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だれにも読まれなかった小説  作者: 桜木樹


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第6話 狂いゆく道程 4

 家には二階はないが地下がある。その場所はもともと座敷牢として使われていたらしいけど、法改正によって個人宅に監禁目的の部屋を設けることが禁止になり改修を余儀なくされ生まれ変わった。それまでなかったトイレやお風呂が新設され、電気も通して、座敷牢だった部屋は一応生活できる部屋としての体裁を整えた。というのはわたしが幼い頃おばあちゃんから聞いた話。それが実話かどうかはおばあちゃんが亡くなった今確認することはできない。


 そして、話にしか聞いていなかったその場所に足を踏み入れる。


 玄関を入ってすぐの廊下を真っすぐ進んだ突き当たりにある扉を開けると幅の狭い階段があらわれる。それが地下におりる階段だ。壁のスイッチに手を触れるとパチンと音を立てる。こちらの期待を煽るように二、三度明滅を繰り返したあと明かりが灯る。電気はちゃんと通っていたけど蛍光灯が切れかかっていることが確認できた。階段をおりると三メートルほどの廊下が伸びている。廊下は薄っすらとホコリが堆積している程度で虫の死骸が落ちていたりすることはなかった。壁にクモの巣ができていたりすることもない。


 廊下の向かって左側の壁と正面突き当りに木戸が一枚ずつある。左の扉の先は畳の部屋だった。広さは六畳ほど。天井が低く直立して手を伸ばせば届くほどの高さしかないから、実際よりも狭く感じる。そのことから、この部屋がもともと座敷牢だったということがうかがえる。部屋には木棚と、壁にはたたまれた状態の卓袱台が立てかけてあるだけでそれ以外何もない。


 廊下の突き当りの扉の先は二メートル四方の洗面所で左右には扉。右がトイレで左が風呂場になっていた。地下室にこんなものを造って排水はどうなっているのかと思ったけど、そもそもこの家は擁壁の上に建てられていて、この地下が実質一階のようなものだ。だからきっと排水をポンプで上げるような仕組みは必要ないんだろう。


「さて」


 下見を終えたわたしは気合を入れた。


 わたしはこれから行う計画のために地下の掃除を始める。畳の部屋は雑巾がけして、トイレとお風呂も掃除して一応水がちゃんと流れるか確認する。切れかかっていた箇所の蛍光灯はすべて新しくした。それらの作業は一日仕事になったが苦ではなかった。普段清掃業のバイトをしているせいもあったけど、それよりもこれから始めようとしている計画に対する期待感によるところが大きかった。


 これからわたしがやるのは誘拐。攫う相手は石橋緑だ。彼女に直接の恨みはないけど、彼女にはわたしの創造の糧となってもらう。誘拐するだけなら石橋緑である必要はない。でも彼女でなければならない理由がある。それは彼女を利用することで間接的に石橋慎太郎に復讐を果たすことだ。大切なひとり娘が誘拐されたとなればあの男は精神的なダメージを負うに違いない。同時にお金も要求すれば懐事情にもダメージを与えることができる。これできっとお姉ちゃんの無念も晴れるだろう。しかもそれが成功すれば手に入れたお金はわたしのもの。一石で二鳥も三鳥も鳥を落とせるならやらない選択はない。


 わたしはすでに勝ち誇った気分で買い物にでかけ、必要なものを一式買い込んで家に帰った。あとは計画を実行するのみとなった。


 …………


 週四回のサナトリウムの清掃業が約一ヶ月続いたころ突然わたしに異動命令が下った。これではわたしの計画が……なんて思ったけど、これは別の意味でチャンスだとポジティブに捉えることにした。


 わたしは何度もここに出入りしているため不特定多数の人に顔を知られてしまっている可能性がある。だからある程度時間をおいて、サナトリウムの人たちがわたしの存在を忘れた時期に計画を実行することにした。どのくらいの期間を空けるのが適切かはわからなかったけど最低でも一ヶ月は雌伏の時としようと考えた。


 時を経て、十二月中旬――


 作戦決行当日。夕方になってから家を出てサナトリウムに向かった。F市は生憎の雪に見舞われていた。街には水分を含んだ雪が地面に積もり、車や人に踏み荒らされたシャーベット状の雪が地面に押し固められている。一方サナトリウムのある小高い山へと続く道は車や人の往来があまりないため雪は積もる一方だった。それでも利用者がまったくいないわけではないし、移動手段を持たない利用者のためにバスも出ているので必要最低限の除雪はされている。


 サナトリウムに到着すると一直線に駐車場を目指しそこに車を止める。車を降りて外で石橋緑が来るのを待つ。彼女はいつもバスでここに通っていることは把握しているので、バスの到着時間に合わせて待っていれば必ずあらわれる。問題は今日石橋緑がサナトリウムに来ているかどうかだった。仮に来ていなかったとしても毎日通うつもりだった。そうすればいつかは彼女に出会える。かじかむ手に息を吹きかけこすり合わせながらその時を待つ。


 サナトリウムの玄関から一人の女性が出てきた。ガラス張りの施設から漏れる灯りがその女性の姿を浮き彫りにする。地味なグレーのコートに身を包む黒髪の女性。遠目からでもそれが石橋緑だとわかった。


 それを確認したわたしは目出し帽を被った。指紋を残さないよう革手袋も装着する。最後にポケットに忍ばせた香水用のスプレーボトルをコートの上から撫でて確認する。


 バス停はサナトリウムの入り口から少し離れたところにある。シェードが設置されているバス停の後ろにはちょうど門壁があってサナトリウム側からはこっちの様子を確認することはできない。だけど油断はできない。世の中に絶対はない。過信は己を滅ぼすのだと自分に言い聞かせる。この作業は迅速を要する。バスが到着するまでにことを済ませなければいけないからだ。歩きながら携帯を取り出して時間を確認する。バスの到着予定時間まで十分もない。わたしは急ぎ足で彼女に近寄った。


 石橋緑が停留所のベンチに腰を下ろして肩にかけていた荷物を脇に置いた瞬間を見計らって声をかけた。


「すいません」


「は……い?」


 わたしを見上げる石橋緑は明らかに動揺しその端正な顔を歪ませる。突然目出し帽を被った人間が目の前に現れたら誰だって警戒する。女性ならなおのことそうだろう。わたしは石橋緑がさらに警戒を強める前にコートのポケットからスプレーボトルを取り出してその顔に向かって吹きかけた。何かしらの薬品ではない。ただの水だ。ただの水であってもそれをいきなり顔に吹きかけられれば誰であろうと驚く。反射的に危険なものだと錯覚しそれが水だと気づくまでには時間を要することになる。その隙に石橋緑の自由を奪い攫うといのがわたしの作戦だ。言葉にすると実に単純だがリスクはある。普段は落ち着いている彼女でも自分の身に危険が迫れば叫び暴れるだろう。わたしにそれを御せるかどうかだ。


 石橋緑は叫び声こそあげないが必死に抵抗を見せた。右手で目元を抑えながら左手を振り回してわたしを近づかせないようしている。その程度の抵抗ならば問題ないと判断したわたしは振り回す彼女の腕を取ってこちらに引き寄せようとした。でも失敗した。彼女の腕をつかんだ瞬間大きく振り払われてしまった。お怯えを増幅させた彼女は勢いよくベンチから立ち上がる。そのまま走り去ろうとするがベンチをまたぎ損じて反対側に勢いよく転倒し気を失った。


 結果オーライか。どうやら運がわたしに味方したみたいだ。


 わたしは急いでベンチの上に置かれた石橋緑のバッグをたすき掛けする。そして気を失った彼女を運ぼうとした。だけど重くて抱えられなかった。非力な自分を呪うと同時にこれがとてもマズい状況にあることを悟る。冷たい外気に反して額を冷や汗が伝う。


 急がなければバスが来てしまう。わたしは一瞬のうちに判断して、停留所の裏手の門壁の隣の生け垣のような場所まで彼女の体を引きずって隠した。そうして自分は一度その場を離れて身を隠す。程なくしてバスがやってくる。バスは停留所に誰もいないことを確認するとそのまま通り過ぎていった。


 それからわたしはサナトリウムの駐車場まで移動して自分の車をバスの停留所に横付けした。生け垣の中の石橋緑はまだ気を失ったままだった。彼女の足を持って生け垣から引きずり出してそのまま車の後部座席に引きずり込んだ。


 車での移動中に正気を取り戻し暴れ出さないとも限らないので、手足を縛り、猿ぐつわ代わりに捻ったタオルで彼女の口を結んで塞いだ。それからアイマスクで目隠しを施した。目隠しはわたしの家の場所を特定させないためだ。


 それらが終わるとわたしは後部座席のドアを閉め目出し帽を剥ぎ取って車に手をついて一息ついた。吐き出される白い塊が闇に霧散する。


「暑い」


 コートを脱いでも寒さを感じることはなかった。わたしの身体はそれほどに上気していた。


 こんなことをしている場合じゃない。せっかくここまでやり遂げたのに誰かに見られでもしたらすべてが水の泡だ。急いで車に乗り込み我が家を目指す。


 く気持ちを落ち着かせ安全運転を心がける。バックミラー越しに後部座席に横たわる石橋緑を見る。


 人はなんでもない日々を過ごしていると、これからもずっとそれが続くものだと思いがちになる。でも実際はそうじゃない。突然なんの前触れもなく不幸が襲ってくることはある。誰にだって。


 わたしがそうだったように……


 それにしても愚かだ。冬場の十七時ともなれば辺りは真っ暗だ。わたしが親だったら絶対に迎えに来る。あるいは院長の娘という特権を使って誰かに送り迎えさせるくらいのことはやる。でもそのおかげでわたしはこうして石橋緑を誘拐することができたんだ。今はただそのことに感謝しよう。

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