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4.昴の患者

 次の日の午後、昴は、内科病棟で仕事をしていた。

「昴先生っ」

と後ろから声をかけられる。

「おっ、水瀬じゃないか!」

久しぶりに見る顔に昴はつい大きな声で応える。

「先生、声が大きいし。」

と穏やかに笑うその柔らかな表情に昴は安堵の思いが湧いてくる。

 彼女は、日下部水瀬くさかべみなせ。小児喘息を患っていて子供の頃は入退院を繰り返していたが、成長と共に症状は落ち着き、今は昴が外来を担当している。定期的な受診は半年に一度だ。呼吸器内科の先輩から、彼女はとても辛抱強く、つい頑張りすぎる傾向があると聞かされていた程、病気にあっても頑張る子だった。高校を卒業してからは、実家のガラス工房を手伝っている。年も24歳になったところだ。

「どうしたんだ、水瀬。病棟にくるなんて?」

「ナースの花房さんが退職されるって聞いて会いに来たんだー。」

出産を機に退職するナースのことだった。入退院を繰り返すともなれば、ナースたちともお互いに思い入れはあるのだろう。

「ああ、なるほどね。」

と、昴はパソコン作業を終えて、ステーションから出てきた。

「で、もう会えたのか?」

「うん、お花渡せた。」

水瀬は嬉しそうだ。

「調子良さそうだな。」

「こんなとこでも主治医やんないでよ。」

「気になるから仕方ないだろ」

水瀬と昴は患者と医師とは思えないような気さくな話を続けた。せっかくだからカフェに行き、テラス席で2人でお茶をする。

「工房、どう?無理してない?肺活量あんまないんだから無理するなよ?」

保護者のように昴は心配する。水瀬は、

「じいちゃんが最近吹くのが辛そうだから、たまに、私も吹いてるよ。でも、そんな辛くない。大人になってきて鍛えられたかな?」

嬉しそうに話す。水瀬はその病気から吹きガラス工房に生まれても、跡が継げないと嘆いていた。それほどその仕事が子どもの頃から好きだったようだ。

「最近ね、これ作った。」

水瀬はとんぼ玉を見せた。綺麗な青と緑。

「発色がいいね。水瀬の色はいつも思うけど綺麗だな。」

昴が褒める。水瀬は恥ずかしそうに、だがとても嬉しそうに、

「昴先生なら褒めてくれると思ったから会いに来たんだー。」

と言った。

 水瀬にとって、昴は初恋の相手だった。今もその想いは続いている。当の昴は、というと、鈍感なようで気づいていないようだ。あくまでも患者であり、妹のように、というのが近いだろう。

「昴先生は、花房さんみたいに誰かと結婚しないのー?」

水瀬は怖いながらも聞いてみた。

「暇がないよー。出会いもないしな。」

と、白衣の胸ポケットからスマホを取り出す。マナーモードだったようで呼び出しがかかっていた。

「ほらな。」

と、苦笑いし、電話に出る、水瀬はその後ろ姿に少し安堵していた。

「先生っ、またね!」

電話する昴の背中をポンと叩き、手を振りながら帰っていった。昴は、電話しながら手を振り返し、身を翻して病棟へ戻って行く。

 水瀬は、カフェを後にしながら少しため息をつく。不毛だなあ、絶対叶わないじゃんと、とんぼ玉を見つめた。具合が悪くならないと会えないとか、切なすぎる、と昴との恋がこの先も発展しなさそうだと残念な気持ちになっていた。

 水瀬は病院の門にたどり着き、立ち止まった。とんぼ玉を夕日に照らして中を覗き込む。

「やっぱりガラス、吹きたいな」

と呟く。とんぼ玉は吹かなくても作れる。だが、吹きガラスは息を吹き込む力の加減をしながら吹き、ガラスの薄さを追求する。彼女の祖父がずっと行ってきた技術。彼女は喘息のため、吹く事は積極的には行って来なかった。彼女の得意なのはとんぼ玉のようにガラスを溶かしながら形を作っていくガラス細工。細かい作業が得意で花びらや模様などいろいろなパーツを組み合わせて接合しながら作っていく。彼女の作品は優しく美しい発色で可愛らしさがあり、お客から人気もあった。大学には行けなかったが、祖父の元で修行を続け、今は人気作家になりつつある。それでも祖父の吹きガラス継承したいとも思っていた。最近は喘息も起きず薬もかなり減らせている。水瀬は少しずつ夢への道が見えてきた事を嬉しくも思っていた。

 どん。後ろから誰かがぶつかった。水瀬はよろめく。

「あ、すみません。」

低い声で肩を支えてくれる。

「いえ、私もこんなところで立ち止まって…。」

顔をあげると、そこには冬哉がいた。

「あ、昴先生の友だち…。」

水瀬が思わず呟く。

「大丈夫?」

と、心配そうに水瀬を見つめる。

「だ、大丈夫です、すみません。」

水瀬が言葉を返す。

「昴の患者さんか。…気をつけて。」

と言い、肩をポンと叩くとそのまま去っていった。

「初めて近くでみたけど、噂通りのイケメンね。」

水瀬は後ろ姿を見つめていた。冬哉が昴の友人だとは前から知っていたが、会うのは初めてだった。支えてくれた肩がなんだかムズムズする感じがした。ああいう優しい人が人たらしって言うのよね、昴先生も…。水瀬は昴を思い出すと、片思いも深刻だわ、と苦笑いし、さて、帰ろう、と家へ足を向けた。

 自宅兼工房に戻ってきた。リビングに行くと祖父が茶を飲んでいた。

「昴先生はお元気だったか?」

祖父が言う。

「うん、相変わらず忙しそうだったよ。」

「医者ってのは、大変なもんだな。」

と呟く。

「え、おじいちゃん、私、花房さんに会いに行ってきたんだよ?」

と思わず焦ったように言うと、

「そうか。」

と特にその焦りに反応もせず、祖父は返す。そして水瀬の顔をみて、ふっ、と笑った。水瀬は顔を赤くしながら、

「ゆ、夕飯作るね!」

とキッチンへ逃げ込んだ。孫がどんな想いでいるか、祖父はちゃんとわかっていた。水瀬はおじいちゃんには敵わないな、と焦りながらも、昴への想いをまたもや思い出し、胸の奥が、じんと静かに痛んだ。

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