけても返ってこないような人だったので次第に自分も行くことが無くなってしまったが。
そういえば部室の鍵って借りてこなきゃならないんだろうか、と思いつつ引き戸を開けてみる。戸は音を立てて踏ん張り動こうとしない。やっぱ借りてこなきゃダメか、と思った時、擦りガラスの向こうで物音がした。誰か居るのだろうか。戸の向こうの足音が近づいて、擦りガラスに黒と肌色がぼんやりと浮かんだ。鍵が開く音がする。
「ご、ごめんなさい。ちょっと準備してて…」
恐る恐る戸を開きながら顔を覗かせたのは、初めて見る女子生徒だった。この部の部員なのだろう。
「えっと、どなたですか?」
女子生徒は俺を見上げながら問いかける。自分がこの部の幽霊部員であることを告げると、女子生徒は少し驚いたように声をあげた。
「あの、ちょっと待ってもらっていいですか?」
言ってすぐに女子生徒は戸を閉めてしまう。なんだろう。とりあえず言われた通りに待ってみると、すぐに女子生徒は再び戸を開いて顔を出した。
「これ、描いた方ですか?」
言いながら見せてきたのは、俺が二年前、まだここに足を運んでいた時に描いた絵だった。自分でも忘れていた絵。おそらく置いて帰ってしまったのだろうが、そんな二年以上も前の絵を見せられては恥ずかしさと焦りで硬直してしまう。
「やっぱり!」
興奮気味に女子生徒は目を輝かせる。別に上手いわけでもなく、何かしらの特徴がある絵でもなく、ただなんとなく描いてみただけの絵を何故この子は持っていたのだろうか。
「今日卒業式ですよね? 最後に会えるなんて嬉しいです」
お願いだからすぐ捨ててそして忘れてください。言っても女子生徒は聞いてくれなかった。
「ごめんなさい、今先輩を部室に入れられないんです。卒業式終わってから来ていただけますか?」
掃除をしに来た旨を伝えてもそう言って断られてしまった。仕方がないので諦めることにする。
「絶対、ですよ!」
初対面の女の子相手に指切りげんまんまでさせられてしまった。これは行かなきゃいけないんだろうなぁ、なんて思いながら、俺は卒業式を迎える。
***
教室ではまだ別れを惜しむクラスメイト達が騒いでいるだろう。自分は手短に済ませたので約束を果たしに部室の前に再び来ていた。今朝の女子生徒はまた居るのだろうか。引き戸に手をかけ、ゆっくり開けると、机の上にラッピングした小さな箱と布を被せた何かが置いてあったのが見えた。他には何も変わったものはなく、女子生徒は居ない。
箱の横に紙にマジックで書かれた「今朝の先輩へ」という文字があった。俺のことだろうか。そういえばお互いに名乗っていなかった。箱を手に取り、開けてみる。小さめの水彩鉛筆と水筆のセットだった。なんでこんなもの、と思いながら横にあった布を取ってみる。小さな黒板に、俺が二年以上前に描いて置いて行った絵に描いてあるキャラクターが白のチョークで描かれていた。自分の絵柄ではなく、きっと今朝の女子生徒の絵柄なのだろう。白単色なのに濃淡がつけられ、芸術作品と呼ぶにふさわしかった。
なんでこんなにもあんな絵を気に入ってくれたのだろう。疑問に思いながらも、ありがたくその絵と水彩鉛筆のセットを持って、俺はこの学校を後にした。
最後の思い出が、いい思い出でよかった。
もっとちゃんと掘り下げられればよかったと反省してます。時間が短いネ…。最後、「その絵と水彩鉛筆のセット」とありますが、その小さな黒板のことです。