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西ノ丸殺人事件

 慶長五年七月十二日は、未明より小糠雨(こぬかあめ)がそぼ降っていた。

 佐和山城に蟄居(ちっきょ)中の石田三成は、ふと写経の途中で顔をあげた。馬蹄の響きを耳にしたからである。ちょうど(うま)の刻を告げる太鼓が鳴り止んだばかりで、雨だれの音に混じってどこかでキリギリスが鳴いていた。不審に思い連子(れんじ)窓のはざ間から覗くと、大手門のほうから早打ちの馬が駆けてくるのが見えた。

「はて、急使か……」

 ほどなくして三成のいる看経(かんきん)の間に、使い番の郎従があらわれた。

「ただいま大坂城より、安国寺恵瓊(あんこくじえけい)さまの御使者がお見えです」

「あい分かった」


 すぐに黒書院へ移ると、島勝猛(しまかつたけ)はじめ石田家重臣の面々が顔をそろえていた。雨のなかを駆けどおしに駆けてきたのであろう、使者は下段板間の中央で濡れそぼった体を平伏させていた。

「遠路、大儀であった」

 三成が声を掛けると、あごから水をしたたらせて顔をあげた。

治部少輔(じぶしょうゆう)さまのご尊顔を拝し、恐悦至極に存じます……」

「堅苦しい挨拶はよい。して、恵瓊どのより火急の用向きとはなんだ?」

 使者は一度唾を飲み込み、息を整えてから言った。

(はばか)りながら申し上げます。一昨日、内大臣さま御留守居の佐野肥後守(さのひごのかみ)さまが、西ノ丸梅の間において殺害なされた(よし)にございます」


「なんとっ」

 一同に動揺が走った。内大臣とは徳川家康のことである。このころ彼は上杉景勝を討伐すべく会津へ向けて出陣していた。その留守を任されていたのが、佐野綱正という武将なのである。

「で、肥後を斬ったのはだれだ」

「分かりません。もっか片桐さまはじめ御取締りの方々がお調べ中でございます」

「ぐぬう」

 三成はひと声唸って、勝猛のほうを見た。

「左近、この事どう思う」

 石田家の参謀である彼は、よどみない口調で答えた。

「恐れながら、いずれ豊家恩顧の臣が義憤に駆られ成したことでしょうが、迷惑千万なことでございます。もし内府(家康)どのが途中で軍を引き返すようなことにでもなれば……」

「我らが企ても水泡に帰する、か」

御意(ぎょい)


 三成は腕を組んで瞑目した。

 太閤秀吉が世を去って二年。その間、(まつりごと)に対する家康の専横ぶりには目に余るものがあった。協力して政務をつかさどるはずの大老や奉行をさしおいて、他家と誓紙を交わし、勝手に婚姻を進め、あまつさえ蔵入地を知行として分け与えている。これは太閤の世継ぎたる秀頼への明確な裏切りといえた。だから家康が上杉討伐の陣触れを発したとき、諸大名を反徳川で結束させる千載一遇の機会に違いないと思ったのだ。

 その大事が成る前に家康を帰還させてはまずい。

「お屋形さま」

 勝猛が底光りのする眼で、三成を見た。

「ことは一刻を争いまするぞ」

「分かっておる。多少哀れではあるが、会津攻めが中止となる前になんとしても犯人を見つけ出し、腹を切らせねばなるまい」

 三成は一同を見回して言った。

「明日大坂へ発つ」



 大坂城本丸の大広間には、安国寺恵瓊や片桐且元(かたぎりかつもと)など反徳川で結束する面々が集まっていた。石田三成は旅装を解く間もなく円座の輪に加わると、挨拶もそこそこ切り出した。

「こたびのこと、わしにはどうも合点がゆかぬ。家康の陪臣を誅殺した気概はあっぱれだが、ならばどうして武士らしく名乗りを上げぬのだ」

 それに対して恵瓊が皮肉な笑みを浮かべて言った。

「ほほほ、治部どのはご存知ないようじゃの。肥後どのは刀で斬られたのではのうて、背後から鉄砲を撃ちかけられたのじゃ」

「なんと、まことか」

「警固の番士によれば、銃声はつづけざまに三発起こったそうな。ふつうの種子島ではそうはいくまい。犯人はおそらく忍びの者であろうの」

「……忍び」

 且元が太い息をついた。

「甲賀者は、輪転銃という恐ろしい武器で仕物(暗殺)をするというが、まさか御金城内でそれが使われようとは……」

「おお、怖や怖や」

 恵瓊がおおげさに身をすくめてみせる。三成はいよいよ苦りきった顔になった。

「城内にて鉄砲を放ち、はたして無事逃げおおせられるものであろうか」

「されば内応するものがいたのであろうよ」

「しかし忍びを用いたとなると、これはちと厄介だな。嫌疑はいよいよ遠国の大名にまで及ぶ。これでは犯人の見当もつかぬわ」


「ときに治部どの……」

 恵瓊が意地の悪い視線を三成へ向けた。

「島左近どのは、たしか大和国倍久利(やまとのくにへぐり)の出であったな」

「いかにもそうだが」

「大和といえば伊賀、甲賀とも目と鼻の先。おのずから忍びたちとも縁浅からぬ間柄となろう」

「おぬし、なにが言いたい」

「まあ、待たれよ」

 恵瓊を目で制しておいて、且元が咳払いをした。

「じつはな、治部どのにぜひご覧いただきたいものがあるのだ」


 且元らに伴われ、三成が向かった先は、大坂城西ノ丸だった。ここにはかつて秀吉の正室である北政所(きたのまんどころ)の座所があったが、昨年の九月、家康が伏見城より移ってきてからは、彼の臣下に取って代わられている。

 佐野綱正が殺されたという梅の間は、奥向きの要職たちの溜まりで、その名のとおり紅梅の濃絵(だみえ)が障壁一面をかざっていた。三成は部屋へ入るなり、あっと叫んだ。(ふすま)障子の一枚にどす黒い血文字で、こう落首がされていたのだ。


 太閤の世にもどさむと 山がつの むじなしとめし たまは三つなり


 猟師が三発の銃弾でむじなを仕留めたという意味だが、もちろん「むじな」は家康「三つなり」は三成に引っかけている。

「これは肥後どのを殺したものが、その血で書いたのよ」

 ジャラジャラと数珠を鳴らし恵瓊が題目を唱える。三成の顔がさあっと青ざめた。

「ばかな……知らぬぞ、肥後を殺したのはわしではない。お歴々はよもやこの三成をお疑いかっ」

 且元がなだめるように言った。

「そうではない。貴殿ほどの才人が、かように軽々しき振る舞いをなされるとは思っておらぬ。しかしな……」

 恵瓊が薄笑いで後をつづけた。

「問題は、これを内府がどう見るかじゃ。到底、申し開きの通じる相手ではあるまい」



 その夜、大坂城内にある石田三成の屋敷には島勝猛の姿があった。

 三成は、彼が持ち帰った書状を読み終えると、すぐにそれを燭台の火で燃やした。送り主は山中長俊という近江の武将で、甲賀五十三家の一、山中家の当主である。


「お屋形さま……山城守はなんと?」

 恐るおそる訊ねる勝猛に、三成は吐き捨てるように言った。

「佐野肥後を銃殺したのは望月兵太夫という甲賀者らしいが、それを裏で操っていたのはおそらく天野三郎兵衛であろうということだ」

「天野といえば、徳川の甲賀衆をたばねる奉行で、たしか肥後守とともに内府どのから留守居役を仰せつかっておりましたな」

「家康だっ。すべての黒幕は家康だったのだ。あの古狸め、まんまと我らをたばかりおってっ」


 三成は、鬼のような顔になった。

「最初から我らを挙兵させ、戦に持ち込むのがやつの狙いなのだ」

「お屋形さま、うかうかと敵の術中に陥ってはなりませぬぞ」

「もう手遅れだ。安国寺恵瓊の画策で、安芸中納言(あきちゅうなごん)(毛利輝元)どのの大坂城入りが早や決した」

「なんと」

 勝猛は狼狽して言った。

「では戦をはじめられるおつもりか。ばかなことをっ、吉川民部はじめ、まだ旗色の明らかでない武将があまたおるというに。そもそも上杉との戦で疲弊した徳川軍を叩くというのが我らの策ではござらぬか。お屋形さま、なにゆえお止めくだされなんだ」

「面目ない。例の落首の一件でどうも気後れしてな。それに備前宰相(びぜんさいしょう)(宇喜多秀家)どのがすでに陣触れを発せられたとの由、さすがのわしも事ここに至ってはどうすることもできぬと思い定めたのだ」

「……つらい戦になりますぞ」

「覚悟のうえよ」

 勝猛は長い嘆息のあと、天井の暗がりを仰いでつぶやいた。

「天下太平など夢のまた夢――亡き太閤さまは、あるいは、このときあるを薄々予見しておられたのかも知れませぬな」


※ この物語は創作であり史実に取材したものではありません。

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