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【証拠はいらない】食べているときだけは

作者: Wataru
掲載日:2026/02/03

相談者は、四十代前半の女性だった。


 体格は大きい。

 服は地味で、色も形も目立たない。

 ただ――座り方だけは、妙に行儀がよかった。


「……食べるのを、やめられなくて」


 それが、最初の言葉だった。


「暴食、ですか」


「……やけ食いって言われます」

「でも……違う気がして」


 彼女は、視線を落としたまま続けた。


「お腹が空いてるわけじゃない」

「美味しいものを食べたいわけでもない」


 少し間があって、


「食べてるときだけ」

「幸せになれたんです」


 俺は、何も言わなかった。


「ブス」

「デブ」

「豚」


 淡々と、言葉が並ぶ。


「ずっと、そう言われてきました」

「学校でも」

「家でも」


 怒りはなかった。

 諦めに近い声だった。


「どうせ私なんて」

「何しても無駄で」

「笑っても、気持ち悪いって言われて」


 彼女は、膝の上で手を組み直す。


「食べてるときだけ」

「何も考えなくてよくて」

「……生きてる気がした」


 静かだった。


「痩せれば変わるって」

「努力が足りないって」

「みんな、簡単に言います」


 俺は、ゆっくり口を開いた。


「で」

「痩せたら、幸せになれるか?」


 彼女は、即答しなかった。


「……分かりません」


「だろ」


 それだけだった。


「聞くぞ」

 俺は続ける。

「食べるのをやめたら」

「今、何が残る?」


 彼女は、しばらく黙っていた。


「……何も、ないです」


 それが、答えだった。


「やけ食いじゃないな」


「え……?」


「生き延びるための方法だ」


 彼女の目が、揺れた。


「満たされる場所が」

「そこにしかなかった」

「それだけだ」


 責める必要はなかった。

 直す話でもなかった。


「いきなり、やめなくていい」

「奪うな」


「……じゃあ」


「減らすとか」

「我慢するとか」

「そういう話じゃない」


 俺は、机に指を置いた。


「他に」

「幸せになっていい時間を」

「一つ、作れ」


 彼女は、戸惑ったように俺を見る。


「食べる以外で」

「安心していい時間だ」


「……そんなの、ありません」


「今はな」


 それだけだった。


 長い沈黙のあと、彼女は小さく言った。


「……証拠」

「いりませんでしたね」


「ああ」


「私」

「ダメだから食べてたんじゃなくて」


「生きてた」


 彼女は、そう言って立ち上がった。


 来たときより、姿勢が少しだけ楽になっていた。


 ドアが閉まる。



 事務所に静けさが戻る。


 相棒が、ぽつりと言う。


「……食べるしか、なかったんだね」


「そうだな」


 窓の外を見ながら、俺は思う。


 幸せになれた時間を、

 責める必要はない。


 生き延びてきた証拠に、

 理由はいらない。


 だから――

 もう、証拠はいらない。


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