第15話 帰路、そして決意
ロレンツォとの邂逅から一夜明けた朝。
俺とリナは町を出て、村への帰路についていた。石畳の道から土の道へ。賑やかな人々の声は遠ざかり、代わりに鳥のさえずりと風の音だけが耳に届く。足元の土が柔らかく、踏みしめるたびに湿った匂いが立ち上る。
「ユウ、疲れてない?」
リナが心配そうに振り返る。
「大丈夫。リナこそ、昨日はよく眠れたか?」
「うん! ぐっすり!」
明るく答えるリナだが、その笑顔はどこかぎこちない。口角だけが上がり、瞳には不安の影が残る。昨夜の魔狼のこと、俺の不思議な力のこと。全てを理解しているわけではないが、何かが起きていることは感じているのだろう。
それでも彼女は、無理に笑顔を作って俺を安心させようとしてくれている。
その健気さが、胸を抉る。まるで心臓を直接握られているように。
◇
道中、二人はほとんど無言で歩いた。
いつもなら「あの花きれい!」「あの鳥の声、聞いて!」と騒がしいリナが、今日は静かだ。
俺も、ロレンツォの言葉が頭から離れない。
『君が力を使うたび、世界の歪みは広がる。次に代償を払うのは、君だけとは限らない』
リナを守るために使った力が、かえってリナを危険に晒す。
この矛盾に、どう向き合えばいい?
昼過ぎ、見覚えのある小川のほとりで休憩することにした。
リナが持参した弁当を広げ、二人で並んで座る。川の流れる音が心地よい。草の上に座ると、ヒヤリとした湿気が服を通して肌に染み込む。サンドイッチを頬張りながら、リナがぽつりと呟いた。
「ねえ、ユウ……」
「ん?」
「私ね、ずっと考えてたの。昨日の魔狼のこと」
心臓が跳ねる。やはり、気づいているのか。
「あの時、確かに何かが起きた。時間が……巻き戻ったみたいだった」
リナは真剣な目で俺を見つめる。疑念ではなく、理解しようとする純粋な眼差し。まっすぐで、温かい。
「ユウの力……きっと、すごく大変なことなんだよね。だから言えないんだよね」
「リナ……」
「無理に話さなくていいよ。でもね、一つだけ約束して」
彼女は俺の手を握った。小さく、温かい手。その温もりが、凍りついた心に染み込んでくる。
「無理だけはしないで。ユウが苦しむのは、私も嫌だから」
その言葉に、喉が詰まる。胸の奥が熱くなる。
リナは全てを知らない。俺の力が世界を歪め、封印を緩めていることも。力を使うたびに魂が削られていることも。
だが、それでも俺を心配してくれている。
「……ありがとう、リナ」
それだけしか言えなかった。言葉が喉の奥で固まり、それ以上何も出てこない。
◇
夕暮れ時、村の門が見えてきた。
懐かしい景色。温かい灯り。帰ってくる場所がある、という安心感。炊事の煙が立ち上り、夕餉の匂いが風に乗って漂ってくる。
「ただいまー!」
リナが駆け出し、門の前で待っていたエルナさんに抱きつく。グランさんも無骨な笑顔で「おかえり」と言ってくれた。
「ユウ君も、お疲れさま。二人とも無事で何よりだわ」
エルナさんの優しい声に、胸が温かくなる。
村人たちも次々と駆け寄り、「薬草、届いたぞ!」「妹が元気になったって!」と感謝の言葉をかけてくれる。背中を叩く手。肩を握る手。温かい手。全てが俺を受け入れてくれている。
俺は、この村に受け入れられている。
ここが、俺の居場所だ。
だが、その平穏が、俺の力によって脅かされるかもしれない。
◇
その夜、屋根裏の自室で一人、窓の外を眺めていた。
満月が村を照らしている。静かで、穏やかな夜。冷たい空気が窓の隙間から忍び込み、頬を撫でる。
ロレンツォの言葉が、再び脳裏をよぎる。
『力を恐れてこのまま朽ち果てるか。あるいは、全てを破壊し、新たな世界の創造主となるか』
違う。
俺はそのどちらでもない。
力を恐れて朽ち果てることはしない。だが、全てを破壊することも選ばない。
俺が選ぶのは、第三の道。
破壊でも、停滞でもない。閉ざされた運命の歯車を、ほんの少しだけ違う方向へ回すように。俺は自分の道を歩く。
この力を、リナを守るためだけに使う。世界がどうなろうと、封印が緩もうと。俺はリナを守り抜く。
それが、エゴだとしても。
それが、世界を敵に回すことになっても。
俺には、もう後戻りできない。リナの死を見た瞬間、俺は決めたんだ。
この手で、リナを守り抜くと。
窓辺から立ち上がり、ベッドに横たわる。古い木枠がきしむ音が、夜の静寂に響く。
明日からまた、村での日常が始まる。穏やかで、温かい日々。
その平和を守るために。俺は、この呪われた力と共に生きていく。
遠くで梟が鳴いた。その声が、まるで警告のように、夜の静寂に溶けていった。
* * *
第三の道を選ぶ。
彼女を守るため、世界を敵に回しても。




