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プロローグにして少し先の話 裏 無限の罪

「んー……!」


 聖勇者レアがベッドの上で起き上がると背筋を伸ばして呻く。

 神から祝福されたかのような美貌と短い金髪が朝日に照らされ、碧眼は宝石のような輝きを宿している。


「……お父様にも困っちゃうなあ」


 立ち上がったレアがちらりと机の手紙を見ると苦笑した。

 すらりとした四肢。中性的で非常に整った容姿のレアは公爵家の生まれで、公爵令嬢の立場だ。

 しかも世界で最も尊いと呼ばれる称号の一つ、【聖勇者】を得ているのだから、その政治的な価値は計り知れない。

 結果的にレアの父から送られてくる手紙には、絶対男と軽い仲になるな。という念押しばかりになる。


(王家と光の灯教が綱引きしてるから、お父様でも身動き出来なくなってる証かな……)


 レアは自分の置かれている状況をそこそこ客観的に把握できていた。

 レーオン国王家としては、聖勇者の称号を持つレアを血筋に組み込みたい。しかし権威の面では時として王家の上を行く光の灯教に言わせれば、レアに清い身でいてもらいたいため、学院が誇る三大美女を巡って様々な綱引きが発生していた。


「ま、その点に関して言えば気にしてもしょうがないよね」


 レアはあっけらかんとした表情で身支度を整える。

 王家に嫁ぐか、光の灯教の看板になるか、はたまた全く別の選択肢が浮上するのか、レアには分からない。

 ただ、大いなる称号を持って生まれた以上は、自分の意思で将来を決められないことだけははっきりしていた。


「おはようございますお嬢様」

「おはよう」


 レアの髪や服を整える侍女だってその檻の一つだ。

 普段から彼女の周囲にいる公爵家の侍女の前で、特定の男と必要以上に接したなら、直ちに実家に連絡が送られて、どういうことかと叱責の手紙が。あるいはレアの親族がすっ飛んでくるだろう。

 立場に相応しい大きな寝室のベッドを整えている侍女は、レア以外の髪や妙な液体がないかを確認しているほどだ。


「お供させていただきます」

「うん」


 それはレアが学院内の私室を出ても変わらない。

 待っていた貴族令嬢たちは、レアの実家の派閥に属していて、その上下関係に従い彼女の周囲を固めていた。

 そんな一行が向かうのは伯爵家以上の上澄みが食事を行なえる、どこぞの貧乏男爵家の三男が立ち入ることなど絶対に無理な食堂だ。


 そこでは選び抜かれた侍女や給仕が忙しなく、それでいて気品を崩さずに動き回り、王国が誇る料理人達が昼夜を問わず働いていた。


「あ、リズベット」


 食堂に足を踏み入れたレアは、一応食堂らしい長い机が置かれていながらも、基本的には集団でお喋りをしながらの食事を想定されていない場で、友人を見つけそちらに近寄る。


「おはようございますレア」

「リズベットもおはよう」


 中性的な聖勇者レア、慈母のような女神ルシールに比べて、聖女リズベットは可愛らしい少女だ。

 平均よりかなり小柄。月光を集めて編んだかのような、銀髪のロングツインテール。ルビーなのではないかと錯覚する赤い瞳。陽の光とは無縁な白い肌。

 その全てが作りものめいた美しさを強調し、女性としての起伏が乏しいことも合わさって人形のようだと、人々に強く印象付けてしまう。


「相変わらず少食だね。それでお昼まで持つんだなーって感心しちゃう」

「何事も求めすぎるのはよくないです」


 レアが呆れと心配するような声音になったのは、リズベットの食事が欠片のようなパンと僅かなサラダだけだったことが原因だ。

 今時珍しい、光の灯教の教えを順守している枢機卿の娘として生まれた彼女は、いい意味でも悪い意味でも正しい聖典の教えを受けた。

 そのため聖女としての看板通りの清貧さが身についているリズベットは、父以外の枢機卿達はどうしてあんなに太っているのだろうと疑問を持ちながらも、汚い裏側を知らずに育ってきた。


「お昼は一緒にお茶を飲もうよ」

「いいですよ。ルシール様もお誘いしてみましょう」

「うん、そうだね」


 レアの誘いに、美麗ながらも若干冷たいリズベットの声に感情が乗る。

 光の灯教にとって幸運なことに、最も尊いとされる称号持ちの三大美女は馬が合ったのか仲が良く、私的な時間を共有できる関係だ。


 ちなみに、公爵や王族の嫡男がなんとか潜り込めないかと狙っているお茶会だが、流石に女性だけの集まりに入れてくれないかというのはマナー違反のため、男性が参加できた事例は存在しない。


 場面は変わる。

 学生でもあるレアたちは、実家では派手に行えないことも学ぶ。

 その一つが戦争や戦闘に関することだ。


 悪魔や怪物が蔓延るこの世界では、軍が動員されるのもそう珍しい話ではなく、場合によっては国家と光の灯教が協力した聖なる大軍勢だって編成される。

 故に同年代が集まり軍事的な教育を受け、次代の仲間達は何が出来て何が向いていないかを知る必要があった。


 これまた余談だが、どこぞの三男坊のような末端も末端で、果たして貴族に分類していいのか疑問を感じるような者は前線の指揮官として教育される。

 そのため軍を率いる大貴族や、旗頭として機能するレアたちとは完全に分けられており、こういった場でも接点が皆無だった。


「今日は実際の戦闘だ。君達が前線で戦うとすれば、最後方が前線になっている。つまりは明らかな負け戦だな」


 ただそれでも、大貴族だろうが戦場にいれば戦う機会なんてものはどこにでも転がっているため、想定しない訳にはいかないらしい。


「悪魔や反逆者連中に、いや、自分は指揮官なので勘弁してくださいと言ったところで、笑われるだけだ。そうならないためにも【騎士】や【戦士】の称号を持っている連中と同程度……までは求めてないが、それでも最低限度の自衛力を身に着けろ」


 長く学園で教官をしている五十代程の男が、あえて身分に従わない口調で学生達に話す。

 話すのだが……特殊過ぎる存在のせいでかなり困っていた。


「早速だが、聖勇者の力を見せてくれ」

「はい」


 その特殊、レアが教官に促されて前に出る。

【騎士】などを筆頭にして戦う能力を底上げする称号は数多く存在する。

 だからこそ最も強力な称号と評される聖勇者が与える力は莫大で……。


「あ、駄目だわこれ」


 教官の言葉が全てだ。

 レアが何処からともなく現れた黄金の剣、盾を握り、宝石付きの冠なのか兜なのか判別が難しい物を被る。

 それに胸部を守るこれまた黄金の装甲に、華麗な籠手も身に着けている姿は神話に語られる戦乙女のようで、異様な力も渦巻いていた。


「なんの戦闘訓練もしてない令嬢が、五徳か六徳並みの威圧感を発するだって……?」

「聖勇者の称号がヤバすぎる」


 渦巻く力に教官たちが呆れを含んだ声を漏らす。

 称号を持つ者の戦闘力を大雑把に分類する指標として、徳級という言葉が用いられる。

 一徳が最下位で、そこらにいる単なる成人男性が大体の基準だ。そこから二徳、三徳と上がっていき、四徳が鍛えた常人の限界値。最上級の七徳に至っては戦略級の決戦存在として扱われる。

 だからこそ、公爵令嬢で戦闘経験なんて存在しないレアに、上澄みの力を与える聖勇者の称号は最も力強いという評価が相応しいだろう。


 一方、悪魔や怪物などは罪という単語に変わり、歴史を紐解けば七罪級と称される怪物がいるし、伝説や伝承を信じるなら八罪や九罪と呼ばれるに相応しい者が存在していた。


「七徳級は無理でも、なんとかして六徳の奴を連れてこないと、教えることなんてすぐになくなるぞ」

「分かってはいるが難しいんだよ……」


 栄光あるレーオン中央学院の教官は常人の限界値を超えた五徳級が揃っている。それだって凄まじい武闘派集団なのに、聖勇者の称号を持っているだけの公爵令嬢が巻き起こす力に圧倒され、より上位の者を招く必要があると囁き合う。

 しかし六徳クラスは一つの方面の総大将だったり、なにかしらの組織で総責任者を務めるような重鎮ばかりで、気軽に呼べるような者達ではない。

 最上位、七徳に至ってはそれ以上だ。


「あぶねっ⁉」

「一か月位は教えることもありそうだけど、それ以上になると……自信無くすよ……」

「だな……」


 とりあえず正面での出力を確認しようとした教官が、素人に近いレアの一撃で吹き飛ばされかける光景は、教官のみならず生徒全員に憧れと少量の呆れを宿させるには十分だった。


「と、いうことがあったんですよルシール様。なんか、ドン引きされちゃった感じです」

「ふふ。私も似たようなものだから安心して」

「同じく」


 当の本人も自覚があったようで、授業にもなっていない時間を終わらせたレアが、お茶会でへこんでいると、同じ経験をしたルシール、リズベットが頷く。

 光の灯教の開祖の血が流れるルシールは、レアやリズベットよりも上位の立場かつ、称号の【女神】も【聖勇者】と【聖女】を束ねることになっているが、友人として接されることを望んでいた。


(本当はもっと、砕けた関係の方がルシール様も喜んでくれるんだろうけど……)


 それはレアの方も同じだったが、彼女は彼女で公爵令嬢という下位の立場がある。

 あるいは、女としての尊厳を全てはぎ取られた果てに、立場を超えた真の友情と錯覚したものを見つけられたかもしれないが、その定めを台無しにする異物が紛れていた。


「ですがこれで悪罰を退けることが出来ます」

「そうだね」


 リズベットの言葉にレアが同意した。

 称号は修練という徳を積み重ねることによって強化されるが、悪逆を働き罪を重ねることによっても強化される。

 その場合は称号ではなく罪業と呼称され、六罪や七罪級なんて存在は、まさしく罪の化身としか表現しようがない者で、誰かが打倒しなければ平和な世は常に脅かされ続けるだろう。


「平穏のために、徳を重ねましょう」


 ふんわりとルシールが微笑む。

 長ずれば伝説の八徳級にも届きうる称号を持つルシール、レア、リズベットは人界の守護者になることを宿命付けられていた。

 だからこそ、物質ではなく精神を狙われたのだが。


「ふー……」


 夜も更けると、レアは自室で大きく息を吐く。

 常時侍女が傍にいて、令嬢に囲まれ、ひょっとすると婚約者候補になるかもしれない男性陣から視線を送られるのだ。

 神経を尖らせるなと言うのは無理な話で、就寝前の僅かな時間が唯一気を抜ける瞬間だった


(実家よりはマシだよね……)


 そんな心休まる時間に、レアは余計なことを考えてしまう。

 実はこの聖勇者の兄達はレアが女のくせに自分たちを蹴落として、公爵家を乗っ取るのではと酷く警戒していた。

 そのためレアは実家で非常に肩身が狭く、場合によっては兄達に売り渡される世界線も存在しただろう。


(寝よう……)


 現実逃避気味なレアの意識が落ちていく。

 ゆっくり。

 だが確実に。


「え?」


 自室で眠っていた筈の自分が、奇妙な場所で立っていることにレアは驚きの声を発した。

 黒と白が入り混じり、花が咲いては枯れ、また咲き誇る。

 曇り空かと思えば晴れ、次の瞬間には大雨が降り注ぐような不可思議な空間は、常人ならただひたすら困惑するだろう。


「せ、精神? 夢の世界?」


 ただ、様々な知識に触れられる立場のレアは、ここが極少数の賢者が語る精神の世界。あるいは夢の世界と呼ばれる場所ではないかと気が付き、自身に感触があることで確信していく。


「ルシール様⁉ リズベット⁉」

「レア⁉」

「いったいなにが……?」


 更にこの場にはレアだけではなく、いつの間にかルシールとリズベットの二人も地に足をつけ、不可思議な空間で再会してしまう。


「ここは……ひょっとして夢の世界?」

「自分もそう思いますルシール様」

「私もです」


 ルシールもまたここが夢の世界ではないかと思い、レアとリズベットが頷く。

 分からないのは、なぜ三人揃ってこんなところにいるかだ。


「なにかを為せという、神のご意思なのでしょうか……」


 強力な称号はあっても実戦経験などないルシールが、陰謀ではなく神がなんらかの使命を与えているのではと考えた。

 しかしそれにしてはなんのヒントもなく、彼女たちは立ち尽くすことしか出来ない。

 いや、彼女たちが神の守護として認識できるものがあった。


「これはなんでしょうか?」


 少し歩んだリズベットが、果てしなく奥へ続く精神世界と自分達を隔てるように、目に見えない壁があることに気が付き、手でそっと触れる。

 それは温かな光を宿しているようにも感じられ、大いなる神の意思が介在しているのではと思われた。


 更にもう一つ、明らかな異変があった。


「彼は……」

「ふーんふーん、ふふふーん」


 少し離れた場所で気楽に鼻歌を歌っている、学院の制服を着た男。

 短い金髪で目つきが悪い碧眼。中肉中背。覇気どころかこの場への驚愕もなく、自然体。


「聞こえますか? あの、聞こえますか?」

「誰でしょうか……制服を着てるので学院の生徒ではある筈だけど……」

「私にも覚えがないわ」


 リズベットが問いかけても反応はなく、レアとルシールは見覚えのない男子生徒に首を傾げる。

 男性との交流が限られている彼女たちに、伯爵家以下の生徒が近寄れば即座に排除されるだろう。ましてやそれが、貧乏男爵家の三男になれば、そもそもの環境からして見ることがない。


「役立たずな神様ー! あちこちでイチャイチャしてるんですが、僕には彼女紹介してくれないんですかー⁉」

「えっ⁉」

「ま、まあ……」


 突然叫んだ男に、リズベットとルシールはぎょっとする。

 叫んだことに対してではない。これほど俗なことを、大声で叫んで神に祈る者がいると思っていなかったため、珍獣を見たような気分になってしまった。


「っ⁉」


 そんな時だった。

 世界がギシリと軋む。罅割れる。

 うねうねぐねぐねと、悍ましい触手が零れ落ちるように精神世界へ侵入を果たす。


「ひっ⁉」


 それを見た時、女達は短い悲鳴を漏らす。

 目も口もない触手の集合体だが、彼女たちは確かにそれに見られたと認識し、邪悪な意思に絡みつかれたと思った。

 そして直接ソレを見たことはないが、触手の形状から何を目的にしたモノかを本能的に察し、思わず後ずさる。


「君、なんか色々と違くない?早いのは色々嫌われるらしいんだけどぼべっ⁉」


 その恐怖は別の衝撃で上書きされた。

 どうしてここにいるか分からない男がなにやら呟くと、上半身と下半身がいきなり断たれてしまう。


(し、死んだ? 今、目の前で?)


 レアの心が現実を認識し始めた。

 精神世界で形がバラバラになれば魂の死が訪れ、肉体が目覚めないのは容易に想像できる。


「この壁はいったい⁉」


 ルシールが女神の力で男の命を繋ぎとめようとするが、不可思議な壁に阻まれ先に進むことが出来ない。

 つまり彼女たちは人の死に初めて直面する……筈だったのだが……。


「てめえ何処出身だゴラァ! 俺が相手じゃワレェ! ごぼっ⁉ごっ⁉ ぎいっ! んがっ!」

「っ⁉」


 即座に復活した男が縦に裂かれ、叩き潰されるとリアの顔が恐怖で引き攣る。

 更に、果たして本当に精神的な物だけで成立しているか疑わしいこの世界で叩き潰された男は、赤い血煙となって内臓、骨を飛び散らせる。

 ぐしゃりぐしゃり。

 ぐしゃりぐしゃりぐしゃり。

 何度も何度も何度も何度も何度も。


「あ、あ……」


 触手の集合体は満足したのだろう。

 意識をリアたちに向けると、彼女たちは今までに感じたことがない悪寒に身を震わせる。

 触手の狙いが彼女たちなのは間違いがなく、顔もないのににたりと笑った雰囲気を醸し出して、嗜虐的にゆっくり動き出す。


 触手の足元で大きな爆発が起こった。


「じ、じ、自爆術式?」


 その爆発の構成を読み取れたリズベットが、青白い顔と血色のない唇を震わせる。

 魂が剥き出しになっているとされる精神世界で、自身が木っ端微塵になるような自爆を行なうのは正気や狂気を語る以前の問題だ。


 それにもう触手の集合体はレアたちに近寄っているのだから、男がわざわざ自爆する必要はない。

 たった一つの場合を除いて。


「だ、駄目! 止めて! やめてよおお!」

「やめてください! お願いします!」

「どうかおやめください!」


 レア、リズベット、ルシールは思考が纏まらないまま触手に訴える。

 彼女たちが話しかけても男は反応しなかったのに、触手が近寄ったら自爆したため、レアの中では疑問と推測が渦巻く。


「どうしたのかなぁ? 俺の勝ちでいいぃ? じゃあ俺の勝ちー! 一生、人間種に勝てなかったって、お仲間に後ろ指差されるといいさ! わはははははばぼぼぼ⁉」

「くすくす。ぼぼっ! くすくす。んぼぼぼぼっ! おかしいなあ。んぼぼぼおおおお! 精神世界なんだぜ? ぼおおおおおおお! 疲れる肉体なんてないのに、どうして勢いが弱まってるのかなあ?」


 精神世界が揺れるほど叩き潰され、へしゃげ、飛び散り、そしてまた自爆する男が笑う。

 砕ける。血飛沫が舞う。

 想像を絶する、表現し切れない激痛の筈だ。

 それなのに男は笑い続ける。


「あはっ! あははははっ! ははははははははははははははははははははは! もしかしなくても馬鹿だろお前! あははははははははは!」

「ひょーっとして正義の心とか、大義とか、神のご意思がどうのこうのとか思ってた感じかい⁉ 俺が⁉ まさか! そんな訳ないだろ! 神が俺に語り掛けたなら、もう少しまともな手段を教えてくれただろうさ! 傑作だ! 貧乏男爵家の三男の俺に、神が寵愛をくれるってか⁉」

「私心さ! 我欲さ! 王子様とお姫様が幸せなキスをして、めでたしめでたし! を見たいだけの観客だ! ついでに舞台に上がろうとしてる隣の迷惑客を抑え込んでるだけのなぁ! ま! なんなら三大美女の顔すら知らねえけどよ!」


 レア、リズベット、ルシールの体がびくりと震える。

 三大美女という呼称は知らないが、確かにここには三人の女がいた。

 疑問が確信に変じる。

 名前すら知らない男は、自分たちを助けるために叩き潰され、自爆しているという確信に。

 だが理由については未だに半信半疑だ。

 果たして、たったそれだけの理由で魂が砕け散るような真似を何度もできるのだろうか。


「それ以外になにがある! 綺麗に輝いているであろう人に、汚物を投げつけようとする奴が隣にいたら、誰だって阻止するだろう! たったそれだけの話が何故分からないのか理解に苦しむ!」

「出来るのにやらねえなら生まれた意味がねえだろうがよぉぉおおお!」


 その理由を叩きつけられ、先程以上に女達の体が震えた。足が覚束ない程に慄いた。

 反応からして男がレアたちを認識していないのは明らかだ。

 ならば今の彼は、誰も知らないところでたった一人、たったそれだけの理由で奮闘しているのだ。


「天地よ宙よどこにもない狭間よ! 俺ぁ退かねえぞ!」

「人が嬲られ、弄ばれ、尊厳の全てを捨てさり、苗床に堕ちる様を見たいか⁉ いいや、否! 断じて否! 許すまじ!」

「我こそが妄執にして我欲の化身! 妄念にして背徳の灯!」

「そもそも誤っているのはこの世界なのだ! 恥じろよ神! どうしてたった三人ぽっちを救ってやれない! 故に背く! 反する! 抗い続ける! 定めよ燃、え、ろおおおおおおおおおおおおおお!」


「いやああああ⁉」


 思わず女達は叫んでしまう。

 その言葉は光の灯、神への呪言に他なく、文脈を読み取るにレアたちを救うために己の全てを捨て去ろうとしている。

 だが、だがである。

 破門がイコールで死を意味するような時代に、人種が神の加護に縋るどころか役立たずと罵り、背を向け、反し、抗うなどと宣言した上で、神が敷いた運命すら燃えよと宣言するのは、死よりも恐ろしい罪を背負うことに他ならない。

 誰のため?

 他でもない彼女達のために。


「あ、あ、あ、あああああああああああああ⁉」


 今にも顔を、喉を掻きむしりそうな女達は理解してしまった。

 どこまでも赤く、赤く、赤すぎる真紅を纏った男は、自身の魂を燃料としてくべているのだ。


 魂の消費は定命が絶対に行わない最大の禁忌で、大逆中の大逆。悪逆中の悪逆を成した者ですら悍まく感じ、そして反動が恐ろし過ぎたが故に慎重に慎重を重ねるか、そもそも行わない。

 物質界で死ねば魔力と大自然の中に還り、永遠不変の一部に戻ることが出来る。しかし魂を燃料にして炎と化せばそれすらできなくなり、待ち受けているのは存在としての完全な死。無だ。

 そして一説によれば、魂にほんの少しでも欠損が生じれば、全身を八つ裂きにされるよりも酷い、最早痛みを通り越したものに襲われ、正気を失ってしまうと語られている。


 だからこそ魂を消費するのは桁が、次元が違う。

 一秒、一瞬、瞬きの間にも魂が削り取られ、筆舌に尽くしがたい激痛を感じ、無へ一直線に走るのはどんな聖人にだって不可能な筈だ。


 なのに、なのに、なのになのになのになのにそれすら容易く飛び越えた。


「パウワァーーーーーー!」

「あああああああああああああ⁉」


 伸ばしたるルシール達の手は届かない。

 全くぶれていない。小動もしていない男が、定命どころか神すら想定していない領域を犯す。侵す。冒す。


 精神世界において己の姿は絶対だ。

 核であり、枠組みであり、存在そのものだ。

 それが変じるのは、物質界における変装や整形と同列に語れず、魂と根幹の変質。完全に別の存在への変貌を意味する。

 己が己のまま死ぬなら誰もが本望だろう。

 だが精神世界で姿形を変えてしまえば、今までの自分を捨て去った別の誰かになり果てるのだ。


 それなのにそれなのにそれなのにそれなのにそれなのに。


 肉が、骨が、神経が、目が、内臓が、魂が燃え上がる。


 大きさは精々小山程度だが、魂を消費し続け肉体すらも捨て去った存在の密度は定命どころか、触手の集合体にすら恐怖の一言で、明らかに神の領域に踏み込んでいた。

 そう、最早……人ですらなかった。

 人知を超えし炎の魔()がそこにいた。

 溶岩すら矮小極まる。

 禁忌すらも生温い

 あれこそは万が一にでも現実世界に顕現すれば湖は一瞬で干上がり、石ですら燃え尽き、様々な防御手段が組み込まれているレーオン国王都が灰燼に帰す最も新しき魔神。

 炎王なり。


「ひっひっひっ⁉」


 レアが精神世界なのに過呼吸のような反応を示すのも無理はない。

 これでは触手が彼女たちを弄ぶことも単なる遊びのような陰謀で、人の形をも捨て去り変貌を遂げることに釣り合いが取れていない。

 なるほど、確かに光の灯教の教皇や枢機卿なら、女神達を救うための聖人的行ないだと対外的には公表するだろうが、それでも内面ではそこまでするかと、出来るものなのかと絶句する暴挙を超えた暴挙なのだ。


『!』


 昨日を捨て、今日を捨て、明日を捨て、命を捨て、魂を捨て、尊厳を捨て、存在そのものを捨てなければ至れるはずがない、炎王が声なき声で吠えた。

 しかもなぜ自分がという悲哀も、恨みも、後悔もない。

 何処までも気高く透き通っている炎が一つの“世界”を照らす。


「ああああ神よ神よ神よっ!」


 どれだけルシールが神に男への慈悲を願っても、賽は既に投げられている。


『3jhj297u:9-vosapijeurt:g32uosda⁉』


 一握りの怪物でも、近寄っただけで丸ごと焼却しかねない炎王の至近距離にいて、まだ悲鳴を漏らす余裕があるのだから、触手の集合体はあらゆる者から絶賛されるだろう。

 ただそれだけだ。

 反撃など考える余裕はなく、必死に耐えるだけの肉塊と化す。

 一方の炎王は自身をさらに圧縮して拳を作っていた。


「ひいいいいぃぃぃぃ⁉」


【聖女】リズベットの喉から情けなくも悲痛を極めた悲鳴が漏れる。


 炎王の圧縮に圧縮を重ねた拳は定命の物差しから完全に逸脱していた。

 物質界で無理矢理例えるなら、見上げるような大男を掌サイズにする凶行だ。

 それをむき出しの魂で行なおうとすれば、悪魔を含めた全てが泣いて慈悲を乞い、どうかそれだけはしないでくれと縋るだろう。


 その凶行を炎王は己に実行する。

 悪魔も、神も、魔王と呼ばれる超越者ですら、自身の魂をぎゅうぎゅうに圧縮して握りこぶしを作るなど、想像しただけで怖気が走るのにだ。


 結果、降臨したのは……万物尽くの破滅だ。


 世界よ見よ、聞け。

 後に精神世界の出来事を記憶できる極々限られた超越者が、ひょっとしてこの男の肉体が死ねば最悪の場合、()()が高いところから低いところへ水が流れるように、物質界に“流出”するのではと心底恐れることになる、太陽神の究極極限の滅殺光。

 炸裂。


 当の本人曰く、右ストレートは触手の集合体が出鱈目に展開した多数の防御概念を焼却しつくして直撃。

 人種では認識出来ない速度で本体も燃え尽き、炎の王の過剰攻撃で終焉した。


 それと同時にレアたちの精神世界は、幕が降ろされたと言わんばかりに暗くなり始める。


「ま、待って⁉ まだ駄目だよ! 駄目だってば! 駄目ええ!」


 レアが半狂乱で精神世界に叫ぶ。

 暗く、昏い世界で炎はどんどんと萎み、役割が終わったように消え去っていく。

 どう考えても幾度も潰され、魂をくべ、更には人の姿すら捨て去った名も知らない男が現実世界で無事だとは思えず、このまま精神世界が閉じれば、炎王は存在として終わるように思えた。


「出して! ここから出して!」

「どうして壊れないの⁉」


 リズベットとルシールが、自分達と精神世界を隔てるようなガラスの如き壁を何とか壊そうと試みるが、現実逃避に近しい。

 いかに女神、聖女の力と言えども馬鹿げた領域にまで至った炎の魂を補完するには全く足りず、名も知らない男は存在として終わるしかないだろう。


「アアアアアアアアアアアアアアア⁉」


 現に彼女達の見ている前で炎は火に。

 暗くなる。

 火は灯に。

 昏くなる。

 灯は種火に。

 黒くなる。

 種火は。

 消え失せた。


「んー……!」


 聖勇者レアがベッドの上で起き上がると背筋を伸ばして呻く。

 神から祝福されたかのような美貌が朝日に照らされ、碧眼は宝石のような輝きを宿している。


「ふーむ……」


 鏡で自分の姿を確認したレアは、自分の胸に若干の不満があった。

 聖女リズベットなら全く必要性を感じていない部位だが、平均的なレアは女神ルシールまでとはいかずとも、もう少し育っていいのではと思うことがある。

 なにせ中性的な美少女であるレアは、聖勇者の称号も合わさって偶に男性だと思われることがあり、一目で分かる象徴を欲していた。


「おはようございますレア様」

「おはよう」

「それではお手伝いさせていただきます」


 そんなレアの望みも知らずに侍女がやって来て、いつも通りの朝が始まった。

 いつも通りの。


 …………。

 ………。

 ……。


 パチリと火の粉が舞う。

 舞い踊り、狂いに狂った炎のほんの一欠けら。

 自我すらほぼない単なる火の粉。


 パチリと、チリチリと消えていく。

 こんな欠片には物質界に辿り着く資格がない。


 だから……。


 魔界第一層、煉獄地獄。

 八罪級魔王、純粋。完全戦闘態勢に移行。

 八罪級魔王、獄炎。完全戦闘態勢に移行。

 八罪級魔王、蜜花。完全戦闘態勢に移行。

 八罪級魔王、渇水。休眠状態解除。完全戦闘態勢に移行。


『!!!!!!!!!!!!!!!』


 赤い大地と溶岩溢れる悪魔達の世界に……。

 そこらの山よりも強大な炎が降臨した。

 推定罪級、()()。後の魔界公称、【殲滅太陽】進撃開始。


 ケイ・ウィンター。

【称号】

 狭間の夢追い人。

【罪状】

 天文学。

 物理学。

 原子論。

 進化論。

 地動説。

 非王権神授説。

 宇宙誕生ビッグバン説。

 etcetcetcetc……。

 無神論・神の否定。

【罪級】

 計測不可能。

【罪業】

 罪・創成譚(シン・ジェネシス)


 誰よりも、何よりも、異界の知識故に底なしの冒涜を重ねている、無限の罪の化身の火の粉が猛る。


 馬鹿が馬鹿やってた詳細なお話。

 多分、罪を重ねると強くなるファンタジー世界があれば、転生・転移者は記憶を持ち込んだだけで最強になれるはず。

 神が介在せずとも成立する世界の認知は、単なる神どころか創造神をも完膚なきまでに否定する大罪ゆえに。


 ちなみに馬鹿がどれだけアホやってるか地球基準で考えると、ヨーロッパ暗黒時代真っただ中に自分から棄教&無神論やら進化論を支持。

 世界の始まりは神じゃなくて火だ! って叫んで、復活するため遺体は残すものという価値観に逆らい、自身が燃え尽きてもいいからと、ガソリンぶちまけてファイヤーリンボーダンスしてるレベルの狂人。

 理由は見ず知らずの女の子を助けるため。


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