第一章完 曇り続ける女達
パチリと女神ルシールが瞼を上げ目覚める。
仰向けで寝ていた筈なのに、なぜか布団を丸めて抱き着いているのは最近よくあることで、環境が変われば寝相も変わるのかと、妙な感心をしていた。
「あの寝汗はなんだったのかしら?」
ベッドに汗の跡がないことを確認したルシールは身支度を整え、いつも通りの祈りの時間を迎える。
(なんだか、より神のご意思を感じるような気がする……)
跪いて祈るルシールは、世界を照らし始めた太陽に表現し難い大きな感情を抱き、その温かさに触れている気がしていた。
これを彼女は神の意思や存在を理解したからだと解釈したが、実際はその真逆の小僧だ。
「あ、あら?」
そんなルシールが制服に着替えようとしたとき、胸に少々の窮屈さを覚えて固まる。
これは彼女の人生でよくあることのため、あまり気にする必要はないのだが……。
「……」
「……」
「ど、どうしたのかしら?」
食堂で会ったレア、リズベットの視線がルシールの胸に集中し、次に自分のものと見比べた。
「まだ私達も未来があるよねリズベット」
「はい」
勝手に敗北感を覚えているレアとリズベットが、互いを励まし合うが聖勇者の方はまだ希望が持てる。
聖女の方は残念ながら、すとーん。と音が響きそうな体型だった。
「そ、それより、リズベットは食べるようになったわね。少食だから心配してたのよ?」
「私も思いました。いやあ、よかったよかった」
「必要な栄養を摂取しないと力が上手く使えません」
ルシール、レアがリズベットの食事を覗き込んで安堵の言葉を漏らす。
パンの欠片とサラダで生活していたような聖女は、癒しの力を連発するには体力が足りないと痛感し、徐々にではあるが食べる量を増やして、魚や僅かな肉も口へ運ぶようになっていた。
「皆さん、よく怪我をされますし」
「そうね」
リズベットにルシールが頷いた。
基本的には戦略や軍の運用を学ぶ上位貴族に比べ、下位の者達はリズベットがこんなに毎日怪我をしているのかと思うほど生傷が絶えず、それに応じる聖女の力も入学前に比べると格段に上がっていた。
「あ、そうだ。噂通り朝も走ってましたよ。それもかなり」
「まあ」
レアが口を開くとルシールが目を見開く。
子爵や男爵の子弟たちが、朝早くから走っているという噂がレアまで届き、こっそり様子を見に行ってみると、賑やかに馬鹿騒ぎしている若者の集団がいた。
そして、彼らの普段の運動量を知っているルシールは、あの特訓をしているのにまだ朝も走っているのかと驚いてしまった。
(なんか、ああいうのに憧れちゃうなあ)
どちらかというと男性的な感性を持っているレアは、ワイワイガヤガヤと話しながら走る一団に羨ましさを感じていたが、流石にそれは口にしなかった。
(それにこっそり見てる子もいたし)
なおレアが見たところ、木で隠れているつもりの令嬢が、男たちの友情に熱い視線を送っていたため、その内いい関係になりそうな者も出てくる可能性があった。
なお、三人が男の話をしていたら止めるべき侍女たちは、それぞれの所属先から様子を見るとの指示を受けており、歯がゆいながらも見守ることしかできない。
なおなお、伯爵や公爵の子弟たちは、高貴なルシールたちが下位の者に交じることをよく思っていなかったが、実際の戦場では上位の子弟たちが後方。ルシールたちが前線という現実は変わらず、こればかりはどうしようもなかった。
「それでは準備しましょうか」
「はい」
ルシールにレアとリズベットが頷く。
食事を終え、再び身を整えた彼女たちは妙に軽い足取りで、多くの者が下賤と呼ぶ者達に合流するため歩く。
「よろしくお願いします!」
そしてひと際大きな声に出迎えられた。
(ああ……どうしてなのでしょうか……)
ルシールは誰にも言っていないが、この大きな声の持ち主に心を動かされてしまう。
温かく心を埋められ、今すぐに抱きしめて溶けてしまいたい。そんな誘惑に駆られるのだ。
それと同時に……被虐の欲求が高まっていることには気づいていない。
這い蹲って縋りつき、ねじ伏せられたい。
押さえつけられて、女として実った全てを貪られたい。
理由も分からずそんな欲求に気が付けと言うのは無理だ。
気付けるのは唯一、夢の中だけである。
一日を終えたルシールが落ちていく。
油断があった。
最近は確かに触手たちの侵攻は無かった。
だがそれは、終わりを意味するものではなかった。
「どうして⁉ そんな! また⁉」
夢の中で目覚めたルシールの前で炎と触手の巨人が激突していた。
『こんな化け物がいるなんて道理で連絡が付かないはずよ!』
『こんなイケメンがいるなんて想定外かー!』
触手のくせに女性のような声が、想定外の怪物を罵る。
ただ、戦略的には触手が勝利していた。
『私を止めて女神を助けても、他の二人はもう手遅れよ!』
複数の触手が面倒な迂回を行ないレア、リズベットの精神に個々の攻撃を行なっているのだ。
これではルシールを助けたところで、二人の精神に致命的な穢れが生じてしまうだろう。
炎がまともだったらの話だ。
『あっそう! 知らねえみたいだけど別の俺二人がやり合ってるんだわ!』
『は? 別の俺?』
『魂を三分割しちゃいまーした! ここにいる俺は三分の一イケメンボーイだ!』
『は……は?』
愉快気に笑う炎に触手が絶句する。
魂を裂いて三分割にした?
それはもう、手段や方法ではない。自殺だ。
酷く単純な生物の体ならそれでも問題はないだろうが、魂とは存在の核になるものだ。それを三分割して、再びの結合を行なったとしても、割れたガラスを綺麗にするのが不可能なように、不可逆の変化を齎す。
ガチガチと打ち鳴らされる歯の音に、ルシールは気が付いていない。
零れそうなほどに見開かれた目も、真っ青な肌も、へたり込んでいる自覚すらない。
「嘘。駄目。いや、そんな。駄目。駄目です」
ルシールから意味がない単語が漏れる。
魂を裂くなど、いったいどれほどの痛みか。
腕や足を削るのではない。己という存在。例えるなら全ての細胞に、脳が許容できない痛みを同時に与えるよりも酷く、それならまだ拷問の方が余程マシな行いだ。
なのに炎はルシール、リズベット、レアを取りこぼさないために強行した。
『く、く、狂ってる! お前は狂ってる!』
『いいやおれぁ正気だとも! 正気でキレてんだよ!』
人知を超えた触手から見ても、炎の行いは狂気を容易く飛び越えた愚か者だが、炎の意見は違うらしい。
『俺の目の前で、恋して、愛して、結ばれて、子を産んで、老いて死ぬ! そんな! 当たり前のことを! 邪魔して! キレねえと思ってる方がお笑いだ! ああそうだろう! その原因をぶっ殺せるなら、粉微塵になろうが引き裂かれようが些細な問題だ!』
『た、魂なんだぞ⁉』
『論ずるに値せず! 語るに及ばず! おれぁおれだぁ! 過去も、今も、そして先も! 揺るぎなし!』
怒り狂う炎が猛る。
突き詰めるとそこなのだ。心底気にいらないから猛るのだ。
「ひいいいいいいいいいいいいいい!」
『千億千里に轟き渡れ! 彼方那由他を照らし尽くせ! 』
狂乱して顔を掻きむしるレアの前で。
「やべでえええええええええ゛え゛え゛え゛!」
『神よ照覧あれ! 我が原罪! 我が怒り! 我が儘に!』
泣き叫ぶリズベットの前で。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいいいいいいいい!」
『憤怒の炎を見るがいいいいいいいいいいいいいい!』
断末魔のような声を漏らし手を伸ばしたルシールの前で。
炎が炸裂した。
救済記は始まったばかり。
第一章、いかがだったでしょうか?
流石に曇らせ成分過多だと胃もたれするので、二章からはマシになっていくと思います。というか作者の胃がヤバイ(*'ω'*)
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