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第14話 町で出会った者たち

 町の朝は、村の静けさとはまるで別世界だった。

 石畳の道に屋台が並び、焼きたてのパンの香りと香辛料の匂いが入り混じる。人々の笑い声、馬車の車輪の音、行商の呼び声が四方から降ってきて、耳が追いつかない。


「わぁ……すごいねユウ! あっちで果物売ってる!」

 リナが目を輝かせ、思わず駆け出しそうになる。

 慌てて袖を掴み、「はぐれるなよ」と釘を刺した。


 その瞬間、リナの表情がふっと曇る。昨夜の会話――「信じるよ」と言ってくれた、あの無理をした笑顔が脳裏をよぎる。


 だが、すぐにリナは首を振り、明るい声を取り戻した。

「うん! ユウと一緒なら大丈夫!」


 その健気さが、かえって胸を締め付ける。


 そんな喧騒の中、ふと視線を感じた。広場の隅、灰色の外套を羽織った男が、こちらを興味深そうに眺めている。――ロレンツォだ。

 目が合うと、彼は意味ありげに口角を上げた。薄ら寒い笑みだった。


 その時、不意に別の声がかかる。

「おい、君たち。子供だけでここまで来たのか?」


 振り返ると、革の鎧を着た青年が立っていた。背には長剣、腰には小さな袋。年は十代後半か二十代前半。陽に焼けた顔に自信ありげな笑みを浮かべているが、その目には経験を積んだ者特有の鋭さがある。


「俺はカイル。駆け出しの冒険者さ」

 彼は気さくに笑ったが、その視線は値踏みするように俺たちを観察していた。

「……君たち、昨日の騒ぎを見なかったか?」


「騒ぎ……?」


「森の外れで魔狼が暴れたって話だ。商人が襲われて、腕に深い傷を負った。運び込まれた時は血まみれだったらしい」


 心臓が跳ねた。――俺たち以外にも、あの魔狼に襲われた者がいる。そして、あの商人は生きている。俺がリナを救ったように。


 だが、もし俺が力を使わなかったら? あの商人も、リナと同じように……。


 カイルの目が鋭く細められる。

「……君、顔色が悪いぞ。何か知ってるな?」


 息を呑んだ瞬間、リナが前に出た。

「わ、私たちはただの村の子供よ! 魔物なんて怖くて近づけないわ!」


 必死の笑顔。俺を庇う嘘。その優しさが、かえって胸に痛い。

 カイルはしばらく俺たちを見つめていたが、やがて肩をすくめた。


「……そうか。ならいいんだが」

 彼は腰の袋から小さな護符を取り出し、リナに手渡した。

「これ、魔除けの護符だ。町で買ったんだが、予備がある。子供だけの旅は危ない。持っていけ」


「え……いいんですか?」

「ああ。俺も昔、村から出てきた時は怖かったからな」


 カイルは優しく笑い、俺の肩をぽんと叩いた。

「気をつけろよ。最近、魔物の動きが妙に荒い。特に紫色に光る魔物が目撃されてる。見かけたら、すぐ逃げろ」


 ――紫色に光る。


 その言葉に、全身が強張る。やはり、あの魔狼は特別な存在なのか。


 カイルは軽く手を振り、人混みの中へ消えていった。


 ◇


 薬草を届け終え、町での用事を済ませた夕暮れ。

 帰り道、二人で並んで歩いていると、リナがぽつりと言った。


「ユウ……本当は、あの人に言った方がよかったんじゃない?」


「……何をだ?」


「昨日、魔狼に襲われたこと……カイルさんなら、何か力になってくれたかもしれない」


 胸の奥が重くなる。

 リナの言う通りだ。カイルは冒険者で、きっと魔物の対処法も知っている。だが――。


「……言えない」


「どうして?」


 リナの瞳が、真っ直ぐ俺を見つめる。疑念ではなく、純粋な疑問。それがかえって苦しい。


「あのロレンツォって男が、俺の力に気づいてる。もし他の人にも知られたら……俺は、化け物扱いされるかもしれない」


 思わず本音が漏れた。リナは驚いたように目を見開き、それから小さく首を横に振った。


「ユウは化け物なんかじゃないよ。私を助けてくれた、優しい人だもん」


 その言葉に、胸が熱くなる。

 だが、リナの横顔にはまだ迷いの影が残っていた。信じたい、けれど全てを理解できない――そんな複雑な感情。


「……ごめん。もう少しだけ、待ってくれ。いつか必ず、全部話すから」


「……うん」


 リナは小さく頷いた。その声は優しかったが、どこか寂しげだった。


 ◇


 その夜。リナが眠りについた後、俺は宿の窓から外を眺めていた。

 町の灯が少しずつ消えていく。静寂が訪れる中、昼間と同じ、あの執拗な視線を感じた。


 ――やはり、監視されている。


 俺は音を立てないよう部屋を出て、一人で外へ出た。

 街灯の影から、予想通りロレンツォがゆっくりと姿を現す。


「……やあ、奇遇だな」


 笑みは穏やかだが、目の奥はまるで氷のように冷たい。まるで獲物を品定めする捕食者のような眼差し。


「君は、実に面白い力を持っているようだね」

 彼は単刀直入に切り出した。

「魔狼から生き延びただけでなく、その後の時間の流れにも、僅かな揺らぎが観測された。私の羅針盤は、時空の歪みに反応する。君が時を巻き戻したのかい?」


 心臓を鷲掴みにされたような衝撃。この男、俺の力の本質を完全に理解している。


「……何のことだか」


「とぼけなくてもいい」

 ロレンツォは懐から例の羅針盤を取り出し、俺に向けた。針が激しく揺れている。

「君の周囲だけ、時間の流れが不安定だ。これは『観測者』の力――時を操る者の証だ」


 観測者。第10話で聞いた言葉が、再び俺の前に突きつけられる。


「私はね、停滞が嫌いなんだ」

 ロレンツォは夜の町を見回した。

「この平和ボケした世界は、あまりに退屈だ。千年前に最初の観測者が自らの力を封印して以来、この世界には真の変化がない。闘争も、進化も、淘汰もない。ただぬるま湯のような平和が続いているだけだ」


 彼の言葉は、ただの旅商人のそれとは思えなかった。世界の在り方そのものを否定する、狂信的な思想家の危険な響き。


「だが、君のようなイレギュラーな存在は違う。君の力は、世界を壊すか、あるいは――進化させる。私は、その後者を見てみたい」


「……俺を利用するつもりか」


「利用? 違うな」

 ロレンツォは首を横に振った。

「私は君に、選択肢を与えているだけだ。その力を恐れて朽ち果てるか。それとも、世界の停滞を打ち破り、新たな時代を切り開くか」


 意味深な言葉を残し、彼はふっと口角を上げた。


「今宵は忠告だけにしておこう。その力、無駄にするなよ。そして――あの少女を巻き込まないようにな。君が力を使うたび、世界の歪みは広がる。次に代償を払うのは、君だけとは限らない」


 ――リナに、危険が及ぶ?


 背筋が凍る。ロレンツォは俺の動揺を楽しむように笑い、闇の中へ消えていった。


 一人残された俺は、拳を握りしめた。

 この男は、俺の力を知った上で、何かを企んでいる。そしてその目的は、決して平和的なものではない。


 リナを守りたい。だが、その力を使うことが、かえってリナを危険に晒すかもしれない。


 答えの出ない問いが、夜の冷気と共に胸を突き刺した。

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