淑の過去
いくら記憶が薄れてもいっても、劣化しないものがある。深い後悔と、重い罪の意識に駆られ、それはまるで昨日のことのように覚えている。背負った十字架は、まだ下ろせそうにない。
全てが夢であったら、どんなによかっただろう。目覚めたら何もかも元通り、変わらない時が回りだす。
そうだったら、どんなによかっただろう。
「何だこれ?」
机の前に出された紙切れに、淑は顔をしかめた。
「辞表です」
ミウミが、真っすぐに答える。
「今回のこと、凄く反省しました。自分の未熟さに、嫌ってほど気づかされたんです」
心臓の鼓動が、激しく動く。
「私は、夢職にも向いてなければ、先生のパートナーにも向いてません。よく分かりました・・野辺教授のところに戻ります」
心がこんなに締め付けられるのは、行きたくないと言っているもう一人の自分なのかもしれない。
できることなら、この素晴らしい夢職と、ずっといたかった。
「・・俺な、夢職になる前・・他人の夢に入っては、悪さばかりしてたんだ」
「・・へ?」
淑の過去。聞くのは、初めてだった。
「面白い力に魅せられて、手当たりしだい他人の夢に入って、そいつの夢をぐちゃぐちゃにしてた。・・前に会った、烏と一緒にな」
ミウミは、声が出なかった。
「夢の中で暴れるとな、そいつの生活変わるわけ。ムカつく担任の夢に忍び込んで、メチャメチャ暴れたらさ、そいつ次の日から精神病院入っちまった」
信じられなかった。夢に関してエキスパートの淑が、そんな過去を持ってるなんて。
「面白かったんだけどな・・俺は段々、違和感感じてた。これでいいのかって、自問自答してた・・そんな矢先、俺は夢解の連中に捕まった。この力を悪用する可能性があるとして」
想像できない。
この冷静沈着、頭脳明晰な淑が・・
「烏も一緒に捕まったんだ。けど、俺だけはあのクソ教授に救われた」
野辺教授・・
「クソ教授は俺に、夢解に入って夢職として働けって言ってきたよ。最初は、ツバ吐いてやったけど、あんまり真剣な顔して何度も言ってくるから・・徐々にあいつの目を見るようになった」
あんなに真剣に、自分と向き合ってくれる人に初めて会ったんだ。
いつも独りで、ここにいるのに誰も気づいてくれない。俺は、そんな存在でしかなかったから・・。
「淑、人生はやり直しがきくんだよ」
だから、俺の名を呼び、そう言ってくれた野辺に・・ついて行くことにしたんだ。
「あの・・烏は・・」
ミウミが恐る恐る尋ねる。
「あいつは、夢解を脱獄した。そして、クソ教授に寝返った俺を、今でも恨んでんだよ」
淑が、どこか遠くを見つめている。その目はどこか淋しそうで、まるで涙を堪える子どものようだった。
「ミウミ、お前にも同じことを言おう」
淑は咳払いした。
「人生はやり直しがきくみたいだ・・だから、やり直す気があんなら、ここでやり直せ」
淑の顔が赤く見えたのは、気のせいだろうか。
「先生、私、ここにいていいんですか?」
「・・俺は反省しろって言ったんだ。辞めろとは言ってない」
ミウミはそれこそ子どものように、大泣きした。
「第一、お前がいなきゃこの事務所がゴミ屋敷になる」
掃除係でもいい、ここにいたい。もっと一緒に、色んな経験を積みたい。
いつか、立派な夢職になるために。
「あ、ありがとうございます!!」
「分かったから泣き止め!うるせーんだよ!」
「先生、私、一杯一杯、頑張ります!!」
素直に泣ける、こいつが羨ましい。素直に笑える、こいつが羨ましい。初めて会った時、その真っすぐな瞳に俺は、自分にないものを感じた。
ミウミ、お前は大丈夫だよ。いつか立派な夢職になれる。お前は、俺とは違う。愚かな俺とは違うから・・。
いつか、全てを話せる時がきたら、何もかも、お前の前でさらけ出していいか?そしたらお前は、俺のことを受け止めてくれるか?
揺らぐことのない真っすぐな瞳で、俺を見てくれるか・・?
・・どうやって終わらせよう・・