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第31話 ロレンツォの正体

 祭壇が激しく振動した。


 水晶から放たれる紫の光が、部屋全体を飲み込んでいく。波のように広がり、壁を這い、天井を覆う。光が触れたものが全て震え始める。


 石の床に亀裂が走る。一本、また一本と線が伸びていく。網目状に広がり、床が崩れそうだ。天井から小石が降ってくる。やがて、大きな石が落ち始める。


「何をした!」


 俺はロレンツォを睨みつけた。拳を握りしめ、全身で怒りを表す。


「簡単なことさ」


 彼は余裕の笑みを崩さない。その顔には勝利の確信がある。全てが計画通りだという、満足げな表情。


「観測者と、精霊の血を継ぐ者」


 その声は落ち着いていて、むしろ嬉しそうだ。


「二つの鍵が揃えば、封印は自動的に反応する」


 彼は手を広げ、祭壇を示す。


「君たちをここに連れてきただけで、封印は内側から綻び始めるんだ」


「最初から……騙してたのか」


 リナの声が震えている。その瞳には、裏切られた悲しみが宿っている。信じていた。助けてくれると思っていた。それが、全て嘘だった。


「騙す?」


 ロレンツォは首を傾げた。まるで、本当に分からないとでも言うように。


「いや、嘘は言っていない」


 その声は冷静だ。


「君たちの力を安定させる方法は、確かにここにある」


 彼は水晶を指差す。


「封印を解放すればね」


 水晶がさらに激しく脈動した。


 俺の体内の力が共鳴して暴れ出しそうになる。時間を巻き戻す力が制御を離れて膨れ上がる。血管が浮き、肌が熱を持ち、頭の中で何かが弾ける。


「なぜこんなことを……」


 俺は声を絞り出す。喉が痛い。息が苦しい。でも、問わなければ。


「なぜだと?」


 ロレンツォの表情から、ついに笑みが消えた。


 その瞳に宿るのは、狂気と、そして深い悲しみだった。矛盾した感情。憎悪と愛情。破壊への渇望と、救済への願い。全てが混ざり合い、彼を狂わせている。


 彼はゆっくりとマントを脱いだ。その背中が露わになる。


 背中には無数の黒い痣が走っている。まるで血管が黒く染まったような、不吉な模様。痣が動いているように見える。


「見えるか、ユウ。これが観測者の末路だ」


「お前も……観測者だったのか」


 俺は息を呑んだ。背中の痣は、まるで魂が蝕まれた痕跡のようだ。生きながら死んでいく、そんな恐ろしさを感じる。


「ああ。二十年前、愛する人を救おうと力を使った」


 ロレンツォの声がかすかに震える。


「エリーゼ、俺の妻だ。彼女が病に倒れた時、俺は観測者の力で時を巻き戻そうとした」


 彼の瞳に遠い記憶が映る。涙が滲む。


「だが封印に阻まれ、力は不完全だった。わずか数時間しか戻せず……エリーゼは、俺の腕の中で死んだ」


 その声は悲痛だ。二十年経っても癒えない傷。涙が一粒、床に落ちる。


「封印さえなければ、彼女を救えた」


 ロレンツォは拳を握りしめる。爪が手のひらに食い込み、血が滲む。


「封印さえなければ、この千年で失われた無数の命を救えた」


 彼は遠くを見る。過去を見る。失ったものを見る。愛した人を見る。


「お前も同じだろう? リナを守るために力を使い、魂を削っている。封印がなければ、そんな犠牲は必要ないんだ」


 その言葉に、俺は何も言い返せなかった。確かにロレンツォの言うことは一理ある。俺もリナを救うために力を使い、代償を払っている。魂が削れていくのを感じている。封印がなければ、こんな苦しみは。


「でも……」


 俺は首を横に振った。


「それで多くの人を危険に晒すのは間違ってる」


「犠牲なき進化などない」


 ロレンツォの声が冷たくなる。その目が氷のように光る。


「お前が選べ、ユウ。リナ一人を守って消えるか、世界を変えて無数の未来を救うか」


 その言葉が胸に突き刺さる。心臓が痛む。


「それに」


 ロレンツォは水晶を指差した。


「あの紫の魔物を見ただろう。あれが何か、知っているか?」


「……魔物じゃないのか?」


「魔物?」


 彼は冷笑した。鼻で笑う。


「違うな。あれは、過去の観測者たちの残滓だ」


「なに……?」


 理解より先に、恐怖が全身を貫いた。体が強張り、呼吸が止まる。


「千年前、最初の観測者が封印を作る際、多くの観測者が力を使い果たして消滅した」


 ロレンツォはまるで講義をするように淡々と語る。その声は学者のように冷静で、しかし底に憎悪が渦巻いている。


「その魂の残骸が、封印の綻びから漏れ出している。だから観測者の力に引き寄せられる。同種の力を求めてな」


 俺はあの紫の魔物の赤い瞳を思い出した。悲鳴。血のような色。あれは、かつて人間だった? 俺と同じように、観測者の力を持ち、誰かを守ろうとして、消えていった者たちが?


「お前もだ、ユウ」


 ロレンツォは俺を見据えた。その目は警告している。


「力を使い果たせば、あの魔物のようになる。魂は砕け、残滓となり、時の狭間を彷徨い続ける」


 その声は事実を告げている。逃れられない運命を。


「それが、封印がもたらした真実だ。観測者は力を制限され、それでも愛する者を守ろうとして、結局は魔物になる」


「そんな……」


 リナが顔を歪める。その体が震える。


「じゃあ、あの魔物たちは……みんな……」


「そうだ。皆、お前たちと同じだった」


 ロレンツォの声にかすかな憐れみが混じる。


「愛する者を守ろうとして、力を使い、魂を削り、最後には消えた。だが封印のせいで、完全に消えることもできず、残滓として彷徨い続けている」


 彼は俺を見た。その瞳が光る。


「お前もそうなりたいか、ユウ? リナを守って、魔物になるか?」


 言葉が出ない。喉が詰まる。あの紫の魔物が、かつて誰かを愛した観測者だった。俺の未来かもしれない姿。


「決まっているだろう」


 ロレンツォの声が力強くなる。


「この世界は、停滞している」


 彼は拳を握りしめる。


「千年間、同じことの繰り返しだ。封印によって守られた、ぬるま湯のような平和」


 その声は怒りに震えている。


「そんなものに、価値はない」


「俺は、それを正したいだけだ」


 涙が一筋流れる。でも、それを拭わない。


「エリーゼも、他の犠牲者たちも、全て封印のせいだ。封印を破壊すれば、もう誰も、お前も、未来の観測者たちも、同じ苦しみを味わわずに済む」


「だからって、世界を滅ぼすつもりか!」


 俺は叫んだ。その声が広間に反響する。天井に跳ね返り、何度も繰り返される。


「滅ぼす?」


 彼は首を横に振った。


「違うな」


 その瞳に狂気の光が宿る。まるで炎のように。


「進化させるんだ」


 その声は確信に満ちている。


「観測者の力が解放されれば、この世界は新たな段階へと進める」


 彼は両手を広げる。まるで未来を抱擁するかのように。救世主のように。


「時間さえも超越した、真の世界へと」


 その声は陶酔している。狂信者のように。


「そのためなら、多少の犠牲は厭わない」


 その歪んだ理想に、俺は戦慄した。全身が震える。この男は本気だ。世界を壊すことを正義だと信じている。妻の死が彼を狂わせた。悲しみが憎悪に変わった。愛が破壊への欲望に変質した。


「そんなこと、させない!」


 リナが前に出た。よろめく足で、震える体で、それでも前に。精霊の光が彼女を包み始める。金色の輝きが部屋を照らす。


「無駄だ」


 ロレンツォは懐から、あの黒くくすんだ石を取り出した。その石が不吉な光を放つ。紫色の、生命を拒絶するような光。


「私は、お前たちが生まれるずっと前から、この日を待っていた」


 その声は誇らしげだ。


「禁書庫の古文書を全て読み解き、神殿の構造も、精霊の弱点も、全て調べ上げた」


 彼は石を掲げる。


「この『精霊封じの石』の存在もな」


 石が光った。


 紫の光が放たれ、リナの精霊の光を打ち消す。金色の輝きが、霧散し、闇に飲まれていく。精霊たちが悲鳴を上げ、消えていく。


「なっ……!」


 リナの声が絶望に染まる。


「用意周到だろう?」


 ロレンツォは冷たく笑う。


 リナが膝をついた。力を奪われ、顔面蒼白になっている。呼吸が荒く、体が震える。精霊の力が全て封じられた。


「リナ!」


 俺は彼女を支えた。その体は冷たく、震えている。でも、まだ心臓が打っている。まだ生きている。


 俺はロレンツォを睨んだ。歯を食いしばり、怒りが全身を駆け巡る。この男を許せない。絶対に許せない。


「さあ、ユウ」


 ロレンツォが手を差し伸べた。その手は悪魔の手。破滅への誘い。


「封印を解放し、停滞した世界を破壊する」


 その声は誘惑するような響き。甘く、危険で、魅惑的。


「それは、君のような探求者にとっても、望むところではないのか?」


「断る」


 俺は即答した。迷いなく、確信を持って。


「ほう?」


 ロレンツォが眉を上げる。


「お前の気持ちは分かる」


 俺は続けた。


「愛する人を救えなかった苦しみも。封印への怒りも。世界を変えたいという願いも」


 ロレンツォの目がわずかに揺れた。


「だが、お前のやり方は間違ってる」


「では、正しい方法とは?」


 彼が問う。その声にかすかな期待が混じる。まだ、どこかで答えを求めている。


「まだ、分からない」


 俺は正直に答えた。


「でも、破壊じゃない。犠牲を強いることでもない」


 リナを抱きしめる。


「俺たちは、別の道を探す」


「別の道?」


 ロレンツォは嘲笑した。


「そんなものはない。千年間、誰も見つけられなかった道を、お前が見つけられるとでも?」


「見つける」


 俺は断言した。


「リナと一緒なら、きっと」


 その言葉に、ロレンツォの表情が変わった。羨望と、悲しみと、そして怒りが混ざった複雑な表情。


「……エリーゼも、そう言っていた」


 彼は呟いた。その声は遠く、かすかに震えている。


「『あなたと一緒なら、きっと』と」


「だが、その希望は、叶わなかった」


 彼は目を閉じた。


「このままでは、封印の暴走で神殿が崩壊する」


 その声は脅しだ。


「君たちも、生きては出られない」


 天井からさらに大きな石が落ちる。床の亀裂が広がり、壁が崩れ始める。


「この神殿の秘密の通路も、私しか知らない」


 壁に大きな亀裂が走った。音を立て、石が崩れていく。今にも天井が落ちてきそうだ。


「選べ」


 ロレンツォが宣告する。


「力を解放して私と共に新しい世界を見るか」


 その瞳が俺を見据える。


「このまま封印と共に滅びるか」


 最悪の選択だった。どちらも受け入れられない。世界を壊すか、ここで死ぬか。


 だが。


「第三の選択肢がある」


 俺は立ち上がった。リナを抱き起こし、祭壇を見据える。力が体の中で渦巻いている。


「何?」


 ロレンツォが問う。その声に初めて不安が混じる。


「封印を、逆再生する」


 その言葉に、ロレンツォの顔から、初めて余裕の表情が消えた。目が見開かれ、口が開く。信じられないという顔。想定外という顔。


「まさか……!」


 彼の声が恐怖に染まった。


* * *


ロレンツォは観測者だった。妻を救えず二十年間復讐を計画。

魔物は過去の観測者の残滓。俺の未来の姿かもしれない。

だが俺は第三の道を選ぶ。封印を逆再生する。


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