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おかっぱの女の子が子守唄歌いながら遊んでるのは普通に怖すぎる

下呂温泉から少し離れ、目的の一つであった“普通じゃない依頼”を断りに行く事で、新たな“普通の依頼”を受けることになる話です。


依頼の調査資料等を細かく描写していません!!この話はフィクションですので、出てくる事件、人々、団体、バスの運転手さんは架空の人物であることを念頭に置いてお読みください!!


 結局、旅館からルプスのいる民宿に移って泊まったセタ達は、疲れていたのかいつもより深く眠りについた。


 朝起きて軽く朝食を取り、観光する暇もなく、本来の目的でもあった依頼のこだわりを入れるため、依頼主の実家であるとされている民家に訪れていた。


「ここか…。」

 

「ルプスも来てくれたし、心強いね。」


「任せてよっ!!逃げ足だけは速いからさ!!」


「逃げ足かよ。」と咄嗟にツッコミを入れるセタに、「速いなら凄いよ。」とティフォンが朗らかに笑いながら答える。


 屋敷がある場所は、普通の民家がある通りから少し離れており、季節のせいも相まって緑が深く、まるで山の入り口のようだと感じる。


 岐阜からわざわざ北海道へ訪れ、金を置いて帰ってしまう男が住んでいるのも頷けるほど、貧乏神とは無縁な見た目の大きな屋敷が3人を出迎えた。北海道とはまた違う、暑さにも対応した古いが美しい外観の屋敷だ。

 

 屋敷の入り口に相応しい広さと佇まいで木造の門があり、そこから見える庭は、広すぎてまるで寺のような印象まで持つ。隙の一つもなく行き届いた手入れが施され、どこか人を拒む程のものに感じるせいかもしれない。


 玄関前の小道へ足を踏み入れると、泥棒が入るのを躊躇したくなるような丸石の砂利が、ジャリジャリと小気味の良い音を出す。


 その音につられたのか、一人の幼い女の子が見た目通りの軽いチャリチャリした音をたて近づいてきた。


「ん゙?」


「あれ?あの女の子昨日の……。」


 ん゙?と怪訝そうな声を出したセタも、ルプスのように昨日ティフォンが人形を拾って上げた女の子だったと気がついていた。だが、一瞬座敷わらし的な類の可能性を考えて、変な声を漏らしてしまった。


 ティフォンは笑顔のまま、昨日と同様女の子と目線を合わせるためにしゃがみ込む。しゃがみ込むと、ティフォンが女の子を見上げる形となるのに、ティフォンは気にする素振りもない。


「こんにちは、ここの子だったんだね。」


「……。」


 女の子が返事をしないことを予想していたティフォン達が、彼女を怒ることはない。むしろ、知らない男が3人も家に来て不審に思って当然だと思っていたので、できるだけ怖がらせないようにと思案していた。


 ティフォンが次の話題を振る前に、女の子の紅葉と変わらぬほどの大きさの手が、膝の上に揃えて鎮座していたティフォンの手首を掴む。


「え?何?どうしたの?」


 無理に刺激しないようにするのが得策かと見守っていたセタ達は、その子が急にティフォンの手首を掴んだことに驚いたが、ティフォンには恐怖は抱いていないのだなと安堵もしていた。


「お嬢ちゃん、俺にも自己紹介させて?」


 つかさず、ルプスも優しく自己紹介をしようとしゃがみ込むが、女の子はルプスをチラリと見ただけですぐ目を逸らし、ティフォンの手首を両手で掴んみ引っ張る。何処かへ連れて行こうとしているのがわかったティフォンは、女の子が手を離さぬようゆっくりと立ち上がった。


 ルプスは、今まで子供、特に女の子から好かれなかった試しが無かったので、スルーされたことに素で「あれ?」と口に出すほど驚いたし、セタはこの家の子じゃ無かったらどうしようと、まだどこか心霊的な心配をしてしまっていて何も言えずにいた。


 そして、ティフォンは女の子に何も聞かず黙って手を引かれるがまま、ジャリジャリと人様の庭をかけていく。


「2人共っ、ちょっと待っててね!」


「嘘でしょティフォン!?」


 思わずルプスは呼び止めるように叫んだが、ティフォンは振り向きもしなかった。


 セタは、本来仕事で訪れているいい歳をした大人がとるべき行動ではないと重々承知の上だったが、ティフォンがああいった性格であるからこそ、幼い女の子は心を開き懐いているとわかってもいたので、自分が家の人に謝ろうと決め、屋敷の庭を進み続ける二人を見送った。


 本当にセタ達だけで玄関から挨拶をすることになったが、なんと中からお手伝いさんという立場の年季が入った女性が出てきて、本当に別世界の人達なのだなと少し気を重くした。


 世界が違うと、価値観が違う。


 話が通じ合わないこともよくあるからだ。


 二人は、ティフォンが庭に居ることを謝罪すると、女性は少し驚いた顔をして、取り敢えず二人を応接室へと案内した。


 当主である依頼主の息子さんが来るまでお待ち下さいと言われ、案内された部屋には立派なソファーと木造の重厚感あるテーブルがあり、奥には大きなガラスから美しい庭が見える作りになっていた。

 

 庭を見るため作られた、なんの障害物もない水族館のような大きなガラスの向こう側には、驚くことにティフォンとその女の子が遊んでいた。


 一見微笑ましいのに、セタはさっきの気の重さを吹き飛ばされるほどの冷えを感じる。


 多く見積もったって5歳程度のおかっぱの女の子は、ポンポンとまるでマリのように、丸めたタオルのようなものを叩いている。


もちろん、その光景が冷えるわけではない。その歌の歌詞のせいだった。


 彼女的にはボールであるものをペチペチ叩きながら、幼女特有の可愛らしく感情の読めない声で、聞いたことのない歌を歌っていたのだ。


 

「悪いやつ悪いやつ何処が汚い」


「足が汚い」


「ならば足切って閻魔様に流そ」


「これで安心ゆっくりおやすみ」


「「………。」」


 かごめかごめもそうだが、なぜ幼児に教える民謡は、こうも不気味なものが多いのかとセタ達は苦い思いをする。プラスアルファ、セタは恐怖すら感じていた。


「歌、上手だね。」


 そんな二人とまったく違う感性と価値観のティフォンは、心からの賛辞を女の子へ投げかける。


 子供だからと、投げやりに根拠なく褒めているのではない事を、彼女もどこか感じるふしがあるんだろう。照れたように自分のボールをティフォンに渡した。


「……お兄ちゃんも歌ってみ?」


 ボールを突き返すなんて選択肢が思いつくことなどないティフォンは、それでもボールをくるくるポンポン手遊びしながら悩む表情と声を出した。


「俺かぁ、君が知ってる歌を歌えるかとなるとなぁ………。」


 ティフォンの好きな歌手が、平成どころか昭和初期の女性だと知っていたセタが、助言を出そうとしてたが、その前に女の子本人から「子守唄」とリクエストを受ける。


「そっか。君が歌ってたのは、子守唄だったんだね。」


 コクンと頷く女の子に、ティフォンは笑いかけているが、セタ達は聞いたことのない子守唄とその物騒な歌詞に引いていた。最後の歌詞が“ゆっくりおやすみ”だったので、頭の片隅に可能性を見出していたけれど、すぐにないことにしたほど「流石にねぇよな」と思えるものだったからだ。何度こじつけを考えても、子供の寝かしつけで歌う歌詞ではない。


 手遊びをやめたティフォンは、もう一度しゃがんで女の子と目を合わせ、「ごめん」と謝る。


「俺はね、子守唄を知らないんだ。」


 眉毛をハの字にした、困ったような、泣きそうな彼の笑い方を、セタすら久しぶり見たのだから、初めてだったルプスはティフォンのセルフも含めて驚き、目を見開く。


 驚くこともなく、哀れむこともなく、純粋な視線を向けるのは女の子だけだった。


「なんで?」


「歌ってくれる人が、いなかったんだよ。」


 ティフォンはすぐにいつもの朗らかな笑い方に戻し、ボールをくるくると回して女の子が楽しむように見せた。


「多分、よく寝る子供だったんじゃないかな。子守唄はいらなかったのかもね。」


 ティフォンは、自分の事を悲しい大人だと思ってほしいわけではなく、ただ、自分が子守唄を歌えない理由を嘘で隠す事をしたくなかっただけだった。


 その対応が正しく無いと言われようと、“今目の前で嘘も付かず向き合ってくれる相手”に、どんなことだろうと“嘘で返す”ことをしたくなかった。


 周りの大人が、いろんな物事を自分達の都合で“嘘”を使わい、子ども達にも嘘が正しいことだと塗り固めていくことを知っているからこその対応でもあった。


「よかったら、君がまた歌って?君の歌のほうが、きっと誰かを幸せになるよ。」


 ボールを渡すと、女の子は今までの無口がダムだったかのように、“知ってほしい、聞いてほしい”を溢れさせる。


「あのねっ、続きがあってねっ、」


「子守唄の?知りたいな。」


「足の次は手でねっ、手も汚いから切って川に流すのっ。」


 何を話しても優しく肯定してくれるティフォンに、幼い女の子は衝撃を受けていた。


 今まで、まともに話を聞いてくれる大人は、彼女の周りにいなかった。


 女の子は、この気持ちが喜びであることすら理解できていなかったが、自分がいつもと少し違うこと、目の前の男性が父達と違うことは理解していた。


 理解していたからこそ、今まで怖くて聞けなかったことを縋るように問いかけた。


「私の手も………切られる?」


 ゆっくり首を横にふったティフォンは、そのまま女の子の手からボールを取り、したにおいてから、彼女の手を自身の手に取る。


 こわばるように結んである小さな手を、優しくゆっくりと開かせてからよく見て、彼女と目を合わせてから、安心させるようにまた微笑んだ。


「君の手は、とっても綺麗だよ。誰も切ったりしない。」


「……皆、この人形汚いって。」


 女の子は、服のお腹の中に隠していた人形を取り出し、ティフォンに見せる。昨日、ティフォンが拾ってあげたものだった。


 こんなに立派な家の長女の人形が、汚れていても大人の手で綺麗にされていない事実が、“皆”とは大人たちも入っているということを、ティフォンだけでなくセタ達にも勘づかせた。


 ティフォンは、腹の中の悪態を絶対に見せぬよう、女の子に自分の出せる中で一番優しい声を出して語りかける。


「この歌の汚いってね、きっと目に見える汚れのことじゃないんだよ。」


 ティフォンは人形を撫でる。顔の描かれていない丸みのある人形は、ボロボロだが愛嬌を感じた。


「泥棒とかになるときね、手を染めるって言うんだ。逆に、泥棒をやめるときは足を洗うって言うから不思議だけど。」


 その人形が、岐阜特有の“サルボボ”と呼ばれるもので無いかと気がついたのは、ガラスの中にいるセタたちだった。自分達の知識にあるような赤色では無いが、女の子にあげるものだからピンクが選ばれたのかもしれないなと思う。その真意を聞くことができる人物を想像つかない悲しさが故郷の波のように冷たく押し寄せたきがした。



「泥棒の手って、一見汚れてないよ。人の頑張ったお金を奪っていいと思ってる心が汚いから、汚れてるって言われてるんだ。何も悪いことをしてない君は、泥だらけになったとしても綺麗だよ。」


 女の子が肌身離さず人形を愛すほど、その人形を与えた人はこの子への愛があったんじゃないかと考えて、それが自分達の希望的観測で終わることがある可能性に、セタ達の悲しみと憤りは募っていく。


「そういう人から、子供っていう宝を守る〝子守唄〟なのかもね。」


 ティフォンは、女の子の頭を撫でる。女の子が目をつぶったり、構えたりしなかったことから、殴るなどの体罰はない可能性が高いなと思ったが、心の傷だってつけられるべきではないので“皆”とやらには、相変わらず心のなかで悪態をついていた。


 セタ達も、さっきまで怖いと思った歌すら、あの子を守ってくれているものだとしたら何より優しく強いものな気がした。


「君の手も、人形も、綺麗だよ。目に見える汚れなんて、笑いジワと一緒で味があるだけなんだからさ。」


 5歳の女の子に、ティフォンの言いたいことはほとんど届いていなかった。


 しかし、言葉じゃないものはたくさん受け取れていた女の子は、安心したのかティフォン自身に興味を持ち始める。


「怪盗のこと、嫌いなの?」


「昨日出た人?好きでも嫌いでもないかな。」


 突然の会話の変更も、ティフォンは気にしない。むしろ、ティフォン自身が彼女に近い連想型の思考回路なので、不信感も持ち合わせなかった。


「俺の大事なものを奪われたわけじゃないからね。」


 さっきと同じ様に、嘘偽りない自分の気持ちを告げる。


「友達と遊べる時間増えて喜んでる悪い俺もいるから……、怪盗だけ悪いかって言われると微妙なんだよ。」


「お母さんいないの?」


「うん。今はいないよ。」


「……私も」


 女の子は、初めて泣きそうな顔で俯いた。


「私が悪いって。私が鬼の子だから……。」


「かぁっこいぃ〜。」


 ティフォンの明るく、嬉しそうな声に驚いた女の子は驚き顔を上げる。


 彼女の見上げた先には、嘘偽りのない笑顔のティフォンがいた。


「俺、超ラッキーじゃん。そんな強い子とお話できてるの?」


 あまりにも予想外の返答をされると、黙ってしまうのは大人も子供も一緒のようだ。


 自分がかっこいいと思った人や言動に、かっこいいと躊躇いなく言うのはティフォンのクセのようなものだ。


 セタは、昔一度だけこのクセをやめさせようとしたことがあるが、失敗した自分にも、クセを直さないでくれたティフォンにも、心のなかで称賛を与えていた。


 すると何故か、その失敗よりもずっとずっと前の記憶が引きずり出される。


 それは、今まで忘れていたティフォンと初めて出会ったときの記憶だった。


『僕って、気持ち悪いんだって。』


 そう言う目の前の幼いティフォンは、女の子が持っている人形のようにボロボロで、今の優しげな瞳なんて信じられないほど、鋭く尖り全てを敵対視していた。


 田舎は、よそ者に優しくない時がある。少し問題を起こしたと噂のよそ者の子供だった幼いティフォンは、邪険にされるだけでなく、その大人達に触発された子供達からよってたかってゲームのよう暴力を振るわれていた。


 でもティフォンは、“普通と違い”絶対に返り討ちにしていたのだ。


 セタは本当に、今の今まで忘れていた。


 今の虫も殺せぬティフォンから想像することができなくなっていたのだ。


 幼かったティフォンは、何人相手でも、次の日倍の報復が来ることをわかっていても、大人達が敵になって怒鳴ってきても、殴られたら殴り返し、蹴られたら噛みつき、怒鳴られたら蹴り上げる……手負いの獣のような子供だった。


 そんなティフォンを見て、こいつすげぇなと思ったことも思い出す。


 だからあの日、上級生を返り討ちにしたあと、一人公園で佇んでいるティフォンに自分から声をかけたことも、その時、さっきのように突き放す言葉を言われたことも思い出した。


 その後、自分が深く考えず


『かっこいいべや、根性あって。』


 と、本心を述べたことも思い出す。


 それを聞いて、まんまるに目を見開いき固まったティフォンの姿も……。


 ティフォンの“いつものクセ”が、自分由来のものである可能性を知ったセタは、自分でもどんな感想を抱いているのか分からないほどむず痒い思いをした。そのむず痒いが、けして嫌悪感ではないことしか分からない。


「ティフォンって、本当に優しいよね。」


 ルプスには幼いセタ達の回想が見えていたわけではないので、今目の前に広がる光景と、昨日のティフォンの行動に純粋な感想を抱いていた。


「昨日さ、あの子の人形を悪ガキ達が自販機の下に蹴り飛ばしたんだよ。」


 また一つ、セタの中で謎が解ける。


 人形が自ら潜り込むことがないなんて、本来考えなくてもわかることなのに、セタはあんな幼い子への悪意を考えたくもなくて、誰かが蹴り入れた可能性を無意識に排除していた。


 幼かったセタが、ティフォンを本心で凄いと思えたほど“やり返す”事ができる子はマレだ。


 特に女の子で、男子にいじめられた時嫌だと本心をぶつけられる子が何人いるのだろう。


「好きな子に意地悪したいとかじゃない分、質悪いよね。」


「…ほんとにな。」


 ティフォンじゃないあの子が、そばにティフォンがいたこともないあの子が、今までどんな思いで過ごしてきたのか想像して、セタの心は悲しみや憤りだけでなく、不安と心配も膨れ上がる。


 隣にいるルプスも、人一倍優しいせいで普通以上に心を痛めていた。


「お時間をおかけいたしました。」


 声をかけられ、セタ達だけでなく、外にいるティフォンも部屋に入ってきた父親らしい男性へ意識を向ける。


「わざわざ遠いところから、ご足労をおかけしてしまい…」


 頭を下げようとした男性が、外にティフォンと女の子が居ることに気がつく。


 娘であるはずの子供へ向ける視線ではなく、セタとルプスは悲しみが、ティフォンは憤怒がより膨れ上がった。


「おい!誰かサヤを中へ!」


 怒鳴るように廊下へ声をあげる当主を、すぐに笑顔を作り上げ止めたのはセタだった。


「いいっすよ。ウチの従業員が遊んでもらってるみたいなんで。」


「遊んでもらえてまぁす。」

 

 ティフォンも笑顔で柔らかな声であるが、作り笑いの部類でなく、闘志の笑みに近いものだとセタは気がついた。


 それを裏付けるかのように、ティフォンは立ち上がり当主をしっかりと見据えて


「遊びついでに、一つクイズを出しましょうか。」


 と、急に不躾とも取れる言葉を投げかける。


「おいティフォン。」


 少しきつめに咎める声を出したセタだったが、心のどこかではティフォンが怒るのも無理はないとわかっており、怒りのようなものはどうしても出せなかった。


 それをどこかでわかっているように、ティフォンはセタには視線を移さず当主を見つめている。


 好戦的というよりは、まるで相手の力量を測るような眼差しを向けるティフォンは、彼の中でかなり怒りが溜まっている証でもあった。


「この中で、一番優しい大人は誰でしょう?」


「お兄ちゃん。」


 つかさず答えたのは、自分も大人達と遊んでいいかもしれないと希望を持った“サヤ”の方だった。


 ティフォンはすぐに優しい笑顔に戻り、サヤと名前を知ることができた女の子に「ありがとう。」と伝える。


「でもね…正解はあの二人だ。」


 サヤから視線をセタ達へと移したティフォンを見て、サヤは不思議そうにその視線を追った。


 サヤの中では、一番優しかったのはティフォンで間違いなかったからだ。


 もう一度ティフォンの方を見ると、ティフォンはさっき見た眉毛を八の字にした泣き笑いのような表情を見せる。


 でも今回は、ティフォンだけでなくセタ達も上手く笑顔になんてなれなかった。


 この子の中の「優しい人」に、実の父が入っていない事を、サヤがティフォンのあとに迷いなくセタ達を見たことで理解してしまったからだ。


 なのに、サヤの中に“一緒に遊びたい”気持ちがあるほど、父に嫌悪等がないことも伝わってきてしまって切なかった。


「君含め、俺なんかより心の中から優しい人達なんだよ。」


 ティフォンは自身の本心を伝えて、また当主の方を見定めるように見つめる。


「優しくていい人を虐める人って、きっと悪いやつだもんね。」


 あまりに挑発的で威圧的な空気を隠さなくなったティフォンに、セタは心の中だけで「そんな顔していいのは魔王クラスのボスだぞ」と変なツッコミを入れていた。咎める気が失せすぎてるせいかもしれない。


「悪いやつは、閻魔様に流されるらしいんで、気をつけてくださいよ。」


「こら、お前はもう。」


 流石に言い過ぎであると判断したセタは、今度こそすぐにティフォンを咎めたが、サヤの手前、そして優しい人だと言われてしまった手前、咎めると表現できない程の声量と声色になってしまった。



「やべえ、怒られる前に隠れよ。」


 いたずらっ子の様に笑って、サヤの手を握り人様のお宅の庭を駆けていくティフォンは、まるで小学生のようだ。


 “俺は大人として反省していますよ。” “あいつのことも申し訳ないと思っていますよ。”をあからさまに伝えるよう、セタは深々と頭を下げる。


「すいません。ウチの従業員が……、後で指導しておきます。」


 ルプスも続いて頭を下げるが、2人共心の中ではサヤの心を守っているだけのティフォンに怒りなど抱いていなかった。形だけの謝罪だが、形だけと悟らせないほどに二人は人とのコミュニケーション能力が高い。


 しかし、その能力が功を奏したというよりは、ティフォン自身に何やら思考を持っていかれているようで、当主は機嫌を損ねることはなかった。


 何かを思案しているようだと気がついたセタは、あえて何も言葉をかけず当主の言葉を待つ。


 セタの判断は正しく、もう誰もいなくなったガラスの向こうを見つめたまま、少し落ち着いた声の当主がゆっくり質問を投げかけてきた。


「………彼は、おいくつの方ですか。随分とお若いですね。」


 皮肉が入っている気はしたが、下に見るわけでも、苛立ちを抑えているからこその嫌味でもないと推測したセタは、普通ではないなと身構えた。


「18ですけど、そこら辺の奴よりは仕事もできますよ。」


 偽りは告げず、聞かれたこと以外は答えず、当主が自ら語り始めるのを待つことにしてみる。


 すると、セタの予想より早く、当主は次の話しを始めた。


「……サヤは、人に懐かない子ですが」


 そこで一度会話を止め、ため息なのか、自分の心を落ち着かせるためなのか、短く息を吐いた当主はようやくセタの方を見る。


「どことなく似ているからですかね?よく岐阜にいらっしゃるんですか?」


 セタの“普通じゃない”が該当する質問を投げかけられる。


 人に懐かない娘が懐く。


 娘と似ているところがあるかもしれない。


 そこから、普通はティフォンが岐阜によく来るかという話に続かない。


「俺達は初めてですよ。生まれも育ちも最北のド田舎です。」


 彼が、初めて会うティフォンにふざけた態度だと怒るのではなく、“不信感”を抱いていて、しかも、その“不信感”が娘と仲が良く、娘と似ているからという理由であるなんてこと、“普通”はない。


 ただ、“普通”じゃ無くなる家庭があることは“普通”にあると、探偵だからこそ身にしみているセタは、あえて自分からは話を聞き出そうとしなかった。


「そんな田舎の細々やってる事務所には不向きな依頼でして、申し訳ありませんが辞退させていただきます。」


 本来の目的である依頼の断りを入れ、依頼主から貰い受けたお金を含めた全ての資料を丁寧に机に並べて頭を下げた。


「もちろんです。貴方がたに落ち度はないので頭を上げてください。」


 言われて、心のなかでしっかり3秒数えてからセタは顔を上げる。


 セタ達が顔を下げていた間に、自分の調子を取り戻し、何かを思いついた当主は笑顔で再度2人に座るよう促して、自分も腰を下ろし適当に資料を束ねて横に置いた。


「しかし、わざわざ来ていただいたのに申し訳ない。どうですか、私から別の依頼を受けてくださいませんか?」



 セタが持ってきた手を付けていない札束入りの封筒を、もう一度セタ達の方へと滑らせる。



「この料金に加え、ここまでの往復費もお出しいたします。」


 “普通でない”当主が、どんな普通でないものを抱えているのかも見通せていたセタは、あえて内容を聞かずに手帳と携帯電話を取り出す。


「すいません。少し、従業員とスケジュールを確認してからでも」


 当主は、従業員がティフォンだと気がついたからこそ、セタのスケジュール帳を開かせることなく封筒を握らせる。


 その握らせ方に、たしかに謎の爺さんと同じものを感じたセタは、この人たちマジで親子なんだろうなぁと呆れに近い何かを感じた。


 当主には、そんなセタの呆れに気がつけるほどの力量がなく、気づかせる程セタが能力が低いわけでもないので、当主は自分のペースに持ち込めていると畳み掛ける。


「サヤの、母親のことなんです。」


 当主が驚くだろうと思っているのをわかっていたので、驚いたように見せたセタは心のなかでは「やっぱな」と冷めた感想を抱いていた。


「サヤの父親である男を、見つけ出してほしい。」


 結局、ティフォンに連絡を取ることさえさせてもらえずに、とりあえず話だけでも聞くという流れになってしまった。


 当主はすぐにお手伝いさんを呼び、廊下で何かを言いつけてから、さっきより深くソファーに腰掛けて依頼内容を話を始める。


 すぐにお手伝いさんがお茶とお菓子を用意してくれ、結局小一時間話を聞いたが、話が長かっただけで、大方のことは聞く前に予想をたてていた内容だった。










「逆に、不倫の証拠掴めっていう普通の依頼になったわけだけどさ。」


「セタ達にも予定ってあるじゃん。断って帰ってもいいと思うよ?」


「ん゙ー…。」


 やっと当主から解放されたセタ達は、屋敷の庭に来ていた。


「てゆうかティフォンいねぇ!!!」


 そうセタが叫んでしまうほど、すぐに見つかると思って疑わなかったティフォンの姿がない。


 屋敷内を好きに歩いていいと当主に言われた時、少し疑問を感じたていたセタは、まさかティフォンが何処にいるか探す事になるだろうと思われての言葉だったのかと、その広さとめんどくささにどっと疲れが押し寄せる気がした。


「ティフォーン?ティー?」


「サヤちゃーん!ティフォーン!」


 2人が携帯を使ってティフォンを呼び出さず、声を上げて探しているのは当主との話が終わったあとすぐに連絡を入れていたからだ。


 だが、ティフォンの応答がなかった。


「もう一回携帯に電話してみる?」


「あいつ、マジで何してんだよ。」


 心配を苛立ちに変え始めているセタが、ルプスの言葉に背を押され携帯に連絡を取る。


 一向に繋がらない着信音に、セタはルプス以上の不安を募らせていた。


 ルプスは、子供と遊んでいるから気が付かないだけの可能性を持てていた。


 でもセタは、ティフォンとの時間が誰より長いからこそ、その可能性の低さをわかっていた。


 焦りは何も生まないと、ゆっくり歩きながら携帯をかけ続ける。


 聞き慣れたティフォンの着信音が聞こえてくれるよう、セタは神経を集中させていたし、それをわかっていてルプスは足音すらたてずに歩く。


 そんな二人の前に、聞き慣れた音を立てている多年草が目についた。



「………嘘だろ?」


 信じられないものを見るように目を見開いたセタは、ゆっくりと草の上にあったティフォンの携帯を拾い上げ、確認する。その画面には、たしかに“セタ”の文字が浮かんでいた。


「…落とした、とか?」


「あいつは、携帯依存一歩手前くらいのやつなんだよ。携帯持ちながら、俺の携帯知らない?とか聞いてくるレベルで」


「それは疲れてるよ………。」


「落とすとかマジでないくらいだし、あったとしても3分以内には気がつくはず…。」


 セタは躊躇なくティフォンの携帯をタップし、暗証番号を入力していく。


「えぇ!?暗証番号知ってんの!?」


「あいつ普通に言うから。」


「暗証番号の意味ないじゃん!!」


 セタもその通りだと思っていたし、自分はティフォンに教えていないが、こういう事があるなら自分達だけでも共有すべきであるんだなぼんやり思った。


 開かれた画面はいつもの待受ではなくカメラ機能が開かれたままで、新しい写真が大きく映し出されていた。


「時間敵に、20分くらい前の写真だな。」


「場所も、この庭の中のどこかだね。今までこんなお地蔵さん見てないし、もっと奥のところかな。」


 ルプスの言うように、写真はこの庭と同じ石や雰囲気である。映っている小さな祠に地蔵のようなものが祀られていて、ここらへんの地方では家に地蔵が祀られるのか?と疑問を抱いた。


 ティフォンは気になったものは写真に収めるタイプではあるが、人様の家を勝手に撮影する事は“よっぽど”でない限りはしない。


「……ここがどこか探し当てろってことか?」


「え?俺達と隠れんぼするために?」


 ルプスの言う通りであったのなら、見つけて叱って終わりなのに、そうではないとわかってしまう。


 焦ることだけは悪手だと、セタは自分に言い聞かせ続けた。


「もしそうだとしても、携帯を地面には置いとかねぇよ。あいつ、ああ見えて個人情報とかめちゃくちゃ気にするし……。」


 そうだとしてもなんて言葉を使ったのは、ルプスの不安を変に煽らないためと、確率が低くてもただのドッキリである平和なオチである事を、セタ自身が心のどこかで願っていたからだった。


「携帯がここにあるってことは………マジで離れて連絡できる手段がなくなったな。」


「ティフォンのことだから、あんな小さい子を連れて遠くになんて行ってないだろうけど…。」


 今までこんなこと無かったセタは、悪手だとわかっていても焦りと苛立ちに負けかけてしまっていた。


「ぁ゙ーもうっ。下手したら誘拐とか言われるべや!!」


 セタの焦りを感じ取ったルプスは、すぐに緊急事態なのだと悟り、ティフォン達が見つかる可能性を上げるため、まず庭を全て回ろうと声を上げながら足を進めた。


「ティフォーン?ティーちゃーん?」


「お連れの方は、おやすみになってらっしゃいますよ。」


「「えっ。」」


 驚いたルプス達が声の方を見ると、お手伝いさんがなんの感情を抱いているのか読み取れない無表情でこちらを見ていた。


「小さい子と遊ぶと疲れますからね。慣れていないと特に…。」


 お手伝いさんは、二人をティフォンのいる部屋へ案内すると伝え、先導する。


 先導しながら、お手伝いさんは事の経緯を説明し始めた。


 彼女は二人が当主と話している間、ティフォンがサヤに近くの縁側で休憩するよう促すし、そこで休んでいたティフォンが眠てしまいそうだったから、一番近い部屋へ休めるよう布団を敷き案内したと説明した。


 先導する彼女は、ティフォンがセタ達も疲れていると心配していたので、ココで泊まれるよう当主にも許可を取ることを約束し、セタ達の話し合いが終わった後に許可を取ったこと、それを2人にも伝えるために探していた事を話しながら、ティフォンが休んでいる部屋へ静々と案内した。


「……ティフォン?」


 広々とした部屋には、話通り布団が敷かれていて、その中にはティフォンが仰向けの状態で、きれいすぎる体制をとって寝ていた。


 セタの呼びかけに反応一つもないティフォンは、まるで自分の知るティフォンではない気すらしてくる。


「ごゆっくりお休みのようですので、お二人共今日はここでゆっくりしていってください。」


「…ありがとうございます。」


 気力をかき集め、それだけ絞り出し怪しすぎる彼女へ返答したセタは、まだティフォンに近づけないでいた。


「救急車呼ぶ?」


 彼女がいなくなってからかけられたルプスの言葉と、ルプスがいてくれている事実に助けられ、セタはゆっくりティフォンのそばに歩み寄る。当然、ルプスもそばに寄り添ってくれた。


 ティフォンが呼吸をしていることを確認し、ようやく自分も息をしないといけないことを思い出したような心地のセタは、深呼吸をしてから、改めてティフォンが“普通の状態”ではない事を理解し、理解した上で打開策を考えるために気合いを入れ直した。


「…多分、睡眠薬的なものだと思う。」


「あいつらが?」


「こいつは、警戒心無いように見えてあるから………」


 もっともっと普通じゃありえないことがあるけど、何かが喉に詰まったような心地だったセタは途中から言葉が出なくなる。


 そんなセタへ、「ティフォンが子守の途中で寝るなんて、俺だって思わないよ。」言ったルプスの声には、しっかりとした怒りが垣間見える。


 自分達が大切だからこそ怒りを灯らせてくれているルプスに安心したのか、セタは少しづつだが状況を整理できつつあった。


「わざと、飲んだのかも」


「は!?薬を!?」


「薬っていうか…、うん、怪しいかなと思ってもお茶とか飲んだかなって。」


 セタは、希望的観測をできるだけ持たないよう自分に言い聞かせ、さっきの女性の反応、ティフォンが携帯をあそこへ置いた理由を推測していく。


 自分が、ティフォンと一番長い仲なのだから。


 自分が解決しないと、ティフォンが助からない可能性まであるのだから。


 セタは、自分だからこそできる推理をしていく。


 いつも一緒に考えてくれるティフォンの声が聞こえないことに、まるで極寒の地にいるような気分になりながらも、自分も不安であるはずなのに隣で寄り添い力になってくれるルプスの体温で自身の心を震え立たせていた。


「…もしそうなら、証拠残してくれてるやつだけど」


 セタは、ティフォンが毒物を素直に全部飲むやつだなんて思っていなかった。


 もし万が一、無理矢理飲まされていたとしたって、どうにか自分達に伝えるために“飲んだもの”を残してくれていると推測した。


 掛け布団を剥ぐと、その推理は当たりだとでも言うかのようにティフォンのズボンのポケットが“不自然に”濡れている。


「………これか。」


 ズボンから慎重に取り出したのは、濡れたティッシュを丸めたものだった。


 掛け布団を剥いだときも、ティッシュを引き抜いた時も反応を見せないティフォンに、セタは“想像する中で最悪の結末”を思い描いてしまうが、それを回避するためだと自分に言い聞かせ、ティッシュは万が一当主達が入ってきても奪われることが無いよう、自分のカバンから中が見えない色のエチケット袋を取り出し入れておく。


「コレは後で調べるとして………。」


 ティフォンがわざと薬らしきモノを飲むほどの理由として一番考えられるのが、“サヤ”絡みであることはセタもルプスすらも考えなくてもわかるほどだった。


「サヤちゃんが虐待とか、日常的に薬を飲まされてるなら、証拠掴んでやんねぇとな。」


 そう、ティフォンに用意された飲み物で無かった可能性がある。


 ティフォンなら、怪しんだ時俺にも少し頂戴なんて甘えたふりをして飲む事も、それを証拠に残すためにティッシュに吐くこともやっていておかしくない。むしろティフォンなら普通にやる。


「何もねぇと、警察は動けねぇし。」


「…………うん。そうだね。」


 そのティフォンの行動を怪しんで……、何かされている可能性が一番高いくらいだった。


「だとすると、ここになんか」


 ティフォンの残した最大の手がかりは写真であると思ったセタは、絶対に意味があるものだと確信して、もう一度確認するために携帯を取り出す。


 暗証番号を打っていたが、両手がかじかむように震え畳へ落としてしまった。


「わりい。」


「どうしたのっ、手がっ」


 心配してセタの手を握るルプスは、その冷たさに衝撃を受ける。


 セタは、その手を振り払うことができず、頭では携帯をすぐに拾うべきだと分かっていたのに動くことができなかった。


「毒では…無いと思うんだよ。」


 希望的観測はしないと思っていたって、どうしても頭は睡眠薬を飲まされて寝ているという結論を押し付けて、心の平穏を保とうとしてくる。


 睡眠薬ですら、何を使われているのかどころか、摂取している量もわかっておらず、致死量摂取している可能性も、命“だけ”助かる可能性も抜けないことから、心の平穏とは程遠いものだった。


「でもさ、フィクションみたいにさ、自信満々は無理だべや………。」


 いつもなら、こんなセタをほおっておく訳が無いティフォンが、今は身動ぎ一つとることがない事実が、“普通ではない”のに現実であると2人へ突きつけてくる。


 ルプスはセタの震えを止めるためでなく、自分が味方であると伝えるために力を込めてセタの手を握り、セタと目を合わせる。


「うん、そうだよ。それが当たり前だし、普通そうだよ。」


 ルプスはもう、この屋敷に留まる選択を取る気は無かった。ティフォンを背負い、例え何キロ離れていても大通りまでセタとともに歩き、警察へ通報する気でいた。サヤの事も大げさに薬を飲まされている可能性があると騒げば、調査はしてもらえると希望的観測を持っていた。


「具合悪そうだから、俺達で病院へ連れて行くって言ってこよう。ここから出よう。」


「でもっ、薬仕込むような意味わかんねぇ奴らがバレたと思ったら!!」


 ルプスと違い、希望的観測を持たないようにしていたセタは、叫んでしまったがルプスより冷静に今後を考えているほどだった。


「土地勘も、人数も、劣ってる俺達では………万が一を考えると…。」


 セタは、怯えるでも、絶望するでもなく、自分達が無事に帰ることのできるすべを模索していく。


 ルプスも気がついて、セタが喋り終わるまで自分の意見をぶつけたりなんかしなかった。


「わかってて…、こいつも、死なないようにはと思って………吐いて、くれてると思うし……。」


 セタが今考えている何十通りの策は、全てティフォンが毒物を飲んでいない、または早急に治療を受けなければならない状態ではない事前提だった。


 そのくらい、セタにとってティフォンの命の危機などあっていいものではなかった。


 そのくらい、ティフォンを信じていた。


「何か、あるから、俺達ならって信じてくれたからだと思うし………。」


 ティフォンが自分達を信じてくれていると、推測ではなく確信していたからこそ、今までパニックにならないでいられたセタは思考をやめることはしない。


 心は落ち着きを取り戻し始めているのに、それに比例して今後を計算する速度は速くなっていった。


「当主が主犯じゃなかったら、厄介だし…誰がとか一切わかんねぇ。」


 分からないことを、分かるように思考し動くのが探偵だ。


「先に………これだけでも調べるか。」


 セタは、エチケット袋を掲げる。ルプスもセタに従うことを決め、ここに留まる覚悟を決めた。


「そんなことできるの?」


「この前、ティフォンが遊びで“探偵必須道具”とかっていう意味わかんねぇやつを買ったんだよ。遊びのやつだから、買った後に改良して機能を上げたらしいんだけど。」


 あの時は、「何やってんだ。法律には引っかかんねぇようにしろよ?」と呆れていたが、まさか使う日が…すがる日が来るとは思っていなかった。


 それをティフォンがカバンに入れていることもわかっていたので、返事が返ってこないことを想定しながらも「開けるぞ。」と声に出してからカバンのチャックをおろす。


 グチャッと色々入って詰め込まれている鞄に、相変わらずだなと本来なら苦笑いすることができたのに、今は探偵必須道具が入ったシンプルすぎるプラスチックの箱を取り出す事以外何も考えられなかった。


「………市販の、手に入る薬なら………ティフォンが入力してある薬なら、一致すれば」


 その箱の中から、“薬品検知”ができると説明を受けていたコンパクトを取り出す。


 コンパクトを開けると、中にはコンパクトに絶対入っていないはずの機械や導線がびっしり詰まっていて、真ん中にはパソコンを小さくしたような画面がついている。


 セタはタッチで操作できる画面を2回タップして電源を付け、【開始しますか?】と説明不足すぎる文字の下のYESを躊躇なくタップした。


 コンパクトは【本当に?】と何故か不安を煽るような質問をしてくるが、問答無用でYESを押す。コレに10秒以上反応がないと、検知器ではなくミニゲームができるおもちゃになる仕掛けを施したとティフォンから聞いていたからだ。


 YESを押した瞬間に、コンパクトがパカッともう1段開き、中に調べたいものを入れる小瓶と純水が入っている小瓶が埋め込まれていた。


 瓶をそっと取り外し、濡れたティッシュと純水を入れて元あったところへ戻し、蓋を閉める。


 すると、微かに光りながらコンパクトが中の物を高速で回転させているのが分かる振動と僅かな音を出した。


 数分後、キラキラとまるで少女でも変身させるかのようにまばゆく輝き出したコンパクトは、自動でパカリと開き、明るい画面を2人に見せた。


 そこには、【分析終了】の文字と【該当する成分を表示します。】の文字


 それが消えたかと思うと、棒グラフが下から上に何本も伸びていく。


【薬品の反応があります。】と新たに表示され、【一致するものを探しています。】の文字に代わって、色んな薬品の成分が羅列され、コンパクトの色がキラキラした光から淡い緑の色に変わった。

 

「「一致したっ。」」


 二人の声は、コンパクトの【該当する可能性が高い薬品が見つかりました。】がでた瞬間口から吐き出された。それほど、2人共真剣に見守っていた。


「………………睡眠薬だ。」


 それも、市販のものである可能性が高く、量もオーバードーズを起こす可能性は極めて低い事まで表示してくれていた。


「……………はァーーー。」


 セタは大きく息を吐き、ルプスは「よかった」と心の底からの声を出した。


 結果がわかってティフォンを見ると、「ぐーー。」と穏やかに寝ているように見えて、セタは自分の単純さにふふっと笑ってしまった。



「……なあ、」


「なぁに?」


「幼馴染のダチに、睡眠薬飲ませる奴って何罪?」


「んーーー。」とさほど悩んでないような声を出したルプスは、ニヤッと悪い顔で笑ってセタを見る。


「断罪?」


 思わず、セタも同じ様な顔で笑い返した。


「お前、頭いいな。」


「セタに言われると嬉しいなぁ。」


 二人は自分達の身を守るため、スケジュールを整理する等忙しいと嘘をつき、夕飯を断った。


 自分達が持ち運んでいた水分やお土産用に買っていた菓子を分け合いながら、ティフォンの探偵道具からライトを拝借し、携帯の電源が切れないように最低限の連絡だけ取ったあと、寝ずにティフォンの容態を観察しながら明日の作戦をたてた。


 思っていた以上に、不安は襲ってこないまま夜が明ける。


 







「おぇえ………」


「ティフォン………。」


 次の日の朝、ティフォンは薬の副作用による吐き気や目眩と戦うこととなった。


 命に別状がなくてよかった、なんてすぐには言えないほど、ティフォンの顔は青白い。


 セタはゆっくりとティフォンの背中を撫でながら、今日中にティフォンを連れ出さなくてはと強く決心した。


「水分だよ。安全なやつだから、安心して飲んで。」


 ルプスは、自分の持ち込んでいた水をティフォンにペットボトルごと譲る。昨晩同様、ルプスだけでなくセタも自分達の持ち物以外は口に含むことをしなかった。


「ありがとう…。」


 ティフォンは一口飲んでルプスに返そうとしたが、ルプスはそれを受け取らずまだ冷たいティフォンの手へ握らせる。


 ティフォンも、2人が昨日の水分を大切に飲んでいることに気がついていた。


「二人は……ご飯とか、昨日から……」


「ばーか。俺達のことは気にすんな。」


「気にすんなは、無理だろ。」


 ティフォンは、自分が次の日まともに動けなくなるほど体調を崩すとは思っていなかった。


 セタの読み通り、薬が入っている可能性を考えていたし、ほとんどむせたふりをしてティッシュへ出したからだ。


 しかし、そのことを想定されていたのか、はたまた無知ゆえの暴挙だったのか、市販薬のはずの薬は、一口でティフォンの身体を目眩で支配するほどの量だった。


 足手まといになってしまう事実がティフォンに重くのしかかり、それを見抜いたセタがフォローを入れる前に扉がノックされる。


「体調はいかがですか。」


 当主の声に、セタは自分の中でスイッチを入れた。


 自分の家族“身内”であるこの二人を、自分が守り抜くために、セタは愛想の良い面構えで扉を開け、当主と対面する。


「すいません、旅疲れですかね?」


「ゆっくり休んでください。」


 当主がティフォンに目をやり、あたかも心配しているといった空気を出そうとしているが、逆にティフォンが目覚めた事に安心している事をセタもルプスも気がついていた。


 だが、勘は証拠とは呼べない。その歯がゆさを表に出さないよう必死に“当主が望んでいるセリフ”を並べていく。


 この3人が自分達になんの不信感も持っていないと本気で信じた当主は、夕食の事は本当に旅疲れであったからだと自身の中で決定づけ、朝食を提案してくる。


 それすら予想済みだった二人は、ティフォンは体調がよくないこと、自分達はコンビニで資料をコピーするついでに喫茶店で朝食を取ることを話た。


 岐阜は、モーニングという飲み物を頼むと軽食(割とガッツリ)がついてくると調べて楽しみにしていたこと、北海道にはない体験であることを話し、自然と疑われることを逸らした。


 ティフォンを一人にしておきたくは無かったが、それが当主達の疑いの目を向けられない一番の方法だとわかっていたし、けして足手まといではないとティフォン自身に伝えるためのものでもあった。


 コレも読み通り、ティフォンを置いていくことが疑いを避け、当主はあっさり朝食の件を引き下がる。


「楽しみを見出してくれているのならよかった。本当に何も無い田舎で、退屈でしょうが…。」


「いやぁ、やることいっぱいっすよ。」


 セタの瞳が、好戦的にキラリと光る。


「探偵って、フィクションと違って体力勝負なんで。」




 二人は、朝食を食べに行く前に立派な庭を一周だけさせてくれと当主に頼んで、外へ出た。


「まず、ティフォンの写真のやつな…。」

 

 事前にティフォンの携帯から例の写真を自分の携帯に送っていたセタは、写真を見ながら二人で 同じ場所を探す。


 ティフォンは、その事だけでもと2人に何か伝えようとしてくれていたが、あまりにも体調が良くないと判断した2人が、自分達で見つけると言って半ば無理矢理寝かせてきた。


「せっちゃんこっち来て。」


「えぇ?急……せっちゃんはやめろよなんか…。」


 せっちゃんことセタは、呼び名に文句を言いながもルプスについていくことへは抵抗などなかった。


 セタよりも10cm以上背の高く、写真の地蔵らしきモノをいち早く見つけていたルプスに導かれ、庭の奥まっているところに祠を見つける。

 

 写真と照らし合わせ、全く同じ場所だと確認した2人は、祀らている地蔵に軽く手を合わせてから、周りをよく観察し始めた。


「地蔵が家の敷地内にある謎が解ければな…。」


「それ、お兄ちゃん。」


 集中していたセタには、サヤの足音は聞こえておらず、急に後ろから声をかけられ飛び上がるほど驚いた。


 足音が聞こえていたルプスは、ティフォンと同じ様にしゃがんみ、笑顔でサヤを出迎えおはようと挨拶をする。セタも慌てて挨拶をしてから、少女の貴重な証言を聞くため、しゃがんだ。


「お兄ちゃんって……君の?」


 コクリと頷くサヤを見て、2人は“敷地内”に地蔵がある理由を知る。


 だが、悲しみを表に出しては幼いサヤを傷つけることになりかねないと胸のうちにしまい、自分の考察をより確信へと近づけるために話し続けた。


「へぇ、かっこいい兄ちゃんだな。名前は?」


「つるぎ」


 男児に付ける名前を聞いて、セタは嫌な予感にも似た暗いもしもを推測してしまう。


 自分も田舎で育っているからこそ、“長男”は特別視されるところがまだまだ多いこと、“そうではない子”は冷遇されることも少なくないことが、大人達のサヤへの態度に繋がっている一つの要因である気がしてしまったのだ。


「死んじゃったんやと、お腹の中で。」


「…すげぇな、ここで見守ってくれてんの?」


「……………会ったことない。」


 サヤは、会ったことのない兄弟を兄弟だと思えるほど優しい子だった。


 セタ達だって、今はいない子供を悼むなとは言う気はないが、今生きていてくれている可愛いこの子を蔑ろにするのは違うと心底思う。


 サヤの母親が、よく調べられず悪者にされて追い出されてしまった背景に、長男を元気に産めなかったこともあるとほぼ答えのようなものを勘で得てしまったセタは、本来子供を亡くして一番辛いはずの母を思って心が痛かった。


「私だけ、鬼の子やでかもしれんけど。」


 幼いサヤに、こんな事を言わせている父親達に心底はらわたが煮え返る思いだが、今のままでは赤の他人がただキレるだけで、この子のいる環境は良くなったりしないと何度も自分に言い聞かせ、サヤの明るい未来のためにしっかりと調査しようと真剣にサヤに向き合う。


(きっと、ティフォンが昨日遊びながらやってたのはこういうことだ。)


 証言は証拠ではない。幼い子供からの証言だと余計に重大に扱われない。


 わかっていても、ティフォンはサヤが真実を伝えてくれると信じていたし、その真実から“物証”を探し出すのがセタだと信頼してくれていたと伝わっていた。


 本当は、自分だって一緒に物証を集める気だったことも。


 セタは、ティフォンの代わりに携帯の録音機能を作動させ、ポケットに忍ばせて話を聞く。


「なぁ、君のこと鬼の子だって言ってる人誰か教えてくれる?絶対に秘密にするって約束するからさ。」


「皆」


 悲しすぎる解答に、思わずルプスの眉が下がる。セタも、そんなことをこの子の口から言わせたく無かったが、これから幸せになってもらうためだとぐっとこらえて話し続けた。


「初めて君に鬼のことを教えてくれた人とか、自分が鬼だ!って思ったきっかけとかある?」


「あのお兄ちゃん」


 どのお兄ちゃんだと考える暇もなく、サヤは「昨日遊んでくれたお兄ちゃん」と繰り返した。


「え?ティフォンの前に遊んでくれた人がいたの?」


「違う。サヤと遊んだ、二番目に優しいお兄ちゃん。」


 ティフォンのことだとわかり、ルプスは困惑する。セタはティフォンのおかげで連想型の思考に気が付き、この子が話を連想させ、違う話題に変えていることにきがつけていた。


「なんで今日おらんの?昨日も途中で寝ちゃったし。」


 セタの読み通り、サヤはティフォンに会いたかっただけだった。


 2人共、ティフォンが寝たときの情報を聞き出しておきたかったが、軽めだが大人の足音が近づいている事にも気がついていて、聞くことを阻まれてしまう。


「サヤ。」


「……。」


 一声かけるだけで、あからさまにサヤの表情を暗くした人物は、上品な着物を着ている老婆だった。


 きっと、サヤの祖母にあたるはずのその人は、何故自分も子供を育てた経験があるのに、子供の命が奪われてしまった人へ非道な言動が出来たのだろう。何故、自分の息子の愛している家族を愛せないのだろう。


 なのに、“普通”によくある話なのだ。


 “普通”じゃないから疑問に思うはずなのに、“普通に起きてしまう”このよくある話を、セタ達の掴みたいハッピーエンドで終わらせるため、二人は愛想のいい仮面を付ける。


「すいません、お客様。」と頭を軽く下げる女性に、2人は慌てる仕草を見せ、大げさに敬うふりをしたが、内心「謝るのは俺達にじゃねぇ」とキレていた。


「いえ、かわいいですよ。俺も妹がいるし、ちょうど年も近い子なので親近感があります。」


 嘘をつくときは、本心を混ぜなければいけないとアドバイスをもらったことのあるセタは、本心でサヤを可愛いと褒め、頭を撫でた。


 しかし、本当に自分の妹と同じ歳なこともあり、余計に辛さが増す事になってしまう。許されるなら、家に連れ帰って妹と幸せに暮らしてほしかった。


「まぁ……、立派なご長男が家を継いでくださっとるなんて、ご両親が羨ましい。」


 当主と違い、方言もサヤと同じものが出てしまうほどこの地しか知らない老婆の常識は、本人が思っている以上に狭いが、セタ達の想像より遥かに強固なものであるのはわかっていた。


「俺は両親がまだまだ元気なので、好きにしてますよ。」


 ジャリジャリと重い音がして当主が近づいてくる。無意識に自分のズボンの裾をきゅっと掴むサヤに、心で仮面を被ってなかったら泣いてたかもしれないと、セタ達は本気で養子にする方法を考えて少しの現実逃避をした。


「サヤ、お客様の邪魔をしないよう言っているだろ。」


「邪魔だなんて、子供のほうが知っていることもありますからね。」


 ルプスが穏やかな声を出して、当主とサヤの間に自然と壁となる。不思議そうに見上げるサヤに、手のひらをかざして見せ、パッと瞬時に飴を出し見せた。指で挟んで隠し、握った時に出現させる簡単なマジックだが、サヤの瞳は輝いていく。


 ティフォンが嘘をついていたわけでなく、この二人は優しいのだと確信したサヤは、飴を受け取ってから「クイズ」と二人に向けて声をかけた。


 二人が自分の話を聞いてくれると肌で感じたサヤは、昨日のティフォンに出されたクイズを必死に思い出して伝える。


「一番、優しい人なら解けるクイズ。」


 直ぐにティフォンの真似だと気がついた二人は、真剣に聞くことにした。


「この中で、理科が得意な人はだれ?」


「俺、何故か理科の点数だけ良かったわ。」


 セタが他の教科がボロボロだった事をティフォンもよく知っている。ティフォンが出したクイズで間違いないと思ったセタは、コレをわざわざクイズにしてまでサヤに伝えている理由があるはずだと、続きを答え合わせを待った。


 もし、全然事件性無く喋っていたとしたら、後で恥ずかしいだろと小突くだけで終わらせる気でもいたセタは、正解とは言われなかったが、多分正解だったのだろう。


「鬼の子の、なぞ、解ける。」


 鬼の子なんて一番思っていないはずのティフォンが、何かをセタに託した証拠のような言葉だった。


「本当の鬼が、誰か、解けるって。」


「………そっか。」



 間違いなく、殺人鬼や伝承の鬼的なものでない“身近な人達の心の闇”である“鬼”は、推理などしなくても誰のことかわかっている。むしろ、“誰”だけの話ではなく、“環境”とすら言えるほどのものだ。


「やる気出るわ。さんきゅ。」


 サヤを撫でてから、セタは前を向いた。


「理科が………関わってくるってことな…。」


 証拠がなければ、“鬼”を打ち倒すことはできない。


 桃太郎“ヒーロー”ではない自分達は、現代の法の力のもとでしか戦えない一般人だ。


 ただ、“普通”の一般人よりは戦える術が多いと自負して、戦うための準備を整えるべく屋敷から出た。






「マジで!?」


 屋敷を出てから、まるで人に聞かれないところまで移動したタイミングを見計らっていたかのように、セタの携帯に着信がかかる。


「マジで助かる!!本当にマジでありがとう!!」


その電話の主が誰かはわからなかったが、セタの声が本心で喜んでいることを理解したルプスは、セタの電話が終わるまで静かに見守っていた。


「せっちゃん、どうしたの?」


「ティフォンをあそこに一人おいておくのもなって思ってたろ?」


 うんと頷くルプスに、セタは興奮を一度収めるためか軽く深呼吸をして、ルプスにだけ聞こえるくらいの音量で話しながら道を歩き始めた。


「男が増えるとピリつかれる可能性あるし、だけど女性の…しかも岐阜に知り合いなんていねぇと思ってたんだけど…。」


「いたの!?」


「いた。岐阜にっていうか、元々岐阜出身で、北海道の酪農家に就職してる女の子の知り合いがいたんだよ。」


 セタ自身も、現実であると確認するためにもう一度携帯を開く。


 そこには、ちゃんと先程話した女の子の名前と通話履歴が表示されていて、セタは深い安堵の息を吐いた。


「昨日、ダメ元でその子にメッセージ送っておいたら、それ見た後すぐこっちに来てくれてたみたいで」


「嘘でしょ北海道から!?めっちゃいい子じゃん!!」


「めっちゃいい子なんだよ……。」


 しかもその子は、もうすでにセタ達がいる地域まで来てくれているようで、今から自分達も行く予定であった喫茶店で待ち会えないかと尋ねると、本当にすんなりと了承してくれた。


 元々世話焼きなところがある彼女に何回か助けられていたが、今回は本当に頭が上がらないなと思いながら、先にルプスと二人で喫茶店に入り、その子を待つ。


「セタ、その子って彼女?ねぇ、彼女候補だったりする?」


 席に付くやいなや顔をぐっっっと近づけて興奮気味に聞いてくるルプスに、セタは「はいはい聞くと思いましたよ」と軽い態度で押し戻す。


 店員が来たのでお互いコーヒーを頼んで、AからCまであるモーニングセットの中からそれぞれ選び、もらったお手拭きで手を拭きながら会話を再開した。


「ティフォンのな」


「ティフォンの!?」


 そう、直接彼女がティフォンへの好意を口に出したことは無かったが、セタは彼女がティフォンに恋心を向けている事に気がついていた。


 彼女の方も、セタが勘づいた事に勘づき、苦いようななんとも言えない表情をしたのを今でも思い出せるほど、セタはその瞬間をはっきりと覚えている。


「でも…まぁ……………壁っていうか、その子はティフォンにアタックする気はなくて…」


 地元が岐阜なことが原因なのか、自分が他の子よりも特殊な事が多いせいか、彼女はティフォンへアタックする気も素振りも全く無い。


「ん?ティフォンが?惚れられてるの?」


「そーなんだけどなぁ。」


 セタは、人として彼女をとても気に入っていたし、ティフォンも同じだと気がついていたからこそ、本心で二人がうまくいくことを願っていた。


 今回の件でより一層その思いが強くなっているセタは、どうにかルプスも応援してくれる方へ持ち込みたかった。


「ティフォンってめっちゃチョロいから、その子がアタックしたら100%落ちるんだけど。」



「どんな計算したら、そんなありえない%がでてくるんだ。」


 初めて会った時のような話し方に、ルプスがいるから警戒しているんだなとわかったセタは、ルプスならその警戒を直ぐに解いてくれるだろうと安心しきっていたので「え!?この子!?」とらしくもなく声を上げて驚くルプスに驚いた。


 声を上げてしまったルプス本人ですら、自身に驚いて内心かなり反省と後悔をしていた。


 でも、驚かれた当の本人は気にすることなく、セタ達の前の席へ腰掛け荷物を隣の椅子にドサッと下ろした。


 深いオレンジの髪は、簡単に一つに束ねて黒いシンプルなゴムでまとめられ、服装もシンプルすぎる無地の白いTシャツと、動きやすい麻のような素材で作られているズボンのどれをとっても、乙女らしいものは見当たらない。


 そして、一番目を引くのは化粧をしていないことでも、大きめの胸でも、よく見るとわかる片方だけのコンタクトでもなく、Tシャツから出ている腕の太さ……筋肉だ。


 髪が短く、胸が無かったら鍛えてる男だと思われてもしょうがない風貌の彼女は、それでも心が男というわけではなかった。


 だからこそ、自分は変わっている自覚が誰よりあったし、その“変わり者の自分”を女の子扱いしようとするセタ達が“普通よりずっと”いい奴である事をわかっていたからこそ、筋肉がモリモリの女子が来るぜ!と説明していないことをわかっていたのだ。


 見た目でもインパクトがあるが、一番変わっているのは性格で、しかしけして嫌な変わり方ではないとセタ達は思っていた。


 ルプスが失礼と取られておかしくない態度をとっても、セタが説明していた女の子像と自分がかけ離れていただろうことを予想でき、なおかつそれを自然な事だと受け入れ不快に思わない“普通とは違う”子だった。


「………俺は、君みたいな子ならあいつを任せられるって本心から思ってるよ。」


「私が嫌だ。私みたいな女があの人の相手なんて。」


 店員がおずおずと注文を聞きに来る。周りの常連がザワザワと彼女を見て話し始めるのもわかってセタは辛かった。彼女が全く相手にしていないから辛いだけですんでるとわかっているセタと、ざわめきの内容が聞こえてしまいさっきの自分の失態を必要以上に責てしまっているルプスの暗い表情を見て、ここに長くいるのは良くないと判断した彼女は、ササッと注文をして自分の飲み物が来る前にカバンをあさり始める。


「水分、持ってきてくれてるだろ?すぐ電話も出れるように」


「わかっとるよ。」


 セタの問いかけに顔を上げない彼女が、ちゃんと方言で話してくれたことに自分で驚くくらいセタはほっとした。


「これ、お土産。」


「え?逆に?」


 カサッと音を立ててテーブルに置かれたのは、ぶ厚めのA4サイズの茶封筒だ。


「サヤって子の母親の簡単なプロフィール的なやつと、居場所と電話番号、行きつけの病院の住所くらいやけど。」


 驚いた二人は、封筒と彼女の顔を何度も交互に見てしまい、結局彼女のココアが来てから茶封筒を開けた。


 それをよくよく確認してから、驚きがようやく脳にたどり着いて声が出た。


「マジでゆってる!?仕事早えぇとかの話ではねぇしっ、こんな特技っつぅか、なんかつてがあったの!?」


 今はしまって食べなさいと、母を越して祖母のように穏やかだがしっかり注意された二人は、モーニングを少しずつ食べ始める。


 温かで安全な“普通”の食事が心と胃にしみたあたりで、彼女は周りに聞こえないがセタ達にはしっかりと聞こえる声で話し始めた。


「たまたま、岐阜だから集められただけやから気にしんくていい。田舎ってのは、世界が狭い。情報は守られてない事が多いだけだ。」


 彼女はまだ熱いはずの茶碗蒸しの蓋を躊躇なく開ける。その手のひらの皮の厚さは、彼女が頑張って仕事をしている証だった。


「人の口に戸は立てられんのに、娯楽が口を滑らせることだからしょうがないけど。」


「……あぶねぇことしないでくれよ。頼った俺達も悪りぃけど。」


 申し訳無さそうなセタへは目を向けず、彼女は隠していた怒りをようやく一部だけ垣間見せた。


「悪いのは、どう考えても薬なんて盛るドブ野郎共やろ。」


「「ドブ野郎…。」」


 クソですら、そいつらより使い道があるという彼女の中での最大級の罵倒であった。


 彼女は顔に出にくいだけで、かなり心配性の部類であり、それこそ昨日は一睡もしていないほどティフォンや二人のことを心配していた。


 焦りは何も産まないのだから、自分のできることをと夜通し資料集めに動くことで、心配と焦りを封印していただけで、本当は何もしないでセタ達の安否を確認するためだけに屋敷に乗り込みたいほどだった。


 そんな彼女は、セタ達がモーニングを食べれていることで安心し、ティフォンがこの場にいることができないことに悲しみ、ようやく奥底でまだ火種だった怒りが酸素を得たように燃え上がった。


 それを表に出せば食器等は簡単に割れてしまうので、彼女は目にだけその怒りを宿し、抑えきれない部分は短く悪態として吐き出す。


「ボルボックスにも失礼な奴らめ。」


 彼女のことだから、わざわざ“ボルボックス”を引き合いに出してきた意味もあるんだろうなぁと思ったセタだが、その意味は彼女が心配しているであろうティフォンと、そのティフォンが守ろうとしたサヤを無事保護してから聞くことを決め、少しでも屋敷に関しての謎を解くことを考え始める。


「…もしかしてだけど、理科得意だった?」


「得意とまではいかなかったよ。他の教科がからっきしすぎて、まぁマシかなのレベルではあった。」


 セタの質問には意味があるとわかっていた彼女は「どうした、の?」とまるで初めて聞く人はぎこちないのかと思うような話し方をした。


 だがセタは、彼女が威圧的な話し方になっていないか心配し、気を使ってくれているからこそだとわかっていたのでむしろ微笑ましく気が楽になる。


「いや……、ティフォンが、理科が得意だと鬼の正体がわかるって言ってるらしくて…。」


「染色体か、血液型の話かもしれんな。」


 彼女は両親を早くに亡くしているらしく、義父に男手一つで育ててもらったことを聞いていたセタは、彼女の話し方が男らしいのはむしろ温かい気持ちになるものだった。


 好意を持つ親や友人のクセが移るのは、“普通”のことだから。


 父親や祖母のクセを移すどころか見ることもまともにできてないサヤを、セタ自身もどうにかしてあげたかった。


「親に似ん子は鬼子なんて言う年寄りは、この辺りに確かにいる。」


「やっぱり、鬼の子なんて………子供はなんの罪もないってことだよね。」


 ルプスが悲しそうに呟く。


 もし本当にサヤが不義の子であっても、サヤには関係ない。サヤにはなんの罪もないのに、大人達が全ての罪をサヤへ押し付けているようで嫌悪感がすごかった。


「罪も罰も、作り出したもん勝ちなとこがある。」


 そんな、一見冷たすぎる言葉を出す彼女は、ルプスのコップに水が無いといち早く気がついて、口をつけていない自分のコップと取り替えるほど優しい。


 冷たい言葉ではなく、サヤ達のいる環境の“事実”であること、それから目を逸らしては何も変わらないことを再確認し、ルプスはありがとうとお礼を言ってから水を飲んだ。


「…………血液型、な。」


 ティフォンがよく、「こんなの血液型占いくらい信憑性無いよ」と言うことを思い出したセタは、心の中でほんとになと返事をした。


 もし、自分の妹が血液型の違いで本当の兄弟じゃないと今更言われても、セタは妹を他人と思うことができない。


 でも、それは世間の“普通”では無いこともあるとわかっていた。


「ゆずちゃんは、何型だったっけ?」


「ビルドアップのB」


 こんな返し方するB型の女の子に会ったことがない時点で、やっぱ血液型で測れねぇよと、セタ達は明るい気分でコーヒーを飲み干した。


 






「何か、格闘技とかやってたのかな。引き締まってるよね、アスリート感のある……。」


 一旦、ゆずをティフォンのところへ送り届け、当主へも心配した姉が駆けつけたと嘘を信じ込ませたあと、外で茶封筒に入っていた住所に向かうため、二人はバスに揺られていた。


 バスの中でゆずの事を思い出しているルプスから、彼女へのマイナスなものは感じられなくてホッとしているセタは、ルプスと会話しながらも茶封筒の中身を確認し、今後の予定を立てていく。


「酪農って激務なんだよ。まぁ、あの子が頑張りやだから余計筋肉もついたんだろうけど。」


「そっかぁ、すごいなぁ…。本当尊敬する。」


「尊敬はいいけど、口説くなよ?お前イケメンだし、優しいし、ゆずちゃんみたいな女の子を見下すとかねぇし…口説くなよ?」


 あまりにも念を押してくるセタに、ルプスの中でセタが恋愛感情を持っている可能性を考えるほどだったし、それもおかしくないほどいい子だとルプスも思っていた。


「せっちゃん、本当はあの子のこと…」


「マジでちげぇの。マジでティフォンをもらってやってほしいの。本当にティフォンにはあの子くらいしっかりした嫁さんじゃねぇとヤベェから。ティフォンを理解してもくれるのって本当に稀だし…。」


 照れ隠しではなく、マジのトーンで言い聞かせるように伝えてくるセタに、ルプスは少し困惑する。


「えぇ?ティフォンってモテそうだけど。」


「あいつは、恋愛的には何故かモテないんだよ。しかも、好きになる娘はいっつもちょっと………あれっていうか、ティフォンの寿命を縮める系……。」


「どういうこと…。」


「あんま言いたくねぇけど、クロみたいな……………。」


「えぇ!?」


 バスの中には誰もいないので、定年間近の運転手しか話は聞いていない。運転手は安全運転しながら、セタ達の話を青春だなぁ心穏やかに聞き、自分の青春を思い起こしていた。


「カースト上位っていうか……モテる自覚も才能もあって自分に自信がある…………思わせぶりな………。」


 だが、セタの青春……いや、ティフォンの青春の話は主にセタの中で全く心穏やかなものではない。



「そーゆー子って、結局最後はティフォンを選ばねぇんだよ。結局同じくらいの男…それこそお前とかクロ的な男に惚れるし、ティフォンは振り回されるだけ振り回されて、それすらいい経験になったろみたいな態度だし。もっと酷いと他に好きな男作っといて、うまい具合にティフォンに告らせるとかもしないし。」


 流石にゆずには吐き出すことのできない内容たので、初めて他人に聞いてもらえることのできた長年の愚痴兼悩みは、場違いとわかっていても溢れ出してくる。


 聞きながらルプスの心は心配と引く間くらいをゆらゆらしていた。


「一体ティフォンに何があったの。」


「何とかではなく、マジで、ティフォンがそういう娘ばっかりにふらふらっと行くんだよ。ふらふらっと。」


「ぁ゙ーん゙ー。」


 吐き出して少しスッキリしたセタは、より頭の回転を速くして思考することができた。


 だが、吐き出されたルプスは可哀想なことに悩みのタネが増えてしまっただけである。クロなら「で?」で終わるが、優しいルプスはちゃんと心の中に入れて、自分も一緒に考える選択をとっていた。


「ゆずちゃんは、ティフォンのそういうところがわかってるってこと?だからアタックしないの?」


「わかってねぇと思いてぇけどぉーー。そこじゃねぇと思うけどぉー。」


 ゆずの集めてくれた資料は、どれもほとんど手書きだ。


 機械類が苦手だと携帯も通話とメール以外ほぼ使ってなかったあの子が、これだけ調べるのは大変だっただろうと紙の上から感謝を込めて撫でた。


「結婚するなら、幸せになってほしいべや。」


 撫でたところに、たまたま赤丸がついていることを知ったセタは、「ん゙?」と声を出して止まってしまう。


 それは、サヤの母ではなく祖父母の通院している病院の住所と、彼らの簡単なプロフィールだった。


「だとしたら、鬼なんて……………………。」


 セタの推測通りであれば、


 ゆずの予想があっているならば、


 セタの今までの予想なんて生ぬるいほどの、最悪な鬼がいることになってしまう。







「ぁ゙ーーー。」


「………。」


 水分を飲んでは吐いてしまうティフォンの背を服の上からゆっくりとタオルで擦るゆずは、ティフォンに自分の顔が見られなくてよかったと思っているほど、泣き出しそうなほど辛かった。


「…ごめん、セタが俺に過保護で。」


「こんなの、どんな人でも心配する。」


 震えない声に自身を褒めながら、脱水症状だけは起こさせないように経口補水液をまた一口飲むように促す。


「君だって、逆にセタ君がこの状況だったら、なんとしてでもと思ったはずだ。」


「…………俺は、セタ達みたいにかっこよくないからさぁ。」


 子供の頃から、口が達者だと言われてきた方の彼女は、そう言った人達に「今、こんなざまだぞ」と心の中で自分を嘲笑った。


「…………、………かっこいい」


「は、人それぞれの、感性、だと、思う。」


「セタ君は、君の、かっこいいところも、あると、思ってると、思う…よ。」


 あまりにも拙い自分の話し方に、言い終わってからも羞恥で体中熱くなる自覚があって、本当に勘弁してほしかった。こんな役立たず地獄の業火で焼かれて死ねよ!!と心のキャラ崩壊まで起こしている彼女は、全くそれが表にでない性格であるがゆえ、こんなにそばにいるティフォンにバレることはない。


 それどころか、彼女はセタに好意があると思っているティフォンは、「…本当に、俺とセタって恋愛的なのはないからね?セタに今は彼女とかいないし、」と的外れな心配をして弁明し始める。


 セタが人より洞察力に長けているだけで、彼女の恋がティフォンに向いていると伝わらないのは“普通”だった。


 伝えたいわけではないのに、勘違いされて悲しいと思う心が恋なのか、ゆずは自分でも驚くくらいにショックを受けていた。


「…いらない世話だ。」


「ごめん…うん、そりゃそう……。」


 ゆずの突き放すような言葉と音に、ティフォンもショックを受け、ネガティブを加速させていく。


「そうだよね、俺みたいなやつに言われてもね…。」


 ティフォンが弱っているからこそ気落ちしている時に、自分がさっき投げかけた八つ当たりのような言葉は酷いものだと自覚して反省したゆずは、自分の悲しいなんて踏み潰してティフォンの事だけを考えて温かい声色で話しかけた。


「………心配しなくても、セタ君はいい子とくっつく。君もそのうちなだけだ。」


「俺はモテないし。なんか、多分このままずっと一人でいいかなって。」


 自傷気味に笑うティフォンの顔色が本当に悪く、見ていると震えそうな手を、ゆずは自分の親指の爪で刺して叱責し、もう一度タオルでティフォンの背を撫でた。


 このタオルは、ティフォンを汚したくなかったからこそだったが、絶賛ネガティブ加速中のティフォンは、自分に直接触りたくないほどだと解釈して、勝手によりネガティブを加速させていた。


「顔色がまだよくない。少し横になれるか?」


「…うん、ごめん。」


 横になったティフォンは、やっとゆずの顔を見ることになり、聞いていた声より何倍も心配している表情に少し驚いた。


 何故か驚いた反動で目を閉じてしまったティフォンは、ようやく優しい彼女に心配させたんだと当たり前なことに気がついて、ぐるぐると加速していた思考の速度を落としていくことができるようになる。


「………本当にね、君はいい子だよ。いい子っていうのもな…えっと、絶対に、いいお嫁さんになるよ。」


 目を閉じたまま、ティフォンは精一杯彼女に自分なりの賛辞を述べる。


 “普通の女の子”なら、なんだこいつと思われることを理解しているティフォンが、この子ならわかってくれる、正しくそのまま賛辞であると受け止めてくれるという無意識の甘えでもあった。


「セタ…や、ルプス達……とか、でも、全然、見劣り……しないくらい……」


「ふっふ。」と彼女の笑い声が聞こえたことで、ティフォンの心は軽くなる。伝わったと安心して、彼女がいることにも安心しきって、ティフォンの緊張がほぐれて、薬のせいではない眠気が訪れた。


「まだセール品ではないんやから、幼馴染同士で押し付け合うな。誰も押し売ってきとらんはずやろ。」


 ティフォンの読み通り、ティフォンなりの賛辞だとしっかりと感じ取った彼女は、ティフォンが完全に寝入ってからもう一度悲しいを踏み潰した。


「…………可愛くないのは、自分が一番理解しとる。」





「んの馬鹿野郎共が!!!!」


 サヤも寝静まったほど夜が深くなってから、セタは怒りのまま屋敷に乗り込んだ。


「そりゃボルボックスにも失礼なんだよ!」


 玄関に書類や写真、病院のカルテや世界で本当にあった事件を記した記事のコピーまで叩きつけ、それらがバサァッと広い玄関を埋め尽くした。


「証拠揃えてやったわ!」


 その剣幕に慌てて出てくる当主達は、記事をしっかりと見ることができないほどセタの怒りを全身で感じていた。


「サヤちゃんがアンタの実の子だって証拠をな!!!」


 そう、息子の血液型と一致しないという理由で、“普通に”不義の子だと思われてしまったサヤは、れっきとした当主の子………本当に亡くなった剣“つるぎ”の実の妹であった。


「何も悪くねぇいたいけな幼女の大切な時間と記憶を傷つけるっ」


 セタは、怒りより悲しみが大き過ぎたが、こいつらに涙なんか見せてやるかとの思いだけで怒りに変えて喉を震わせて吠えた。


「お前らが鬼だっただけなんだよ!!!」


 現実逃避はさせないと、静かに怒っているルプスが一番わかりやすい資料を拾い上げ当主に渡す。


 ルプスは笑顔だが、目は完全に笑っていないもので、セタよりも心から身震いさせる怖さを持っていた。


「今すぐ心入れ替えやがれ!さもなかったら川に流れてこい!」


 読めよ。と口に出さずに凄むルプスに、当主はようやくことの大きさを理解し始め、持った資料を見てから手を震わせ始めた。


 妻は、自分を裏切っていなかったこと。


 娘は、自分の娘で間違いなかったこと。


 そんな二人を信じられなかった自分だからこそ、長男も守れなかったかもしれないと思いいたり、遅すぎる後悔で目眩に似たものが押し寄せる。


「川に流れて来いは比喩的なやつだから、脅しとか脅迫とか言わないでよ?」


 資料の上に手を置き、当主がルプスを見ざるをおえない状況を作る。思惑通り目を合わせた当主が見たものは、自分をいつでも仕留められるほど強い獣の目だった。


「怒ってるけど、我慢するくらい優しい人達ばっかりなだけだから。」







「ティー、水飲める?」


「なして!?クロ!?本物の!?」


「うるせぇ。ぶっ飛ばすぞ。」



 玄関で怒り狂ったあと、ティフォンのいる部屋へ足早に来たセタ達は、ティフォンの世話を甲斐甲斐しく焼いているクロを発見し、流石に驚きの声を上げた。


「さっきクロから電話きて…、わざわざ来てくれたんだよ。」


「お前、彼女いんだな。」


「ちげぇわ!!!」


 そこはしっかりと訂正して置かなければ、今後のティフォン達に関わってくるとキツめにクロを叱る。だが、さっき怒りで喉を使っていたせいか、思ったより大きな声が出てしまった事に気がついたセタは、直ぐ部屋を出られるように片付けてくれていたゆずへと視線も体も向けた。


「ごめんゆずちゃんっ、こいつ怖くなかった!?」


「はぁー?」とクロは不服そうな声を上げ睨んでくるが、彼が来ることを彼女に話していなかったし、何よりこの傍若無人な俺様暴君が、優しい彼女に失礼な態度でなかったか心配だった。


 だが、彼女は心配しなくてもいいと笑顔で頑張ってきた二人を労い、「声でかい人だなとは思った。」と冗談を言ってセタの肩の力を抜いた。


「え?彼女じゃねぇの?振られた?ドンマイ。」


「ちげぇしドンマイとか言っといてその爽やかな笑顔なんだ!喜んでるだろ!」


「喜んでねぇよ失礼な。おもしれぇなと思ってるだけで。」


「振られてたら面白いは最低だろ!振られてもねぇけど!そーゆーのじゃねぇから!」


 元気にじゃれ始める二人を見て、ルプスは止めようとしたがティフォンは心から安心して微笑んだ。


「元気な人達はおいていくか。」


 ヒョイッとタオルケットに包まっているティフォンを姫抱きで持ち上げたのはゆずで、驚いたセタ達はピタッとじゃれることをやめる。


 ティフォンが「待って!」とかなんとか言おうとしていたが、スタスタ歩いて玄関に向かうゆずの後ろ姿に


「えぇ…すごぉ…。」


 と、声を出せたのはルプスだけだった。





 




「「「えぇ!?」」」


 ゆずの怪力よりさらに驚く事が起きたのは、屋敷を出た割とすぐ後のことだった。


 クロの親戚が岐阜にいることにも驚いたが、その親戚がまさかのゆずの義父であったのだ。


 今日泊まる場所の話している最中、ゆずとクロがアレ?とお互い思い始め、半信半疑のまま向かうと目的地は本当に一緒にであり、そこにいたのはクロの叔父で、ゆずの義父である“風見”という男だった。


「嘘やろ?え?風見さんの?甥?」


「なんだ、本当にお前がゆずか。」


 ゆずは風見から甥の存在を聞かされておらず、クロは名前は聞いたことがある状態なことに加え、クロとは全く違うタイプの陽気でへべれけに酔っているボサボロのおっさんが出てきて、クロとティフォン以外困惑を深めた。


「よぉ来たなお前ら!飲んでけ飲んでけ!若いうちはどんだけ飲んでも死なん!!」


「アホやろ、致死量は普通に死ぬわ。」


 ゆずが最後まで甥だと信じられないほど、クロとは容姿共々異なる風見は、その高い身長と金色の髪は同じであるものの、その髪も短くボサっとしていて、今まで転がってましたよを隠しもしないシワだらけの甚平で皆を迎える。中の黒いタンクトップが丸見えなくらいダラっと着て酒臭いので、クロどころかゆずの養父だということも、セタとルプスは信じられないほどだった。


 だが、風見本人が甥だと認めている以上、本当のことであると理解したゆずは、まだ理解できていない人達含め、直ぐクロ含めて家に招き入れる。主のはずの風見をほおっておいて、ティフォンを“安全な場所”に寝かせた。


 他の3人の男達は風見に捕まり、限界までしこたま飲まされることになる。









 夜中の3時、夜通し鳴いていた田んぼのカエルたちも落ち着き出したはずなのに、こんな時間から起きたゆずは、顔を冷たい水で洗って、部屋の掃除と洗濯、朝食の用意を終えた。全部終えても、時間は5時になっていないほどだ。


 ゆずは二度寝することなく、リビングと呼んでいいのか、酒場と呼べばいいのか分からない部屋を覗く。


「ぐーぉーぐぉーっ」と寝ててもうるさい義父の腹にタオルケットをかけ、泥酔と疲労困憊のセタ達の無事を確認し、彼らに水を飲ませて枕を用意してあげ、タオルケットをかけ横に寝かせる。


 その後、一人だけテレビを見ながら座っていたクロと目があった。


「……なんかここらへんで、皆ダウンした。」


 ここらへんと指を刺されたところに積まれた缶ビール達を、ゆずは一回だけため息を吐いて回収する。音が鳴るので、ゴミ袋へ詰めるのは朝になってからにしようと、人が通れるように避けるための回収だった。


「………酒豪の血か。」


 全く酔っていないクロに、ようやく風見の血らしきものを見出し、ゆずは心で苦笑いした。酔いに酔って寝ている駄目なおっさん“養父”だが、1日中どころか毎日飲み続けてコレで済んでいるので、肝臓が強いとかの話ではないことを、彼女が一番良くわかっていた。


「血は水より濃いな…………。」


「あんま関係なくね?本当の娘だと思うって言ってたぞ。」


 それを聞き、一瞬だけゆずの手はとまるが、また直ぐに缶を集め始める。


「朝飯はやめとくか?」


「普通に食えるけど。」


「ふっふ、それはそれは。」


 若いなぁなんて本当にお年寄りのような感想を抱きながら、穏やかな顔で缶を拾い続けていたゆずと、テレビを消して寝るかと考えていたクロの耳に、階段を気遣って降りる足音が聞こえる。


 ゆずは直ぐに缶を置いて、水を取りに行く。戻ってきたのと同じタイミングでティフォンが部屋へ入ってきた。


「ゆずちゃん…ごめん俺何もしないで。」


「そりゃ、人の家で好き勝手できんやろ。」


 ティフォンを気遣い、そばに座らせたクロと、直ぐに水を飲めるようそばにおいてくれるゆずに、ティフォンはむず痒いような暖かさを感じていた。


 そんな暖かくて静かな時間は、まだ寝ぼけている酔っ払いが這いずって近づいてくることで終りを迎える。


「ゆずぅ、まんだおるやろぉ?まんだ泊まってくやろぉ?」


 ゾンビのようにズルズルと娘に近づく義父“酔っ払い”は、父とは思えぬほど威厳も何も無い甘ったれた声を出している。


「……泊まらんよ。仕事だ。」


「やめろぉそんなブラックなとこぉ~〜。」


「寝るのか泣くのかどっちかにしろ。まったく…。」


 もう、どちらが親なのか分からない状態だが、ゆずにとっては5歳から変わらない父の姿だった。仕事行きたくなぁいだったのが、仕事やめて帰ってこぉいに変わっただけで。


「んふふ。」


 ティフォンの笑い声にはっとしたゆずは、軽く酔っ払いをペチンと叩いて立ち上がる。


 父のために水を用意する甲斐甲斐しいゆずと、わかったようにそれを待っているゾンビ“義父”を不思議そうに見ていたのはクロの方だった。


「風見さんがそんな感じになんの初めて見たわ。」


「えぇ?この人飲んだ朝はほとんどこうやけど。」


 直ぐに戻ってきたゆずが、甚平の襟首をつかんで座らせてから、水を飲ませる。ほぼ介護の様な状況なのに、ゆずの顔には不満なんてものは一切見当たらず、それどころか「甥っ子には、カッコつけたいんかな?」なんて苦笑いしていて、娘じゃなくて嫁育てたの?と思ったクロだったが、勘がいいので口には出さなかった。


「ゆずぅ…甥っ子がぁじぇんじぇん酔わへんからぁ。」


「抗体が多いんやろ。」


 ゆずは、甘えようとするでかい子供“義父”をスルーして、「ぁ゙〜しんどい…。」「もう飲まない………。」とうわ言を呟き出したセタ達の様子を見に行く。


 自分の父以外にもあんなに甲斐甲斐しいのは何故なのか、全く理解ができないクロは本当に初めて見る生物を見ている気分だった。


 自分も、周りから甘やかされることが多いほうだと自覚があったが、ゆずのそれは本当に母のものに近く感じたからだ。


 え?娘じゃなくて母育てたの?とも、クロは聞かず、世話を焼かれているセタ達へ引いた目を向けるだけにとどめた。


「…………セタ、帰れるかな。」


 ティフォンにまで心配されている事に気が付き、クロは引くを超えて怒りに近いものを感じた。クロの中ではお前らが断らずに飲んだからだろでしかなかったからだ。


「飛行機詰め込みゃ肉の塊でも帰れんだろ。」


 クロの怒りに気が付かないティフォン達ではなかったが、その怒りの理由を正しくわかることはできていなかった。


「これでは、岐阜にいい思い出なんか無いな。」


 そう娘が寂しそうに呟くのを聞いて、何を思ったのかまたゾンビがグネグネと始動し始める。もうそこまで動けるなら歩けよとクロは思っていた。


「岐阜なんてなぁんもないわ!なぁんも!!温泉!!酒!!柿!!そんなもんしかねぇ!!!」


 叫んだかと思うと、わざとメソメソと泣くようなあからさまな嘘泣きのポーズをとり、ゆずがセタ達のそばから自分の方へ来るように誘導する。


「ゆずぅ…なぁんもねぇよぉ〜鮎しか食うもんねぇよぉ〜。」


 そんなんで誰が動くの?とクロは思ったが、「やけに上等なもの食おうとしとるな、この飲んだくれは」と言って普通にゆずは近づくし、グリグリと酔いに効くツボを押し始める。


「ぁ゙ぁ゙〜きくぅ〜。」


 あいつ、大丈夫か?と珍しい心配をし始めたクロだが、心配どころかその光景を見てんふふと微笑んでるティフォンの「この時間がいい思い出だよ。」なんて言葉を聞いて衝撃を受けていた。


 駄目だこいつら、俺がなんとかしなければと今まで感じたことのない使命感に似た何かを感じるほどだ。


「帰り思い出作れば?飛騨牛の焼肉屋いっぱいあるし。」


 とりあえず、まともな思い出というものを理解させてやろうと提案すると、2人共普通のことのようにセタたちの方を見る。


「いや、焼肉はこの人達が食えんやろ…。」


 こいつらは、本気で自分のことより他人のことなのだと理解したクロは、絶対にこの2人も自分のことを考えられるように変えなければと勘に近い何かに言われた。


「そいつらは普通においてく。」


「………普通に?」


 ゆずに聞き返されるが、自分が普通側だと思っているクロはあえて返事はしない。


 自分と同じである叔父も、明日も娘たちがいることが嬉しい思いが先導しているので、ゾンビ状態から死者蘇生に成功し、勢いよく立ち上がって夜中に出す音量では無い声で騒ぎ出す。


「そうや!花火やるぞ花火!!今夜長良川のバーンでドーンなやつが!!!」


 近所迷惑になるからと娘“ほぼオカン”に叱られ、メソメソしたふりで甥ではなく隣の少年をターゲットに近づくおっさんを、クロは蹴って撃退やりたかったが、自分が悪くないのにゆずに叱られるのは癪なので、ゆずのいないところでしようと今は我慢を決め込んだ。


「今日はお前さんも飲めるなぁ?」


「いいんですかぁ?」


「おぉ!!イケる口か!いいぞいいぞ!!」


「いやこれ、早急に帰らせたほうがいいな。」


 ティフォンの身を案じ、ゆずは帰らせるための飛行機等を調べ始めるが、風見は帰らせる気は無かったし、朝日が昇ってから起きる事件も、彼らを帰らせる気は無かった。


家族構成


セタ 年の離れた妹がいる長男。

ティフォンをほぼ弟だと思うほど面倒見が良い。逆に、一人っ子長男で甘やかされていたセタに我慢や思いやる心、他人との関わりの難しさを教えたのはティフォン。ティフォンがいたから、歳が離れている妹(5歳)にも兄として優しく厳しく接してあげることができてる自覚がある。父と母も健康で一般的なお宅。


ティフォン 天涯孤独

3歳のとき母親がドラム缶にティフォンを詰めて北海道の海へと流した。

奇跡的に漁師にドラム缶ごと助けてもらい、命は助かったがティフォンという名前以外何も分からないまま北海道に住むこととなった。

セタは家族であり、親友であり、尊敬する人。環境のせいで自分を自分が愛せていない部分があるが、今は友達も増えてすごく幸せ。


ルプス 姉と妹に挟まれた長男

絵に描いたような姉あるあるを詰め込んだ姉に、スパルタ気味に育てられたせいで内心女性不信ぐらいで育ってきたが、母が死ぬ前に残した妹が歳が離れていることもあり天使すぎて辛い、好き、俺が一生守るよ状態。妹のおかげで一部の女子を不信しているだけで留まっている。姉のことも嫌ってはおらず、マジで誰か我慢強くて胆力のある普通に誠実な男が生贄になって、もとい、幸せにしてあげてほしい。

父は最近殺された。


クロ 少し年の離れた兄がいる次男。

ぶっちゃけ、両親に叱られるより兄貴に叱られる方が怖い。

家族仲も良好で、誠実で真面目な父と、おっとりとしていて穏やかな母(天然)に惜しみなく愛をもらい兄弟も尊敬しあい心身ともに健康に育つ。幼い頃からヒーローへの強い憧れがあり、警察のトップである男に才能を見出されたこともあり、早くから警察内で仲間とともに訓練し始めているので、同期とそのトップの男のことも家族のように思っている。


ゆず 天涯孤独から風見に引き取られ幸せになった少女。

本来、心を壊したり非行に走っておかしくないほどの環境下で育ったが、本人が異質すぎたのですくすくと健康に育った。前世の記憶でもあるのかと何人か疑うほど普通の子供とは感性が違い、飲んだくれ駄目親父の世話を本心で1ミリも嫌がっていない。親父どころか、自分が世話を焼いてもいい相手だと思えた相手にはできる限りのことをし始めるので、風見やその友人(男ども)はいつも違う意味で将来を危惧していた。実の母は父に殴り殺され、その後父は薬物の錯乱も助けて自ら飛び降り死んだ。実は赤ちゃんの弟も死んでいるが、それはゆずの中では衝撃的すぎて記憶を自身で封印しているので覚えていない。

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