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理科室のスクナヒコナと秘密の特効薬2

カチャリ、と鍵の開く音がやけに大きく響く。思兼くんがどこからか入手した合鍵で、私たちは理科室への侵入に成功した。

中は、しんと静まり返っていた。月明かりが大きな窓から差し込み、机や実験器具の影を長く床に伸ばしている。ホルマリンのツンとした匂い。ずらりと並んだ薬品棚。そして部屋の隅で、私たちのことを見下ろしている、あの骸骨模型。


「……で、お目当ての人体模型はどこだ?」


スサノオくんが声を潜めて言った。

私たちの視線が、部屋の一番奥へと集まる。そこには、白い布がかけられた大きな何かがあった。布の形は、まぎれもなく人型だ。


「間違いない。あの中だ」


月読会長が静かに告げる。

私がごくりと唾を飲み込んだ、その時だった。


カタン。


布の下で、何かが動いた。

全員の体に緊張が走る。やがて、白い布が内側からゆっくりと持ち上がり……その隙間から、ひょこっと小さな姿が顔を出した。


「……ちっ。また邪魔者か」


それは、子供用の人体模型くらいの大きさしかない、小さな神様だった。白衣のような服をまとい、気難しそうな顔で私たちを睨みつけている。その手には、薬草をすり潰すための薬研(やげん)が握られていた。


「あなたが、スクナヒコナ……様、ですか?」


私が恐る恐る尋ねると、彼はフンと鼻を鳴らした。


「いかにも。いかにも我は、天下に並びなき医薬の神、スクナヒコナである。して、何の用だ。我は今、忙しいのだが」


「おお、やはり!」

思兼くんが興奮して一歩前に出た。


「スクナヒコナノミコトよ! 我々は君の知識を求めている! 現在、学園に蔓延する濾過性病原体――すなわちウイルスの構造と、それに対する効果的な生薬の組み合わせ、特にアルカロイド系の有効成分について、ぜひ君の見解を伺いたい!」

「……何を言っているのか、さっぱりわからん」


スクナヒコナは、心底うんざりした顔でそう言った。


「いいから、手っ取り早く薬をよこせ! 友達が風邪で寝込んでんだよ!」


今度はスサノオくんがしびれを切らして詰め寄る。その乱暴な態度に、スクナヒコナの眉がぴくりと動いた。


「無礼者め! 神に物乞いする態度がなっておらんわ!」


言うが早いか、スクナヒコナは近くにあった薬品棚から試験管を一本つかみ、私たちに向かって投げつけた。

パンッ!

試験管は床に叩きつけられ、もわもわと紫色の煙が立ち上る。


「うわっ! けほっ、けほっ! なんだこれ!」

「硫化水素系のガスか! 待避しろ!」


理科室は一瞬でパニックに陥った。スクナヒコナは、まるで遊ぶように次々と薬品を投げつけ、私たちは逃げ惑う。煙と変な匂いが充満する中、私は必死に目を開けて、混乱の中心にいる小さな神様を見つめた。


(あれ……?)


煙を避けながら、ちょこまかと動き回るスクナヒコナ。彼は薬棚から何かを探しているようだった。でも、目当てのものが見つからないのか、ひどくイライラしている。そして、時折、彼自身も小さく「コホン」と咳をしていることに、私は気づいた。


もしかして、薬の神様も、風邪をひいたりするんだろうか?


「彼は薬を作りたいのではない。薬の『材料』が足りないんだ」


混乱の中、いつの間にか隣に来ていた月読会長が、静かに呟いた。


「神代の昔にあった薬草は、ただの植物ではない。霊力を帯びた特別なものだった。現代の学園に、そんなものが残っているはずもない」


足りない、材料……。

その言葉を聞いて、私の脳裏に、あのトイレ事件の後に残された小さな白い花の姿が浮かんだ。カマドガミの感謝の気持ちが形になった、神の力の結晶。


もしかしたら……。

私のこの力も、その「材料」の代わりになるんじゃないだろうか。


私は意を決して、煙の中をまっすぐに進んだ。


「陽菜森さん!?」

「おい、危ねえぞ!」


仲間たちの制止を振り切り、私は薬棚の前で頭を抱えているスクナヒコナの前に立った。


「あの!」


スクナヒコナが、訝しげな顔で私を見上げる。


「あなたの探しているもの、ここにあるかもしれません」


私はそう言うと、両手をそっと彼の前に差し出した。そして、目を閉じ、心の中で強く願う。

ウズメちゃんを助けたい。この風邪で苦しんでいるみんなを、元気にしたい。

その純粋な願いに呼応するように、私の手のひらから、ふわりと温かな金色の光が溢れ出した。トイレの時よりも、ずっと強く、鮮やかな光だ。


「なっ……! この光は……」


スクナヒコナが、驚きに目を見開く。彼は最初、警戒するように光を睨んでいたが、やがてそれが純粋な生命エネルギー――アマテラスの陽の力であることに気づいたようだった。


「この力を使ってください。みんなを元気にするために」


私の言葉に、スクナヒコナはしばらく黙っていた。けれど、やがて諦めたように小さくため息をつくと、私の手のひらの光に、そっと自分の手をかざした。


「……仕方あるまい。一度は人の手で失われた太陽の恵みだ。無駄にはできん」


光はスクナヒコナの小さな手に吸い込まれていく。彼は目にも止まらぬ速さで薬研を動かし、いくつかの薬草と光を混ぜ合わせ、あっという間に小さな光る飴玉のようなものを三つ、作り出した。


「ほらよ」


彼はその飴玉を、私の手に無造作に乗せた。


「……借りは作った。だが、礼は言う。これで寝込んでる友人もすぐに良くなるだろう」


そう言い残すと、スクナヒコナはくるりと背を向け、さっさと人体模型の定位置に戻り、布をかぶって動かなくなった。まるで、最初から何もなかったかのように。


手の中に残されたのは、温かく、そして優しく光る三つの飴玉。

煙の晴れた理科室で、私たちは顔を見合わせる。スサノオくんは呆気に取られ、ウズメちゃんを心配していたオモイカネくんは安堵の表情を浮かべ、そして月読会長は、私の手のひらの飴玉を、意味深な瞳で見つめていた。


翌日。私がお見舞いに届けた光る飴玉を食べたウズメちゃんは、驚くほどの速さで回復し、次の日には元気に学校へやってきた。残りの飴玉で、他のクラスメイトたちもすっかり元気になった。


私は、また一つ、自分の力の新しい可能性を知った。私の力は、誰かを守る「光」になるだけじゃなく、誰かを癒す「薬」にもなれるんだ。

胸の中に、また一つ、小さな自信が灯る。


けれど、放課後の屋上で、月読会長はぽつりと言った。


「妙だと思わないか。なぜ、スクナヒコナほどの高位の神が、ただの風邪の流行ごときに、わざわざ姿を現したのか。まるで、何者かが学園全体の『生命力』を、意図的に削ごうとしているかのようだ」


その言葉に、私の胸に灯ったばかりの小さな灯火が、不吉な風に揺れるのを感じた。


この学園に広がり始めているのは、本当にただの風邪なのだろうか。

そして、厄介神たちの騒動の裏には、もっと大きな、見えない何かが隠れているのかもしれない。

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