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だれにも読まれなかった小説  作者: 桜木樹


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第32話 田嶋ハル 4

 そう。この女はわたしの書いた小説を盗んだのだ。右クリック、すべてを選択、コピー。それを新規作成した空のテキストにペースト。それを別のサイトに転載する。たったそれだけのことだ。たったそれだけの動作に罪悪感を覚える人間は稀だ。だから平気でやってのける。罪を罪とも思わない。でも立派な犯罪だ。


 林ミサキは怯えていた。少なからず自覚があるようだった。


「な、なんのことかしら」


 視線を外したまま言う。その声はわずかに上ずっていた。冷静に努めようとしているが動揺しているのは明らか。この女が簡単に罪を認めるような人間じゃないことはもうわかっている。


 わたしはこの女が殺人の容疑をかけられ警察の事情聴取を受けるよう仕向けた。わざわざ石橋緑の遺体を山に埋め直して、非公式ファンサイトの掲示板にそれとなく情報流した。そうしてわたしの目論見通り林ミサキは警察の捜査対象となった。それで真実が明るみになるはずだったのにそうならなかった。


 この女は口を割らなかった。つまり何もしゃべらなかったのだ。「実は盗作なんです。だから犯人はこの小説の本当の作者です」とでも言えば言い逃れることもできたろうにそうしなかった。これはわたしの想定外だった。


 よほど小説家としての自分を壊したくないのだろう。一度地に落ちたら這い上がるのは至難のわざだから。一度手にした栄光はなんとしても手放したくないという彼女の醜悪なまでの強欲さが滲み出していた。


「とぼけても無駄ですよ」


「とぼける? ああ、なるほど。いるのよねそういう人。そのアイディアはこっちのほうが先に思いついていたとか言うんでしょ? 残念だけどこの業界では先に作品を世に公開した者勝ちなのよ。悪いけどお引取り願うわ」


 手足を縛られ、わたしに何をされるかわからない状況でずいぶんと強気な態度だ。でもその理由はわかっている。


 林ミサキは理解しているのだ。『林ミサキが盗作した』という証拠がないことを。わたしが過去に公開した小説のPV数は最終的に『2』で終わった。つまりそれを知っているのは投稿者であるわたしとそこに訪れたこの女、林ミサキだけ。そしてそのサイトがすでに閉鎖されているせいで『タナトスと踊れ』がわたしの作品だということを証明する方法はない。


「あくまで認めないんですね」


「当然よ。だってあれは私の作品だもの」


 林ミサキは勝ち誇ったように言う。


「そうですか。ではあなたが本当に『タナトスと踊れ』の作者かどうか試してみましょう」


 わたしには一つ思うところがあった。それは玄関でのやり取りの際の林ミサキの反応だ。それを見てピンときた事がある。


 わたしは立ち上がり林ミサキから少し距離をおいた。そして両手をハの字に広げて立つ。


「わたしのこの姿を見て思うところはありませんか?」


 林ミサキが額を腫らした顔を上げてわたしを見る。答えらしい答えは返ってこない。ただ首を傾げるだけだった。


 やっぱり……


 薄々は感じていたことだが、それが今確信に変わった。林ミサキは『タナトスと踊れ』をちゃんと読んでない。なぜなら、小説の内容をよく理解しているならば、わたしのこの恰好を見て気づくはずなのだ。エースの変装と同じだと。そうと気づけば警戒するはずなのだ。最悪わたしは家に招き入れてもらえなかった可能性だってあるのに、結果はご覧の通り。


 わたしが最初に違和感を覚えたのは林ミサキがテレビや雑誌、ネットの記事でほとんど小説の内容を語っていなかったことだ。


 小説の宣伝が目的なら小説の内容を語らずしてなんとする。インタビューする側だってふつうは小説の中身についてあれこれ訊く。でも手応えのある答えが返ってこなければ番組にならないし記事にならない。だから制作側は質問の内容を変えざるを得ない。


 制作サイドはさぞ不思議に思っただろう。でもまさかその理由が『小説の内容をちゃんと理解していないから語れない』とは夢にも思っていないだろう。著者が自分の書いた小説の内容を理解してないなんてあるはずないのだから。


 そして林ミサキの意地の悪さは他の部分にもあらわれていた。それは、林ミサキはどのメデイアでも小説をネットに投稿したという表現しか使っていおらず、一言も()()()()()()とは発言していないのだ。


 それが無意識によるものなのか意識したものかわからないが、そのことが『タナトスと踊れ』が自分の作品ではないと暗に認めている証拠だ。


 わたしは深い溜め息をついてアメリカンな仕草で肩を竦める。


「この恰好はエースが犯行を行う際に使用した変装ですよ」


 ネタバラシをしても林ミサキは合点がいってない様子だった。


「いいですか。あなたはこの前どうして警察に事情聴取されたんでしたっけ? 昼間あの女性に襲われた理由は知ってますか?」


「それは……」


 林ミサキは考え、ようやくその答えに思い至ったようだ。


「小説の中で行われる殺人事件が現実に起きた事件と酷似していた。しかも小説内には実際の犯人しか知り得ないことが書かれていた。だったら作者が犯人に違いない。つまり……」


 わたしを見上げる林ミサキの顔に恐怖が色濃く出ていた。彼女はもう理解した。今目の前にいる人間、わたしがどういう存在なのか。


「じゃあ、まさか……あんたが……?」


 わたしはゆっくりと首を縦に振って肯定した。


「苦労して産んだ我が子を、産みの苦しみを知らぬ人間に掠め取られる気持ちがあなたにわかりますか?」


 わたしは子どもを産んだことがないから出産の辛さを知らないけど、自分の作品を完成させるまでに経験した苦労はそれと同等だと言っても過言ではないはずだ。


「わたしはあなたに反省してほしいんです。みんなの前で実は盗作でしたと公表してほしいだけなんです」


 林ミサキは怯えた表情でわたしを見上げ、でも、かすかに首が横に揺れているのが見て取れた。この期に及んでまだ認めたくないらしい。


「そうですか。なら仕方ないですね。こっちも最終手段を使うしかありません」わたしはカバンをあさって金槌を取り出した。「選んでください。ここでわたしに殺されるか、盗作であることを公表するか」


 無論、本当に殺すつもりはない。あくまで脅しだ。


 林ミサキに近づきしゃがむ。彼女の目の前で『さて、どう料理してやろうか』と獲物を前に舌なめずりするように、金槌左手に軽く打ち付けて見せる。自分の頭をかち割られることを想像したのか彼女の怯えはよりいっそう強くなる。でもまだ認めない。葛藤している。普通に考えれば死ぬことを選ぶなんて絶対にあり得ない。それこそ選択の余地などないはずだ。でも彼女は迷っていた。色々とこじらせすぎて頭がおかしくなってしまったのかもしれない。


 わたしは金槌の頭の部分でイモムシ状態の林ミサキの体を撫でた。臍のあたりから上へゆっくりと、小ぶりな胸の上を這って白い首筋へ。金槌の冷たさを感じたのか「ひゃっ!」と小さく鳴いた。わたしは手を止めずに金槌を上へと登らせる。顎、口、鼻、とたどって額でピタリと止める。


 金槌を振り上げて、


「ドーン!」


 声を上げながら林ミサキの頭を叩き割るふりをする。


「いやあああああっっっ!!」


 本当に殴られると勘違いした林ミサキは叫びながら身をよじる。ついには彼女は泣き出した。目にいっぱい涙をためて鼻をすすり、声を上げる。


「いい加減に認めたらどうです? じゃないと次は冗談じゃすみませんよ」


 ようやく観念したのか林ミサキは何度も首を縦に振り、泣きながらごめんなさいごめんなさいと繰り返す。化粧の崩れたその顔は見事なまでにブサイクで、テレビで見る澄ました美人とのギャップにおかしくて吹き出した。見てくれが心を映す鏡であるならば、こちらのほうがより彼女に相応しい姿だと思った。


 林ミサキは罪を認めた。だけど今交わしたのは単なる口約束でしかない。わたしがここを去れば何事もなかったかのように彼女はいつもの生活に戻る可能性だってある。そのときはもう一度脅しに来ればいい――とはならない。なぜなら彼女がこの出来事を警察に伝えれば、一度街中で襲われているだけに警察も対応せざるを得なくなる。そしたらわたしはもう二度とこの女に近づけない。


 だから今この場で退路を塞いでおかなければならない。


 わたしは未だ泣き止まない林ミサキに忠告する。


「約束を破るようなことはしないでくださいね。言っておきますがあの小説は全部じゃないんですよ。あそこに書かれていること以外にもまだ語っていない話だってあるんです」


 それらは当然犯人であるわたししか知らないことだ。それをタナトスと踊れの続編とでも題してネットに公開することは簡単だ。そしてそれを読んだ人はわたしがやったことではなく林ミサキがやったことだと勘違いするだろう。なぜなら世間にとっての田嶋ハルはわたしではなくこの女なのだから。わたしの犯した罪のそのすべてが林ミサキに降りかかる。


 警察は証拠がなければ動かない。アリバイがあれば動かない。が、ネットの住人たちはお構いなしに林ミサキに鉄槌を下す。によって社会的に追い込まれ、果ては本当に命を落とすことだってあるかもしれない。


 林ミサキはまだ泣いていた。ちゃんと理解しているかどうか不安だった。めそめそと泣く彼女の弱々しい姿を見ていると加虐心がくすぐられる。わたしはその誘惑に耐える。ここで殺したら意味がない。盗作の事実は林ミサキの口から語られなければ証明のしようがなくなるのだ。真実が公表されないまま彼女が死んだら、それをきっかけに彼女は悲劇のヒロインとなって神格化してしまう可能性だってある。


 ――でも少しだけ、少しだけなら。


 わたしは金槌を置いて両手伸ばし、林ミサキの首を優しく包み込んだ。両手を通して彼女の体温が伝わってくる。


「ぁ……?」


 林ミサキは一瞬だけ戸惑うような素振りを見せた。


 涙と鼻水で化粧が崩れ無様な姿をさらしてはいるが、林ミサキが美人に類することは間違いない。ネットにさらされていた卒業アルバムの写真からは想像もできない変貌ぶりだ。二重のまぶたに高い鼻、尖った顎のライン。整形だ。でも、整形だろうがなんだろうが美しいことは素晴らしいことだ。そして、そういう女が見せる苦悶の表情が――


「たまらないんですよね!」


 わたしは両手を目一杯締め上げた。


「クヒャッ――。オゴォ、おゲっ!」


 イモムシ状態の林ミサキがのたうつ。


「ウガ……っ。コホオオオ――」


 酸素を求めて大口きく開けた口から舌が飛び出す。


 この必死に生命活動を維持しようとする姿がたまらない。美しい女性の口から放たれる濁った音の叫び、呻き、喘ぎ、そういったものがたまらなく好きだ。


 わたしはしばらく林ミサキが奏でる狂声に酔いしれる。これ以上やり過ぎると本当に死んでしまうというところで両手の力を緩めた。手を離すと林ミサキはごほごほと咳き込みながら痰の絡んだよだれを垂らす。生を求めて喘ぐのに夢中な彼女を視界に収めながら悦に浸る。


 彼女の呼吸が落ち着いてきた頃合いでわたしは次の行動に移る。


「え? うそッ!? ヤだっ!!」


 林ミサキの服のボタンに手をかけた瞬間、なんとかわたしの手から逃れようとより一層激しく身じろぎだした。しかし手足を拘束された状態では大した抵抗などできるはずがなく、あっさりと服をはだけさせ肌を露出させた。スラックスのベルトを緩め摺り下げる。手足の拘束のせいで服を全部脱がすことはできないが、できる範囲で衣服を脱がした。肌を見られまいと縮こまる彼女を色んな角度からスマホで撮影した。


「もし公表しなかったらこの写真を世界中にばらまきますからね!」


 これは保険だ。こうでもしないと約束を反故にされる可能性があるから。


 林ミサキは羞恥で思考がまとまらないのか、身を縮こまらせ泣くばかりで「うん」とも「はい」とも言わない。思うように行かないことにイラついたわたしは彼女の腕の拘束を解いてやった。すると彼女は反射的に自由になった両手で胸を隠した。わたしは彼女の右手を無理やり取った。


「いやだ。やめて……変なことしないで……」


 なにかされると勘違いしたのか弱々しい声で拒絶する。


 わたしはつかんだ林ミサキの右手を無理やり開かせ、手の甲を上にした状態で床に押し付けた。震える指がこわばっている。それから床に置いていた金槌を手にして、


「だったらちゃんと返事くらいしろ!」


 厳しい口調で言いながら、金槌の柄を握りしめ思いっきり林ミサキの右手の上に打ち付けた。


「いぎゃああああああっっっ!!!」


「だから返事!!」


 言って、金槌を振り上げる。


 林ミサキは慌てて右手を引こうとするがわたしに手首を抑えられていては引くに引けない。それでも彼女は被害を最小限に抑えようと痛みに耐えながら握りこぶしをつくる。


「はぎ、はっ、はっ……ひ」


 蚊の鳴くような返事だった。


「そうですか」


 と、納得したふうの態度を見せて振り上げた金槌を林ミサキの手に振り下ろす。


「あぎゃああっっっ!!!?」


 完全に油断しきっていたところに振り下ろされた鉄槌。山なりになった第三関節に容赦なく叩き込まれる衝撃。その痛さは計り知れない。


「あぎゃあ!! 許して! 許して! やめて! もうわかったから!」


 けどわたしは止めない。心ゆくまで林ミサキの右手に金槌を振り下ろし続けた。すぐに内出血が始まって紫色に変色していく。骨が折れて指があらぬ方向を向く。


 壊れゆく自分の右手を力なく涙目で見つめる林ミサキ。その憂いを帯びたような絶望の表情が再びわたしの心ををゾクゾクさせる。今すぐ首を絞めてぶっ殺してやりたい衝動を抑え、その誘惑を紛らわせるかのように金槌に意識を集中する。


 林ミサキは叫び声を上げなくなっていた。痛みを通り越して何も感じなくなっているのだろう。ただ悲しそうに、「やめて……。やめて……」と掠れた声を繰り返すばかりだった。


 抵抗する意志を失ったのを見て手を止め、わたしは再びカバンを漁る。そして取り出したのは細く銀色に光る釘。五寸釘。まだ新品の刺した経験のない痩躯が部屋の明かりを反射してキラリと光る。


 わたしの林ミサキに対する怒りは小説を盗まれたこと以外にもう一つある。


 それは田嶋ハルという名前だ。


 この名前は幼い頃事故で命を落としたわたしのお姉ちゃんの名前だ。ネットに小説を投稿する際、いいハンドルネームが思いつかず、その名を借りることにした。それすらもこの女は盗んだのだ。しかもタージ・マハールがどうだとかいうわけのわからない冗談のネタにまでして。それが許せなかった。死者の名を冒涜されてるみたいで悔しかった。


 林ミサキの右手の上で五寸釘を固定する。


「やめて……、しんじゃう……」


 手に釘が刺さったくらいで人は死なない。だから心配しなくてもいい。


「クソがっ!」


 渾身の一撃を叩き込んだ。ブチュっと音がして、釘が深々と突き刺さる。皮膚を貫通しドクドクと血が溢れ出した。


「あ、ああ、ああっ! あっひゃひゃあはや!?」


 それからニ、三度釘を打ち付けフローリングに貼り付けにした。


 林ミサキは狂ったような声を出して左手で釘を抜こうとする。でもフローリングに突き刺さったそれは簡単には抜けない。


 もう十分だった。文字通り釘は刺した。


「わたしが本気だって理解してくれましたか?」


 林ミサキにはもうわたしの声を聴く余裕がないみたいだった。血に塗れた手で必死に釘を抜こうとする。その行為はまったくの無意味。手が滑って釘を赤く濡らすばかりでビクともしない。


「いいですか? わかりましたね?」


 わたしは念を押しして、うずくまる林ミサキを横目に帰り支度を済ませる。それからリビングにある電話機を引っ張って彼女の傍まで移動させた。


 受話器を上げ119をプッシュし床であうあうと苦しむ彼女に向けて置いた。電話はすぐに繋がった。わたしがリビングを出ると林ミサキが必死に現状を報告する声が聞こえて来る。それを背にしながら救急車が来る前に家から出てホテルに向かった。

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