第4話 捜査ファイル 1
警察に通報が入った。内容は山で人間の骨を発見したというものだった。現場の山付近をパトカーで警邏中だった内ヶ島と金森のもとにその報せが入り、二人はすぐに場所へと向かった。
ここF県F市はかつては大きな事件とはほとんど無縁の地域だったが数年ほど前から大きな事件が度々起こるようになっていた。内ヶ島は緊張していた。これまでも何度か大きな事件の捜査に携わることはあったが一向に慣れる気配はなかった。でも彼はそれでもいいと思っていた。慣れるということは言ってしまえば回数をこなすこと。事件に慣れるほどに事件が起こることは好ましくない。警察が出動する事態が少ないことが平和である証拠なのだから。
金森が運転するパトカーが現場の山に到着。そこからさらに舗装された山道を登ると中腹あたりでリュックを背負った背の低いポロシャツの男が立っているのが見えた。彼は両手を大きく振ってパトーカーに向かってアピールする。金森は男の傍で車を止め窓を開けて話しかける。
「あんたが通報した人?」
「はい。こっちです」
ポロシャツの男はそう言うと、山頂へと続く舗装されている道とは別の、草木の生い茂る山の中へと入って行く。
「おい、慌てるなって!」
金森は男の背に呼びかけながら急いで車を降りて彼の後ろについていく。内ヶ島も戸惑いながらも車を降りあとに続いた。
舗装されていない茂みの中をしばらく進むと傾斜が落ち着いた場所に出た。周囲に木々が林立する中、そこだけが拓けた場所になっていた。落葉した紅や黄に色づいた葉が周囲に散らばっている。そこに掘っている途中と思われる穴と掘り返した土の山、そこ刺さったスコップがあった。
「ここです」
ポロシャツの男が手を伸ばして穴を指差す。内ヶ島と金森は恐る恐る穴を覗くと、そこにはたしかに白い頭蓋が顔をのぞかせていた。その他の部分はまだ土に隠れているのか見える範囲にはない。
金森はしゃがんで顔を近づけ、「本物だなこりゃ」とつぶやくように言った。それから金森は本部に連絡してくると言って内ヶ島を現場に残してパトカーの場所まで戻っていった。
ポロシャツの男は穴から離れたところにうつむいて立ったまま何も喋ろうとはしなかった。そんな彼を内ヶ島はつぶさに観察していた。
黒のポロシャツにスラックス。背中にはリュック。靴はスニーカー。ハイキングにしてはやや違和感のある恰好をしていた。盛り土になったところにスコップが刺さっているのを見ると彼が穴を掘っていたのは間違いないだろうが、なんの目的があってここに穴を掘っていたのかは不明だった。気になった内ヶ島はそれを彼にぶつけることにした。
「ところで、なんの目的で穴を?」
「知らないんですか? 小説」
「小説ぅ!?」
突然出てきた予想外の単語に内ヶ島の言葉が尻上がりになる。
「田嶋ハルの小説。『タナトスと踊れ』ですよ」
「あ、ああ。それなら」
内ヶ島はタイトルだけは知っていた。最近テレビでも話題になっているネット小説だ。作者の田嶋ハルはきれいな女の人だったと記憶している。でもそれが穴掘りとどう繋がるのかは分からなかった。そんな内ヶ島の疑問が顔に出ていたのかポロシャツの男が説明を続けた。
田嶋ハルの小説に登場する主人公エックスは作中で身代金誘拐を行い大金を得る。その後、現金の入ったアタッシュケースを山に埋めるシーンが登場する。その小説を読んだ彼は、小説の舞台がここF県F市であると知ると、もしかしたらそこに本当に大金が埋まっているんじゃないかと考えた。それで小説を読み込み、おおまかな当たりをつけこの山にたどり着いた。しかしそこに埋まっていたのはお金ではなく白骨化した遺体だった。
その説明を聞いた内ヶ島は“モキュメンタリー”という言葉を思い出していた。
モキュメンタリーとは簡単に言うとドキュメンタリーの皮を被ったフィクションのことだ。まるで実際にあったことかのように演出された創作。見ている者、あるいは読む者を騙すことを目的としているので、それがフィクションであることは完全に伏せられた状態で世にお披露目される。
演出であると言わずに人を騙すという意味ではヤラセと同じだが、こちらはあくまで人を楽しませることを目的としたエンタメの一種であるということだ。だがそうと知らなければ信じ込んでしまうわけで、世界中に数多ある埋蔵金伝説のうちのいくつかはこれが原因だとも言われている。
そうでなくても最近ではしっかりフィクションと明記してあってもその作品内で語られていることがすべて真実であると勘違いする人間も多くいる。つまり彼もその類の人種というわけだ。
だがそうだとしても解せない点がある。それはなぜこの場所なのかだ。
「山って言っても広いですよね。どうしてこの場所をピンポイントで掘り当てられたんです? そもそも山だって市内にはここ以外にたくさんありますよね」
内ヶ島はその小説の内容を知らないが、山にアタッシュケースを埋めるシーンがあったからといって、その情報だけでこの場所を特定できるわけがないことは分かっていた。詳細な緯度と経度が記載されてでもいれば別だが、そんな詳細な情報があれば逆にもっと多くの人がここに来ていてもおかしくはない。
「あれです」
男が指を差した方向には大きな黒い塊があった。内ヶ島が近づいて確認してみると、それはペンキか何かで黒く塗られた一抱えほどの大きさの石だった。
「なんですかこれ?」
「『タナトスと踊れ』の中でエックスはお金の入ったアタッシュケースを埋めた場所を見失わないように、そこに目印として黒い石を置くんです」
「この石がそうなんですか?」
「そう思ったから掘ったんですけど……」
「出てきたのはお金ではなく人骨だった、と」
男は声は出さずにうなずいて、しばらく黙ったあと、「あの」と内ヶ島に声をかけた。
「うん?」
内ヶ島は相手から話を振られるとは思っておらず肩を震わせた。
「その骨って。やっぱり石橋緑なんですか?」
「は、はい? 石橋、緑?」
内ヶ島はその単語を人の名前だと認識するのに一瞬だけ時間を要した。どうしてこの骨がその人のものだと思ったのか訊ねた。
「『タナトスと踊れ』で誘拐される女の人の名前が石灰翠っていうんです。ネットじゃ石橋緑がモデルだって噂ですよ。石橋慎太郎の娘だって」
石橋慎太郎と言えば市内にある石橋総合病院を経営しているあの石橋慎太郎のことを指しているのは明白だった。内ヶ島は数年前に石橋慎太郎の娘が行方不明になってから未だに見つかっていないことを知っていた。その情報は公表されているから一般人でも容易に知ることのできる情報だ。
フィクションは時に現実に起きた事件をベースに物語が作られることもある。作者自身が「これは実際に起きた事件を参考にして書いた小説だ」と明言しているならばそうなのだろうが、先程彼は噂と言った。つまり憶測である。
もし仮に作者である田嶋ハルが実際に起こった事件を参考にしていたとしても、警察が長年かけて見つけられなかった行方不明者がここに埋まっていたことを彼女は知っていたことになる。小説内では現金の入ったアタッシュケース、現実では白骨化した遺体という相違はあるが。そもそも大前提としてこの骨が本当に石橋緑のものかどうかも気になるところであった。内ヶ島が今得た情報を頭の中で整理していると金森が戻ってきた。
金森が戻ってきたあと十分も経たずに鑑識が到着し現場は彼らが引き取ることになった。彼らが白骨遺体を掘り出すのに精を出す中、内ヶ島と金森は第一発見者の男を連れてパトカーの止めてある場所へと戻った。彼らに与えられた任務は男性を山の麓の駐輪所まで送り届けることだった。
道中、内ヶ島は金森に先程のやり取りを語った。すると金森は渋い顔でポロシャツの男に言った。
「そりゃただの噂だろ? 何でもかんでもネットの情報を鵜呑みにするな。それから余計なことは発信しないようにな」
と釘を差した。
「は、はぁ」
ポロシャツの男はひどく曖昧に返事をして自転車にまたがって帰っていった。
「ありゃ、分かってねぇな」
金森は面倒くさそうに後頭を掻いた。