表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
だれにも読まれなかった小説  作者: 桜木樹


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

8/37

第8話 狂いゆく道程 6

 今日は一段と冷えるなと感じたわたしはコンビニでホットコーヒーを一本だけ買って帰ることにした。家に着いたその足でコーヒーの入ったコンビニ袋を手に地下へと続く扉を開けた。足元に漂うひんやりとした空気が肌を撫でる。目出し帽を被って階段を下りる。扉を開けると毛布にくるまって縮こまっている石橋緑がいた。髪が濡れているのを見るとお風呂にでも入っていたのかもしれない。彼女は一瞬だけこちらに目を向けすぐに面を伏せた。


 わたしは持っていたコンビニの袋からまだ熱い缶を取り出して卓袱台の上に置いた。


「今日は寒いから。飲みなよ」


 石橋緑は明らかに警戒していた。昨晩部屋の棚に置いた食べ物が手つかずのままになっているのがいい証拠だ。彼女にとってわたしは敵なのだから仕方ない。しかもコーヒーは一本で自分は飲まずに相手にだけそれを飲むことを勧めるなんて疑ってくれと言っているようなものだ。でも一人暮らしのわたしがコンビニでホットコーヒーを二本も買ったら怪しまれる可能性があるから仕方ない。


 心なしか頬がけているようにも見えた。一日食事を抜いたくらいですぐに体型が変わるもんじゃない。おそらく狭い部屋を照らす蛍光灯の光が彼女の表情にはっきりとした陰影を作っているせいでそう見えるだけだろう。


 しかし困った。このまま飲まず食わずで餓死でもされたらこちらの計画がだいなしだ。それに、コーヒーを飲んで温まってほしいというのはわたしの偽らざる本心だ。最初にわたしが飲んで毒は入っていないことを証明しようかとも思ったけどそれは悪手だ。石橋緑が他人が口をつけたものに口をつける行為を嫌がるタイプの性格だった場合、彼女に飲んでほしいという目的は達成されなくなってしまう。


 わたしは一度一階に行きコップを持って地下に戻った。それから缶コーヒーを空けて少しだけコップに注いでそれを彼女が見ている前で飲んでみせた。熱かったコーヒーはぬるくなり始めていた。でもこれで毒はないと理解できたはずだ。石橋緑の視線がわたしと缶コーヒーを何度か行き来する。そしておずおずと手を伸ばし、ようやくコーヒーを飲んでくれた。心底のどが渇いていたのか缶を傾け勢いよくコーヒーを流し込む。長く伸びた首がコーヒーを嚥下するたびにゴクリと音を立てて隆起する。その白い蠢きを見てわたしも喉を鳴らす。普段人目にさらしている部分のはずなのに、なぜか隠秘なものを見ている気分になった。


 飲み終えた石橋緑がほぉと安堵したような吐息を立てる。コーヒーを飲む彼女に向かってわたしはもう一度念を押した。


「これは誘拐だ。約束通り君を開放する。だからそれまでわたしは君を殺さないし傷つけない」


 石橋緑は両手で握った缶を見つめたまま何も言わなかった。理解しているのかいないのかわからないが少なくとも聞こえてはいるはずだ。それから無言で石橋緑がが空になった缶を卓袱台に置いた。わたしはそれを手に部屋の外に出た。


 ――――


 石橋緑は少しずつわたしに対する警戒心を解いていった。食べ物や飲み物を差し出せばそれを躊躇(ためら)わずに口にするようになり、少しだけ会話ができるようにもなった。


 さすがの彼女もずっと誰とも喋らずに部屋に籠もりきりの生活を送るのは苦痛だったのだろう。たとえ相手が自分を攫った誘拐犯であっても、話ができる相手がいることはこの狭い空間に多少の安寧を生じさせるに違いない。とは言え、お互いの間に弾むような会話はない。事務的なわたしの質問に石橋緑が応える程度のものだ。


 何度目かの質問で石橋緑は本が好きだと言った。わたしは彼女が自分と同じ趣味を持つことに内心で歓喜の声をあげた。もちろん絶対に表に出したりはしない。暇つぶしを与えるという名目でわたしは自分の一番のお気に入りの小説を貸し与えた。何度も繰り返し読んだその本は表紙が擦れて剥げ落ち、小口の部分が手垢で黒く汚れていた。それでもわたしの大切な宝物だった。


 でも、わたしの優しさを拒絶するかのように石橋緑は最初の数ページで読むのを止めてしまった。


「本が好きなんでしょう?」


 そう訊ねると、好きは好きだがこの本の内容は好きではないとのことだった。


 わたしが貸した小説は精神に異常を抱えた主人公が殺人を繰り返すスプラッタ小説。表現は比較的柔らかいはずだけど、時には殺した相手の肉を食らったり、死体と姦淫する描写もある。それでも一般小説にカテゴライズされている。年齢制限はない。わたしがこの本に出会ったのは中学の頃だ。あまりにも衝撃的な内容に度肝を抜かれ、わたしは一気に虜になった。あの時の感情は今でも覚えている。その時の興奮、昂揚、ドキドキを思い出したくて何度も読み返した。


 でも石橋緑の趣味には合わなかったようだ。


 本のジャンルの好き嫌いは人それぞれだ。無理にこちらの趣味を押し付けようとは思わないけど、同じ話題を共有できるかもしれないと思っていただけに少し寂しかった。それに、なんだか自分が拒絶されたような気分になった。わたしはもともと彼女を誘拐した誘拐犯だ。受け入れてくれというのは虫がよすぎることは承知の上だけど。


 でも、それでも、思い出す――


 中学の頃自分が書いた小説を「つまらない」、「面白くない」と言ってろくに読まずに突き返されたあのときに感じた虚しさによく似ていた。もちろんわかっている。あのとき書いた小説は本当につまらなくてくだらないものだったということは。


 わたしは卓袱台に置かれた小説を手に取り地下の部屋をあとにした。それから別の文庫本を三冊手にしてまた地下におりる。これならどうだと披露するように卓袱台の上に置いた。先程よりもかなりマイルドでミステリ要素の強い作品たちだ。


 石橋緑はどれもお気に召さないようだった。ならばどんなジャンルが好きなのだと質問した。返ってきた答えは恋愛小説。わたしが最も苦手なジャンルの小説だった。家に恋愛小説は一冊も置いていない。恋愛要素を含むミステリやホラーはあるけど多分それじゃダメなんだろう。


 わたしは彼女との交流を諦め部屋を出ようとした。


「誘拐なんて本当にうまくいくと思っているんですか?」


 石橋緑の強い意志を感じる言葉が背なに投げかけられる。


「うん。思ってるよ」


 わたしは振り返ってそう答えた。彼女の腹の中は見え透いていた。互いの関係がある程度打ち解けたこのタイミングでわたしの説得を試みようというのだろう。でも、その手には乗らない。


「最終的には私を開放するんですよね。だったらそのあと私が通報したらあなたは警察に捕まりますよ」


 そんな事は百も承知。言われるまでもない。だからこうして石橋緑の前に姿を表す時は常に目出し帽を被っている。この場所がどこかも彼女にはわからない。この状況で何をどう警察に説明するつもりなのだ。


 わたしが勝ち誇ったようにそれらを説明すると彼女はそうですかと一言告げて顔を伏せた。悲しそうとか悔しそうといった感情は見えない。適当な表現があるとすれば憐憫。


 そんな彼女の顔を見て負けたような気分にさせられた。


 わたしがなにか見落としているとでも言うのか。いや、きっとそうじゃない。そう思わせることでわたしの動揺を誘いボロを出せようという魂胆なのだ。きっとそうに違いない。


 …………


 あっという間に二週間が過た。今日が約束の日。石橋緑に受け渡しが終わったら開放すると伝えるとその顔に安堵の色が浮かんだ。


 わたしは一階に上がり出かける準備に取り掛かった。事前に用意しておいた伊達メガネをかけ、鼻と顎に付けヒゲを貼って変装する。帽子を被りトレンチコートを羽織る。


 家を出ると生憎の空模様で雪が降っていた。街中を走れば街路樹にクリスマス用のイルミネーションが見られる。ライトアップにまだ早い時間。でも夜になれば青や赤の電飾がきらびやかに樹を彩る。


 街を抜け郊外へと向かう。指定した取引場所の近くに車を止めて車内から様子を窺う。石橋慎太郎の姿はまだない。わたしは周囲の状況も確認し怪しい動きがないかもチェックする。売地と書かれた看板が立っているその場所には人の隠れられそうな場所はない。石橋慎太郎はこちらの言いつけどおり警察には連絡していないのだろう。


 わたしは石橋慎太郎が来るのを待った。待ち続けた。一向に彼があらわれる気配はない。一時間、二時間待てども雪が降るばかり。わたしの辛抱も限界を迎え。その日は家に帰ることにした。


 もしかして日付を間違えているのかもと思い翌日も同じ場所に出向いたけど彼がそこにあらわれることはなかった。石橋緑には予定が変わったと伝えてあるがいつまでもそんな言い訳が通用しないことはわかっていた。それにこちらにも予定がある。今日はたまたま昨日と同じ時間が空いていたから大丈夫だったけど、こちらもずっと暇なわけじゃない。大学やバイトがあるんだから常に同じ時間にここに足を運ぶことはできない。


「くそ――」


 ハンドルに拳を叩きつける。なぜ彼が取引場所に来ないのかわからない。娘の命などどうでもいいと思っているのだろうか。一千万のほうが惜しいとでも言うのか。そんな親がどこにいる。親というのは普通は我が子がかわいくてかわいくて仕方ないはずだ。時にその愛情が異常な形で発露することがあるように。そうでなければ困る。


「うぐっ……」


 余計なことを考えたせいで脳裏にあの光景がちらついてしまった。


「グググッ――!」


 胃の腑から酸っぱいものが込み上げてきた。ひりつく喉がそれを嚥下するの拒絶する。悪阻の前兆だった。わたしは周囲の確認をする余裕もなく車の外へ飛び出ししゃがみこんで嘔吐した。寒空の下にぶちまけた嘔吐物から湯気が立ち上る。これがもんじゃならできたてほやほやの食べ頃だ。そんな気持ち悪い想像がまた吐き気を誘発して二度目をぶちまける。それでだいぶ楽になった。


 ゆっくり立ち上がって車内に戻る。シートに深く背中を預けて大きく呼吸する。異臭が鼻に抜ける。わたしは車を走らせ近くのコンビニへ向かった。そこで水を買ってこれでもかというくらい口を濯いだ。


 さらに翌日、最後の望みを賭けてわたしは約束の場所に向かった。でも結果は同じ。これはもう諦めるほかなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ