トイレの花子さんと嵐を呼ぶ風紀委員2
ごくり、と喉が鳴る。
後光の差す便器。異常なまでの清潔さと、むせ返る花の香り。この尋常ならざる空間を生み出している「何か」が、すぐ近くにいる。神の末裔としての勘が、警鐘を鳴らしていた。
その時だった。
「ふぅ……。ここも完璧ね!」
一番奥の個室から、満足げな声と共にひょこっと小さな姿が現れた。
腰まで届く長い黒髪を二つに結んだ、小学生くらいの小さな女の子。おかっぱ頭に、真っ赤な着物のような服を着ている。その小さな手には、なぜか真新しい雑巾が握られていた。
女の子は私の存在に気づくと、ぱあっと顔を輝かせた。
「あ! ねえ、見て見て! ピカピカでしょう? 私がぜーんぶお掃除したの! ここは私のテリトリーだから、いつでも清潔にしなくっちゃ!」
胸を張って、えっへんと得意げに言う姿は、年相応で可愛らしい。けれど、その瞳の奥には、どこか常軌を逸した情熱の炎が揺らめいているように見えた。
間違いない。この子が、今回の「厄介神」……。
「あ、あの……」
私は勇気を振り絞って口を開いた。心臓がバクバクとうるさい。
「すごく綺麗で、びっくりしました。でも、その……ちょっとだけ、お花の匂いが強すぎる、かなって……」
しまった。もっと言い方があったはずだ。でも、一度口から出てしまった言葉はもう戻せない。
私の言葉を聞いた瞬間、女の子の笑顔がぴしりと凍り付いた。
「え……?」
大きな瞳が、みるみるうちに涙で潤んでいく。
「ど、どうして……? キレイにして、いい匂いにしたのに……。不満、なの……?」
違う、そうじゃないの!
私が慌てて首を横に振るより早く、彼女の不安定な感情に呼応するように、トイレの中の空気が揺らいだ。
誰も触っていない水道の蛇口が、きゅるきゅると音を立てて勝手にひねられ、ちょろちょろと水を流し始める。壁に染みでも見つけたのか、女の子がじっと見つめると、その部分のタイルがキュキュッと音を立ててさらに白くなった。
(まずい、この子の力が暴走しかけてる……!)
どうしよう、どうすれば。私がパニックに陥っていると、背後でガラッと乱暴に扉が開いた。
「なんだぁ? さっきから騒がしいな。女子トイレで何やってやがる」
振り向くと、そこに立っていたのは、風紀委員の腕章をつけた嵐野須佐くんだった。彼は眉間に深いシワを寄せ、面倒くさそうに私と小さな女の子を交互に見やる。
「あ、嵐野くん……」
「あ?……ああ、自己紹介の時の地味なやつか。で、なんだこの状況は。こんなちっこいのが原因かよ」
スサノオくんはズカズカと中に入ってくると、涙目の女の子の前に仁王立ちした。
「おい、ちびすけ。悪ふざけが過ぎるぞ。さっさとその変な術を解きやがれ」
それは、最悪の一手だった。
スサノオくんの威圧的な態度と乱暴な言葉は、不安定だった女の子の心の最後の糸を、いとも簡単に断ち切ってしまった。
「……きたない」
女の子は、ぽつりと呟いた。
「え?」
「汚い言葉! 汚い態度! 汚い人!!」
次の瞬間、女の子はわっと泣き出した。
「せっかくキレイにしてあげてるのに、ひどいこと言う! 汚い人は、ここから出ていってぇぇぇぇっ!!」
彼女の絶叫が引き金だった。
ゴオオオッ!!
トイレ中の全ての蛇口から、まるで消防ホースのような勢いで水が噴き出した。天井のスプリンクラーまで作動し、滝のような水が私たちの頭上に降り注ぐ。床はあっという間に水浸しになり、清潔だった空間は一転、大洪水の様相を呈していた。
「ちっ、面倒なこった!」
スサノオくんは舌打ちし、びしょ濡れになった髪を乱暴にかき上げる。私も突然の豪雨に為すすべもなく、足元に広がる水の奔流を呆然と見つめることしかできなかった。
「うわあああああん! みんな汚い! 全部洗い流してやるんだからぁぁぁっ!」
女の子の泣き声はますます大きくなり、水の勢いも強くなるばかり。
どうしよう。どうすれば、この子の涙と、この洪水を止められるんだろう。
私の無力さをあざ笑うかのように、水の音はどんどん大きくなっていく。
まだ始まったばかりの学園生活が、早くも水浸しになろうとしていた。