1 .末裔
手術室。
「血圧、どう?」
マスクをつけてやや籠った声で、麻酔科医へ質問する男性医師。
「110の60で落ち着いています。」
麻酔科医から報告を受けると、
「そっか。」
と安心したようにそのまま持針器についた針を筋膜へ通し、縫合していく。手先は美しく、手早く、丁寧に動いている。出血も最小限だ。
「時間、大丈夫だよね。」
第二助手の医師からも言葉が発せられた。
「2時間45分経過したところです。」
外回りの看護師から報告される。今日も順調にオペは終わりそうだ、皆、そう思った。
「ふぅ…。」
長い手術を終えて、ガウンなど脱いでダストボックスへ捨てると、手を洗い始めた。
彼は外科医の榊原冬哉<さかきばらとうや>30歳。外科専修医となり3年目ともなれば、落ち着いた仕事ができるようになったな、そんな事を思っていた。
「榊原先生は、本当に手先が器用ですね。出血も最小限、傷痕も綺麗でいつも感心してますよ。」
第二助手の後輩医師から称賛される。冬哉は、
「冗談抜きで、裁縫得意でな、ズボンの裾上げとかさ。」
と笑いながら話す。
おつかれ、と言い、先程の術後の患者のもとへ向かう。オペ後管理室で看護師が術後観察を行っている。
「お疲れ様。」
声をかけると。
「冬哉先生、お疲れ様です。」
看護師から労いの言葉をかけられる。モニターの値や排液などチェックし、術後、気をつけて見てほしいところを看護師へ伝え、医局へ向かう。廊下の窓から外を見る。陽もすっかり落ちている。空に綺麗な満月が登っていた。
「満月、か…。」
冬哉は、何かを思うように空を見上げていた。
医局へ戻り、ロッカールームで着替えると、お先です、と先輩医師へ挨拶し家路へ向かう。外は初秋、少し涼しくなっている。
自宅の鍵を開けると、誰もいない部屋に自分の息遣いだけが響く。荷物を置き上着をハンガーにかける。月明かりを頼りに灯りをつけないまま、冷蔵庫から缶ビールをとり、リビングのソファに座り疲れた身体を伸ばす。カーテンの開いた窓には先程見ていた満月がさらに高く登っている。満月を見つめながら、冬哉は自分の左手首の脈を取る。
トクトクトク、規則正しく脈打っている。まだ俺は人間だな、とフッと笑う。
榊原冬哉は、人間だ。正しくは、まだ人間だ。
ヴァンパイアのコンスタンと、人間ミリアムの子は、コーラルと名付けられた。冬哉の曽祖母にあたるミリアムは、ヴァンパイアのお家騒動に巻き込まれて命を狙われ、生家を追われた。ヨーロッパから遠く海を渡り、香港へ。素性を隠して生きた。山育ちのミリアムには海の上での生活は苦しくもあったが、新鮮でもあった。ミリアムは産まれた娘に美しい珊瑚礁からコーラルと名付けた。
ヴァンパイアのコンスタンは、ヨーロッパで亡くなったそうだ。
ミリアムとコーラルの香港での生活。2人はたくましく生活した。当時の香港は戦争のさなか。日本統治下でもあった。女二人の生活、それは大変なことだったであろう。
そしてコーラルは日本人と恋仲になり娘を産んだ。名を珊瑚。珊瑚は父親の故郷日本に興味をもち、日本へ渡った。そこで冬哉の父と出会い結婚した。父は医師だった。冬哉は父の影響で医師になった。手先が器用なので外科を志した。医師になったのは、父の影響だけでなく、ヴァンパイアとして覚醒する可能性を秘めている自分の身体に医学的に向き合いたかったというのもあったからだ。毎日体の変化を気にして生きてきた。ことさら満月の前後は注意してきた。だが、最近は、仕事も忙しくそんな事すら忘れている。自分がヴァンパイアの末裔だ、という事すら。
脈をとりながら思わず笑ってしまう。御伽話のような自分の状況が、滑稽で仕方ない。実際、祖母たちはみな覚醒せず、今も普通に暮らしている。
ミリアムは人間なので、香港で天寿を全うした。コーラルは香港で、珊瑚は東京の郊外の一軒家で、それぞれ生活している。祖父は香港で他界、父も50歳で病気で亡くなった。
ヴァンパイア一族末裔のコーラルと珊瑚は、病気や怪我は普通にするし、治りが早いなどもない。不死についてはあまりにも健康なのでまだわからない状態だ。
「コーラルばあちゃん、そろそろ100歳か?」
思わず独り言を呟いて、ソファから起き上がった。せめて誰か1人でもヴァンパイアとやらになってくれてれば、少しは現実として見られるのに、誰もヴァンパイアじゃないんだもんな、と苦笑いする。
ただ、その御伽話を現実だと思わせてくれる人物がいた。
突然携帯が鳴る。いつもの確認か、と冬哉は電話に出ると、
「冬哉、具合はどうだ?変わりないか?」
と男の声で問いかけられる。
「ああ、変わりないよ。いつも通り。それで、母さんは元気?」
「珊瑚か、元気だ。満月だというのに家にいない。相変わらずの放蕩ぶりだ。一応電話で覚醒していない事は確認済みだ。」
男は淡々と話す。彼は満月前後に必ず行う、安否確認、つまり一族が覚醒していないか、を確認していたのだ。
「エルは元気なの?」
冬哉がたずねると、
「俺は何も変わらない。」
と穏やかに応えた。
エル、と呼ばれるその男、かつて、ミリアムを連れて、ヨーロッパから共に逃げてきたエルヴィンだった。彼は人狼。1900年くらいの生まれらしく、髪の色は銀色に抜けてはきたが、120歳くらいとは思えない勇ましい体つきだ。冬哉にとって彼こそが、ヴァンパイアを信じられる唯一の存在だった。冬哉が小さい頃から容貌などほとんど変わらず。母や祖母は老いていくのに、今の彼は見た目50代といったところだった。あまりにも変わらない容貌に、街中で暮らすのは難しいものがあり、珊瑚は郊外の家を買った。エルヴィンと珊瑚は畑などしながらのんびり暮らしている。
ただ冬哉はエルヴィンが狼に変幻したのを見たことはなかった。人狼、とはいうがそのあたりはまだまだ信じられない部分でもあった。ただ不死のような不思議な存在であることだけは間違いなく、それも冬哉の知識欲をそそった。
エルヴィンからは、お前は曽祖父に似ている、とよく言われた。コンスタンという男は研究熱心でヴァンパイア一族が人間になれるように、と生涯研究していたそうだ。その彼の研究から、コーラル以下の家族はみな、毎日ジギタリスを内服している。精製技術までも記されており、船上生活でも港に着くたび材料を揃えて薬を作った。戦時下の香港が一番大変ではあったが闇市などでなんとか手に入れた。今は冬哉のおかげで処方して内服できている。コンスタンの処方は不思議なことに現代のジギタリス製剤の濃度とほぼ同じであった。それもあり手に入れやすかった。子供の頃から内服しているからか3人とも覚醒する様子は見られなかった。血も薄くなってるしな、冬哉は思った。自分の体の事を考えると、子どもは持たない方がいいな、とも思っていた。
冬哉の家には、コンスタンの研究資料と、ミリアムがヨーロッパを渡る海の上で書き始めた日記、さらにはヨーロッパの森の集落の事や、山の事、ヴァンパイアや人狼の事など様々なことを記した記録本もあった。ミリアムの幼馴染、エルヴィンの親友であったステファンから託されたものだそうだ。ステファンが記した本などは、まるで伝記のようで辞書のようで御伽話のようだった。冬哉はその本が一番好きで何度も読み返していた。
実家の屋根裏にそれらは隠されており、実家に帰ると必ずそこに籠り、その本に没頭した。そしていつもエルに、もの好きだな、と言われていた。
エルは、常に家族を見守っていた。実際の家族ではないが、もう長い事子孫に渡るまで見守り続けてきた。誰もコンスタンのような覚醒はしなかった。だがいつかそれが破られるかは誰にもわからない。エルは自分がいつまで皆を守れるのかと心配ではあった。冬哉が生まれた時、コンスタンの面影をみた。懐かしいと感じた。似ている訳ではないが、何か同じ空気のようなものを感じた。そして冬哉が自分の事を守れるようにと厳しく育てた。勉強だけでなく身体を鍛えることから護身術までも教えた。そして、屋根裏の伝記など読む事もすすめ、自分がなんであるのか、隠さず教えた。
冬哉の父親も、エルと同じように厳しく育てた。父は血族ではなくともそれらの本を読み、自分の息子の現状を把握できるように勤めていた。
そんな事もあり、冬哉はヴァンパイア一族として、コンスタンのように研究も続けながら、家族を守っていく決意を持っていた。覚醒の恐ろしさにわずかな恐怖を抱きながら…。




