表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
34/54

第33話 暴走と脱出

 俺の手が水晶に触れた瞬間、制御を失った力が爆発的に広がった。


 体内から溢れ出す力。止められない。抑えられない。時間を巻き戻す力が暴走し、暴れ狂い、全てを飲み込もうとする。血管を駆け巡る熱。皮膚が裂けそうな圧力。魂が引き裂かれる感覚。


 時間の逆流が、神殿の一部を飲み込み始める。


 床が、壁が、柱が。全てが時間を遡り始める。


 石が砂に戻り、砂が消え、何もなかった状態へと戻っていく。建造される前へ。存在しなかった時へ。空気が歪み、現実が揺らぐ。


「何をする気だ!」


 ロレンツォが叫ぶ。その声は恐怖に満ちている。体が震え、顔が青ざめている。いつもの余裕が消えた。計算外の事態に、二十年の経験すら意味をなさない。


 俺には分かっていた。完全に暴走させれば、全員が時の渦に飲まれる。神殿が、ロレンツォが、リナが、そして俺自身が、全て消える。存在が砕け、消えていく。過去に溶け、無に還る。


 だが――


 この暴走を「誘導」できれば。


 方向を定め、狙いを絞り、一点に集中させることができれば。賭けだ。成功するか、全員が消えるか。二つに一つ。


「リナ! 柱の後ろに隠れろ!」


 俺は叫んだ。喉が裂ける。血の味が口に広がる。鉄の味。生臭さ。吐き気がする。


「でも、ユウが」


「信じてくれ!」


 リナの瞳を見る。その目には恐怖と、でも信頼も宿っている。涙が滲み、震えながら、それでも俺を信じている。唇を噛み、拳を握り、決意を固める。


 彼女は頷いた。


 そして、柱の陰に身を隠す。小さな体が、太い石柱の後ろに消える。良かった。これで、少しは。


 ◇


 俺は意識を集中させた。暴走する力を、神殿の出口へ向ける。


 扉があった場所。今は石の壁で塞がれている場所。その壁を、建設前の状態まで巻き戻す。力をそこに集中させる。一点に。全てを。千年の時を、逆行させる。


 石壁が崩れ始めた。


 いや、崩れるのではない。


 時間が巻き戻っている。石が砂になり、砂が消えていく。建設される前の状態へ。何もなかった時へ。千年前、この壁が存在しなかった時へ。過去への逆行。歴史の巻き戻し。現実の改変。


「ぐああああ!」


 叫び声が喉から漏れる。三回目の使用。今までとは、比較にならない激痛が全身を貫く。


 骨が砕ける。


 肉が引き裂かれる。


 魂が削られる。


 全身の細胞が一つ一つ悲鳴を上げている。耳鳴りが響き、幻聴が聞こえる。誰かの叫び声。自分の声。それとも、過去に消えた誰かの。


 鼻血が止まらない。床を濡らし、石を染める。視界が赤く染まる。世界が血の色に変わる。痛い。熱い。息ができない。


「やめろ! 神殿の封印構造が崩れる!」


 ロレンツォが慌てて黒い石を収める。その顔は青ざめ、手が震えている。彼も予想外の事態に対応できずにいた。計算が狂った。全てが想定外。二十年の計画が、今、崩壊していく。


 ◇


 壁が完全に消えた。


 光が差し込む。


 風が吹き込む。


 外への道が開いた。自由が、そこにある。空が見える。青い空。白い雲。生きている世界。


 同時に、俺は膝から崩れ落ちた。


 力が抜ける。体が動かない。意識が遠のく。立っていられない。呼吸が苦しい。視界が揺れる。


「ユウ!」


 リナが駆け寄る。その声が遠い。だんだん小さくなる。エコーのように響く。水中にいるかのような感覚。音が歪む。


「逃げるぞ……早く……」


 俺は声を絞り出す。喉が痛い。息ができない。でも、伝えなければ。リナを、逃がさなければ。


 神殿全体が震え始めていた。


 地鳴りのような音。床が揺れ、壁が軋み、天井から石が落ちる。封印の一部を破壊した影響で建物自体が崩壊し始めている。支えを失った神殿が千年の時を経て、今、崩れ去ろうとしている。砕ける柱。割れる床。崩れる天井。全てが瓦礫へ。


「くそっ! まだ完全じゃないが……」


 ロレンツォは水晶の欠片を掴んだ。祭壇から崩れた水晶の破片を。光を放つ紫色の欠片を。その手が震え、顔が歪む。悔しさと諦めと、それでも残る野望。二十年の計画は失敗した。だが、まだ可能性は残っている。この欠片が、次の手段へと。


 そして、別の出口から姿を消した。


 ローブが翻り、闇に溶ける。足音が遠ざかり、気配が消える。逃げた。計画は失敗したが、まだ諦めていない。水晶の欠片を持って。


 ◇


 俺は、リナに肩を借りて、なんとか立ち上がる。


 足が震える。膝が笑う。立っているだけで精一杯。でも、動かなければ。逃げなければ。崩れる神殿から、一刻も早く。


 出口へ向かって走る。


 いや、走れない。這うように進む。一歩、また一歩。リナが支え、引っ張り、必死に前へ。小さな体で、全力で俺を運ぶ。息が荒い。汗が滴る。それでも諦めない。


 背後で、巨大な崩落音が響く。


 轟音。大地が揺れ、空気が震える。千年の歴史を持つ神殿が瓦礫の山と化していく。


 柱が倒れ、壁が砕け、天井が落ちる。全てが崩れ、全てが壊れ、全てが塵に還る。石の悲鳴。木材の割れる音。歴史が崩壊する音。


 外に出た瞬間、神殿は完全に崩れ去った。


 最後の石が落ち、最後の音が響き――


 そして、静寂。


 土煙が舞い上がり辺りを白く染める。何も見えない。何も聞こえない。ただ、白い霧の中。粉塵の匂い。石の匂い。崩壊の匂い。


「はあ……はあ……」


 呼吸が荒い。肺が痛い。心臓が限界を訴えている。全身が痙攣し、筋肉が悲鳴を上げている。


 でも。


 生きている。なんとか、生き延びた。


 だが、代償は重かった。体中から力が抜け、立っていることさえできない。地面に倒れ込み、動けない。指先一つ動かせない。冷たい地面。石の感触。崩れた神殿の破片が頬に刺さる。


「ユウ、血が……」


 リナが震え声で言う。その声は恐怖に満ちている。泣いている。必死に俺を呼んでいる。


 耳からも血が流れていた。温かい液体が首筋を伝う。鼻からも、口からも、目からも。全身から血が溢れている。体が壊れている。魂が漏れている。生命が、流れ出している。


 三回目の使用。残りは、二回から三回。


 だが、このペースでは三回も使えないかもしれない。次に使えば一回か二回。その次でゼロ。そして――


 もう、限界が見えている。視界が霞む。意識が薄れる。世界が遠ざかっていく。


「ロレンツォは……」


 俺は掠れた声で聞く。喉が痛い。声が出ない。


「逃げたみたい」


 リナが答える。その声は悔しそうだ。唇を噛み、拳を握っている。


「でも、水晶の欠片を……」


 封印の一部を、持ち去られた。それが何を意味するのか。今は分からない。でも、良いことではない。きっと、また何かを企む。次の計画を。次の災厄を。


 遠くから馬の蹄の音が聞こえてきた。


 規則的な音。複数の馬。武装した騎士たち。王都からの追手だろうか。それとも。誰が来るのか。敵か、味方か。


「ユウ、しっかりして」


 リナが必死に俺を支える。冷たい手。震える体。でも、離さない。絶対に、離さない。温かい涙が、俺の頬に落ちる。


 意識が遠のいていく。暗闇が迫る。音が消える。感覚が失われる。世界が、静かに、遠くなる。


 その中で、俺は思った。


 これで、良かったのか。もっと良い選択はなかったのか。力を使わない方法は。リナを危険に晒さない方法は。後悔が、胸を締め付ける。


 でも。


 少なくとも、リナは無事だ。彼女は生きている。傷ついてはいるが、命はある。笑顔を、また見ることができる。声を、聞くことができる。温もりを、感じることができる。


 それだけで、今は十分だった。


 意識が、完全に途切れた。


 暗闇が、全てを飲み込んだ。冷たい闇。深い闇。静かな闇。そして――


* * *


神殿は崩れ、封印の欠片は奪われた。

三度目の力は暴走し、魂を深く削った。

限界が見えている。でもリナは生きている。

それだけで、今は十分だった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ