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だれにも読まれなかった小説  作者: 桜木樹


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第33話 捜査ファイル 9

 眠っていた白川は突然鳴りだした音で目を開けた。まだ眠っていたい欲望を抑え目覚まし時計のスイッチに手を伸ばすが音が止まる気配はない。よく聞くとその音は目覚ましではなくスマホの着信音だった。時刻は午前三時前。こんな時間に電話かと訝しがりながらも目覚めきってない頭でスマホを操作する。


 画面には金森の名前が表示されていた。


「よう白川」


「先輩? えっと、こんな時間になにか?」


「今すぐ署に来い。話はそれからだ」


 言うだけ言って金森は一方的に電話切った。


 白川は釈然としないまま身を起こした。金森が冗談や悪戯で署に来いと命令するような人間ではないことはよくわかっていた。となれば何かがあったのだと察することは容易だった。急いで着替えをすませ、個包装されたチョコ菓子を三つ胃に流し込み家を出た。


 南署では刑事課の面々が揃っていた。課長が白川が顔を出したのを確認すると挨拶もそぞろに口を開く。


「大変なことになった。林ミサキが襲われたよ」


「え? それは昨日聞きましたけど?」


 冗談を言っているのかと思ったがそうではなかった。


「違うよ。あのあとまた襲われたんだ。ついさっき東京さんから連絡が来たんだよ。しかも今度は正真正銘の傷害事件だ。地元警察と警視庁も動くらしい」


「え? 一体どういうことです?」


 ミサキが襲われたのは夜の十時過ぎのことだった。まず最初に救急に電話があり、隊員たちが現場に駆けつけるも応答はなし。家のドアに鍵がかかっていなかったのでそのまま中に入った。そして隊員たちが目にしたのは半裸の状態でぐったりしているミサキの姿だった。しかも右手が五寸釘で床に打ち付けられていたという。隊員たちはすぐさま応急処置を施し病院へ急行。ミサキは救急車の中でうわ言のように自分は襲われたと語った。現在ミサキの手術は無事に終わっていて安眠中とのことだった。


「事情聴取はまだなんですね」


「ああ。だが林ミサキは救急車の中で少し話をしたそうだ。それが救急隊員から警察に報告されてる」


「彼女はなんと」


「メガネ。無精髭。トレンチコート。背の低い、男――」


 課長は淡々と単語を列挙する。白川はそれがすぐに『タナトスと踊れ』でエースが行っていた変装と同じものだと気づいた。その特徴は小説内に記載されている情報なので小説を読んだ人なら誰でも真似ることができる。だからその情報だけで犯人を割り出すことはできないが、次の課長の言葉で白川は確信を得た。


「そして最後、気を失う直前にこう言ったそうだ。本物の田嶋ハルが来た、とね」


「本物の田嶋ハルだと。まさか――」


 驚いたのは一緒に話を聞いていた金森だった。その言葉から連想される人物は一人しかいない。


「エースだ」「エースか!」


 白川と金森の声が重なった。エースがミサキを襲ったのだ。


「林ミサキは生きているんだよな」


「ああ。命に別状はないそうだ」


「なら目的はなんだ」


 正直わからない。でも今はそれよりもっと大事なことがある。


「エースはこのまま逃げるつもりでしょうか」


「普通に考えるならそうだろうね」


「警視庁と所轄も動いてるんだろ? だったら逃げられないだろうな」


 果たしてそうだろうか。かつて中邑が殺された事件でF県警が勘違いしたように、東京の警察もエースを見逃してしまう可能性は大いに考えられる。ミサキが犯人の特徴を間違って伝えていることも考慮すると女性は捜査の対象から外されているかもしれない。


 仮に犯人が女性であることがわかってもエースの正体が判明していない以上捕まえるのは至難の技だ。


「ま、東京さんがどう行動するかなんて地方の警察署には知るよしもないさ。自分たちは与えられた仕事を精一杯頑張るだけさ」


「警視庁や所轄はF市まで来るんでしょうか」


「かもな。遅かれ早かれあっちもエースに焦点を絞るだろうし。進展がなけりゃな」


 場合によっては合同捜査になることもあり得るということだ。


 その日は解散せず、集められた面々は署内で時間を潰すことになった。


 エースはミサキを襲ったあと逃亡している可能性が極めて高い。大抵の犯罪者はそういう行動を取るからだ。せめてエースの正体さえわかれば各警察署に手配書を出して封じ込めることができるのだが。


 …………


「おい、白川。聞き込み行くぞ」


「……え? あ、はい」


 仮眠室の窓の外はすでに太陽が登っていた。時刻は八時が過ぎ。考え事をしている内に眠ってしまっていたらしい。白川はさっさと出ていく金森の後を追った。


 部屋を出るとすぐに白川を尿意が襲う。寝起きの生理現象だ。こればかりはどうしようもない。


「すいません。ちょっとトイレに」


「ああ、わかった。さっさとしろ」


 トイレに駆け込み用を足す。手を洗うついでに顔も洗も洗う。冷たい水でさっぱりし、ハンカチで顔を拭う。鏡に映る自分の顔に違和感はない。


「よし」


 白川は気合を入れてトイレの外に出た。


「おっと。これはどうも」


 扉の前で年配の男性とぶつかりそうになる。青い作業着姿の年配の男性だった。


「ああ、どうも。ご苦労さまです」


 男性は丁寧な挨拶をくれた。


「今から作業に入りますので。用は済みました?」


「あ、はい大丈夫です。それでは」


 白川が言うと、男性は清掃中と描かれた黄色の立て看板をトイレの入口の前に立てかけた。


 それを見て、強烈な何かが白川の脳を襲った。閃光のような何か。


 ふと、思い出す。小説ではエースは清掃会社でアルバイトをしていた。石橋緑との出会いは大学だったが犯行のきっかけになったのはサナトリウムでの偶然の出会いだったはずだ。


「そうか、これだ!」


 白川は走り、自分を待つ金森のところへ走った。


「先輩!」


「おう。どうした、そんなに慌てて」


「清掃会社ですよ。先輩」


「はぁ? 何だ急に」


 白川は自分が思いついた説を金森に話した。


「なるほど。つまりお前の予想では清掃会社にコンタクトを取ればエースの正体がわかるってか。だとしても今から清掃会社を全部あたって確認取るのか?」


 もしそれでエースの正体がわかるならお安い御用だが、何も考えなしで言ったわけじゃない。


「いえ、その必要はありません」


「何?」


「エースが働いていたのははおそらくダスクリアです」


 先日、葛西知世が行方不明になった事件の捜査資料に目を通したとき、彼女が働いていた社名がその名前だった。だったらエースも同じところで働いていたと考えられる。


 二人はダスクリアに直行し受付で事情を説明した。話は責任者に回され、また同じ説明を繰り返し、ここに勤務している従業員の履歴書を検めさせてほしいとお願いした。責任者の男性は実に協力的で二つ返事で了承してくれた。


 大変なのはここからだった。この会社は市内で最も多くの従業員数を抱える清掃会社だった。そこで清掃業務を担当している社員、パート、アルバイトの数は約百名にも及ぶ。そこにすでに辞めてしまっている人間も含めればその数は膨大であった。白川たちが捜しているのは、今から六年前、平成二十三年以降に入社した女性だけとはいえ数的に膨大なのは変わらなかった。


 パソコン内に保存されたデータを参照し、条件に合わないものは無条件で飛ばし、条件に合う者があればその住所と氏名をメモしていく。そうしておいてあとですべての家に聞き込みをして回る算段だった。


 マウスクリックをひたすら繰り返し、金森がモニタに表示された名前と住所を読み上げる。それを白川がメモする。おおよそ半分ぐらいが終わったところで、金森の手が止まる。


「おい、こいつ……」


 金森の戸惑う声に白川は手を止め画面を覗き込む。


「この人!」


 白川もそれを見て驚いた。


 長年の刑事の勘だとか直感力だとかそういった不確かな要素ではない。単純に添付されていた写真の人物に見覚えがあった。その人物は二人が求めている条件を完全に満たしてはいなかったが、それでも注目に値する人物だった。


 白川の頭の中でバラバラになっていたパズルのピースが綺麗にハマっていく。完全に埋まらない部分はあるが今までで一番手応えがあった。白川は行動せずにはいられなかった。


 席を外していた男性を部屋に呼んで画面に映った人物について知っていることはあるかと訊ねた。


「ああ、この子ね。よく覚えてるよ。僕が直接採用したからね」


 男性は当時人事部にいたらしく、採用面接は自分が担当していたのだと語った。


「辞めたんですよね」


 画面の履歴書にはすでに辞めたことを示すマークが押されていた。それでも履歴書が残っていたのは、基本的に会社は社員の履歴書をその社員が辞めたあとも一定の期間保管しているからだ。


「ええ。今からちょうど一ヶ月くらい前ですね。どうしてもやらないといけないことができたとかで。僕個人は休職って形にして戻ってきてもいいよって提案したんですけど、多分戻れないって言われちゃって。今思うと深刻な顔してた気がしますね」


「戻れない。こいつは本当にそういったのか」


「ええ。言いましたよ。いやあ、惜しいなあ。彼の真面目さならきっと会社の上の方まで行けたと思うんだけどなあ。――で、もしかしてこの子が?」


「いえ、今はなんとも」


 白川は適当にはぐらかしたつもりだったが、一人の人物に対して根掘り葉掘り訊けば誰だって勘を働かせることはできる。


「我々は調査を続けますので、また何かあれば協力お願いします」


「ええ、わかりました」


 男性は人のいい笑顔で頭を下げて部屋を出ていった。


「白川。どう思う」


 金森がモニターをにらみながら白川に言う。


「たとえ犯人でなくとも、なにか知ってるのは確実だと思います」


 白川も改めてモニターに視線を移す。そこに表示されている履歴書の氏名欄には〝結城秋彦〟とあった。それは白骨遺体の第一発見者のあの男の名前だった。

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