第45話 森の決戦
森の奥で、俺たちは足を止めた。
木々が密集し、影が濃い。ここなら、ロレンツォの大規模な魔法も通りにくい。
……ただ、逃げ場もない。
「来るぞ」
リナの声が震えていた。
その手が、俺の手を強く握る。冷たく、汗ばんで、でも離さない。
空気が変わる。
森の奥から、押し寄せるような魔力の波。
重い。息が詰まるほどの圧。ロレンツォが、本気を出している。
「ユウ」
リナが見上げた。
その瞳の奥に、恐怖と――それ以上の信頼があった。
「私、信じてる」
小さく、でもはっきりと。
「どんなことがあっても、二人なら乗り越えられるって」
俺は、その手を握り返した。
「……ああ。絶対に、守る」
木々の隙間から、影が滑り出る。
ロレンツォだ。黒いローブの裾が風を裂き、手に紫の魔力を渦巻かせている。
「逃げ場はないぞ」
その声は冷たく、抑揚がない。
「ここで、終わりだ」
魔力が、森を薙ぎ払った。
紫の閃光が地を割り、木々を焼き、空気を震わせる。
「リナ、伏せろ!」
俺たちは同時に地に転がった。
熱風が髪を焼き、鼓膜が破れそうな轟音。死が、すぐ横を通り過ぎた。
「反撃する!」
リナの声が響く。杖が光り、水の精霊が刃となって飛ぶ。
だが、ロレンツォは片手で払った。
紫の障壁が広がり、すべての攻撃を飲み込む。
「無駄だ」
嘲るような声。
「お前たちでは、私に傷一つつけられん」
……事実だった。
何をしても届かない。焦りが喉を焼く。
「くそっ……!」
歯を食いしばる。
力を使うしかないのか。あの、時間を巻き戻す力を。
だが、それは死を意味する。
「ユウ、ダメ!」
リナが俺の腕を掴んだ。涙のにじむ目で。
「力を使っちゃダメ! 死んじゃう!」
「でも――!」
「待って」
リナの瞳が、まっすぐ俺を射抜いた。
「私に、考えがあるの」
「考え?」
「精霊王が言ってたでしょ。私たちの魂は、繋がってるって」
彼女の手が、俺の手を包み込む。
「だったら、力を……分け合えるかもしれない」
理解より先に、恐怖がきた。
「ダメだ、お前まで危険に――」
「もう遅いよ」
リナが微笑んだ。
その笑顔には、恐怖の欠片もなかった。
「ユウと一緒なら、怖くない」
次の瞬間、リナの魔力が流れ込んできた。
温かくて、やさしくて、そして――とてつもなく強い。
魂が重なっていく。境界が溶けていく。
「これが……精霊使いと観測者の、絆……?」
力が満ちていく。
二つの力が一つになり、世界を書き換えるほどの奔流へと変わっていく。
「なるほど」
ロレンツォが小さく呟いた。
「魂の共鳴か。理論上は可能だと思っていたが……実際に見るのは初めてだ」
その声に、好奇心と狂気が混ざる。
「だが――それでも届かん!」
紫の光が、再び世界を飲み込んだ。
今度こそ、すべてを焼き尽くすつもりだ。
「今だ!」
リナと声が重なった。
「――巻き戻れッ!」
世界が止まる。
時間が、逆流する。
音も、熱も、風さえも戻っていく。
だが、代償がやってきた。
激痛が左腕を貫いた。
皮膚が黒く染まり、腐っていく。魂が削られている。
「ユウ!」
リナが叫ぶ。だが、俺は笑った。
「大丈夫……まだ、戦える……」
そう言いながらも、わかっていた。
もう、限界だ。次は――ない。
ロレンツォの動きが止まる。
封印の欠片の一つが砕け、紫の光が霧散した。
「まさか……本当に壊すとは……」
ロレンツォの声が震える。
だが、その顔には、満足のような笑みが浮かんでいた。
「お前たち……面白い……」
そう言い残し、影に溶けて消える。
静寂が戻った。
森は焦げ、風が止まる。
「勝った……の?」
リナが、かすれた声で言う。
「いや」
俺は首を振った。
「これは、まだ序章だ」
左腕を見た。もう、動かない。感覚もない。
魂の残量は、ほぼゼロ。
リナが俺を抱きしめた。
その体温が、まだ生きていることを教えてくれる。
「ありがとう、ユウ……守ってくれて……」
「当たり前だ」
俺は笑って答えた。
「お前を守るためなら、何度でも」
でも、心の奥で、かすかに恐怖が囁く。
――次は、ない。
それでも。
彼女を守れたなら、それでいい。
それで、十分だ。




