表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/54

第7話 紫の影

 祭りの夜。焚き火が大きく燃え上がり、村人たちは歌い、踊り、笑い声を響かせていた。リナは広場の中央で「豊穣の祈り」を捧げ、子供たちは花飾りを手に走り回る。俺もその輪の中に混ざりながら、胸の奥にじんわりとした温かさを感じていた。


 ――俺は今、この村に受け入れられている。

 前世で求めてやまなかった「居場所」が、ここにある。


 昼間、旅商人ロレンツォから貰ったコンパスが、懐の中で心地よい重みを伝えている。妙に落ち着いた男だった。「君が自分の道を見つける助けになるかもしれない」――あの言葉が、まだ耳に残っている。


 そんな安らぎを破るように、怒鳴り声が広場を切り裂いた。


「誰だ! うちの銀の燭台を盗んだのは!」


 村人が真っ赤な顔で叫び、周囲に緊張が走る。すぐに別の声が重なった。

「うちの飾りもなくなってる!」

「子供のおもちゃまで……」


 ざわめきはやがて一人に向けられた。

「最近村に来た旅商人だ……ロレンツォだろう?」

「よそ者の仕業に違いない!」


 槍を持った男たちが、荷馬車のそばにいるロレンツォを囲む。

彼は落ち着いた様子で両手を広げた。


「待ってください。私は商人です。盗みなど働いておりません」


「だが他に誰がいる!」

「証拠はないが、怪しいのはあんただけだ!」


 村人の目は疑念と恐怖に満ちていた。祭りの熱気は一瞬で冷え込み、広場に重苦しい空気が漂う。


 思わず口を開いたのはリナだった。

「ロレンツォさんはそんなことしません! 昼間、あんなに優しくしてくれたのに! 私たちで確かめに行きましょう!」


 その横で、俺も大きく頷いた。コンパスをくれた男が盗人だとは思えなかった。

「足跡を追えば、誰が盗んだか分かるはずです」


 村長はしばらく考え込み、やがて頷いた。

「……よかろう。だが危険だ。気をつけるんだぞ」


 こうして俺とリナは、村人たちの疑いを晴らすため森へ向かうことになった。


 ◇


 祭りの喧騒から離れると、夜気は急に冷たさを増した。

 そのときだった。


 視界の端に、紫色の揺らめきがちらついた。炎でも月光でもない、どろりとした影のような光。それは生き物というより、空間の裂け目から滲み出した「何か」のように見えた。


「……なんだ、あれ?」


 俺が立ち止まると、リナが怪訝そうに振り返る。

「ユウ?」


 だが彼女には見えていないらしい。紫の光は森の奥でうごめき、四足の獣――狼のような形を成している。だが、その輪郭は不安定に滲み、紫色の靄が肉体の周囲を揺らめかせている。まるで、この世界の法則から外れた存在だと主張するように。


 ――風が、逆に吹いている。

 影の周囲だけ、落ち葉が宙を舞い上がり、時を遡るように木の枝へ戻っていく。影の足元には、左右が反転した鏡像のような足跡が刻まれ、一歩進むたびに過去へ歩いているかのようだった。


(この感覚……俺の力と似ている。本来あるべきでない、歪んだ時間の流れ……)


 紫の影が、俺を認識したかのように、その爛々と光る紫の瞳をぎらりと向けた。狼の顔。だが、その目には――人間のような、嘲りの色があった。


「リナ、危ない! 逃げろ!」


 叫んだ瞬間、影がうなり声を上げて一歩踏み出した。土が黒く染まり、空気が震える。それは物理的な圧力ではなく、存在そのものが放つ不協和音だった。


 次の瞬間、俺の視界が“逆再生”した。

 襲いかかる未来が断片的に映り、心臓が凍りつく。だがそれだけではない。俺の力に呼応するように、紫の影がさらに濃くなったのだ。


「来る……! 俺の力に反応してるのか!?」


 俺はリナの手を掴み、全力で駆け出した。背後で木々をなぎ倒す轟音が響く。


 必死に走り抜け、ようやく祭りの灯りが見えたとき――影は未練を残すように揺らめき、やがて煙のように掻き消えていた。


 肩で息をしながら振り返ると、リナが真剣な目で俺を見ていた。

「ユウ……今、何を見たの? それに、あの影は一体……」


 答えられないまま、胸の鼓動だけが耳に響いていた。


 理解より先に、恐怖が身体を駆け抜けた。


 紫の影は、ただの魔物ではない。俺の力の根源に、そしてこの世界の秘密に、深く関わっている――その確信だけが、冷たい汗と共に背筋を伝っていた。


 だが――それでも進むしかない。この力と向き合い、真実を知るために。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ