怪盗の腕が流された!?普通に俺達無関係ですけど! 後編
フィクションの世界ですのでフィクションの法律とフィクションのスマートフォンとフィクションの警察が出てきてフィクションな仕上がりとなっております!!
深く考えずに雰囲気をお楽しみくださると幸いです!!
「「「大変そう。男女の数が足りてないと色々ある。」」」
ゆずが気になると言って書き出させたセリフを、クロだけでなくセタ達も声を出して復唱してみるが、全員ゆずが書き出させるほど引っかかった理由にピンとこなかった。
「なんかわかることあるか?」
セタは隣に居るティフォン達に問うが、ティフォンは眉間にシワを寄せて目をつむり首を横に振る。
隣で小首を傾げ、サングラス越しでもわかるような難解を示す顔をしたルプスがポツリと溢した。
「失礼だな、しかわかんない。」
「「そだね。」」
ルプスに同意したセタとティフォンは、この失礼な発言元である刑事達に一矢報いてやろうと真剣に考え始める。
「ん〜?男女、数、足りてない、色々ある…」
セタ達が考えている間、ゆずはガザガザと1人で食事の後片付けをしていた。
そんなゆずの行動は、若い刑事にはわざとらしく映り、手伝うでもないのに近づいていく。
「あの…、考えないんですか?」
「わかんないんで、もっと頭のいいやつに丸投げしたんですよ。」
「本当はわかってません?なんか、ヒント与えてこう、導いてる的な…。」
「本当に、わかりません。」
穏やかだが、はっきりとした否定に若い刑事はそれ以上の追及をやめる。すると、セタ達が事件をもう一度クロ達と振り返っていたらしい声が聞こえてきた。
「えぇ?なら、1ヶ月前にこの近くで腕が見つかったってこと?」
「その時は、怪盗なんて騒がれなかったし、ニセものだったから事件にならなかったんだね?」
「みたいだな。」
どうやら、クロが岐阜県警から事件に関与しそうなデータを取り寄せ、セタ達へ共有したうえで話し合っているようだ。
スマートフォンからまるで実物が出てきているかのように、立体的に映し出されるホログラムの写真には、本物の右腕、一ヶ月前に発見された偽物の右腕、そして今回見つかった偽物の左足の3種類で、どれも生々しくできれば目を背けたいものだった。
「まぁ、思いつきの犯行じゃ無かったとしたら、予行練習しててもおかしくねぇよな。ぶっつけ本番で成功とか、本来ほとんどねぇし。」
セタが思考の壁にぶつかっているとき、ティフォンはクロのスマートフォンを指で触りながら、偽物だとわかっている腕の画像を引き伸ばしじっくりと観察して感心した様な息を吐いた。
「でも、すごいよね。こんなに精巧な腕や足を作れるなんて。」
その、ティフォンならではというか、自分では抱かない感想を聞いて、セタに新しい疑問が生まれる。
いや、セタも前から疑問だったはずなのに、もっと大きな疑問が目の前に出ている気がして忘れ去られたものだと言った方が正しいかもしれない。
なぜ、偽物の手足は精巧に作られているのか。
セタが先ほど自身で発言したように予行練習なら、同じ大きさの木や、もっと別の何かでいい。
その方が、見つかっても事件性が少なく、本物を捨てる時に警察に目をつけられにくいし、何より用意することが格段に楽なはずだ。
考えられる可能性としては、犯行を及んだ人物にとって、本物そっくりの“腕”や“足”を川に流すことにとても大事な意味があったと考えたほうが自然だった。
だとして、その大事な意味とはなんなのか?
腕が怪盗のものかどうかにスポットを当てすぎていだからこそ、おざなりになってしまっていた疑問がゆっくり浮上してくる。
怪盗の腕を作っている気ではないとしたら、誰の腕なのか。
そもそも、なぜ腕を流したのか。
考えるほど、証拠隠滅のためとは想い難い犯人の行動に悩むセタ達とは違い、ティフォンは別のことを思い出そうと必死だった。
それを思い出した瞬間、ティフォンは嬉しくて声を上げる。
「あれみたいっ、食品サンプル!!」
両手の指を合わせて、スッキリしたように笑うティフォンは、あざとい気など本気でない。
固定概念と差別に囚われている刑事は嘲笑の笑みを浮かべるが、そのあまりにも自然な仕草に、若い刑事は違和感など抱かなかった。
「それに近いですよ?蝋が原料なので。」
若い刑事のその言葉に、セタはやはり疑問が大きくなる。それこそ、蝋で手足を作れる場所や人は限られてくるし、もし一般人でも大量に蝋を購入していれば目立ってすぐ警察に事件の関与を疑われる。
ますます、偽物を川に流す理由が分からなくなっていった。
「結局、何が引っかかったかは分からずじまいですか?それか、そこまで重要でも無かったですかね。」
そう言う歳だけの刑事は、特に深く物事を考えているわけではないが、クセのように顎のヒゲを利き手で撫で、空を見上げたかと思うと片付けがあらかた終わったゆずを見たりと視線だけ忙しない。
「男女の数?でしたっけ?こっちの坊ちゃんが、実は女だとかってオチでもないでしょ?」
坊ちゃんと言われたティフォンが殺気を送るのと同時に、セタが弾かれたように声を上げた。
「いやこれ、蝋の手足は男の人のじゃね?!」
セタの言葉に、全員がもう一度写真を見比べる。
映っている作り物の手は、細身のティフォンのものと比べても細く、女性についていても違和感はないようなものだった。
だが、本物の腕と比べると指や血管の太さが太い気がする。
人の腕そっくりに作ってあるその腕は、流れ着いた本物の腕とは明らかに異なっていた。
偽物と本物が異なっていることは、一見自然だし普通のことのように思われた。
だが、偽物の腕は精巧に作られている。
この偽物を作る技術を持っているのなら、切り落とした腕とそっくりに作ることは可能なはずだった。
「ほんとだ。細身だし、綺麗な作りだけど骨格的に男の人にでもおかしくないね。」
ルプスの肯定に、セタは軽く頷いてもう一度しっかりと写真を見据えた。
「だとしたら、わざと別人だと気が付かせるために作ったか…。」
「偽物の腕や足を作った人と、本物の腕を流した犯人が全く別人っていう可能性もあるってことだね。」
続いたティフォンの言葉に、セタは頷くしかなかったが、できれば違ってほしかった。
今までの考察や行動が、犯人への追及とはかけ離れてしまっていることになるからだ。
そして、それ以外にも一つ気になっていることがあった。
「なんで、腕だけ捨てたんですかね?痴情のもつれですか?」
「ん゙?私は知るよしもないですけど?」
どうしても、ゆずが犯人に目星らしきものをつけている気になってしまっている若い刑事は、本来相談しなければいけない刑事やクロではなくゆずに意見を求める。
その質問が、内容的に彼女を疑っているともとれることから、色々我慢しているティフォンの苛立ちが顔を出し、棘になって言葉と共に刑事に向かった。
「女の人に失礼な男の人の手足を、ざっくり切って流したかったのかもね。」
「で、返り討ちにあったと?」
そう歳をとっている刑事が聞き返す。そういう話ではないが、この事件に関してなら、彼の言った言葉は的外れとはいい難い。流された本物の腕は女性のものなので、男を狙ったとしたら返り討ちにあったと推測することが自然だ。
「だとしたら、どっかに女性の右足もある可能性がありますね!!なるほど、数は合ってません!!」
笑顔でゆずに同意を求める若い刑事だったが、ゆずは違和感を拭えたわけではないのでわざとわかりやすく表情に出した。
セタも、その顔を見るまでもなくヒントや突破口になっている気はしなかった。
「なら、男性の足を流す意味もわかんねぇし」
むしろ、霧が濃くなるように、見えかけている何かが覆われているような不快感が増していく。
「なんか、なんだ?俺も違和感がある………。」
セタは、その場を5歩ずつ行ったり来たり歩きながら、自分の思考と対峙した。
「足らない?数?男女?子守唄?何が」
クロも、セタのように動きはしないものの何かを掴みかけており、それを察したティフォン達が邪魔されまいと刑事達に無理矢理残っていた片付けを手伝わせる。
「ゆず、お前は犯人が別々にいると思う?」
クロの何とも日常会話に近いほど当たり前のような形の問いかけに、やはり彼女は警察関係者なのだと刑事達は思うほどだし、そうではないとわかっている本人は軽く息を吐いた。
そのため息に近いものは、クロへのマイナスな感情ではなく、諦めのような、戸惑いも含んだものだった。
本来、事件に関与しているか、近隣住民への聞き込みなら別だが、事件とは無縁の10代の娘に意見を聞くことは無い。
プロ達が、技術も経験も何もかも揃えて挑むのが当たり前だ。普通、素人の意見など邪魔でしかない。
なのに、クロが今回必要までに自分を頼るような、試すような態度を貫くことに疑問を持っていた。
それこそ、会って間もないのに信頼を寄せている様な空気すら感じることに戸惑いを禁じ得ない。
だが、ゆず自身も風見の甥であり、暴君と思えるほど真っ直ぐ立っている彼に不信感や嫌悪感は抱くことができずにいたので、素直に疑問だけ返すことにした。
「なんで、私に聞くんだよ。それこそ、セタ君の会見を聞いたほうが得られるものがあると思う。私は思考を放棄して、君に丸投げしたんだよ。」
ゆずに何故自分に問うのかと聞かれると思ってなかったクロは、言われてから考えた。
考えたが、何故なんてものは分からない。
でも、たまたまそばにいるからでも、唯一の女性の意見だからでも、叔父の言葉通りの才女だと信じてるわけでも無いのは分かった。
「お前に聞きたいから、聞いた。」
しっかりと戸惑いを顔に表したゆずに、クロは少なからずショックを受ける。
「お前を疑うとか、したことねぇじゃん。」
「うん。それが伝わってるから…、逆になんでかなって思って。」
自身の想いが正しく伝わっていること、ゆずが自分に不信感があるわけではないことを確認できたクロはすぐに調子を取り戻し、考え込んでいるセタに聞こえるように大きめの声で話しかけた。
「おいセタ。お前は、犯人別々だと思ってんの?」
聞こえたセタは、足を止めて眉間のシワを左手の人差し指で伸ばしながら軽く唸るような声を出して、ゆっくりと答えた。
「俺は……、正直……………同一犯、な、気がしてる。」
「ゆずは?」
セタに理由も聞かず、クロはもう一度ゆずへ聞いた。
それが、セタを軽んじているわけでも、自分とセタの意見が対立しているからでもないことを、目が合ったセタとゆずが気がつく。
2人とも、同じものに引っかかっているのだと気がついてしまったセタは、苦笑いしてクロに続きゆずへ問いかけた。
「ゆずちゃんも、なんかやっぱ変っていうか……この腕、作り物ってこと以外にも違和感あるよな?」
ゆずにしっかりしたリアクションを求めたわけでないセタは、ゆずの返答を待つわけではなく、視線を戻し映し出される腕の写真を拡大した。
「だって、この腕の断面と、作り物で男の人のはず足の断面って、血管までそっくりすぎるっていうか…。」
目を背けたいほどリアルな断面も、スペアリブを切ったあとだから慣れてしまったのか、今は最初ほどの恐怖と嫌悪感を抱かなかった。
腕の断面は、本物と違う断面で作り物だと言われてもわかる気のする作りなことに比べ、足の断面は本物の腕と変わらないほどリアルだ。だからこそ、違和感を持つほどだった。
セタは、自分が目を背けていたことを自覚し、もう一度真剣に己の中の霧と向き合う。
「同一人物の腕じゃないのに………、同一人物として作ってないのに、中だけそっくりだから…変だよな。」
「腕を切り落として、それ見ながら男の足も作ったってことですか?」
セタは、その可能性が高いことを理解していたからこそ、若い刑事の問いかけに答えられなかった。
そのセタやクロ達の沈黙を肯定だととったのか、何故か若い刑事はテンションをあげる。
「それだけのために腕を切り落としたとなると、かなり猟奇的な殺人犯ですね!」
「連続殺人を企てていても、おかしくないな。」
刑事達が納得し進展したかのような反応をしているが、セタはそうは思えてなかった。いや、刑事達以外は晴れない霧を睨みつけるように対峙したままだ。
霧に映る蜃気楼を見つめながら、それに向かい走ろうとする若い刑事は、テンションの上がらないセタ達にも自分達と同じ景色を見せようと必要以上に高いテンションで同意を得られるよう話しかける。
「芸術家が、己の芸術を完成させるために凶器に走ることってよくありますもんね!!」
「漫画や小説の中ならな?」
蜃気楼を切り裂くゆずの言葉は、その短さや否定的な内容に反して穏やかなものだった。
「子守唄になぞって殺人事件が起こるとかも、現実では起きない。」
否定的なのに、刑事達の苛立ちや反発心を抱かせないゆずの声色は、刑事達を否定しているわけではないからこそのものだった。
何通りもの『真実への可能性』を考えることが、彼ら刑事達の仕事だと分かっていたからだ。
だからこそ、ゆずは彼らに反発しないでクロに問いた。
「なんでだと思う?」
「現実的じゃねぇから。」
即答したクロは、警察としての顔をしていた。
「だって、俺達警察がそんな奴らの思い通りになるわけねぇだろ。」
ゆずはそんな彼を見て、ふっと何処か安心したように笑う。
それを見て、セタも肩の力がふっと軽くなるような、気が抜けたわけでは無いけれど体の余分な力は抜けた気分になる。
「そうだよな。」
この状態の自分のほうが、しっかりと現実と向き合えているとセタ自身よくわかっていた。
「小学生が殺人現場をうろついて許されるとか、何の権限もない探偵が現場に土足で入っていいとか、証拠を勝手に触って動かしていいとか、現場の物食べていいとか、舐めていいとか、現実ではねぇよ。」
セタは、拡大した写真を元の大きさに戻し、最初にクロが見解した事件の全容を映し出してもう一度見返す。
「そんな奴ら居なくても、事件を解決して法や市民を守るのが警察なんだから。」
セタと違い、事件のことから少し思考を離した歳をとっている刑事が、「そうなんですがねぇ。」と疲れているように吐き出して、河原の大きい丸石の上に腰掛けた。
「わりといるんですよ?警察を舐めてかかってるやつらが。」
本来ならタバコを吸いたかったが、クロがいる手前我慢した刑事は、ポケットに入ったままだったいつのものか分からない爪楊枝をくわえる。
「突発的な犯行もあるし、それを隠そうと躍起になりますからねぇ。」
「そうだろうなしかねぇけど。」
爪楊枝をくわえた刑事は、セタ達探偵をわかる努力をしない。だが、セタ達が刑事達の大変さをわかるということは、セタ達自身が今回のような霧や壁を乗り越えてきた証拠だと、少し考えれば気がつくくらい彼らはしっかりと向き合っていた。
「今回の事件に関しては、突発的とはいえねぇよな。」
探偵であるセタ達は、刑事達と違う日常を送っている。それこそ、殺傷ざたのものなど一度だって立ち向かったことのないものだった。
今も、心の何処かで自分達が口を出すことではないと言っている自分も確かにいるし、その自分が間違っているとは思えない。
でもセタは、その霧を自分達なりに晴らす方法を模索することをやめなかった。
これまで、何度も霧や壁にぶつかってきたから。
殺傷事件でなくとも、自分達にとってはそれら全ては大きく心にも体にも刻まれてきたものであると言えるものだったから。
その霧や壁の向こうに行けたときにしか、見えない景色があるとわかっていたから。
セタやクロだけでなく、ティフォンとルプスまで真剣に事件と向き合い出したことを感じとったゆずは、“男”がこうなっては何を言っても暖簾に袖押しであると経験則で分かっていたので、小さくため息をついたあと、誰にも気が付かれないように小さく小さく苦笑いをした。
「足の血管が、偽物っぽいのは断面を図でしか見てないからだと思う。」
苦笑いを誰にも悟られなかったゆずがそう発言すると、何も考えていなかった刑事の思考が上辺だけ動き始める。
「腕を作るために、切り落とされた可能性が高いな。」
「じゃぁ、切り落とされた女性はやはり生きてない可能性が高いですね。」
「捨てた理由がわかんねぇことになるべや。」
セタはそうはっきり言ってから、自分が被害者の生存の可能性が高い方を優先的に考えているだろうと自己分析できてしまい、少しだけ視線を下へ落とす。
「警察に、目をつけられるだろ…。本物まで流したら。」
セタの自己分析は間違っていなかったが、セタの疑問はもっともなことだった。
セタの本来の優しさも、彼の思慮深さも一番理解しているティフォンが、ゆっくりそばに近づいて隣に並ぶ。
「足は、流されてないんだよねぇ。」
そう言って、ティフォンもセタが見ていたように写真達を眺める。
ティフォンがそうしてくれることによって、セタはいつも視線を上に上げることができた。
セタを疑い、セタを戒め、セタを叱責するのはいつもセタ自身だ。
だからこそ、セタを信頼し、セタを擁護して、セタを守ってくれるティフォンの存在こそが、探偵でいられる唯一ニ無の支えといってよかった。
ティフォンと自分の両方存在しているからこそ、正しい道へ向かえている自信が湧いてくる。
「本当に、子守唄とか関係ないのかもね。コレは川から離れたところに置いてあったし。」
ティフォンの言う通り、足だけは何故か川から離れた雑木林にあった。
精巧に作られているということは、誰かに見られる事を前提としていると考えるのが自然だ。
だが、ここでは人に見つかる可能性は限りなく低いと言わざるおえなくて、どんどん疑問が濃くなっていく。
「怪盗の手足だと思わせる気がないなら、なんでこんな場所にってなるよね?偽物をせっかく作ってるのに、人に見つかる場所でもないし…。」
「足も流す気で持ってきて、落としてたとしたらその理由も痕跡もあるはずだしな。」
後ろからルプスとクロがする。彼らの存在にも支えられている気になってしまったセタは、いつも自信満々なクロを羨ましも少し呆れて見ていたのにと、自分に少し呆れる。呆れより何倍も大きな頼もしさに包まれているので結局セタは、もう視線も思考も下へ落とすことはできなかった。
「発見者を驚かせるためですかね?」
「だったら、もっと発見されやすいところに置くし、その反応を見れるようにするべ?見つからなかったらニュースになるわけでもないし。」
「ニュースにするために、本物も流した可能性がありますね!」
セタ達を説得することを断念したかのように、若い刑事はまたゆずへ話を振りに行く。
実際は断念したわけではなく、彼の中でゆずが事件の全貌を解明しているという疑惑が晴れていないからだったが、それが伝わったのはその疑惑を早急に改めてほしいゆずだけで、セタ達には不信感を与えるものだった。
すぐ思考を事件へ戻したセタとルプスとは違い、クロとティフォンは「あの野郎なんなんだ。」と内心本気で苛立つほどだったが、もう一人の刑事含めそれに気がつくことはないほど刑事達は鈍かった。
「腕を川に流したら、本来見つかりにくいんですよ。腕だけより、腕のない死体のほうが見つかりやすいし、他の部位を探される。話題性にもなるでしょ?」
「か弱くて運べなかった可能性も無くはないと思うがなぁ?皆が皆酪農で鍛えていないし。」
自分の上司が、またゆずを馬鹿にするような発言をしたことで、若い刑事はゆず本人の反応よりも周りを見渡し、クロやティフォンの怒りに気がついた。すぐにグルンと一回転するほど勢いよくゆずに向き直り、声をうわずらせて「ゆずさんが犯人ではない証拠になりますね!」とフォローを入れるが、それに意味などほとんど無い。
「犯人がわざわざ、私が事件と無関係な証拠を残してくれると思えないですけど。犯人にメリットなさすぎるんで。」
ゆずの怒りを抱かない声に、クロやティフォンは自分達の怒りを鎮めることはないものの、大人気なく相手に直接ぶつけることは避ける選択をとった。
ゆずの言葉に続くセタの声も、真面目で落ち着いたものであることから、若い刑事はほっと胸を撫でおろす。
「犯人なら、自分とは逆くらいの犯人像にしたいもんな。」
「そうだね。もし、猟奇的に罪もない人をおままごと感覚で切れる人なら、それこそどんな手を使ってでも川に人を流す方法は浮かぶと思うよ。」
“違和感の正体”を晴らすために思考を進めるティフォンとセタの少し後ろで、ルプスは違う方面から具体的に事件解明を進めようと考えていた。
「これを作れる場所とか、設備も…限られてるよね?」
ルプスの言う通り、精巧に作られた蝋の手足を作成できる人物は一般人の可能性は低かった。
ルプスと同じように事件解明の一歩を進める気だったクロは、ルプスの言葉にいち早くティフォンが頷いた事を確認してティフォンに話しかける。
「ティー、この近くの食品サンプル作ってるとこで、臨時休業のとこある?」
「待っててね!調べるから!!」
すぐさまスマートフォンを取り出して調べ始めるティフォンは悪くないとして、それを黙って見守る刑事達には言いたいことがあったセタ達の声が非難の色を帯びて放たれる。
「「警察の仕事だろ。」」
非難だと重々承知だったが、クロは自分の選択を変える気はなかった。
「絶対にティーのほうが早いし。」
一見横暴に聞こえるクロの言葉だが、今後のティフォン達の拘束時間や、刑事達に任せた時のこっち側のストレスを考え、冷静に最善だと判断した結果のことだった。
なんとなくそれも分かってしまったセタ達は、それ以上何も言わない。
セタ達が言い争わないと肌で感じたティフォンも、調べることに集中する。元々、食品サンプルに興味を持ち調べていたことも相まって、ものの数分で店を絞り、店の近況や口コミ、立地やSNSで載っている店員の写真も全て見て調べ上げ、最も“条件が揃っている”店を割り出した。
「やっぱり、ココやってない!!」
そう言ってティフォンがスマートフォンごと全員へ見せたのは、その店のSNSの投稿だ。
その投稿の最後は2カ月前となっており、店自体も急遽理由を明確にされず休業されている。
「この近辺に食品サンプルの店があったんですねぇ。」
若い刑事がよく見ようとティフォンに近づて行くが、もう一人は怠惰にも動くことすら無かった。
「もしかして、探偵事務所もこのSNSに載ってます?」
「これは、俺個人が見るためのアカウントですよ。」
何故かもう、事件が解明された気の若い刑事が余分なことをティフォンに聞き始めたので、いち早く割って入ったのはゆずだ。
「さて、そろそろ私達は解放されるかな?」
「え?一緒に行きませんか?」
「いやだから、私達は無関係な一般人なんですよ。
逆に捜査に同行していいわけなくないですか?」
実は、最後まで事件解明する気だったセタ達は、ゆずの発言で自分達が本来ゆずと同じく解放されるのを待つ立場だったと思い出す。
解放だと思えないほど真剣になってしまったセタ達だったが、ゆずの事を考えてあげられていなかったと反省し、クロに引き継ぐ選択を選ぼうとする。
それをさせなかったのは、刑事ではなくクロだった。
クロの中ではすでに、ゆずの事を試す気はない。
事件の解明にこのメンバーでここまで近づけたのだから、このままやり切るのが一番得策だと考えていたからこそだし、もしやり切れば、ゆずが自分達警察に興味を持つかもしれないという期待があった。
セタ達はもう自分専属の探偵事務所くらいに思っているクロは、ルプスはそのうち探偵事務所に吸収されるだろうと決めつけているので、狙いをゆずのみに絞っていた。
「帰ろうとすんなよ。終わってからちゃんと北海道に送ってやるから。ファーストクラスとるか、俺のジェット使ってもいいし。」
だが、ゆずの返事は「いらん。」というきっぱりとした拒絶のものだった。
しっかり、きっぱり断るゆずの声に、予想外にも少し苛立ちのようなものを見つけたクロは、続く言葉を引っ込める。
その苛立ちを、クロの金銭感覚への僻みだと解釈した歳をとっている刑事が、やれやれと何故か説教じみた態度になった。
「体のことをおいておいたとしても、それではモテなくてもしょうがないんじゃないか?」
体のこととは、ゆずが先ほど言っていた子供が出来ない身体であることだ。すぐに理解したクロ以外の面々は、怒りを隠すことなく顔に出したが、ティフォンが殴り込む前にクロが当然のように刑事に言い放つ。
「モテなくてもいいだけじゃね?」
怒りでもなく、嫌味でもなく、クロは当然のことのように言い切るので、セタ達すらポカンとするほどだ。
そう、ヒーローのようにゆずを庇うわけでもなく、彼は真実を告げているだけだった。
「モテてる人でも、俺が自家用ジェットに乗せたりしねぇけど。」
けれど、彼の中で真実であり、当たり前の宣言は、飾らない彼の本質からくるヒーロー性に基づいたものなので、まさしくヒロインを庇うヒーローの構図が出来上がる。
彼の容姿や、その性格から滲み出る強さに自然と惹かれるのは女性ばかりではないほどのものだが、ゆずは他の人物に惚れていたので冷静に(何故か気に入られてるなぁ。)くらいの分析をしていた。
あと、自分が飛行機が苦手なので自然とでてしまった不機嫌が彼に伝わってしまったのを感じ取り、すぐ冷静さを取り戻そうとする。
「飛行機は18時だ。17時以降はここ全員拘束を解いてもらう。」
もちろん、クロから嫌われるよりずっと嬉しいと本心で思えていたが、それと拘束時間を長引かせられるのは別の話だとシビアに切り替えていたので、ゆずは苛立ちを混ぜないように、なおかつはっきりと告げた。
ゆずの苛立ちが消えたことで、クロは自分が引き下がる選択肢を捨てる。
「いやだから、送るって。せっかくだし花火見てけよ。」
「そっか。風見さんが、今日は花火だって言ってたね。」
ティフォンは、クロを擁護する意図も、事件を自分達で最後まで解明したいというプライドを表したわけでもなかった。
本当に、風見の言葉を思い出し口から溢しただけだった。
それに、ここぞとばかりにのるのはクロだ。
すり寄るネコのようにティフォンのそばに寄り、尻尾を乗せるように肩に手を回して緩く拘束する。
「そーそー。ティーも見てぇよなぁ?岐阜の花火は一味違うってよく言われるし、俺のヘリ使えば上空からの花火なんて珍しいもんが見えるんだぜ?」
そう言ってティフォンをニヤリとした笑顔で覗き込むクロは、ゆずに見せる顔と違い獲物を逃がさんとしているような狩猟性があった。
「風見さんも絶対喜ぶと思うよなぁ?」
ティフォンに頷くこと以外を許さない態度のクロに、困ったやつだなとため息をつきたくなったのはゆずの方だ。
こうなったら、自分も巻き込まれるまでティフォンが解放されることがない気がしてしまうし、その根拠はない、“気がする”レベルのものは、何故か外れてくれる気がしなかった。
「早く解決して、花火見ながら宴会しようぜ?宴会場として岐阜県警の屋上貸し切るから。」
そう言って、ティフォンの肩をしっかりと抱いたままゆずの方を見たクロの顔は、いたずらっ子のような、悪ガキのような、なんとも幼さを見せるもので、
ゆずの育ての親である風見とよく似ていた。
「血は水より濃いな…………。」
そう言って小さくため息をついたゆずは、そのため息の中に信じられないほど様々な葛藤や複雑な思いを逃がすように詰め込んでいたが、分かってほしいと思える性格では無かったため、誰にも届くことはなく、普通にクロのわがままに付き合うことになる事への小さな不満だと取られる。
ため息をつかれているのに、了承を得たも同然と思っているクロは、思考の中で自分の今後の予定をものすごい速さで組み立てていった。
「風見さんも呼べば?むしろ風見さんが一番はしゃぐと思うし。」
「お前は風見さんに似てるなって言われてんだよ。この子がそのはしゃぎっぷりを一番想像ついてんだろ。」
そう言って、クロ達の会話に割って入ったセタは、わがままを言っている弟をたしなめる兄のように、ゆずちゃん達にも予定とかあるしと宴会を想い留めるように言葉を続ける。事件だって、すぐには解決しない可能性も高いと説得するが、クロはこの事件は終息に向かっていると核心的なものを持っていた。
「体調悪いなら、すぐ言ってね?」
ルプスが小声で控えめにゆずへ告げると、「えっ。」と声を出して驚いたのはティフォンだった。
ルプスは、ゆずの苛立ちが消えたのではなく、自分達のために抑えられているものだと気がついていたし、その苛立ちの原因が刑事達とは別のものであることから、ゆず自身に関わることだと推測していた。
体調不良ではないが、ルプスの推測通り、ゆずが空を移動する乗り物に恐怖を覚えるからこその嫌悪と苛立ちだった。
普段ほとんど悟られることなどないゆずは、そのルプスの観察力の高さに驚きと素直な尊敬を込めて、彼らの今後が少しでも憂鬱なものとはならないように穏やかに答えた。
「宴会代を考えると、頭が痛いだけだよ。」
「いやだから、俺が出すだろ。最初から風見さんの懐にそこまで期待してねぇよ。」
「酔っぱらいのうざ絡みに一人で立ち向かってくれる勇者が現れたから、今夜は安心だな。」
「それは言ってねぇ。」
ティフォンの調べた店は、本当に足を発見した場所から近い場所にあった。
小さなおもちゃの家のような外観は、独特だがいかにも女性達が好みそうで、細部までこだわっていることがわかる可愛らしく印象に残るものだ。
店は休業なので、店長がいなければ実家に出向く手はずも整えていたが、店には人の気配がした。
男が急に訪れては警戒されるだろうと、ゆずが店に声をかけることになった。
ゆず本人は、警察ではない自分がすることではないとは思ったが、ここまで来て無関係を貫くのも礼儀から反している気もしたので請負うことにする。
ゆずはいつもよりいくらか高い声を作り、警戒されぬように店に呼びかけると、少し扉が空いてすかさずその隙間に刑事が足を滑り込ませたので、開けた女性は心底驚き、セタ達はそれを分かっていたことだが申し訳なく思っていた。
「あの……、お話とは。」
無理矢理中に押し入った刑事とセタ達は、できるだけ怖がられないようにと適度な距離をとっていた。
「最近、ここらへんも物騒でしてね?何か些細なことでも不審なことがありましたら、お話をお伺いしたいんですけど。」
刑事が店長である女性に話しかけている間に、セタ達は不躾でない程度に店の中を観察する。
セタは、店をある程度さっと見ただけで、すぐに目の前の女性を観察することを選んだ。
女性は、ティフォンが見せてくれたSNSの写真と比べものにならないほどやつれた顔をしていて、男達が押し入ってきた恐怖と迷惑さ以外の何かが日常的に笑顔を奪っていることがよくわかる。
セタは出しゃばる気は無かったが、無関係でいる気も毛頭なかったので、タイミングと真実を掴むために慎重に事細かなところまで観察していった。
「あ、話しやすいほうがいいなら、今日はたまたま女性もいますよ?」
セタと逆にと言えるほど、大雑把にとりあえず物事を進めようとしている若い刑事は、ゆずをまるで自分が用意した部下のように振る舞う。
それに不服を感じたのはやはりティフォンたちの方だが、ゆずは先ほど声をかけたとき同様ある程度いいように使われる覚悟を持っていたのですぐ部下の思い通り人当たりのよい態度で接した。
「はじめまして、ゆずです。職業は酪農してます。」
刑事達が店に入る時に警察だと手帳を見せたので、完全に全員が関係者だと思っていた女性は、思わず「えっ。」と声を出してゆずを凝視した。
その反応は、ゆずが想定していたパターンの中でとても良い方だった。
新しい情報を矢継ぎに出され、軽い混乱状態になってくれれば、警戒の度合いはかなり落ちるタイプであると、ゆずは彼女が驚いている隙に、彼女がまた警戒する事を防ぐように話し続ける。
「今は北海道で働かせてもらってますけど、実家がこのあたりなんですよ。」
混乱させ過ぎては、警戒ではなく思考を放棄される危険があったため、ゆずはそれ以上の情報を出さないでゆっくり右手を差し出した。
「豆だらけの手で申し訳ないですが。」
誰が見ても握手を求めているとわかるように差し出された手を、悪意があるとは思っていないが困惑して見つめるだけの女性に、ゆずは悲しみも羞恥も抱かない。
むしろ、すぐ手を出してこないことから普段から人に嘘をついて場を乗り切るタイプでないことを悟り、自分の中で彼女との最善な会話パターンを組み立てていく。
セタ達もゆずが最善のために思考して、言動に気をつけようとしているのを肌で感じたので会話は聞きながらも自分達視線や思考は各々気になるものへ向けることに優先できた。
ゆずが手を下げずに待っていることを、そろそろ怪しんで何かリアクションを起こされるなと予測した直後、ゆずの腕をもう一度見て、訝しんだようにゆず本人へ視線を向けた女性がか細い声を出した。
「……えっと、なんで酪農家さんが…。」
「あぁ、匂いがありますか?風呂には入ってるんですけど、嫌煙される人はしますからね。」
女性の話の意図を汲んでいたにも関わらず、ゆずはあえて求められていない返答を返す。
その返答が、相手の罪悪感を煽るものであると理解していたし、案の定自分が申し訳無さそうに手をゆっくり下ろすのを女性が申し訳無さそうに見ていることを確認した。
「いえ、あの、違って、不思議に思ったと、言いますか…。」
それでも、ゆずへ握手を返さないだけでなく、少しも動く素振りがないことから、ゆずの中で彼女の右腕が“動かない”のではないかという疑問が核心に近づいていく。
「あぁ、左利きの方だったんですね。私の配慮不足でした。」
あくまで鈍い女を演じながら、ゆずは左腕を握手するために差し出した。
これを断れば、さっき“匂いが原因で避けていない”と否定したことを否定したように取られる事で、刑事達に何か他に原因があるのではと怪しまれると思うと予測していたし、実際それは的を得ていた。
「いえ……。」
恐る恐る、彼女は自身の左腕をゆずに差し出して握手する。
その光景を見て、「「あっ。」」と声を揃えて何かに気がついたのはセタとティフォンだった。
「えっ。」
2人の声に驚き、彼女はさっと手を引いて左手を胸の前で握りしめる。
その仕草は自然な様で、不自然だった。
「私達がここにきた理由は、運悪く人の足型の物を発見したからなんです。」
咄嗟にセタ達を凝視していた女性は、ゆずからゆっくり伝わるように告げられたことによって、緊張しながらもゆずに視線と体の向きを戻した。
「足……。」
「はい。」
しっかりと肯定しているはずのゆずが、自分を怪しんだり試すような視線でないことに、女性は思考を混乱させていく。
それを、冷静なゆず達はよくわかることができたし、ゆずはセタ達が気づいたことに自分の仮説の確証を得て、彼女を刺激することを避けるために言葉を選ぶことができた。
「私もただの酪農家なので、人体を解剖とかしたことがなくて、この人達の違和感を解明できなかったんです。」
「いわ、かん?」
「その違和感がなんなのか分かったってことですか?」
若い刑事がゆずに尋ねたことで、彼女の肩がビクッと誰にでもわかるほどはねてしまう。
そんな彼女を見て、ゆずは冷静に…指先の動きにすら気を配るほど怖がられることのない自分を作り上げるため努力した。
「私は、」
ゆずだって、こんな風に誰かと対峙したことなんて無かった。
自分の言動が正しいなんて保証は無かった。
だから、私はと言ったあと少し息を吐いて、軽い深呼吸のようなものをしてから彼女に向き直る。
「この人も、人体を解体したことのない仲間だと気がついただけだ。」
また、「えっ。」っと彼女の軽く驚く声が響いた。
「じゃあ、この店は男の手足を作っただけの店ということですか?」
男の手足を作ったのが、刑事達に自分だと確信されていると気がついた彼女は明らかに動揺し、後ずさろうとした。
作業台に力なくもたれるように下がった彼女は、そこに自分の愛用している大きな作業用のハサミがあることに気がついた。
彼女がそのハサミを手に取ろうと思う前に、セタがなぁ、と低く声をかけたので彼女は先ほどより大きくビクついた。
彼女は己を守るために、セタを睨むように振り返ったが、セタは彼女が思っていたような表情をしていないので、一瞬また彼女の思考は困惑で埋め尽くされる。
「すぐ、病院行ってくれよ。」
セタの顔も、声も、彼女を心配したものだったと困惑している彼女にすら届くほどのものだった。
「あんたの利き手、右だべ?」
言われて、彼女は無意識に蝋で作られた右腕を握りしめる。
その力が、さっきのか細い声の主だと思えないほど強く、セタ達の心も同時に締め付けるような気がした。
それでもセタは、彼女から視線をそらさずに対峙する。
「俺も、この幼馴染も左利きでさ。」
この幼馴染と言われ、ゆずではなく男であるティフォンを示されたことに、彼女は少し驚きうまく思考をまとめることが出来ないまま、体も連動して動きを止めていた。
「この店、左利きの人が使いやすいレイアウトじゃねぇって気がついたんだよ。ハサミとか、右利き用のだべ?」
セタにハサミの存在がバレていること、それが右利きようだと当てられたこと、逃げ道が完全に塞がっていること全てが彼女を窮地に追い込んでいく。
でもセタは、窮地に追い込んでいるつもりはないことを伝えたかった。
それこそ、この事件の解決なんかよりもしてほしいことができてしまっていた。
「なぁ、病院行けてねぇんじゃねぇの?付け根が痛むんじゃねぇの?」
彼女は、その優しいセタの言葉にすら睨むことで返すほど、その痛みやこの現状を憎んでいた。
いや、優しいセタにだからこそ、ある種甘えのように睨んだのかもしれない。
彼女は、ここにいる誰よりこの痛みが己のせいだと分かっていた。
分かっていたのに、それを受け入れて前に進めるほど強くなくて藻掻いていた。
彼女こそ、前も後ろも分からない濃い霧の中で1人取り残された状態に近かった。
「アンタの手が汚れてるとか、川に流すべきとか、俺達は思わねぇよ。」
そんな彼女の光に自分がなれるなんて、セタはセタだからこそ思っていない。
「困ったことあるなら、話聞くから。」
だけど、セタだからこそほおっておく選択肢はなかった。
「俺達も、警察じゃねぇから。」
セタの優しさに、彼らが自分の予想とあまりにも反していることに、ついに女性は発狂に近い声を上げた。
「ならなんなのっ!!」
セタは、そんな彼女を哀れんでいなかった。
でも、少し怖いと思った。
追い詰められた人間が、普通考えもしない行動をとることがわかっていたから。
それでも、恐怖など相手に伝えずにセタとして向き合えていたのは、やっぱりいつの間にか隣に近づいてくれていたティフォンと、後ろで支えるように立ってくれているクロやルプスのおかげだった。
「田舎の、探偵。」
探偵という言葉を聞き、彼女は咆哮のように「ふざけんなよ!」と叫ぶ。
「馬鹿にしとんの!?なんでそんな赤の他人がっ!!」
この地独特の方言が、ゆずやサヤからは聞いたことのない高さと激しさと荒さをまとって叫ばれる。
自分達とは違う方言。自分達とは違う性別。自分達とは違う職種で、違う思考。
でも、間違いなく同じ人間であった。
同情や哀れみではなく、限りなく共感に近い何かを胸に芽生えさせたセタは、彼女がハサミを手に取りこちらに切っ先を向けることを阻止できなかった。
「何様なの!!アンタ達に私の何がわかんの!!」
もう、自分では自分をコントロールなんてできない彼女にとって、ハサミだけが己を守る牙だった。
牙を向けるということは、誰かを傷つける行為だということを理解しているつもりでわかっていない彼女は、自分より巨大な力と牙を持った人物が、目の前の優しい男達ではないことに気がつくことも出来ない。
真っ直ぐセタ達へ向けられたハサミの先端は、スッと横から自然に入ってきた親指と人差し指で挟まれ、パキンとまるで板チョコでも割るような軽い音を立てて割られ、取り上げられた。
「……えっ。」
呆気にとられるとは、このことだ。
彼女だけでなく、セタ達もびっくりするほど呆気なく、一瞬の行為は、女性自信を傷つけない人道的なものであったのに、慈悲がないと感じてしまうほどだ。
「思い出が詰まっていたものなら、すいません。」
ゆずは先程までと違い、己の強さを隠すことは無かった。
本気で、相手の牙を砕き、完全に戦意を喪失させる気だったからこそ、慈悲がないと感じるほどの冷たい態度と声色だった。
「でも、貴方の思い出より、私はこの人たちのほうが大切だ。」
牙を砕かれ、逃げ道も塞がれ、女性は絶望の淵に立たされる。
そんな彼女に、クロ達は追い討ちをかけることは無かった。
「敵じゃねぇから。」
クロにそう言われ、反射的にクロを見た女性は誰かにすがりたかったのかもしれない。もしくは、牙を向けておいてゆずに牙を砕かれて被害者の様な気分になってしまっていたのかもしれない。
クロはそんな彼女の気持ちをわかろうとしたわけではないが、ゆずの気持ちはよくわかったので事実として告げる。
「そこにいるゆずも、俺達も、アンタが敵対してこない限り敵じゃねぇよ。」
そうですねと言いながら、若い刑事が近づく気配がして女性はまた警戒心を上げる。
クロが己を騙すために優しいのだと思い込もうとした彼女は、クロと自分の間にティフォンが入ってきてビクついた。
背の高いクロとは違い、自分とほとんど背の変わらない小柄で華奢なティフォンが、柔らかく笑って若い刑事が見えないよう自分を壁にしながら話しかけてくる。
クロより、刑事より、ガタイのいいセタやサングラスをかけているルプスよりずっとティフォンは怖くなかった。
それでも、牙を砕かれた彼女にとっては脅威に変わりないほどだったけれど、ティフォンはその見た目以上に優しい中性的と思えるほどの綺麗な声で語りかけてくる。
「俺達探偵は、依頼主の味方ですよ?」
“探偵”
そう言われて、彼女が見たのはセタの顔だった。
セタは、彼女が自分を見てくれたことに心から嬉しさを感じて頷く。
「あんたのこと、わかんねぇから聞かせてくれよ。」
彼女は、先程敵対したはずのセタ達だけが味方のような気分になった。
いや、彼女がまともな精神状態でなかっただけで、事実として元々セタ達は誰一人として敵対などしてなかった。
その事実が、ようやく彼女に伝わる。
伝わったのは、自分を守るものがないからこその防衛本能的なものかもしれなかったが、セタ達はそれでもよかった。
「現実の探偵ってさ、ホームズみたいな感じじゃねぇんだよ。」
セタの言葉に、何処か今まで現実味が無かった彼女の思考は修正されるように本来の思考回路に近づいていく。
「困った人の話聞いて、一緒に解決策考えて、」
セタは、そんな彼女に伝わるように、彼女がこれ以上傷つかないように、ゆっくりと、はっきりと、自分が同じ人間であると気持ちに乗せて話した。
「どうにか幸せな方へって、泥だらけになって道を作るのが仕事だから。」
セタの言葉に、飛びつけるほど彼女には元気すら残ってなかった。
それを読み取れたルプスは、セタと同じように優しい守るような声色で語りかける。
「俺なんて、探偵でもないよ?」
彼女にゆっくり右手を差し伸べ、目の前で指先をパチンと鳴らす。
お手本のような音をたてた指から、まるで魔法を使ったように美しい紫色の折り紙で作られた薔薇が現れた。
「クリエイターの、端くれなんだ…。」
ルプスがその薔薇を握りしめると、薔薇はクシャリと音を立てるはずが、そんな音は聞こえず、彼が左手で取り出した手のひらサイズの真っ白なキャンパスに右手ごと押しつけられ、魔法をかけられたように美しい絵となりキャンパスの中で咲き誇った。
彼女どころか、セタやティフォンも目を丸くしてその洗礼されたマジックに魅入っているが、ルプスは心からは喜べなかった。
「こんなにいいお店を構えるまでには、並大抵の努力なんかじゃなかったでしょ?」
ルプスは、同じものづくりを愛しているであろう彼女に寄り添うような言葉を投げかける。
「それを、切り落とさないといけないほどのことがあったのに、1人で抱えられなくても普通に……、当たり前のことだよ。」
その言葉に、ついに彼女の溜まっていた色々な何かが決壊し、涙となって溢れてきた。
「もちろん、相談だけなら依頼料は要りませんよ?」
ティフォンが直ぐ、彼女が崩れ落ちてしまわぬように、支えがあることを忘れないように話しかける。
「出張代なんてのもありません。俺の探偵事務所の探偵は、太っ腹なんです。」
そう、少しおどけて話すティフォンの声を、彼女はほとんど聞けないほど嗚咽を漏らし始めた。
「赤の他人だと、話しやすいこともありませんか?」
彼女は、最後まで偽物の腕を左手で握りつぶすように握っていたため、左手の手首は血の気を失い白くなっている。
彼女が崩れ落ちるように座り込むのを、ティフォン達は止められなかった。
彼女の腕がないのだとしたら、その痛みがどれほどのものなのか想像もできなくて迂闊にさわれなかったのだ。
「腕だけ見てやって。落ち着いたら、病院連れてくから。」
クロに頼まれたゆずは、クロの判断が正しいのか分からなかった。
それこそ、無理矢理にでも今すぐ病院へ連れて行くのが治療面から見て正しいと素人のゆずでもわかる。
だが、正しいで世界が動いていないことを知っているゆずは、クロ達の中の人としての正しいに従うことを決めた。
「………………今から言うもの、全部用意しろよ。」
女性の右腕は、やはり斬られなくなったていた。
斬ったのは、女性本人だった。
腕の止血や消毒がうまくされておらず、その傷口は目を背けたくなるものだったのに、匂いだけ消すために市販の防腐剤をかけてあり、それが運良く最悪な結末を阻止してくれていた。
セタ達が女性からゆっくり話を聞き出すと、事件の全貌が明らかになってくる。
実は、本当にあの子守唄にちなんで手や足を流そうと思っていたこと。
切り落として流してやりたいと思うほど、辛い仕打ちをうけた男がいたこと。
その男の手足を作り、切断して辛さを紛らわせていたこと。
しかし、その自分だけが苦しみ続ける日常を変えたくなったこと。
その男が少しでも恐怖と罪悪感を感じるように、腕を作り川に流したこと。それがニュースになって、自分の腕かもしれないと思ってくれる程度でよかったこと。
腕の断面図を、どうしても正しく作れなかったこと。
そのせいで、大きな事件として扱われなかったことに加えて、その男が幸せを掴んだことを知ったことで怒りと憎しみが嫌悪感になって自分に降りかかったこと。
自分の腕を切り落とし、事件性を持たせてその男の幸せを潰そうとしたこと。
男の足を腕より精巧に作り上げ、一緒に流すつもりだったが、片腕では重く落としてしまったことや、その後結局腕の痛みに狂いそうになって何も手につかなくなり自暴自棄におちいっていたこと。
文章に書けば1ページにも満たないものを、彼女は自分の中から吐き出しきるのに多大な時間を要した。
それは、私達人類にとって普通のことだった。
「いやぁ、探偵というだけあって洞察力がありますね!」
彼女が病院へ搬送されてすぐ、セタ達はなんとも言えない気持ちを味わっていたが、職業柄なのか元の性格からなのか、すでに気持ちを切り替えた若い刑事がテンションを上げて話しかけてきた。
「やっぱり、ゆずさんは色々最初から気がついてましたよねぇ?」
「全然?私は人体を解剖したことなんて一度もないからな。」
「いやぁ、ここまできて隠さなくてもまでありますよ。」
「ねぇの!ねぇのに違和感持てるくらい医学に詳しかっただけ!」
しつこい刑事をセタが吠えるように追い払おうとする。ゆずはそれを嬉しく思うよりも、疲れているだろうにこれ以上体力もストレスもかけさせたくないとセタ達の心配をしていた。
「流石に、もう私達は解放されるだろ?。」
そう、刑事達が何も言えぬようにクロに直接聞くと、クロはすぐさま肯定する返事を短く出してスマートフォンをいじり始めた。
「宴会の用意もあるし、今から買い出しに行くやつと炭火用意するやつ分けて行動する?。」
そう言いながら、クロが何やらこのあたりの食材を調べていることに気がついたゆずは、本気か?と思わず目を疑った。
女性の傷口は、セタ達にはほとんど見えないように隠して確認したが、そんな事があった直後宴会…しかも炭火というワードから肉を焼く事を心も疲れているセタ達に強要するとは思っていなかった。
だが、実際セタ達は疲れてはいたがゆずの配慮のおかげで傷口をみていないことがあり、肉には抵抗はないし、色々忘れて騒ぎたい気分もあった。
「飛騨牛一頭買いに行く?」
「この人数で一頭食えると思うなよ。あと、さらっと飛騨牛にするな。」
「何牛がおすすめなわけ?」
何処か色々諦めに近いゆずの、その諦めをしっかりと利用してクロはビッタリと近づき買い物の計画を立て始める。そんな2人の仲を見て、ゆずちゃん疲れてるのにごめんなと思えたのはセタだけだった。
「いいんですか?」
そうわざとらしくコソコソセタに話しかけてきた若い刑事が、セタがゆずに恋慕を抱いていると誤解し、あの距離を許すのかと言う意味で話しかけてきたことにも気がついたが、セタは一から十まで説明してやるつもりなんて毛頭なく、ぶっきらぼうに返すだけにする。
「よくねぇけど?アンタ達の思ってることと違う方に良くねぇんだよ。」
そう返し終わった後、刑事が何か言う前にティフォンがあの2人の仲を誤解するのが一番まずいと思い出したセタはいつの間にか隣にいないティフォンを探すためあたりを見渡す。
「ねぇーティフォン。やっぱり、俺のシャツ受け取って?」
「え!?いいの!?」
目に入ってきたのは、下呂で断ったTシャツをルプスが手渡し、それに心底喜ぶティフォンの姿だった。
「あいつ!!少し思ってたけど!!怪しいとおもってたけど!!」
思わず叫んでしまうセタに、何を思ったのか若い刑事は哀れみを込めたような声色でアドバイスした。
「女性をあと何人か追加したほうがいいですよ。」
「いらねぇ世話ですけど!!?」
ヒューという風を駆け上る音のあと、沈黙が訪れ美しい大輪が夜空に咲き誇り、爆発音が鳴り響く。
「飲めぇ!!騒げぇ!!」
その爆発音に負けないほど騒いでいるのは、宴会でテンションも気分も最高潮になっている風見だった。
「花火はいい!!花火は枯れん!!」
デロデロに開けた甚平をビラビラと揺らしながら叫ぶ風見は、咲き誇っているとお世辞にも言えない見た目なのに、誰よりも生命力と爆発力に溢れていて本当に花火の様な男だった。
「俺様のように格好良くてド派手やからなぁ!!!」
「んっふふふっ。」
「ティー見ろあれを!あの菊先がドォンのバァーンやからなぁ!」
上機嫌な風見と、それを心から楽しく幸せそうに笑いながら構っているティフォンを見て、セタはこの宴会があってよかったなと心から思えた。
ティフォンは、両親がいなかったから甘えん坊のくせに臆病だ。
そんなティフォンが本当の家族の様に風見とドタバタとした家族団欒を心から楽しめていることが嬉しかった。
だが、この光景をそんな温かく見れなかったのはゆずだ。
「結局ティフォンがドグマさんの相手しとるやんか!!」
いつも風見の相手をしているからこそ、エネルギーがいることを誰より分かっていたゆずはティフォンの明日の体力を考え憤慨していた。
「二人とも楽しそうだし、いいだろ。」
そう言って、自分は安全なところで1人飛騨牛を爆食しているクロにも腹が立っていた。
クロなら、酒も強いようだし少しは叔父である風見の面倒をみるかと思って、ティフォン達だけに負担がいくことはないだろうと思っていたからこその憤慨でもあるのに、クロは本気でティフォンと風見が楽しそうだからほっとくという選択を一切変えることはなかった。
「休めんわ!楽しくても疲れは溜まるんだよ!!昼はお前さんに絡まれてっ、夜はあんな酔っぱらいに絡まれて!」
「血は争えねぇから。」
そのクロのセリフにカチンときたゆずは、無言でクロの箸と皿を取り上げ、それに文句を言わせないほどの速さでクロ自身を持ち上げ風見に向かってぶん投げた。
「おい!!」
「はァ!?」
ぷおんっと音がなり飛んでいくクロは、しっかりと風見に直撃し、ドサッしっかり重さのある音を立ててその衝撃を周りに伝える。
「二人とも大丈夫!?」
「www。」
心配したのはティフォンだけで、酔っていたルプスはその光景がツボって息を吸えないほど笑い始める。
クロと風見はお互いギャーギャーー騒ぎ始め、宴会というよりも小学生が本気で遊ぶ公園のような雰囲気だった。
「なぁ…、ゆずちゃん。」
セタが、真剣味を帯びた声でゆずに話しかけるが、その理由は今のクロの扱いなどではなかった。
「子供のこと…、ほんとでも、ティフォンは気にするやつじゃねぇよ。」
セタは、いつもゆずが自分とティフォンが釣り合わない様な発言をすることを気にしていた。
その理由が、他の子よりも多い筋肉のせいかもしれないと思っていたセタは、いつかその考えも払拭できるだろうと軽く考えていたからこそ、今回ゆずが子供が出来ない身体であると言ったとき、それが嘘だとは思えなかったし、軽く考えていた自分を恥じた。
でも、深く考えても結局ゆずのいいところが減るわけではないと自分の中で結論づいてしまうし、嘘偽りなく、身内びいきを抜いても、ティフォンならそんなこと気にしないと言い切ると断言できる自信があった。
「私が、嫌だ。」
この前も同じ返事だったのに、今日はもっと重く感じてしまう。
「私じゃないなら、今後彼の好きになる相手がもし子供を身ごもれなくても、手足がなくても、どんな人でもいいよ。」
ゆずは、笑って見せた。
困ったような、クシャリと眉毛を下に下げる笑い方は初めてみたのに、ティフォンのあの笑い方とそっくりで驚く。
「彼を、幸せにしてくれるなら。」
ゆずも、ティフォンも、そこはかとなくいい奴であることは確かなのに、幸せに手を伸ばすことに臆病だ。
でも、ティフォンよりゆずの方がもっと臆病なのだと気がついたセタは、なんだか切なくなって酒も入っているせいで泣きそうになる。
「ゆずちゃんも幸せになっていいんだってぇ。」
そんな優しいセタを、ゆずは気遣って元気づけようと世話を焼き始めるが、その世話は焼かれる前にクロの大声で消された。
「風見さん!あいつゆずのこと口説いてる!」
「くぉらセタぁ!」
酔っぱらいに酔っぱらった義父が勢いよくセタに突進するのを、ゆずは片腕で受け止める。だが、酔っぱらいは勢いだけ止めずに「俺様の娘を口説くなんて十年早い」とかなんとか親バカのテンプレの様な文言を叫び続けた。
「違いますんで!マジで!マジで違いますんで!」
酔っぱらいが!とキレることなく、誠実に誤解だと説得してくれるセタに、ゆずは感謝して今度は彼女らしいニヤリとしたニヒルな笑みを向けた。
「私は、ちゃんと幸せだよ。」
前編と後編のあとがきを夜に更新いたします!!