第7話 白律院の呼吸
星定学園の食堂は、どこか浮ついている。
俺と神楽坂がのめり込んでくるこの場所は、治療の場というより癒しとも違う、スピることを前提にした発散専用スペースみたいな空間だ。
「……そうだろ、神楽坂」
「いや高瀬くん、勇者よ。今まさに次元上昇が始まっていて高次の存在が動いているんだよ。
ノードブレーカーより強くなるには、今は波動が合っていないだけ、単にエネルギーが重いんだ。集合意識がまだまとまっていない」
「いや神楽坂、それ高次の問題じゃなくて俺の問題だろ。とりあえず落ち着け」
「カルマが解消される前兆だよ、高瀬くん。君は流れに乗るだけでいい。本来の自分に戻るだけでいいんだ。勇者、信じれば現実は変わる」
「ああ、信じれば……正解の道ってやつか」
俺は呆れ半分で神楽坂の話を聞いていた。
「勇者に提案がある。魂レベルで合意するために、儀式をしよう」
「儀式ってなんだよ。また座禅とか言い出すんじゃないだろうな」
「違う。今は学びの最中だから、師匠に会いに行くんだ」
「……師匠?誰だよそれ」
「私の師匠。息のない星人だ」
出た。神楽坂お得意のスピ師匠ルートだ。
俺は今まで何度もこの流れに乗ってきた。
そして毎回、こう思ってきた――
何も変わらないなって、でも今回は違う。
「……俺が変わってやる」
神楽坂が「お、勇者やる気じゃん」みたいな顔でこっちを見てくる。その鼻の下が伸びるのだけは、やめてほしいと思った。
ーー白律院
ここは外界から決して侵入できない機構に囲まれた、隔絶の領域。神楽坂セラが生まれ育った永遠に続く名家。神楽坂の先祖は白律院であり、代々皇族に連なる血筋、かつては皇女と呼ばれる存在もいたという。
屋敷の中では下女たちが床を磨き、空気のように音も立てず動いていた。清掃、給仕、着付け、洗足――すべては皇族と皇貴のために例外なく完璧に。
名家の家紋を一歩踏み越えると、そこには異様な光景があった。白律院の四世代にわたる皇女たちが、ひとりの男を囲んでいる。皇貴の髪を結い、足を洗い、お茶を差し出すその瞬間を測っている。
――皇貴さまに触れることは、名誉以外の何ものでもない。
その中心にいるのが、白律院ユグ。
セレスタ種に属する存在であり、酸素を必要としない――呼吸をしない肉体を持つ者。
ユグの体内では、エネルギーは外界からではなく自己循環によって生成されている。心臓、脳、血液の流れ、酸素も二酸化炭素もこの星の理さえ必要としない。
――プレシウスの先祖代々の名家、白律院。
白律院において、リリカは下女だった。使用人として使われ、扱われる存在。神楽坂セラの幼少期は、この場所で育ったがゆえの一種の自己嫌悪に満ちていた。
だが白律院ユグだけは違った。薄明のような美貌を持つその男にセラは信頼を寄せていた。
唯一心を預けられる存在だった。
「ユグ、帰ったぞ。私だ」
「……おお、セラか。もう戻ってきたのか。相変わらず我慢がないな」
「お前にだけは言われたくない。ユグ、頼みがあって来た」
「ほう。で、対価はいくらだ?」
「……女官なら数えきれないほどいるだろ。余るくらいにな」
「いや、セラ。悪いが、今回はお前の話だ」
「……気持ち悪い」
「面と向かうのも悪くない。でも心の中で思ってくれてもいいんだぞ」
白律院ユグは、あまりにも整いすぎた容姿をしていた。青く透き通るような長い髪は床に届くほどで、肌は白美神と呼ばれるのも納得の色をしている。男でさえ――触れたい、近づきたいと口にしてしまうほどの美しさだった。
俺は白律院ユグの前でぎこちなくも一礼した。
「白律院ユグさま。高瀬洸一と申します。
神楽坂セラになぜかここへ連れ去られました」
「ほうほう。なかなか整った顔立ちじゃないか。セラとは正反対だな」
「……いや、特徴がないのが特徴です」
「おい、ユグ。高瀬洸一を使えるようにしてほしい。ノードブレーカー相手にもな」
「はあ……その手は、もう何度も使ってきただろう。セラと星定英雄譚の、さて、誰だったかな」
俺は内心で思った。これはここに連れて来られるの様式美なんだ。セラが腕を組んで、にやりと笑う。
「対価ならあるよ。ユグに呼吸を教えてあげる」
一瞬、白律院ユグの喉がごくりと鳴った。
「……なに!?私に、酸素と二酸化炭素を?呼吸を、だと?」
「そうだ!呼吸をだ!どうだ欲しいだろ」
「セラ。お前が私に呼吸を教える?どこでそんな術式を覚えた。私より大概な存在がいるというのか」
「ええ、出会ってしまったんだよ」
セラは喉から手が出るほど楽しそうに言う。
「ユグよりすごい――真っ当な皇女にね」
白律院ユグは天井を見上げ、長い溜息をついた。
「……はあ仕方ない。面倒だが話は聞こう」
「武器は使用しない、完全なる肉弾戦だ!!!!」
セラは興奮しながら、ユグに決戦を申し込む。
「勝てば呼吸をもらうぞ、かかって来なさい」
白律院ユグが、間合いゼロに踏み込んだ。
――内家拳。
「寸勁」
距離はほぼ密着し神楽坂セラの胸元へ、空気を叩き潰すような一撃が放たれる。だがセラはすでに読んでいた。
「……遅い」
ユグの体勢が崩され神楽坂が流すように、体位を外し衝突軸をずらす。
「形意拳・崩拳」
白律院ユグは即座に切り替えた。
直線の意志が、空間ごと神楽坂を吹き飛ばす。
「ぐっ――!」
宙に浮いた神楽坂へ、今度は詠春拳と外家拳。
四方八方から無駄のない連打。拳が雨のように降り注ぐ。
――白律院当家は、中国武術と術式を融合させた一族。
「……っ」
神楽坂は吹き飛ばされながらも、呼吸を沈める。
気沈丹田。意識を腹へ落とし、地に足が着いた瞬間――
「洪家拳・馬歩!」
低く沈み込む構えで大地を踏みしめ、重さそのものを拳に乗せる。
「はああッ!!」
重打が連続で叩き込まれ白律院ユグの肩に、確かに当たった。ユグは神楽坂の足首を掴みそのまま、関節ごと捻り上げる。
「ぐ――っ!」
体が宙を舞い、神楽坂は、再び床へ叩きつけられた。
「セラ衰えてるな。馬歩が基本からできてない」
「うるせえ、お前こそ位が落ちたな。一蹴りも当てられなかったくせに」
――ああ、ブルース・リーよりも狂人だ。低い重心に馬のように鋭い蹴り、だがどんな攻撃にも化勁相手の力を受け流す技で対応してくる。
入ってはいけない領域に脚を沼らせてしまった。俺はもうこの沼から抜け出せない。
どこにも行けない。待て……最初から逃げ道なんてなかったんだ。神楽坂がスピって来た時点で、すでに封じられていた。白律院ユグは詠春拳を軽々と連ねるように打ち込み、俺を公宮の方へ吹き飛ばす。
――俺の身体は、全身の骨が傾く感覚を覚えた。
血も出ないほどの圧で、胃液だけが大量に吐き出される。
薄れゆく景色の中で俺はなぜか安堵していた。
そこへ――女帝が目の前に立っていた。
「あら。もう終わり?いい男なのに」
……襲われると思った時には俺はもう意識を失っていた。
「ちっ、姉さん。さっそく食いにかかってんじゃねえよ」
「まあ、その態度……相変わらず下女ね」
「どけよ。そいつは――私のだ」
「ふふ。興味ないわよ。ユグさま以外には」
皇女であるはずのセラの姉は、白律院ユグの腕に自然と絡みつきそのまま連れ立って去っていった。白律院に踏み入れたが最初の始まりだ。




