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一.真夜中の花嫁道中(下)

 影依の服は嫁入りまえに秋峯家が用意してくれていました。影依の部屋のまえで待っていた女中に、おろしたての着物を着つけてもらいます。


 大胆な薔薇の衣装が目を惹く華やかな絹の着物で、影依は見ただけで眩暈がしそうでした。


「わたしがこんなにきれいな着物を着てもよいのでしょうか」


 夜が明けると、使用人たちはだれも布で顔を隠していませんでした。目元にしわのある女中は帯を取りあげながら、「奥さま以外にどなたがお召しになるのです」と笑います。


 帯は着物と合わせで作ったらしい(つる)薔薇模様でした。着物と合わせたらうるさくなりそうなところを、繊細な(こしら)えのおかげで上品にまとまっています。


 御髪(おぐし)も着物に合わせて結いなおしましょうね、と影依は鏡台のまえの椅子に座らされました。鏡はなまめかしい曲線を描いていて、引きだしには薔薇の絵が彫られています。


 影依は鏡を見るのは初めてですが、女中が映っているおかげでこれがどういうものなのかは聞かずとも理解できました。

 初めて見る少女、蒼白い肌に真っ黒い髪と目をした『影依』は夢のなかにいるみたいという顔をしています。


 女中は高島田に結われていた影依の髪をほどくと、今度は一本の三つ編みにしてうなじの辺りで輪っかにしました。それを紅色のリボンでまとめます。

 まがれいとという都会で流行りの髪型だと教えてくれました。


「もう旦那さまのもとへいってもよいですか?」

「まあ、影依さま」


 紅は何色にしようか悩んでいる女中に声をかけ、返事を待たずに影依は椅子から降りました。女中は困ったように、「旦那さまなら庭園のどこかにいらっしゃると思いますけれど……。そろそろご飯のお時間ですので、食堂で待たれてはいかがでしょうか」


「いいえ、会いにいきます」


 はやく自分を見てほしいと思い、影依は速足で階段を下りました。忙しく働いている顔のない使用人たちに挨拶をしながら外にでて、旦那さま、と呼びながら庭を探します。


 秋峯家は何代かまえから薔薇の栽培をおこなっていましたが、有名になったのは想日さまが本格的に関わるようになってからです。


 人に好かれる性質(たち)、動物に好かれる性質もあれば薔薇に好かれる性質もあるのでしょう。

 彼が植えた薔薇はどれも麗しく咲きほこり、栽培をはじめてたった十年で彼は薔薇番付の常連となって、『秋峯邸の薔薇庭園』といえば県外からも専門家がくるほどの有名所となっているのでした。


 朱、橙、深紅、薄桃、浅黄、純白……と様々な色で咲いている薔薇の間を影依は歩いてゆきます。途中で園丁(えんてい)とおぼしき中年の男性を見かけたので想日さまの居場所を尋ね、旦那さまなら秋峯邸の裏手にある温室にいると教えてもらいました。


 温室の壁は硝子でできています。分厚いその向こう側に、想日さまの細い背中が見えました。


 旦那さま、と呼びかけると想日さまは驚いたように振りかえりました。


「影依さん──」


 薔薇の着物を着た影依を見て、「よく似合っているね」と想日さまは微笑まれます。入ってもよろしいですか、と影依も顔を綻ばせながら尋ねました。


「どうぞ。どうせ、今回もまた駄目だったから」


 想日さまのまえには鉢がありました。ですが茎は途中で折れて、折れた場所が茶色く変色してしまっています。ほかの鉢は折れてはいないものの成長する兆しがありませんでした。


「こちらは?」

「新しい薔薇を生みだそうとしているんだけど、なかなかうまくいかなくてね。どうしても途中で枯れてしまう」


 想日さまは軍手をはめた手で無造作に根を抜いていきます。「白くて小ぶりな薔薇を咲かせたいのだけれど──」

「むずかしいのですか?」

「相性が悪いのかな。『夏小袖(なつこそで)』と『おぼろ舟』をかけあわせようとしているんだけど、どうしても枯れてしまう。でもどちらも秋峯家の薔薇でね──そこから新しい種を生みだしたいんだ」


「きっときれいな薔薇なのでしょうね」


 影依が云うと、うん、と想日さまはこちらを見てうなずきました。硝子越しに射しこむ朝陽に彼の目が青く輝きます。


 きれい、と影依は見とれてしまいました。


 昨夜は眠れなかったのでしょうか。彼の目の下には濃いくまがありましたが、それでも瞳の美しさを損なっていません。


「──そうだ。きみがこの家にきてくれた記念に薔薇をひとつあげよう。好きなものを選んでくれればそれを挿し木にして育ててあげるよ」

「そんな。お着物までいただいたのに、薔薇まで」

「いやかな」

「……わたしには、もったいないから」

「きみはきょうからぼくの妻だ」


 右手の軍手を外し、想日さまは影依の頬に触れます。使用人任せにせずご自身で薔薇の世話をしているからでしょう、手のひらの皮膚は彼の優しげな外見に反してかたくて影依はどきりとしました。


「ぼくの妻を薔薇で飾るのにもったいなんてことあるものか。──さあ、そろそろ朝食にしよう。この辺りの食事がきみの口に合えばいいのだけれど」


 影依はぎこちなくうなずき、想日さまのあとにつづいて温室をでます。


 こんなにいいひとが人間の血で薔薇を育てているなんて、でたらめにちがいない。そう思いながら。

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