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怪盗の腕が流された!?普通に俺達無関係ですけど! 前編

長くなったので前編後編分けましたけど!!本当は分けたくないほどでした!!

「「「すげぇー。」」」


 しっかりと日が昇ってきてから、セタ達は長良川の船の上で美しい自然とせせらぎを身体中に浴びていた。


 日本三大清流の長良川は、郡上の源流域から山間を流れ、伊勢湾へと注ぐ長さ166キロメートルの巨大で美しい川だ。


 透き通った川底は、丸みを帯びた石だけでなく住んでいる魚たちまでよく見える抜群の透明度で、匂いも美しい川に生える苔や藻の香りがする。



「北海道の方が雄大やないか?」


 口ではそう言うが、ゆずの声は心なしか嬉しそうだ。


「また違った良さだよ。」


 心からの笑顔で返すティフォンに、セタ達も同意を深く宿して頷く。


 実家に泊めてもらえるだけでもありがたいのに、今朝からずっと酔っていた自分達の世話を焼いてくれたゆずに、セタだけでなくルプスも深く深く感謝していた。


 今度は自分達が何か礼をしなければと思っていたくらいだったが、セタ達が義父に飲まされすぎて朝食を取れなかったことを申し訳ないと思ったのはゆずの方で、ツテを使って屋形船やがたぶねを貸し切りにしてもらい、全員が船の上で優雅な昼食をいただけることになった。


 セタ達は昨晩の出来事を深く反省しながらも、川のせせらぎと穏やかで爽やかな時間を過ごすことで、心地よく酔いが覚めていく。


 人生初の屋形船のは、5人では広すぎるほど立派だった。夜には鵜飼を観ながら、食事やお酒を楽しめるらしい。ここ最近、様々な法が変わったからか、仕出しのお弁当のようなランチではなく、立派な鮎のコース料理がテーブルを埋め尽くしていた。


 心地よい風も、美しい景色も、美味しそうな食事も、ゆずの心遣いと相まって、セタ達の身に滲みいっていた。


 セタなんて、ティフォンとゆずの結婚式など祝の席があった日には、祝儀を倍にするくらいしなければと勝手に心のなかで誓いを立てるほどだ。


 二日酔いのセタとルプスでも、箸をつけると身体に抵抗なく入る鮎の料理たちは、どれも繊細で嫌味のない味付けで、元気なクロとティフォンにはより一層ごちそうだ。貸し切りなことも相まって、2人ともモリモリモリと口いっぱいに頬張り堪能していた。


「よく入るなお前………。」


 セタが、クロを信じられないものを見る目で見て呟く。それを聞いたルプスも苦笑いしていたが、気持ちはセタと同じだった。


 クロが自分たちと一緒に深夜まで呑んでいただけでなく、軽く自分の倍の量は呑んでいたのを見ていたからだ。なのにクロは、あたかも昨日は飲まずに寝ましたけど?みたいな顔で、自腹で増やした3人前のコースを1人でガッツリ食べている。


「逆になんでもっと食わねぇの?ジンギスカンしか無理なの?」


「ちげぇよ…、めっちゃ羨ましいわ。本当にそのくらい食いてぇよ。」


 食べるのが好きな方であるセタは、滅多に食べることのできない上、文句なしに美味しいこのコース料理をガッツリ堪能しているクロが、正直に羨ましかった。自分の3倍食べても太らない、素晴らしいプロポーションもムカつく。


 それを誰より察したのはクロ自身で、上機嫌にニヤニヤと食べ続けた。


「うめぇ〜。」


「はーらーたーつーーー。」


 岐阜で災難が続いたティフォンも、本当に珍しいほどがっついていた。


「骨まで美味しい。」


 ボリボリと音を立てて骨を砕き食べるティフォンに、ゆずが引かないか心配したのはセタの方だった。


 不躾にならないよう彼女の様子を伺うと、「ふっふっ。」と小さく笑い、嬉しそうですらある。ルプスに至っても、「えぇ、ティフォンすご…。」と驚いてはいるが、嫌悪感は見られなかった。鮎の食べ方としては間違っていないのかとひとまずホッとして、自分もなるべく綺麗に食べようと心がける。


「鮎はこの時期が一番美味いからな。」


 そう、穏やかに微笑む彼女の食べ方を手本にしようと皿をみると、骨どころか内臓や頭すら見当たらない。付け合せの野菜やレモンなどもすべて、いつの間にか音もなくなくなっているその光景に、同じものが運ばれていたところを見たはずのセタすら、(え?最初からゆずちゃんの分なかった?)と思ってしまうほどだった。


 マジックでも見せられているような光景にぽかんとしていたセタだったが、持ち前の動体視力のせいで、風景とマッチしないものが視界に入ると意識は自然とそちらに向かう。


「あれ?警察?」


「ん?」


 セタの独り言に反応したのは、ゆずだけだった。彼女がセタの視線を追って、川岸に警官たちが何人か何かをしている光景を見た、まさにそのタイミングで、クロのスマートフォンが初期設定の単調な着信音を奏でる。


 クロは綺麗に箸を置き、スマートフォンを机の上に出しカバーを使って立たせ、通話のボタンを押して、また箸に手を戻した。


 この行動には、セタだけでなく全員が驚いたが、当事者のクロだけ気にしない。


 最新の普通より高めのスマートフォンは、ハンドフリーで通話すると3Dのように通話相手が浮き出て見える機能が搭載されており、セタ達はその機能を間近で初めて見ることになった。


「なんだよ。」


 そう、クロから問いかけたのに、彼は鮎の唐揚げを一匹まるまる一口で食べ始める。


 クロがぶっきらぼうに問いかけた液晶の中…いや、半分液晶から出てる人物は、クロと同年代くらいの青年だ。


 いかにも真面目そうな、黒髪黒目で平均的な容姿と身長の人物は、制服から警察関係者だということが全員にわかったが、模範的な公務員感と滲み出る誠実さにが、逆に同じ警察なのかと思ってしまうほどだった。


『クロ君って、今岐阜にいるでしょ?』


 青年が少し困った顔をしながら話を切り出しているのに、クロはしっかりと口の中のものがなくなるまで咀嚼し、飲み込むことを焦りもしなかったし、青年はそれに怒りも悲しみも抱かず返答を待っている。


 そのことも気になったが、相手が警察の関係者なら、自分達は席を外すべきかと思案したセタはすぐティフォンの方を見た。しかし、ティフォンは全く気にすることなく普通に〆の雑炊を堪能していたし、クロ達が会話を再開してしまったので、席を立つタイミングを逃してしまう。


「何?土産の話?」


『それも楽しみにしてるけどさぁ。』


 お土産の話でないのなら、いよいよ仕事の話であると確信せざるおえなかったセタは、自分が動いてティフォン達も席を外しやすい空気にしようと決心したにも関わらず、立ち上がることができなくなった。


『例の怪盗が、バラバラになって岐阜の川に流れてるらしいんだよね。』


「「「えっ。」」」


 あまりに予想外で衝撃すぎる青年の言葉に、動けなくなったセタだけではなく、クロとゆず以外は声を出してしまうほどだったし、声を出さなかっただけで、ゆずも目を丸くするほど驚いていた。


『あれ?もしかして例の探偵さん達がそばにいる?』


 悪びれるどころか、まるで当然だとでも言うように「奢らせてる。」とだけ言ってのけ、クロは普通の通話に切り替えることすらしなかったし、他の人が聞いていることに対して相手の青年が戸惑う等無かった。


『えぇ、君高給取りなのに……。』


「高給取りが奢られちゃ駄目って法はねぇだろ。」


『まぁ、そうだけど…。』


 部外者であるはずの自分達が聞いて良かったのか今も不安に思っているセタ達に比べて、青年はまるでクロが聞かせているなら意味があるとでも思っているかのように訝しむことすらない。


『資料だけ、クロ君の携帯に送るよ。軽く目を通しておいて。』


 クロの端末が光りながら短く点滅し、青年からメッセージが届いたことがわかる。


『遺体はまだ発見されてないんだけど…。今後発見されて、もし本当に怪盗のものだったら、身柄的なものをどの国にってことになるし…。違ったら捜査を岐阜の人たちに任せることにするから。』


「え?俺が調べんの?」


『情報だけでも知っておいて?』


「はいよ。給料プラスしとけよ。」


 そうフランクすぎる短い返事をして、クロは返事を待たずに電話を切った。もちろん、セタ達に謝罪の一言があるわけなく、さらに何か注文しようと店員を探すため当たりを見回しだしたので、セタはため息混じりにそれを阻止した。


「今の、俺達が聞いていい話ではなくね?同期の人っぽいけど、クロにだけ伝えたいことがあったんじゃねぇの?」


 セタの言葉を聞いても、一寸の焦りも動揺も見せないクロは「上司。」とだけ言って、またこの場の全員を驚かせた。


「上司!?お前上司にあんなフランクなの!?」


「元々友達だったんだよ。」


 注文する気が失せたクロは、携帯をいじりさっき“上司”から届いたメールを確認していく。


 何もいえないほど呆気にとられている面々とは少し違い、ティフォンだけはその上司を思い出して緩やかに笑った。


「そっかぁ、きっと優しくていい人だね。」


 そのティフォンの声に目線を上げたクロは、感情の読みにくい顔でまた短く「ゲーマー」とだけ言った。


 クロの思惑通りなのか、ティフォンは即座に「マジで?」と食いついて、少しクロとの距離を縮める。


 それをクロは嫌がりもしないで自然に受け入れていたが、気にして止めたのはセタだった。ティフォンをしっかりと元の位置にまで戻しながら、自分の懸念を解消するために、分かりづらいくつかみどころのないクロに立ち向かっていく。


「まてまてまて。え?なら本当に仕事の話じゃね?普通席を外して喋る内容じゃね?」


 クロは王者のようにふんぞり返って、当然のことのように言い放った。


「探偵だろ、解決しろよ。」


「普通の探偵は事件に関与しねぇの!!!」










「ちがくね?」


 クロの携帯の画面に2枚の写真が映っているのを、セタ達は半ば強制的に眺めることになった。


 美しい景色を見ていたいセタは、なぜ自分が切り落とされた腕の写真を見せられているのか理解したくなかった。半ば現実逃避の様な心地でいたが、本来の性格のせいで無下にも出来ず、結局クロを拒めずにもいた。


「違うと思うけど…………。」


 写真に写る腕は、怪盗のものとは違う気がした。だが、怪盗の腕をまじまじと観察していたわけではないのではっきりとは断言できなかった。


「なんかもっと…、」


 だが、セタはその腕の写真に拭いきれぬ違和感があったし、ティフォンに至っては、自身の中で確信的に怪盗とは別だと思えるものがあった。


 しかし、2人ともその違和感はしっかりとした根拠がないことはわかっていたので言葉を濁すしかない。


 そんな2人のことをわかっていてか、気にしていないのか、急にクロはルプスの手首を握りルプスを驚かせる。


「こいつの方が似てることね?」


「えぇ!?」


 怪盗の腕に似ているという意味だと、すぐに察したのはティフォンの方だった。


 ティフォンはしっかりと掴まれているルプスの手をよく見ながら頷く。


「ルプスも器用そうだもんね。」


 一見、肯定的に思われるティフォンのセリフと仕草だが、ティフォンはこれっぽっちもルプスを怪盗だと思っていない。だからこそ、ただの個人の感想だったし、クロがルプスを疑っているとすら思っていなかった。


 怪盗が器用そうだという感想はわかるとして、だからルプスの腕が怪盗と似ていることにはならないだろと、セタはティフォンと自分の感覚のズレを感じたが、割とよくあることなので言及しないで置いておく。それより、クロは何か根拠があってルプスと似ていると言っている事を想定し身構えた。


 ルプスは内心の焦りをしっかりと隠し、表面上しっかりと困惑する姿勢をとる。


「え?え?俺疑われちゃってる?」


「違うでしょ?」


 ルプスのセリフのあと、間髪入れずにクロへ否定を確認したティフォンに、ルプスが驚くほどだった。


 ティフォンにも少なからず疑われていると思っていたルプスは、「証拠ねぇからな。」とすぐ手首を離し、何事もなかったかのような態度に戻るクロ含め困惑する。


 そんなルプスの困惑を、セタはどう取ればいいのか迷っていたが、ルプスの性格から怪盗ではない可能性が高いと思い、普通に友人に弄ばれて困惑しているのだろうと結論づける。


「ルプスなら、俺を騙すなんてもっと楽勝だよ。旅館にルプスのままで現れればよかったもん。逃げ込んでるなんて疑いもせずに、全然俺達3人で泊まれるように交渉した。」


 少し説明口調で不機嫌さが見え隠れするティフォンの話し方に、彼のルプスへの大きな信頼が見て取れたし、言い分にも筋が通っていたことから、セタは素直に頷いて肯定した。


「それもそうだよな。わざわざあの場でクロに化けて現れる理由ねぇし…。」


「俺とクロが付き合ってるなんて勘違いも、絶対にしない。」


 不機嫌の中に、怪盗への怒りも含まれていることに気がついたセタは、なんだか以外だなぁという気持ちが湧いた。


 ティフォンはわりとすぐ機嫌を損ねたり、小さめのことでムカつく事があるタイプであるが、それを根に持っているぞと表に出すタイプではないからだ。表に出さず、些細なことだったと3日後に覚えていないこともザラにある。


 それほど、ティフォンの中でクロとの交際をうたがわれた…、もしくは、周囲に疑わせる発言は許せるものでなかったのも以外だった。でも逆に、自分が男色の疑いをかけられる事への怒りではなく、友人であるクロへの誹謗中傷として捉えているからこその怒りは、とてもティフォンらしくもある。


 幼馴染であるセタは、ティフォンの不機嫌はよく見るが、クロの困ったようなショックを受けているような顔は、思わず凝視するほど珍しいものだった。いや、今まで一度も無かったかもしれない。


「怒んなよ…。」


「クロに怒ってるわけないしょ。」


 ティフォンのセリフに、ティフォンの怒りが怪盗へのものであると理解したクロは、さっき見たものは幻か?と思えるほど元通りの顔と態度に戻り、セタへ写真を近づける。


「結局、コレ誰の腕?」


「知らねぇよ!?知ってたら俺が犯人だべや!」


 渾身のセタのツッコミも、ほとんど無視の様な態度で、クロはそれを別の人物に見せた。


「怪盗のだと思う?」


「「お前!!」」


 まさかゆずに見せるなんて思っていなかったルプスとセタが、声を揃えてクロに非難する。その非難に理由がわからないとでも言いたげなクロは、「は?何?」と写真はゆずへ向けたまましかめっ面だけセタ達へ向けた。


 セタもルプスも、元来の性格から容認できるものではなく、特にセタはここが屋形船の中だということすら忘れてしっかりとクロを叱った。


「女の子になんてもん見せてんだ!!」


「そういうのが無理なタイプではなくね?」


 そういう問題じゃないと続けようとした言葉は、ゆずによって遮られる。


「怪盗って女性なんか。」


「「えっ。」」


 ゆずは、クロの読み通り切られた腕の写真を見て恐怖を抱くたちではなかった。


 ゆずは、クロの行動がセタ達の怒りを抱くことも理解していたし、その怒りが正しく、二人の優しさであると伝わっていた。クロの今後のためにも今友である彼らに叱られることは大切なことだとも思っていた。


 しかし、ティフォンが大切な友達同士が険悪であることに人一倍心を痛めること、ゆず本人が腕を見てしまい苦痛を感じていないか心配していることを感じ取っていたゆずは、自分が写真を見ても恐怖を感じるたちではないと伝え、クロ達の意識を自分へ向けさせ怒りを収束させる方を選んだ。


 ゆずの思惑通り、恐怖どころか嫌悪やあきれもないゆずの反応にセタ達が驚き、その瞬間だけ怒りが静まる。


 ゆずが自分の見立て通りだと確信したクロは、セタ達にもう叱られるとこはないとでも思っているのか、ティフォンが怒っていないと肌で感じているからなのか、謝罪等はなく、そのまま話を続けた。


「警察の中では、女性って噂になってる。」


「なら、警察の中では根拠があるんやろうな。」


 ゆずが傷ついていないことに加え、警察の中で怪盗イコール女性だと思われている事を思い出したティフォンは、クロのルプスを疑うような言動が、自分の思った通り軽い冗談のようなものだったのだと安心し、困り顔のような眉毛を下げた素の微笑みを浮かべた。


「そういえば、美人って言ってたもんね。昨日会った時はおっさんかと思ったよ。」


 ティフォンの何とも返しづらいセリフも相まって、完全に叱れるタイミングも何もかも奪われてしまったセタ達に、奪った自覚のあるゆずは急須を手に取って冷たい麦茶を二人のコップへ注いだ。


 二人は、なんとなくゆずがわざとクロと自分達が険悪な雰囲気になることを避けたのかもしれないと悟り、大人しくお茶を飲むことにする。


 セタは飲む前に、そろそろスマートフォンをしまうようクロにジェスチャーをしたが、そのジェスチャーをしっかり理解してなおかつ無視したクロは、その画面のまま机の上に置いてゆずを見る。


「やっぱお前、腕見れば女ってのがわかるレベルなんだな。」


「それくらいなら、割と誰でもわかるやろ。」


 セタはクロへの不満よりも、見つめられたらどんな女性…それこそ男性でもドキッとトキメいてしまうほどの容姿であるクロに、トキメキのトの字もないゆずに少し感心した。


 クロも、ゆずの態度が今までの女性達と違うことを理解していたが、それで興味を惹かれていたわけではなかった。


 元々、ゆずがどれくらいの能力を持っているのか純粋に興味があり、たまたま今日それを垣間見えるかもしれないと期待し、セタ達が怒って中断しないギリギリのレベルで質問していくことにする。


「何歳くらいだと思う?」


 あまりにも純粋であるクロの態度に、ゆずも少し困惑していた。尋問でも、取り調べでもない、まるでクイズの答え合わせを待っている子供のようだと感じていたし、実際その感想は大きく外してはいなかった。


「なんで私に聞く?もう警察の中で答えがでとるやろ。」


「答え合わせ。お前が当たってたら、」


 クロのセリフを遮り、会話に入ってきたのはルプスだった。


「この子は、普通の酪農家じゃないの?犯人だとも怪盗だとも疑ってないでしょ?」


 「当たり前だろ。」と、なぜか自信を持っているクロがニンマリと笑う。


「ドグマさんから聞いてたんだよ。」


 ゆずにはイタズラっ子の様に見えているその笑い顔は、セタやルプスには悪い顔に見えていたし、ティフォンには猫が笑っているように見えていた。


「ウチの娘は、医学の道に進める才女だってな。」


 セタとティフォンは、クロがゆずを自分達“警察”の仲間に引きずり込もうとしているのだと理解したので、疑うよりはと安心した。だが、ゆずは今日一番驚き、大きすぎるため息をついた。


「そんなわけないやろ………。あんなもん身内びいきもはだはだしい。」


 心のなかでは、風見に対してのあきれでいっぱいだったし、身内からの過大評価におおきな羞恥も感じていた。


 それがありありとわかったセタは、心配する気持ちもあったが、ゆずに自分と似たような人間味のある“普通”を見つけられて、少し微笑ましいとも思えてしまい、特に何か言う事はなかった。


「でも、どれくらいの年齢で、何時間くらい流れてたとか、だいたいわかんだろ?」


「お前なぁ、無理言うなよ。写真だけでそんな」


 流石にゆずへのプレッシャーがひどいと思ったセタが声をかけたが、クロは頬杖をついてつまみ上げたスマートフォンをプラプラと遊ばせる。


「実物なら、もっと色々わかるだろうけど…。」


 遊ばせていたスマートフォンをまた無造作に机に置いて、姿勢のいいゆずの顔を下から覗き込む様に見た。


「お前、無免許だもんな。」


「闇医者みたいに言うな。」


 上目遣いも全く効かないことに、少しだけ不服な顔をしたクロに対して、セタはいい薬になるみたいな感想を持っていたし、ゆずのティフォンへの思いが本物である事の表れのようで嬉しかった。


 だが、ゆずはときめくことはないものの、その上目遣いはあざとくてかわいいものだと思っていたし、それを使っても自身が思ったような反応をしないことに少し拗ねていることにも気がついていた。


 それ含め、どうしても幼いような、恋とは違う愛しさに似たものを感じそうになっていることを誰にも悟られないように平然を装い、何も気が付かぬふりで麦茶を飲む。


 ティフォンだけが、本能に近い何かでゆずの気持ちを汲み取り、2人を微笑ましく見つめていた。


「で?どんくらいわかんの?」


 拗ねてますよを声と顔に前面で出し始めたクロは、無意識でこっちのほうがゆずは心を開きやすいのかもしれないと思ってのことだった。無意識なので、ハニートラップ的な意図はないものの、ゆずが思っている何倍も自分に対して他人行儀なのが気に食わないので、本心から好意を向けられたいと思っていた。


 気に食わないなら、それを打開すればいいと瞬時に判断したからこその態度だし、その判断は、クロが生きてきた中で間違っていたことはほぼ無かった。


 例を挙げれば、そばにいるセタやルプスがこのわがままな手のかかる弟的ムーブに弱い。そういった人達を肌で感じ取る事ができ、上手く甘え懐に入り込む才能や能力がクロにはある。


 だが、クロが思う何倍もゆずの態度に変化は無かった。


「鑑識と科捜研がいるのに、素人の意見なんいるか?」


「いるか要らないかは、俺が判断すっから。」


「写真でわかることなんて特にない。」


 ゆずが、自分の事を無下にもしていなければ、嫌悪や敵対、それこそ警戒すらしていないことも肌で感じているクロは、ならなぜここまで掴めないのか不思議になった。


 セタ達の方はこの2人を傍から観ているので、まるで夕食を用意している母が息子を軽くあしらいながら話しているような空気感を感じ取れていた。


 クロが今まで出会ってきた異性は、異性としてクロを意識してきた人達ばかりなので、違うゆずを異質に感じていることを、クロは本人はこのときは理解できなかった。


 だから、ゆずが非凡であることと、自分に対して警戒もないほど好意的であると自身を納得させる。


 そのポジティブ思考でリラックスしたまま、スマートフォンの画面を少しスライドさせて、まるで日常の写真でも見せるかのように別の腕の写真を見せた。


「ちなみに、左腕はコレな。」


「それは、また違う事件のデータかなんかやろ?そんなもん一般人に見せて……………」


 あまりにも、クロがリラックスしていたから。


 あまりにも、躊躇なく自分に見せてきたから。


 あまりにも、疑うとは別の目的であるとわかる態度と声色だから。


 ゆずは、思ったことを喋ってしまった。


 途中からしまったと思ったし、またクロはニンマリと猫のように笑う。


 その腕の写真は、確かに別の事件のものだった。


 しかしそれは、素人が数秒見ただけできっぱり別の事件のものだと判断できるほどのものがないような写真だ。


 その判断が出来たゆずを、今回の事件の容疑者なんてつゆほども思っていないからこそ笑う。


 自分の思惑通り、ゆずは非凡である証をチラリと見ることができたからだった。


 その“しっぽ”を、逃がす気などないように笑う。


「なぁ、酪農卒業しね?」


 ゆずの非凡さは、自分と同じ類である可能性をほぼ確信的に持ち合わせたクロは、ゆずが断ることも予想していた。


 断るゆずが正しいことも、その理由が常識的であることも予想していたし、わかっていた。


 でも、それで諦める気は無かった。ゆずは自分達の隣で立てるだけのものがあると勘以上のもので感じていたし、それ以外の未来を描く気がないほどだった。


 しかし、予想していたような現実的な否定はこなかった。


 その代わりに、全く予想していなかった提案を受ける。


「ここまで話した理由は何かあるんやろ?セタ君達も巻き込まれてるみたいなものやから、今回の事件をこのメンバーでわかるところまでまとめてみるのもいいかもな。」


 この提案は、セタ達も予想外だったので驚いた。


 しかし驚きこそしたが、次は自分の能力を見せてみろと言われていると解釈したクロは、今まで見せたことのないほど真剣に事件の全容や考察をし始める。


 もちろんその考察会議に巻き込まれたセタ達だが、ほとんどクロが導き出す事件の見解を感心して聴く係りくらいだった。


 ゆずは、別にクロの能力を試す意図などなかったため、素直に能力高い集団だなぁくらいの感想しか抱いてなく、もうすぐ終わりをむかえるこの昼食の余韻に浸っていた。


 結局、クロの能力の高さと、仕事に真剣な姿を見て、いつものギャップに好感度が上がったのは周りの男友達だけである。







 船を降り、セタ達はさっきの会議“クロの事件の全容解明考察”で話した、腕が捨てられたと予想される場所の一箇所をふらっと訪れていた。


「だいぶ絞られるな。」


 さっきの会議で地図に記したマークは、たったの3つだ。そのどれも、クロ以外も納得するほどの考察がたてられていたし、実際に訪れて想像以上に条件に適していた。


 腕を捨てるのに適した条件だと言われても、美しい川と人目から隠される自然豊かな山道であるこの地は、不名誉でしかないだろう。しかし、そんな事を考えるメンバーは男たちの中にいなかった。ティフォンなんて、今日何度目かわからない「すごいなぁ………。」をつぶやきながらぼーっと歩いている。


 セタは前を歩きながらも、色んな情報を自身の中に取り込んでそれを表に出さず飄々としているクロが、主人公のようでかっこよくて、なんともいい難い腹立たしさに似た憧れを抱いた。


 その気持ちを薄めるようにクロへ声を掛ける。


「仕事できるし、背も高いし?スタイル良くて顔もいいってか?」


「そうだけど?強いし。」


「逆に腹たたねぇわ。」


 ゆずがそばにいることが当たり前だと思いすぎている面々は、各々事件の全容を考察したり景色を見たりと好き放題しているが、唯一女性であるゆずがここに来ることに不満や嫌悪を抱いていないか心配したルプスは、ゆずの体調や心情をなるべく自分だけでも気がつけるように気を配っていた。だからこそ、ゆずが山道に落ちている何かに目を止めたこともいち早く気がつき、自然と自分もそれを見た。


「あれ?なんか」


 思わず口に出してしまうほど、この山道に不釣り合いな白色が目についたルプスは、それに近づこうとした。


 一歩近づくと、その白色がタオルである事が確認できたし、真っ白である事から特に警戒もしないで2歩目の足が上がる。


 がしっと、左腕を掴まれてその3歩目が前に出ることは無かったし、その掴まれ方が完全に予想外の強さで「えぇ!?」と大きめの声を上げた。


 掴まれた腕が痛くなるほど鷲掴まれたわけではない。それなのに、完全に身体が前に行かない感覚は、まるで手枷が巨大な柱にくくりつけられていることに気がついたようだと思わせるもので、とてもじゃないけれど掴んでいる人物が女性であると思える強さや重さではなかった。


 実際、ゆずは平均的な女性より重いだけで、体重が巨大な柱ほどあるわけではない。しかしその筋肉とぶれのない体幹で、巨大な柱と思われてもしょうがない硬さがあった。


 でも、ゆずであることには変わりない。 


「やめとけ。」


 短く、低めの声で紡がれた言葉は、ルプスを面倒事から守るためのものだったし、すぐにルプスもそれに気がつき、腕を離されても素直に従う。


「くま?くま?」


「えぇ!?岐阜にもくまいる!?」


 ルプスの声に、セタやティフォンが自然の怖さを知っている人達ならではの心配をし始め、警戒しながら守るように集まってくる。


 クロだけは、ゆずがルプスを掴んでいたこと、その視線の先に何か不自然な白色があることに気がつき、生物的なものへの警戒はしないで寄ってきた。


「なんで止めたんだよ。」


 クロのセリフと視線で、ルプスがゆずに何か見つけて近づく事を止められたと理解したセタ達も、ようやく白色のタオルの不自然さに気がついた。


 それこそ、切断された人体が包まれていてもおかしくない状況に、まだ若い女の子を連れてきてしまったことを今更ながら後悔するセタ達と違い、クロは全く後悔していない。そんなクロへ、今まで怒りを含まなかったゆずが、怒っているニュアンスが含まれる声色で話した。


「仕事しろよ、警察。」


「第一発見が俺はめんどくせぇんだって」


「一般人もだわ。」


 ゆずの怒りが、一般人であるルプスへの配慮であることを悟ったクロは、不貞腐れることも、言い返すこともなく、素直に聞き入れる。不審物を発見したと簡潔に通報し、素早く手袋をしてから靴をビニールのようなもので覆って、現場の写真を何枚か撮り、ルプス達に見えないようにタオルを手に取り中を見る。


「足かよ。」


 なんとなく予想的なものはしていたが、本当に人体が見つかった事を実感してしまったセタとルプスは、「「足…」」と繰り返すことしかできない。


 ティフォンは小首をかしげて、左手の拳を顎の下に持っていく無自覚であざといポーズを取りながら、不思議そうに呟いた。


「閻魔様に流す気だったのかな。」


「やめて?伏線みたいにしないで?」


 セタの切実な声が、遠くから近づくパトカーのサイレンによって消される。


 パトカーから刑事だけでなく、ドラマで見るような鑑識の人たちも降りてきて、セタは現実なのに現実味のない非日常に迷い込んだような心細さを感じた。












「「…………。」」


 黙ってセタ達を見つめるのは、あの旅館で出会った刑事達だった。


 その目から、探偵が事件を呼んでいるという一番嬉しくない誤解を読み取り、セタはしっかりと否定を込めて首を1回だけ横に振って否定の言葉も入れる。


「違うんすよ。マジで、たまたま、歩いてたんですよ。」


 セタの否定を聞き入れない若い方の刑事は、「死神………。」と小声でボソリと呟く。もちろんセタ達にはっきりと聞こえたが、この刑事達は勘が鈍いのか、セタに聞こえたことしか気が付かなかった。


「失礼だからな!?俺ら関係ねぇから!」


 そうセタがまぁまぁ本気で吠えている後ろで、ティフォンとルプスは露骨に嫌悪を顔に宿して刑事達を見ている。


 ゆずは、あえて刑事達の顔を見ないように離れた川を眺めていたが、その目つきの鋭さと声色から先ほどとは比べ物にならない怒りをあらわにしていた。


「犬にも失礼な奴らやな。」


「国家のってか?言うねぇ。」


 刑事達に聞こえないように呟かれたゆずの悪態は、隣にいたクロにしっかりと届いたが、クロは面白そうに笑うだけで、その言葉に不満の欠片も無かった。


 それどころか、ゆずの見ている川に足元の石を拾って投げ始める。普通の男性よりかなりの飛距離を出すことができるところを見せつけたあと、「すごくね?」と自分からゆずに言って、お前も投げてみろと石を手渡した。


 ゆずの身体的な能力を測ろうとしているそれは、はたから見れば遊び始めてるようにしか見えない。いち早く気がついたセタが叱るように声を上げる。


「クロっ、変われよ!お前が説明すべきだろ!!」


 クロは心底めんどくさそうにセタの方を振り返り、「めんどくせぇことは全部お前がやれよ。」と言ってのけた。


「お前の部下じゃねぇけど!?」


 セタの心の底からだったツッコミもスルーして石を渡そうとするクロに、ゆずは警察に事情を説明し、開放されない限り石投げの時間もないと石を足元に落とさせた。


 すぐクロが刑事にことの全容を簡潔に話し、セタは腹立つと思う反面、クロも休日まで仕事になって本当は遊びたいんだなと少し哀れにも思った。


 ティフォンやルプスも、これが終わったらクロの気が済むまで石投げくらい参加してやろうくらいに思ったほどだ。


 だが、そんな優しい3人とは違い、ゆずがセタを困らせれば石投げを了承してくれることを理解していたからこそだったクロは、思い通りに事が進んでいてご満悦くらいだった。


 クロの思惑をしっかりと理解していて、それでも自分はセタ達のために石投げをする約束を取り付ける事を選択したゆずが1人、面倒だなぁと憂鬱と寄り添った。


 そんなゆずにクロは気がついていたので、経緯の説明や、セタ達の無実はしっかりと刑事達に伝え、ゆずに嫌悪感や警戒心を抱かせないよう努める。


 あわよくば、しっかり仕事をしている姿に感心し、自分に興味を持つまで持っていけたらと思ってたが、実際、(やっぱり、仕事の時は真面目だし、仕事できるやつだなぁ。)と感心したのはまた男たち3人だけだった。


「では……たまたま、このメンバーで散歩をしている時に、クロ…さんが発見したと言うことですね?」


 クロからの説明を確認していく若い刑事は、クロに緊張しているのもあり少したどたどしい。歳だけ取ってベテランの気分になっている方の刑事は、「男4人と女1人で?」と心のなかで思うだけでいいような内容を口に出した。


 ゆずがその刑事の言葉に無反応だった事で、気分を損ねたと思った若い刑事は「女性従業員もいるん…デスね?」と一番話しやすいセタに、自分達は悪意を持って聞いたわけではないですよ?とニュアンスで伝わるように語りかける。


 セタはその意図を正確に汲んでいたし、ゆずが気分を損ねていないこともあり、穏やかに返答した。


「この子は従業員じゃないですよ。」


 ゆずの性格上、セタ達の時間が奪われたり、セタ達の尊厳を踏みにじる発言をされた時のほうが怒りや悲しみを抱くことをわかっていたからこそ、穏やかに迅速に事情聴取が終わればと思ってのことだったし、その考察は正しかった。


 セタ達は、自分はあまりこの刑事達の発言や態度に怒りを抱かず、早々にこの事件の事も任せて休日を満喫しようと内心で同じことを考えていたので、それに便乗できる若い刑事だけなら本当に時間をかけることはなく収束できる可能性はあった。


「今日は話しませんね?体調でも崩しましたか?」


 わざわざ、喋らないほど不機嫌なティフォンに、何か含みを込めていますよみたいな厭味ったらしい言い方で話しかけてきたこの歳をとった刑事が、その可能性を潰すとセタ達は理解してしまう。


 クロは、その刑事の態度に純粋になんだコイツ?と驚いた。


 自分が、この刑事より階級等が高いからではなく、本当に警察としての態度でも無いと感じたし、ティフォンになぜそんな事をわざわざ話しかけるのか意図も分からなかった。


 クロが分からないのも無理はない。


 考えていない人間に、意図など存在しないことはよくあることだった。クロの周りがそういったレベルの世界ではないからこそ驚くだけで、わりとこういった人間は存在している。


 そのわりと存在している人間の、愚かさや面倒くささ、厄介さを身に沁みてわかっているのはセタ達の方だった。


 だが、セタは本来の性格と、探偵という職業柄敵意をすぐ向けることはしなかった。それが相手を付け上がらせる要因になることがあると分かっていたが、決定的な何かがあるまで静観するのが日常だ。


 しかし、ゆずは探偵ではない。


「人の足落ちてて平常心な人なんて、あんまりいなくないですかね?」


 思い切り敵意をむき出しにした目つきで、刑事達を見据える。


 発した声も、普段の温和な彼女を知っているセタ達を驚かせる程のトゲを持ったものだった。


 “トゲ”なんて優しいものでは無いのかもしれない。


 まるで、瞬時に凶器を喉元に突きつける、次は無いと脅すような鋭利なものだ。


 言葉自体にも、観察力も洞察力も人を理解する能力もねぇな?と汲み取れる人には汲み取れる嫌味は籠っているものの、それを理解する前に怖気づく程のものだった。


 歳の分、色んな人物と対峙してきた刑事ですら、「…………失礼。」と考える前に謝罪の言葉を話し引き下がるほどで、若い方はゆずが女性なのかも、若いのかもわからなるほど恐怖と困惑に戸惑い、上司の失態をいつものフォローも何もできない。


 助けがないのだから、自分で自分をフォローしなければならない刑事は、相手は小娘だと自分を奮い立たせ、虚勢の刑事らしさで立ち向かう。

 

「探偵なので、慣れているのかと。」


「割と夢見がちな、可愛げのある刑事さん達なんですね。ホームズでもよく読んでました?ここ日本ですけど。」


 鋭利な刃物をしまい、相手をいたぶる体勢を見せ始めたゆずは、まるで弱すぎる獲物を見下ろす猫科の動物のようだ。


 獲物認定された刑事以外からは、その目つきや態度が魅力的にすら見える事を、ゆず本人どころかセタ達も知らなかった。それこそ、獲物認定された側でも、歓喜を覚えるものがでてきておかしくない。


 強さに焦がれるのは、いつだって男の方であるし、その強さに美しさを見出すのも、ある種自然の摂理かも知れない。


 このゆずを、刑事達に見られたくないなと同時に思ったのはティフォンとクロだった。


 思った瞬間にティフォンがゆずの袖を軽く引き、自分に意識を移すよう行動する。同じタイミングで、クロはゆずが警戒や怒りを隠す言葉を選んで話しかけた。


「ドグマさんに育てられたにしては、詰め方が輩じゃねぇな?ドグマさんって内縁の妻とかいたっけ?」


 ティフォンに心配をかけたと思ったゆずは、すぐに自身の態度を反省し怒りを抑え、クロがわざと警戒を解くような話題を話してくれていると気がついて、露骨だった警戒を隠した。


「……………おったら苦労しん。」


 ふっと、空気が軽くなるような気がするほど緊張が解けたのを感じた刑事達は、今までの空気が本当に目の前の存在からでていたのかも疑問に思うほどだった。


 さっき対峙していた存在が、巨大な猫科の猛獣だとしたら、今は目の前にボス猫がいるような感覚がしっくりくる。


 その切り替えの早さも自分に似ていると思って、クロは妙に嬉しかったがなんとか顔には出さずにいられた。


「警部……。」


 刑事に、タオルがあった付近を調べていた鑑識の一人が話しかける。鑑識が刑事達に何か話し始める前に、クロが声をかけた。


「足はニセモノだろ?付いてた血はどうだったんだよ。」


「「ニセモノだったのかよ!!!」」


 思わず叫んだのは、ルプスとセタだ。


 クロは「うるっさ。」と小声で心底嫌そうに呟いたあと、ルプス、セタの順番に背中へ蹴りを一発づつ入れた。


 2人とも地面に四つん這いになって「いってぇ。」と唸るのを、ティフォンもゆずも心配したが、2人とも男達の絡みというものは荒いものであるとわかってしまったので、クロを非難することはなかった。


 蹴った本人であるクロは、まるで這いつくばる2人のことをしょうがない奴らだとでも言いたげに見下ろす。


「いや、俺達も本物じゃなくてよかったと思ってんだよ。俺達触ってないから気が付かなかったし。」


 そう、セタが立ち上がりながら言うも、クロは呆れたように「あいつは鑑識が調べてるの見て気がついたぞ。」とまるで駄目だしをするように言った。


 あいつと言われたゆずを、鑑識も刑事も訝しげに見たことに気がついたクロは、すぐにセタから視線と身体の向きをそちらに向け、淡々とした声で問いかける。


「血は?」


 話を振られた鑑識は、すぐに「人の血液ではないようです。」と答え、バインダーに挟まれた1枚の書類のようなものを見せる。


 その書類が普通の一般人が見ることのないものだと思ったセタ達は、わざと目を逸らしていた。


 だが、セタとルプスは正直その内容は気になっている。本物の足ではないことはとても安心したことは確かだったが、ならあの足モドキは何で、どんな目的や現象でここにあったのか謎が増えたからだ。


 ティフォンとゆずだけは、夕飯の事を考えていた。


「腕は、なんで怪盗のとか言われてんの?」


 書類に目を通し終わったクロが、それを鑑識に返しながら質問する。鑑識が口籠ったので、すぐに視線を若い方の刑事へ移し、視線だけで早く話せと促した。


「身元のわからない…、指紋の薄い女性の腕であったことと、発見された場所が…………。」


「下呂からそこまで距離が遠くない川ってことな。他には?指紋の犯罪歴とか無かったっぽいけど。」


「特に…、確証的な、ことはないです。」


 若い方の刑事は、すいませんと謝ってしまいたかったが、いつも隣の刑事から警察は人に謝るなと教育を受けていたので口に出せなかった。出せない分、モヤモヤや苦痛が胃に溜まっていく。そんな彼に興味もないクロは、怒るでもなく飄々とした態度のまますぐに視線を反らしたことに彼は少し救われた。


「噂レベルってことか…。」


 クロは鑑識をもういいと下がらせ、そばの木に背中を預け長い脚を組んだ。その姿は警察というよりモデルのようで、セタはそのスタイルの良さを普通に羨んでいたし、ティフォンは直ぐ側にいるルプスの立ち姿も含めかっこいいと感心していた。


「噂になるような事があんの?ティーがさっき、閻魔に流すどうのこうの言ってたけど。」


 刑事達が、「どこでそれを」とティフォンに意識を向ける。急に話を振られたティフォンは、ビクッと身体を揺らしておどろいてしまい、そんな自分に少し嫌気を感じていた。


 その嫌気をすぐ察したクロが、すり寄る猫の様にスルリとティフォンに近づき、まるでイタズラをする前の子供のような声色で「俺に教えてくれるだけでいいから。」と話しかける。


 セタも、ティフォンが緊張しないように気を配ってくれているんだなと感謝に近い気持ちを持ったし、ティフォンはその気持ちに報いようと穏やかを心がけてクロに返した。


「下呂で会った子供が、歌ってた子守唄を思い出しただけだよ。悪いやつの手足は、切られて川に流される的な感じのやつ。」


「子守唄ってことは、こっから連続殺人事件になんの?」


 クロの急な爆弾発言は、セタも少し考えた一番起きてほしくない未来なので、絶対起きてほしくないという気持ちが乗ってしまい、いつも以上に大きな声が出る。


「現実では普通ねぇよ!?俺らが始めた物語でもねぇから!」


 そのセタの必死な叫びにも、クロはうるせぇと返すだけだ。そのあまりの素っ気なさに、お前が言い出しただろといつものように茶番の様なケンカを始めた2人を、ルプスがなだめ、ティフォンが微笑ましく見守っていた。


 そんな4人から目線を外し、ゆずは少しだけ今回の事件を自分の中でも整理する。自分の格安スマホを取り出し、滅多に使わないギガを使って調べ物をし始めた。


 考えるときのクセで、無意識に「ふむ………。」と小さな声を出したゆずに、気がついて興味を惹かれたのは若い刑事だ。


「やっぱり、貴方も探偵…ですか?」


「全然、違います。普通の酪農のアルバイトです。」


「酪農の……。」


 猛獣は無理でも、ボス猫なら近づけるものである。話しかけても理不尽にキレる面倒な相手ではないと、若い刑事は心底ホッとして、さっき猛獣であったと感じた本能的な危機回避能力を、怠惰で気のせいだと思うことにしてしまう。


 その2人の様子を見て、もう一人の刑事が会話に混ざれる気でもしたのか、女であるゆずを見下しているのが出てしまったのか、両方なのか、ニヤニヤと笑いながら話しかけてきた。


「酪農家に嫁ぐんですか?いいですね。体格もいいし、重宝されるでしょう。最近は安産型をあまり見ない時代だ。」


 コレはセクハラとして上に叱られる!!


 瞬時にそう思った若い方は、部下の婦警じゃないんだからやめろと叫びたかったが、それをそのまま叫んでも問題になることはわかっていたので、他のフォローする言葉を探すも咄嗟に出てこなかった。いや、いつもならなぁなぁにできたことであるが、今回は相手側が強すぎると理解できていた。


 ゆずがキレるか、セタ達に抗議されるか、最悪クロに発言を記録され報告される。このどれか一つでも自分達へのダメージは大きいものなのに、最悪全てくることになる。


 しかし、最悪を危惧した若い刑事でもゆずの返しは予想できなかった。


「子供ができない体の女を、お褒めに預かり光栄ですね。」


 場が一瞬で凍りつくとはこのことだ。


 流石に、想像もしなかった地雷であると察した若い刑事は、ゆずの顔は見れなかった。ちらりとクロたちの方を見ると、クロ達すら驚いていて、コレは取り返しがつかないと冷や汗が止まらない。


 だが、ゆずは普通の感性とは少しズレていたので、セタ達のほうがショックを受けているぐらいであることを本人がわかっているほどだった。


 実際には、子供ができる可能性が極めて低いだけであるし、自分は心から子供を望んでいないので、このことを悲観したことは無かった。


 だが、自分でない女性は違う可能性が高いことも分かっていた。


 だからこそ、場が凍ると分かっていて言い放った言葉であったし、それは先ほどのように鋭利な刃物での牽制ではなく、今までのように女性を気遣わないままだと、いつかこういった地雷を踏み抜くぞと言うことを身を以て経験させるためだった。


 これでもなお、女性を見下すことが身に沁みている言動をみせたなら、しっかりと講義しようと思っていたが、流石に分が悪いと思ったらしく黙り込む刑事を見て、ゆずはこれ以上の追撃をしない事を決める。


 隣の若い刑事の方はどうなのかと見ると、バチンと音が鳴るような感覚になるほどしっかりと目が合い、相手が軽くパニックを起こしたのがわかってしまった。


「子守唄に詳しいですか!?」


 パニックを起こしているので、自分でも引くほどの音量で質問してしまったことに加え、ゆずに「まったく。」と即答されてから、子供を持てない女性に質問しては駄目なことだったのではと気がついた彼は、内心終わった…。と逆に力が抜ける。


 でも、何も終わることはなかった。


「でもまぁ、下呂に閻魔が関わる子守唄が存在した記録は無いと思っただけですよ。軽く調べたら、最近流行ってる都市伝説からの派生だという説が有力ですね。」


 そう言って、ゆずはスマートフォンの画面を見せる。


 それにいち早く反応したのはティフォンで、ゆずが刑事達に見せたのを分かっていながら、遮るように間に入ってスマートフォンをのぞき込んだ。


「ほんとだ。5年くらい前から、ネットでも一部で盛り上がった都市伝説なんだね。むしろ、ネットが産んだ都市伝説って感じかな。」


 その、ティフォンのいつもより低い声と近い距離にゆずが反応したことに、セタだけが気がついて、やっぱりこの2人ならと、幼馴染達のラブストーリーを応援する気分になりかけていた。だが、それは本当に数秒で、気がついたらクロがビッタリとティフォンにくっついてスマホを覗いている。


「どれ?」


「これこれ。」


 あまりの2人の近さと空気が、セタの顔をなんともいえないシワだらけのパグの様な顔に変えた。


「「……。」」


 無言で見つめる刑事とルプスが、何を思っているのか手に取るようにわかってしまったセタは、自分の願望も込めて3人へ叫んだ。


「できてねぇから!」


「えぇ?」と疑問の声と顔がセタに向けられるが、疑惑のティフォンが刑事達だけを呆れたように見て、これ見よがしにため息までついた。


「怪盗の言ってたことを、まだ真に受けるてる人なんていないしょ?相当恋愛経験ない奴だけだよ。」


 セタは心のなかで、(でも、お前普通にその距離で人と接することねぇべや。)と思いそうだったが、藪蛇なんてものあってはこちらが困るだけなので踏みつけるように消した。


「モテないと言ってた気がしましたが?」


 ゆずが標的の時勝てなかったからなのか、ティフォンの馬鹿にした態度が気に入らなかったのか、両方なのか、また歳をとった刑事がティフォンに突っかかっていく。


 にこりと百パーセントの営業スタイルを作ったティフォンは、


「その俺ですら、馬鹿馬鹿しいと思ってるのにってことですよ。」


 と煽り返し、2人の攻防は続くかと思われた。しかし、ビッタリだったクロが少し離れるだけで今度は壁のようになり、両者を遮る。


 それが意図したものなのかは、セタ達には分からなかった。


「なんで足だけニセモノにしたと思う?」


 クロのいつも通りのテンションに、何も意図するものを感じなかったセタ達は、少し安心して同じタイミングでクロ達へ近づく。


 クロの質問を少し考えたティフォンも素に近い状態に戻っていて、


「えぇ?痛くて切るのが嫌になったとか?」


 と、彼らしい少し的外れだと思われそうな返事をした。


「え?自分で切ってんの?」


「あ、そっか。犯人は痛くないか。」


 一見、サイコパスに思われそうなその発言が、ティフォン本来の優しさから来るものだとわかっているルプスは、すぐにフォローとして刑事達に伝わるよう


「ティフォンは優しいから、痛い人の気持ちに寄り添っちゃうんだね。」


 と言って意図的に壁になった。


「お前ならなんでやめる?」


 クロにそう問われたセタは、さっきのパグよりは幾らかシワの少ない顔で答える。


「まず、俺はやらねぇわ。」


「話し終わらすなよ。」


 ため息と一緒にいろんな気持ちを流して、眉間以外のシワをしまい、この事件を解決できるきっかけになる可能性があるのも事実だと真剣に考えた。


「普通に考えたら、足の骨が太いからじゃね?切るのとか一苦労だろ。解体場所とか、その時の物音のことだって考えると、一般人なら無理ってなってもおかしくねぇんじゃねぇの?」


「やはり、犯人も女性の可能性が高いですか?」


 若い刑事の質問に、セタは一拍置いて答えた。


「普通に女性一人では無理じゃないっすか?相手が同じ女の人でも、抵抗したら結構力でるし。」


「運ぶのとかもなぁ?」


 そう言って、歳をとった刑事が自身の無精髭を触りながら辺りを見回す。


 見回したあと、最後に目に止めたのはゆずだった。


「君なら、普通の女性より力がありそうだな。」


 若い刑事はひやりとしたが、ゆずは猫をかぶったままで、さっきの鋭利さなど感じさせない。


 むしろ、苛立ちも、めんどくささすら感じていない態度で当たり前のように返した。


「ありますよ。私なら、全身を10cm幅に切って始末できる。見つかるリスクの高い川になんか流しませんね。」


「遺体を解体するのは重労働だが、言い切れるほどの?」



 返事の代わりにゆずはゆっくりと歩き、人の頭ほどの岩と言うには小さく、石と言うには大きいものの近くに移動する。その石を、本当に頭のように軽く2度なでたあと、そのまま手のひらを石の中央で止め、声も出さずに力を入れた。


 バキンと、まるで砂糖菓子でも割れたのかと思うほどあっけなく石が2つになった光景は、見る人にとってタネのある手品を見ている感覚になるものだった。


「「………。」」


 驚いたセタとルプス、自分の予想以上の能力を見てご満悦のクロ、引いている2人の刑事はそれぞれ違う思いだが、同じく一言も発さなかった。



 「すげぇ…。」と本心からこぼすように話したのはティフォンだけだし、それを聞いてゆずは不自然でない程度に目線をそらす。


 顔にでにくい彼女だが、耳だけが赤く染まり心の内を色で表していた。


 残念というか、幸いなのか、それに気がつく粋な男はこの場にはいない。


「なるほど…。君なら、刃物を使わなくても良さそうだな。」


 無粋になることを信条にでもしているのかと問いたくなるような刑事の発言に、ゆずの熱はスッと引く。それでも、十代らしからぬ落ち着きで「楽できるんで、使うと思いますよ。」と返した彼女は、同年代よりも苦労してきたからこそ身についてしまったものでもあった。


「本当に殺さなければいけない存在が、目の前にいたらですけど。」


 この彼女なりの冗談のような軽口は、場を明るくするためでも、会話を終わらせるための締めの言葉でもなく、優しいセタたちのための十代らしくイキった牽制のつもりだ。


「なんの刃物だと思う?刃渡りしかわかってねぇんだよな。」


 クロのこの発言も、下手をしたらゆずを疑っていると捉えられるものであるのに、ゆずにそう思われる可能性は、クロの中でなぜか0だった。


 クロの勘に近い自信のようなものが、まっすぐ純粋に彼の瞳からゆずに伝わり、結果、本当にゆずの中から彼が自分を疑っているのではないかという疑惑は0に近づいていく。


「人の腕をこんなスパッと切れるなんか作れる?酪農家の知恵を絞ってなんか思いつかねぇ?」


「お前さんの中の酪農家ってなんだ?科捜研か?」


「包丁だとは思ってねぇだろ?ノコギリでもねぇし…。」


 ゆずが訝しげ…いや、少し呆れたようにクロを見上げるが、クロは気にもしないで鑑識からもらったデータをゆずに見せつける。


「アニメみたいに、ピアノ線でスパッととか、紙は剣より鋭いとかないだろ?」


 そんなの、一般人に見せるなという言葉を出させないように、クロは矢継ぎに話し続けた。


「早くわかったら、こいつらも早く帰れるのにな?」


 急に同意を求められ、反射的に頷いている若い刑事は、もうそういうタイプの人物なのだろう。それをわかっていてか、興味を元々持ってなかったのか、クロはまたすぐに視線をゆずへと戻す。


「肉屋でもなく、一般人とかがこんなスパッと骨まで切れるものって作れる?」


 無茶振りをするなとセタが声をかける前に、ゆずは特に態度や声色を変えることなく答えた。


「ギロチンは作れる。」


「「「ギロチン!?」」」とその場にいた全員の声が重なった。





「コレで、簡易的なギロチンになりうる。」


 ずぱんっと小気味いい音を立てて、さっき買ってきたスペアリブが骨ごと綺麗にカットされる。


 それを食品用の手袋をしたゆずが袋に入れ、クロへ渡した。


「断面はこんな感じだ。」


 その断面は、腕の写真のように綺麗な切り口だ。

ギロチン自体も、全てホームセンターで揃うものを買ってきて組み立てたもので、値段も、作る手間も、全て含めて普通の一般人が難なく作り上げることができるものだった。


「すげぇー。」


 断面を確認しているクロやセタと違い、ティフォンはギロチンに興味津々で、すげぇすげぇと独り言を言いながらウロウロと観察していた。


 そんなティフォンに、ゆずは注意事項を話し、手袋と切断してないスペアリブを渡す。


 ティフォンは喜んでスペアリブを切っていき、それを少し引きながらも目が離せないルプスが「わぁ…。」と何やら可愛らしい小動物のような声を出していた。


 すぐにクロもやると言いはじめ、スペアリブ切断会が行われ始めた頃、ゆずが無闇矢鱈と人を攻撃する人物ではないと結論付けた若い刑事が、形だけ恐る恐る質問した。


「前科とかあります?」


「調べたんじゃないんですか?」


「………いやぁ、女性に化けてたりとかしてたら洗い直しかなぁみたいな。」


「だったら化けるのド下手でしょ。この腕を見せていては、怪しんでくださいまである。」


「前科なんてあるわけねぇだろ。」


 ムッとしたセタが言い返すと、「ですよねぇ〜?」なんて笑い話のような態度の刑事に、不満や不信感が募っていく。


 だが、クロだけは冷静だった。


「もし前科あったら、そこら辺の奴には掴めない尻尾だろ。」


 クロは、何度も切って確かめた断面を見せるように刑事達の方へつきつける。


「こいつは、怪しまれる時点でやましいことないってわざわざ言ってやってるみたいなもんなんだよ。」


 そのセリフもどうなの?ゆずちゃんが完全犯罪できるみたいじゃん?


 そう口から出そうになったセリフを、セタは忍耐で押し込める。クロなら肯定しかねないし、できるできないをここで証明するための時間は取りたくないと思ったからだ。


「生きてるか、生きてないかだけ知りてぇな。」


 クロがそう言って、袋詰めの肉を上に掲げて見始める。諦めている刑事達とは違い、セタ達も腕を切られた本人がそれ以上傷ついていないことを心から願っていた。


 ゆずは男子たちがスペアリブを切り終わったことを確認し、すぐに簡易ギロチンを解体し始める。その手際の良さに、若い刑事は一拍話す言葉を止めてしまったほど迷いのないものだった。


「片付けるんですか!?」


「なんの根拠もない、素人の工作でしかないので。」


 ゆずの言ったことはもっともであったが、刑事達は納得がいかない気がしてならなかった。なんなら、クロがいなかったらゆずのこの知識をどこで入手したのかや、過去に作ったことがあるのかなどしっかり部屋で尋問しておかしくないくらいだ。


 そんな刑事達はもうすでに頭の片隅にいるか怪しいティフォンは、河原でバーベキューのつもりで友人たちに話しかける。


「豚肉もったいないし、なんか作る?手の込んだのは時間的に無理だけど。」


 ティフォンのその言葉に、「食う。」と即答したクロをに、「んふふふ。」と穏やかに笑った。


「わかったよ、待っててね。」


 ここで?とか、自由すぎない?とか誰も言えないほど自然に、「手伝おうか。」とゆずが言い始め、「いいの?」と笑顔のティフォンが嬉しそうに用意し始めた。


 2人が仲良く手際よく調理の用意をし始め、ルプスがマジックのように素早く火を起こし、血なまぐさい事件などなかったかのようなアットホームな雰囲気が3人を包んでいる。当然その中に入っていこうとしたクロを、セタが引き止め少し離れた場所へ引っ張って行ってから、小声でまくしたてた。


「クロぉ、マジで頼むってぇ。」


「は?きも、何が?」


「あの二人をさぁ、あの二人いいと思うだろ?な?茶化したり溝作ったりすんなよ?マジで頼むぞ?」


「いやきもっ、何目線なんだよ。」


「ティフォンはほぼ弟だわ。」


「普通の兄貴は弟の恋路に口出しとかしねぇ。」


「急な正論やめて?」


 テンポの良いセタ達の会話は、まるで練習された漫才のようだが、いつも笑ってみている観客は今日はいない。


 火を起こし終え、ルプスが2人の漫才じみた攻防戦を覗きに来た頃、なぜか事件の事を考えるでもなくボーッとゆず達を見て不安そうな刑事達の独り言が聞こえた。


「大丈夫ですかね、あの2人料理とか苦手そうですけど。」


 さっきから、ゆずに対して失礼だと怒りを何度も飲み込んだセタが、今回も吠えずにいられたのは自分達…いや、ゆずとティフォンが勝利すると確信していたからだ。もちろん、ティフォン達に勝負している気がないことは承知の上で置いておく。


「見てろよ。柚子ちゃんもティフォンもめちゃくちゃ料理できるんだからな。」


「は?コイツラには食わせないだろ。」


「だよねぇ〜。」


 クロ達に言われ、それもそうかとセタは肉の焼けるいい匂いにつられてティフォン達のもとへ足を進めた。



 がふっと焼きあがった骨付きの肉にかぶりつくと、ジュワッと肉汁が流れる。


 その汁が美味いのに、もったいないと思いながらも、ブチィッと音を立てて肉を引きちぎると口だけではなく身体が喜ぶほど充実感と幸福が熱とともに広がっていった。


「あっふっ。」とやけど上等くらいの勢いでかぶりつくクロも、「うめぇ~。」とおっさんの様な声を出してしまうセタも、「ん~~。」とちょっとオネェみたいになるほど感激しているルプスも、作ったティフォン達にとって百点の食いっぷりだった。


「「………。」」


 3人をニコニコ微笑みながら自分ももぐもぐし始めたティフォンも無言だが、本気で無言で見ているのは自分達で何も用意しなかった刑事達だった。


「要らないなら無理しなくていいんで。」


 そんな刑事達に、ゆずが皿に乗せたスペアリブをわける。クロはその光景にめちゃくちゃ驚いていたし、セタやルプスも自分で不思議なくらい驚いた。本能的に、自分達の肉が減る!!と危機感に近い何かを感じたのは生まれて初めてだった。


「え!?俺達のあるんですか!?」


 驚くが素直に受け取ろうとする若い刑事に対し、「俺食う。」とクロが言うだけでなく本当に奪うために立ち上がろうとする。


「クロ、こっちも食べていいよ。」


 そう言ってティフォンが自身のスペアリブを1本クロに譲ったことによって、ティフォンも彼らに肉を分け与えることを了承しているとわかってしまったクロは、納得は全然できていないが引き下がるしか無かった。


「まず野菜を食えよ。器用によけるな。」


 スペアリブ以外の野菜も焼いて皿に盛ったのに、食べられていないことをゆずに注意され、クロは「やる。」とピーマンを箸でつかんでゆずに差し出した。


 やる人によってはイチャイチャして見えるそれは、がッと音を立てて手首ごと向きを変えられ、結果だけ言うとクロが自信でピーマンを食べただけになった。


「んぅ!!」と抗議するクロを、ティフォンは微笑ましく見ていたし、ゆずはため息をついた。


「まったく、そんなところが似とるのか。」


 似ているのが育ての親である風見だろうと一番に察したセタは、娘は父に似た人を選ぶという星座占いレベルで信憑性のない都市伝説を思い出し、全く色恋の欠片もないこの二人に危機感を抱いてしまい不自然なほど声を大きくして割って入った。


「ゆずちゃん、実はティフォンもトマト食えねぇんだけど。」


 急に自分の話を出され、しかもそれが野菜が食べれないという情けないものであったことから、「なんでバラすんだよ。」とティフォンは素でセタに抗議した。しかしセタはもう目の前のクロ達のフラグを折るのに必死で前が見えていないくらいなので止まらない。


「今の方法ならイケるべ!?もちっとほら!威力は弱めてもらって!」


「出されたら自分で食べるよ。健康のためにトマトジュースとか飲むし。」


 まず、クロとゆずにフラグなんてものは立っていないので、セタはいない敵と戦っている状態だからこそ、終止符も打たれづらかった。どんどんティフォンがすねてしまい、ゆずとのフラグが立ちづらい悪循環に差し掛かっているのをセタも感じたし、ルプスも気がついてまぁまぁと2人の間に入り終止符の役割を担おうとする。


「でもさぁ?嫌いなもの無理して食べるのって、逆に健康を害してね?」


 そう言いながら甘えるように野菜をちょこちょこティフォンの皿へ移すクロに、世話焼きしたい派のティフォンの機嫌が少し晴れてしまう。


「でも、吐き出せずに食べたじゃん。クロ凄いよ。」


 そう言ってティフォンがクロを撫で、完全にこの2人のフラグになってしまったことに敗北感と後悔のダブルパンチを食らってうなだれるセタに掛ける言葉が、ゆずには分からなかった。


 そんなゆずの気持ちも汲んだルプスが、暗くなりすぎない声で話しかける。


「せっちゃん、コレは手強いね。」


「…せっちゃんをやめて?誤解されちゃうから。」


 そんな身内茶番劇を繰り広げている探偵たちをよそに、スペアリブを恐る恐る食べた刑事達はなぜか驚いていた。


「えぇ、美味くないですか?」


「惜しいな、体が健康なら嫁の貰い手は居ただろうに。」


 ゆずに上司の発言が聞こえたのを理解していた若い刑事は、他のメンバー達を気にする余裕もなくおどけて話しかける。


「か、彼氏とか居ますよねぇ?ハハッ。」


 「ブフッ」とゆずが吹き出して笑い、予想外だった刑事達は動きを止めた。


「なんで急にネズミッキーになった?」


 せっかく笑いが収まりそうだったのに、クロからの追撃を受けたゆずは、下を向いたままバシッと彼の左腕を叩いた。


「いった!?そのレベルでコレはお前酪農とかしてんな!格闘家しろ!」


「そりゃいい。似合うとおもますよ?」


 フォローのつもりかなんなのかよくわからない刑事(歳)のおかげで笑いから解放されたゆずは、はぁと1回息を整えて顔を上げた。


「でも、殺したら逮捕するんでしょ?」


 もう、先ほどの掴みどころのない生意気なボス猫のような彼女に戻っている。


「試合でも、殴り殺したら人殺しだ。」


「そんな強ぇの?やっぱ特殊部隊来たら?」


 自分がこの刑事達とは違い、ゆずを気に入って仲間に引き入れたいことをアピールするため、クロは屋形船のときよりしっかりと勧誘する。断られても、今日はこの刑事達と自分は違うことだけ分ってもらえればよかった。


 もちろん、諦める気はないので断られないのが一番いいと思っていたが、ゆずは読み通りしっかりクロを見てことわりをいれる。


「無理だ。組織に属せない種類の人種だからな。あと学力も普通に足りない。」


「高卒だろ?一般常識あんならいけるいける。」


「いけるか。そこら辺の大卒でも無理なのに、私は農業高校だぞ?テストに犬の犬種を30種類書けとか出るけど一般常識ではないよ。」


 ゆずの警戒が、方言を話さないところからも伝わってくる。自分に向けられていないだけマシだが、気分のいいものではなかった。


「30種は多いなぁ…。俺、柴犬とゴールデンレトリバーくらいしかぱっと出ないよ。」


 そう言ったティフォンは、考えるふりをしながらポキポキとスペアリブの骨を破壊して刑事達へのストレスを逃がしていた。


 それに気がついていたセタが、「せめて北海道犬は出せよ。」と話を繋げてやると「そんなのいたね!」と本心から忘れてたとわかる返答が返ってきた。


「チワワとか、トイプードルとか、パピヨンとかね、わりといるけど30は大変かも。」


 ルプスも話に加わり、その犬種が小型犬ばかりでかわいい事からティフォンの怒りも収まり始めたのに


「警察犬だったら、その凶暴さも躾けられて世の助けになったんですがね?」


 とわざとガソリンでも注いでんの?と思われる発言をしてくる。


 着火しないのは、ゆずにノーダメージだからだ。


 ゆず本人にはノーダメージだが、優しいセタ達が怒りや悲しみを味わっていることに怒りがわかないはずがなく、被っている猫から猛獣がのぞき込んだ。


「普通に警察犬の試験でも落ちますよ。ムカついたら喉元噛みちぎると思うんで。」


「そんな不味いもの噛ませたりしないよ。」


 ティフォンはゆずの方を見ていなかったが、明らかにゆずに向けての言葉であったのは誰もが理解出来た。


 ゆずは、咄嗟に何も言い返せず、ティフォンの事を見ることもできないでいたし、猛獣どころか被っていた猫も無いようなただの年相応の女の子な一面を見せる。


 一番見るべきティフォンは全く見ていないので、セタはお前ばっか!今はそっち見るタイミングじゃねぇ!!と心のなかで怒鳴っていた。


「ほぉ~。」


 歳だけとってきた、変なところに敏感なおっさん(刑事)の声が聞こえ、「なんすか?」とセタは反射的に威嚇した。


 そのセタの態度を、自分の都合の良いように決めつけてニヤニヤ笑い出した刑事は、心底楽しそうだ。


「おや、コレは大変そうだ。男女の数が足りてないと色々ありますねぇ?」



「名前なんやったっけ。」


 話の流れも、何もかもぶった切るような言葉だった。


 その言葉を発したゆずは、刑事ではなくクロの方を向いていて、余計にセタ達は困惑する。


「嘘だろ?クロなんて簡単な名前忘れることある?」


 クロも流石にショックを隠しきれないようで、冗談だと言われるのを待っていたが、可愛そうなことに言ってもらえることはなかった。


「なんか、さっきのあの人のセリフ引っかかる。」


「いや、少しどころか、わりとあのおっさんアウトだぞ?お前が訴えたら、確実に上司から謝罪しろって命令されるレベルで。」


「そんなどうでもいいことじゃない。私では意味わからんから書き出せ。」


 そう言って、ゆずはスペアリブ達のレシートを出し、ボールペンを出せとクロにせがむ。


「いやなに?お前が引っかかったのに、俺がわからねぇとダメなの?」


「お前が警察やろ。ほら書き出せ今直ぐ。」


 ボールペンを出さないクロを急かすように、かなり強めの力で彼のズボンを引っ張った。


 下へと引っ張るので、細いクロではずり落ちてもなんら不思議はなく、急なゆずの行動にいつも人を戸惑わせる側のクロが本気で戸惑って抵抗しながら叫んだ。


「わかったっ、わかったって!引っ張るなズボンを!!」



書き直しや修正をするかもしれません!!

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