シンデレラは招待状を捨てました
お城から、舞踏会の招待状が届いた。
ただの舞踏会ではない。第一王子……次期国王となることが決定したばかりの王子が参加する。その王子の花嫁選びも兼ねていると噂の舞踏会への招待状だった。
ジニーはその招待状が紛れもなくお城からのものだと確信して、震え上がった。
(ど、ど、どうしてこんなものが私の家に!?)
普通の娘ならば、家族総出をあげて喜ぶであろうその招待状。しかしジニーには、地獄への道案内に等しい代物だ。
一番新しい記憶は半年ほど遡る。
それは、この舞踏会の話題であり中心人物であるルナス国の第一王子との記憶だ。
普通に過ごしていたならば出会うこともないであろう王子と、ジニーは出会った。
乙女心をくすぐるロマンチックなものなど皆無、な出会いだった。
父の遺産を欲して、王子はジニーの前に現れたのだ。
ジニーは初め、何のことだかさっぱり解らなかった。しかしあることが頭を過ぎる。
父は昔、開発者であった。
隣国との戦が耐えない情勢が続いていたせいで、父は望みもしない兵器を造らされていたという。その事をジニーは父が亡くなるまで知らなかったし、知ったのは父の残した日記帳の存在があったからだ。
ジニーはその日記帳に挟まれていた手紙。父が残したその手紙に従って、父の残した遺産を棄てた。
そのことをジニーは正直に話したのだが、王子は納得しなかった。納得しなかった王子は、ジニーから父の遺産を全て買い取る旨を話し始めた。それは、ジニーが長年家族と暮らしてきた屋敷も含まれている。
当然、ジニーは断った。
だが王子は冷たい瞳をして、ジニーの話をまったく取り合わない。
振りかざされる権力という名の傲慢きわまりない力に、ジニーはなくなく諦めるしかなかった。せめて、と王子のお綺麗な顔をひっぱたき、罵詈雑言を浴びせた――想像をして何とか平静を保ち、屋敷の値段の実に5倍もの金を与えられてジニーは町を去った。
傷心を癒すように平和な各地を小旅行し、そして、のどかな田舎町で新しい一歩を歩み始めたのが三か月前。
そこにきて今日、この招待状だ。
はっきり言って、ジニーにこの招待状が届いた意味も理由もわからない。あの屋敷から新たな父の遺産が見つかったのかさえ知らないし、知るのも何だか恐ろしくて、ジニーは父と過ごした優しい日々だけを胸に今まで生きてきたのだ。
それに何より、ジニーはあの王子にもう二度と会いたくなかった。あの王子の容姿は美しかった。凍てついた美貌とさえ言われているだけあって、その瞳に見つめられると凍ったように動けなくなった。しかしそれは容姿ではなく、どこまでも冷たい王子の心根からくるものだとジニーは思っている。
だから、この招待状がどういう意図をもっているのかまったくわからない。ジニーに何かしらの詫びる気持ちが湧いたとはとても思えないし、まして花嫁にするとも思えない。
(も、もしかして口封じとか?でもそれなら招待状じゃなくて暗殺者でも送るわよね……というかまず相手にしないわよね)
あの王子なら回りくどいことはしないでサクっだろうし、何の力もないジニーを気にかけるとも思えない。無駄なことはしない、そんな印象だ。
つまり、とんでもなく不気味だ。
美しい模様が描かれていようと、ジニーの瞳には禍々しく映る。
いつまでも手にしていたら――いや、家になんて置いていたら、呪われてしまう!
ジニーはもう考えるのを放棄して、この招待状を読むことなくゴミ箱に捨てた。
それからひと月。
何事もなく過ごしていたジニーの家の玄関を、誰かがノックした。隣のお婆さんが、今日パンを焼いたらわけてあげると言っていたからそれかもしれない、とジニーは期待を胸に扉を開けた。
しかしそこにいたのは、立派な軍服を纏ったあの王子の騎士であった。
「お久しぶりです。ジニー・レンブラント。お迎えにあがりました」
「な、なんで貴方が……?」
「招待状を送ったはずですが」
騎士のその言葉を、ジニーはとっさに否定した。なぜか、頷くのが怖かった。
それに、ジニーの家にはもう、あの招待状はないのだ。
すると騎士は、酷く青ざめた。
「届いてないのですか?」
「は、はい」
なぜ騎士はこれほどまで顔を青くするのだろう。ジニーはますます怖くなった。
「……こちらの不手際ですね。手紙を送ったものを、処分しなければ」
「処分?!」
ただ罰を与えるだけならばいいが、騎士の声色には不穏なものがある。
「――ああ。貴方が気にすることではありません」
騎士は青ざめるジニーを落ち着かせるように微笑んだ。しかし、その微笑みが優しいがゆえに恐怖心を煽った。手紙がジニーに届いていないというだけで、ジニーに手紙を送ったものは酷い罰則を与えられる。
下手をすれば――。
これがジニーがとっさについた嘘のせいなのだから、たまったものではない。
「ち、違うんです!……しょ、招待状は届きました」
その言葉に騎士は心底ほっとしたようだ。
「良かった。招待状はあるんですね」
そしてジニーのついた嘘よりも招待状の有無を気にする騎士に、ジニーは震えた。もう嘘をつかずに正直に話すしかない、とジニーは覚悟を決め震える声で言った。
「招待状は、確かに届きました…。でも、もうありません。届いた日に……捨てました」
「――ほぉ?」
その声がした瞬間、ジニーは氷のように冷たい水を被り、真冬の雪原に放り出された心地になった。 いつの間に現れたのか、あの王子が氷のように冷たい瞳をしてジニーを見下ろしていた。
「あ、あの…」
「王家から届いたものを捨てるとはな。愚かな真似をしたな、ジニー・レンブラント」
ふっと頬を緩めて話す王子は美しく――恐ろしい。
思わず視線を逸らしかけたジニーの顎を、王子の指が捕らえた。
「……俺なりに譲歩してやったのだが、まさか読むことなく捨てるとは。まぁいい、俺はお前に招待状に潜ませて手紙を添えた。お前の今後を決める重大な、な」
「わ、わたしは…」
「だが、どうやら不要な気遣いだったようだ。――さて、ジニー・レンブラント。お前は自ら考え選択出来る機会を放棄した。俺はお前に手紙の内容を話して聞かせるつもりはない。ただ、俺の問いに答えろ。慎重にな」
ジニーは首を振った。しかし王子に顎を捕らえられているため、それは酷く弱々しかった。
「わ、わたし……手紙があるなんて…」
「イエスかノー、どちらだ」
ジニーの懇願する声にも王子はまったく耳を貸さない。
「ジニー嬢、お答えを。あなたは王家からの品を捨て、王子のお心遣いを無にした。助かりたいのならば、王子の問いにお答えください」
王子の後ろにそっと控えたあの騎士が、優しく諭すように言う。だが内容は、ジニーが王子の問いに答えなければその先にあるのは死だけである。と言っているも同然だ。
騎士の言葉からして、王子の問いのどちらを選んでもジニーが死ぬことはないのだろう。
それがわかったところで、一体何について選ぶのかわからないのだから、恐怖は薄らいでもジニーの不安は増すばかりだ。
「答える気さえないのなら、俺が決めてやろう」
「……!ま、待って!」
口を開かないジニーに焦れた王子がそう言った。ジニーは慌てて王子の決断を止めるように叫ぶ。
いまここで、王子がジニーの今後を決めてしまったら、ジニーは死ぬまで後悔することになる。それに、王子はジニーに選択の余地を与えた。その選択の余地を破棄したのはジニーだ。過去のことがあったとはいえ、王家から届いた品を封もきらずに捨てたのはほかならぬジニー自身だ。
このうえ、最後の権利まで王子に委ねてしまうなど出来ない。自分で選択したことならば、まだ納得もいく。
ジニーは王子の冷たい瞳を見据えながら、震える唇をゆっくりと開いた。
「おかわいそうに」
王子付きの護衛騎士――アーノルドは、極度の緊張で気を失ったジニー・レンブラントの青ざめた顔を見ながら呟いた。 アーノルドとその主である王子の姿は馬車の中にあった。もちろん、ジニー・レンブラントを連れてである。気を失ったジニーは、ほぼ王子にもたれかかっている状態で馬車に揺られている。城まで半日はかかるため、目を覚ましたときには身体が軋みをあげることだろう。
アーノルドは再び、かわいそうにと胸の内で呟いた。
「気の強い女かと思ったが、見込みちがいだったか」
王子がジニーを冷めた瞳で一瞥し、すぐに気が削がれたように手元にある書類に目を落とした。
「あれだけ脅されれば、仕方がありません」
アーノルドがそう言うと、王子がさもおかしいと笑った。
「お前が恐ろしかったのだろう」
なかなか答えを言い出せないジニーの背を押してやったのだろうが、本人には命を盾にした脅しにしか聞こえなかっただろう。王子がそう言うと、アーノルドは顔を曇らせた。
「しかし、事実です。正直さは美徳ですが、ジニー嬢の場合は自分の首を絞めただけです。捨てた、と言った時点でジニー嬢は自ら退路をたちました」
「元からないも同然だがな。……サンジェル侯爵の甥が逃げ出したようだな」
「はい。さきほど伝書鳩が届きました。既に捕らえたとのことです。匿っていたのはやはりバリー男爵でした」
いかがいたしますか?とアーノルドが王子に伺うと王子は何でもないことのように告げた。
「鼠は用済みだ。首を跳ねろ。男爵は叩けば埃が出るからな……今回のことで尻尾を捕らえた。調べがつき次第、鼠と同じだ」
「仰せのままに」
ジニーの目が覚めていたなら、更に顔を青くさせる内容を2人は淡々と述べた。この会話で、鼠と表された侯爵の甥、そして男爵とその一家の命は近ければ明日にでも刈り取られる。
罪状は、反逆者を匿った反逆罪。
「ジニー嬢は、本当にご存知なかったんですね…」
「でなければ、屋敷を手放したりはせんだろう。顔も知らぬものを処分ときいて、あっさり真実を話すようだからな。これで知っていながら親愛なる侯爵一家の命を差し出したのなら、とんでもない女だ」
「……愛する父親が反逆者。王家に仇なすために屋敷に地下通路を作り、侯爵家に兵器を支援していたとは夢にも思っていない、ということですか」
「愚かな女だ。だがその愚かさが命を繋いだ。愉快なことだな」
ジニー・レンブラントは反逆を企てる一派を密告した。その結果、王家――国に悪しきを齎す不届きものを捕らえ一掃するにいたる。
この功績により、ジニー・レンブラントの極刑を特別に取り下げる。 なお、ジニー・レンブラントの身柄は第一王子オズワルド・アレク・フォン・コルスターに下賜する。
第125代国王 グレゴール・アレク・フォン・コルスター
王子が目を落としている書類の中には、ジニー・レンブラントの処遇について記載したものがあった。アーノルドはまだ目を覚ます様子のないジニーを一瞥した。
「……ジニー嬢には、お伝えしないでよろしいのですか? 」
「話すつもりはない。いやでも直に知るだろう。後宮の女は人が好いからな」
皮肉に満ちたことを、王子は涼しい顔をして言った。アーノルドは後宮の様相を思い浮かべ、ジニーに心から憐憫の情を抱いた。
「差し出がましいようですが、ジニー嬢に贈られた手紙には何と?」
「知ってどうする。もうこいつは俺の側室を選んだ。何も変わりはせん。せいぜい可愛がってやるくらいだ」
「‥‥おかわいそうに」
しかし、ジニーが自ら蒔いた種である。王子が手紙を認めていたのはアーノルドも知っていた為、嘘ではないだろう。それに王子は嘘はつかないのだ。そして、前言を撤回することもない。
馬車は城へと向けてひた走る。ジニーの鳥籠は、もう目の前だ。
「舞踏会では新しい側室として紹介してやるか」
愉快そうに、王子が笑った。