第3話 村の小さな事件
リナの家で暮らし始めて数日。俺――ユウはまだこの世界の常識も分からずにいたが、急かす者は誰もいなかった。グランさんは無口ながら肉を一切れ多く皿に乗せてくれ、エルナさんは泥で汚した服を笑って洗ってくれる。リナはというと――。
「ユウ、こっち! 村の裏に秘密の場所があるんだ!」
「見て! 木登りなら私の方が上手いんだから!」
とにかく元気いっぱいに俺を振り回してくれた。そのおかげで、子供の身体にもだいぶ慣れてきた頃だった。
そんなある日の昼下がり。村の広場で日向ぼっこをしていた俺たちの耳に、大声が飛び込んできた。
「大変だ! ニワトリが逃げちまった!」
養鶏を営むおじさんが、鶏小屋の前で頭を抱えている。
「今朝、小屋を開けた隙に一番すばしっこい奴が……。娘が悲しむんだ!」
「おじさん、任せて!」
リナが胸を叩き、にっと笑う。
「ユウ、探偵団出動だ!」
「二人だけで探偵団って……」
俺のツッコミは聞き流され、聞き込みが始まった。
「白いニワトリを見ませんでしたか?」
「さっきパン屋の方へ走っていったぞ」
情報を頼りに村を駆け回る。大人たちは笑いながらも協力してくれた。やがて足跡は森へ続き、俺たちは初めて出会ったあの場所に戻ってきた。
「……いた!」
木陰で地面をつつく白いニワトリ。リナの合図で同時に飛びかかったが、素早い動きでかわされ、森の奥へ逃げ込んでしまった。
「待てー!」
必死に追いかける。息は切れるが、不思議と諦める気持ちはなかった。前世の俺なら投げ出していただろう。でも今は、隣で笑うリナがいる。
やがて崖際でニワトリは行き止まり、羽ばたいて向こう岸に着地したが、転がって下へ落ちてしまった。
「私が行く!」
リナは木の蔓を掴み、するすると崖を降りていく。慣れた手際でニワトリを抱え、擦り傷を確認すると再び登ってきた。
村に戻りニワトリを渡すと、おじさんは涙を浮かべて喜び、卵を好きなだけ持っていけと差し出してくれた。
その夜、食卓にはふわふわのオムレツが並ぶ。
「ユウとリナの共同作業ね」エルナさんが微笑み、グランさんも短く「よくやった」と言ってくれた。
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥が熱くなった。前世では――誰かに褒められたことなど、研究成果の数字以外になかった。
「二人とも、たくさん食べなさい」
エルナさんが追加のオムレツを皿に乗せてくれる。グランさんは黙って俺のコップに牛乳を注いでくれた。
照れくさくて俯きながらも、オムレツの温かさが心を満たしていく。
前世では決して味わえなかった、誰かの役に立ち、感謝される喜び。
「……悪くないな、こういうのも」
理解より先に、笑みがこぼれていた。
窓の外では満月が村を照らしていた。
――待てよ。三日前も満月だった気がする。この世界の月は、地球のものより公転周期が短いのか。満ち欠けの速度が違う。星座の配置も見慣れない。オリオン座も北極星もない夜空。
それでも、月の光は同じように優しく、この村を包み込んでいる。
ここが俺の"居場所"になりつつある――そんな予感が胸を温めていた。
小さな光でも、それは確かに道を照らしてくれる。




