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第13話 町の光と影

 魔狼が森へと消え去ったあと、しばらく俺たちは立ち尽くしていた。


 息を整えながら、ようやく実感が湧いてくる。生きている。リナも、俺も。


 だが、その安堵も束の間だった。


「ユウ……やっぱり気になるの」


 リナが震える声で問いかける。


「あのとき……時間が巻き戻ったみたいだった」


 その視線は真剣で、まっすぐに俺を射抜く。心臓が跳ね上がる。


 答える言葉が見つからない。どう説明すればいい? 俺自身、まだ理解しきれていないのに。


「……分からない。ただ……運がよかったんだ」


 自分でも苦しいと分かる言い訳。口に出した瞬間、舌の奥が苦くなる。まるで嘘が毒のように身体を蝕むかのように。


 リナはじっと俺を見つめていたが、やがて小さく頷いた。


「……うん。ユウを、信じるよ」


 その言葉は優しかった。だが、どこか無理をしているようにも聞こえた。信じたいのに、心のどこかで引っかかっている。そんな複雑な感情が、その声には滲んでいた。


 喉が詰まる。胸の奥が重い。まるで石を飲み込んだように。


 いつか、全てを話さなければならない日が来る。


 その時、リナは俺を受け入れてくれるだろうか。


 ◇


 夕暮れ時、最後の丘を越えると隣町の姿が眼下に広がった。


 その瞬間、懐のコンパスが熱を持った。

 取り出すと、針が激しく振動している。まるで何かに引き寄せられるように、町の中心――いや、もっと奥、町の向こうの方角を指している。

 森では狂ったように回転していたのに、今度は一点を指し続ける。


(これは……何を示している? 時間の歪みの"源"を探知しているのか?)


 刻印が微かに紫色に光る。祭りの日にロレンツォが渡した時には気づかなかったが、これは単なる方位磁針じゃない。


 木柵に囲まれた小さな村とは違い、そこには石造りの高い塀と立派な門。往来には人と馬車が行き交い、活気が満ちている。


「わぁ……すごい!」


 リナが目を輝かせる。


 俺も同じ気持ちだった――が、コンパスの異常が頭から離れない。


 前世で見慣れた都会の街並みとはまるで違う。石畳の道。煉瓦造りの家々。軒先に吊るされた色とりどりの看板。市場では魚売りの声が響き、鍛冶屋からは火花の匂いと金槌の音が漏れ、パン屋の前には焼きたての香ばしい匂いが漂っている。甘くて温かいその匂いに、列を作る人々の笑顔が溶け込む。


 この世界で初めて触れる「町の営み」は、胸を熱くさせる光景だった。


 リナは興味津々に周囲を見回していたが、ふと立ち止まり、何かを考え込むような表情を見せた。


「ユウ……」

「ん?」

「……ううん、なんでもない」


 彼女は首を横に振り、また笑顔に戻った。だが、その笑顔はどこかぎこちない。口角だけが上がり、瞳は笑っていない。森でのあの出来事が、まだ心に引っかかっているのだろう。


 長老から預かった薬草を届けると、受け取った女性は深々と頭を下げ、涙ながらに感謝を告げてくる。


「こんな遠くまで……本当にありがとう。これで、姉の顔を見られます」


 しわだらけの手が俺の手を握る。温かい手。感謝の重みを持った手。


「よかった!」と笑顔を見せるリナを見ていると、ほんの少しだけ心が軽くなった。


 誰かの役に立てた。この小さな喜びが、胸の重さを和らげてくれる。


 ◇


 用事を終え、町の広場で一息ついていると、通りすがりの人々の噂話が耳に入った。


「魔狼が出たらしいぞ。森の外れで商人が襲われたって」

「あの商人、腕に深い傷を負っててな。医者が言うには、あと少し深かったら命はなかったと」

「最近、魔物が凶暴化してるって話だ。冒険者ギルドも警戒を強めてるらしい。紫色に光る魔物が目撃されてるとか……」


 紫色に光る。


 背筋が凍りつく。あの魔狼だ。間違いない。


 そして、もっと恐ろしいのは、あの魔狼が俺たちだけを狙ったのではないということ。他にも被害者がいる。もしかしたら、俺が力を使ったせいで……。


 胸の奥に冷たい予感が芽生える。氷の欠片が心臓に触れたように、ゾクリと身体が震える。


(祭りの夜に見た紫の影――あれも、この魔狼だったのか? あの時も、紫の瞳と嘲りの表情。狼の姿。そして、俺の力に反応するように現れた)


 あの魔狼は偶然じゃない。まるで俺たちを狙ったかのように現れ、そして俺の力に反応するように消えた。去り際に見せたあの嘲り。人間のような知性。


 ロレンツォの顔が脳裏に浮かぶ。


 旅商人を装い、村で静かに様子を窺っていた男。封印のことを知り、俺の力の正体に気づいていた男。あいつなら、この件に関わっていてもおかしくはない。


 だが、証拠はない。ただ、不安だけが心に広がっていく。まるで墨が水に滲むように、黒い予感が俺の心を侵食していく。


 ◇


 その夜、宿の窓辺から町の灯を眺め、俺は拳を握りしめた。


 テーブルの上に置いたコンパスを見る。針は今も、町の向こう――遠い何かを指し続けている。まるで「そこに答えがある」と告げるように。

 ロレンツォは俺にこれを渡した時、何を知っていたんだ? 俺がこの町に来ることを? それとも、俺の力の正体を?


 冷たい窓ガラスに額を押し付ける。ヒヤリとした感触が、熱を持った思考を冷やす。


 この力を使えば、きっとまたリナを守れる。


 だがそのたび、世界の理は軋み、俺の魂は削られていく。


 次に代償を払うのは俺か。それとも、リナか。


 答えは出ない。


 ただひとつ確かなのは、この「逆再生の力」が俺とリナの未来を大きく変えてしまうということ。そして、その先に待つ運命が、決して穏やかなものではないということだった。


 遠くで鐘が鳴る。夜を告げる音が、静かに町に響く。その音は、まるで警鐘のように、俺の心に刻まれていった。


* * *


光の町に、影が忍び寄る。

代償の重さを、まだ知らぬまま。


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