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第28話 田嶋ハル 4

 そう。この女はわたしの書いた小説を盗んだのだ。右クリック、すべてを選択、コピー。それを新規作成した空のテキストにペースト。たったそれだけの動作でいとも簡単に盗んだ。たったそれだけの動作に罪悪感を覚える人間は稀だ。だから平気でやってのける。罪を罪とも思わない。


 林ミサキは怯えていた。少なからず自覚があるようだった。


「な、なんのことかしら」


 口ではそう言うが、声が上ずっていた。冷静に努めようとしているが動揺しているのは明らか。この女が簡単に罪を認めるような人間じゃないことはもう分かっている。

 わたしはこの女が殺人の容疑をかけられ警察の事情聴取を受けるよう仕向けた。そこですべての真実が明るみになるはずだったのにそうならなかった。つまりこの女は何も喋らなかったのだ。「実は盗作なんです。だから犯人はこの小説の本当の作者です」とでも言えば言い逃れることもできたろうにそうしなかった。これはわたしの想定外の出来事だった。

 よほど小説家としての自分を壊したくないのだろう。一度地に落ちたら這い上がるのは至難のわざだから。一度手にした栄光はなんとしても手放したくないという彼女の醜悪なまでの強欲さが手にとるように分かる。


「とぼけても無駄ですよ」


「とぼける? ああ、なるほど。いるのよねそういう人。そのアイディアはわたしのほうが先に思いついていたとか言うんでしょ? 残念だけどこの業界では先に作品を世に公開した者勝ちなのよ。悪いけどお引取り願うわ」


 手足を縛られ、わたしに何をされるかわからない状況でずいぶんと強気な態度だった。その理由は分かっている。

 この女は分かっているのだ。『林ミサキが盗作した』という証拠がないことを。わたしが過去に公開した小説のPV数は最終的に『1』で終わった。つまりそれを知っているのは投稿者であるわたしと唯一作品を読んでくれたこの女、林ミサキだけ。そしてそのサイトがすでに閉鎖されているせいで『タナトスと踊れ』がわたしのものだということを証明する方法はない。


「あくまで認めないんですね」


「当然よ。だってあれはわたしの作品だもの」


 ミサキは勝ち誇ったように言う。


「そうですか。でも何か忘れてますよね。あなたはこの前どうして警察に事情聴取されたんでしたっけ? 昼間あの女性に襲われた理由は知ってますか?」


「それは……」


 林ミサキは考え、その答えに思い至ったようだ。


「小説の中で行われる殺人事件が現実の事件とリンクしていた。しかも小説内には実際の犯人しか知り得ないことが書かれていた。だから作者が犯人に違いない。つまり……」


 わたしを見上げる林ミサキの顔に恐怖の二文字が張り付いているのを見て言葉を止める。彼女はもう理解した。眼の前にいる人間、わたしがどういう人間なのか。


「苦労して産んだ我が子を、産みの苦しみを知らぬ人間に掠め取られる気持ちがあなたに分かりますか?」


 わたしは子どもを産んだことがないから出産の痛みは知らないけど、自分の作品を完成させるまでに経験した苦労はそれと同じようなものだと言っても過言ではないはずだ。


「わたしはあなたに反省してほしいんです。みんなの前で盗作の事実を認めてほしいだけなんです」


 林ミサキは怯えた表情でわたしを見上げ、でも、かすかに首が横に揺れているのが見て取れた。この期に及んでまだ認めたくないらしい。


「そうですか。なら仕方ないですね。こっちも最終手段を使うしかありません」わたしはカバンをあさって金槌を取り出した。「選んでください。ここでわたしに殺されるか、盗作であることを公表するか」


 無論、本当に殺すつもりはない。あくまで脅しだ。


 林ミサキの傍にしゃがんで、彼女の目の前で『さて、どう料理してやろうか』と獲物を前に舌なめずりするように、金槌左手に軽く打ち付けて見せる。自分の頭をかち割られることを想像したのか彼女の怯えはよりいっそう強くなる。でもまだ認めない。彼女は葛藤している。普通に考えれば死ぬことを選ぶなんて絶対にあり得ない。それこそ選択の余地などないはずだ。でも彼女は迷っていた。色々とこじらせすぎて頭がおかしくなってしまったのかもしれない。

 わたしは金槌の頭の部分でイモムシ状態の彼女の身体を撫でた。臍のあたりから上へゆっくりと、なだらかな胸の上をたどって白い首筋へ。金槌の頭の冷たさを感じたのか「ひゃっ!」と小さく鳴いた。わたしは手を止めずに金槌を上へと登らせる。顎、口、鼻、とたどって額でピタリと止める。


 金槌を振り上げて、


「ドーン!」


 声を上げながら林ミサキの頭を叩き割るふりをする。


「いやあああああっっっ!!」


 本当に殺されると勘違いした林ミサキは叫びながら身をよじる。ついには彼女は泣き出した。目にいっぱい涙をためて鼻をすすり声を上げて泣く。


「いい加減に諦めたらどうです? じゃないと次は冗談じゃすみませんよ」


 ようやく観念したのか林ミサキは何度も首を縦に振り、泣きながらごめんなさいごめんなさいと繰り返す。その顔は見事なまでにブサイクで、テレビで見る澄ました美人とのギャップにわたしはおかしくて吹き出した。見てくれが心を映す鏡であるならば、こちらのほうがより彼女に相応しい外見だと思った。


 林ミサキは罪を認めた。だけど今交わしたのは単なる口約束でしかない。わたしがここを去れば何事もなかったかのように彼女はいつもの生活に戻る可能性だってある。そのときはもう一度脅しに来ればいい――とはならない。なぜなら彼女がこの出来事を警察に伝えれば、一度街中で襲われているだけに警察も対応せざるを得なくなる。そしたらわたしはもう二度とこの女に近づけない。


 だから今この場で逃げ道を塞いでおかなければならない。


 わたしは未だ泣き止まない林ミサキに忠告する。


「約束を破るようなことはしないでくださいね。言っておきますがあの小説は全部じゃないんですよ。あそこに書かれていること以外にもまだ語っていない話だってあるんです」


 それらは当然犯人であるわたししか知らないことだ。それをタナトスと踊れの続編とでも題してネットに公開することは簡単だ。そしてそれを見た人間はわたしがやったことではなく林ミサキがやったことだと勘違いするだろう。なぜなら世間にとっての田嶋ハルはわたしではなくこの女なのだから。


 林ミサキはいまだ泣いていた。ちゃんと理解しているかどうか不安だった。暗闇の中でめそめそと泣く彼女の弱々しい姿を見ているとわたしの中の嗜虐的思考が呼び起こされる。わたしはその誘惑に耐える。ここで殺したら意味がない。盗作の事実は林ミサキの口から語られなければ証明のしようがなくなるのだ。真実が公表されないまま彼女が死んだら、それをきっかけに彼女は悲劇のヒロインとなって神格化してしまう可能性だってある。


 ――でも少しだけ、少しだけなら……


 わたしは金槌を置いて両手伸ばし、林ミサキの首を優しく包み込んだ。両手を通して彼女の体温が伝わってくる。


「ぁ……?」


 林ミサキは一瞬だけ戸惑うような素振りを見せた。


 涙と鼻水で化粧が崩れ無様な姿をさらしてはいるが、林ミサキが美人に類することは間違いない。ネットにさらされていた小学校の時の卒業アルバムの写真からは想像もできない変貌ぶりだ。二重のまぶたに高い鼻、尖った顎のライン。十中八九整形だ。でも、整形だろうがなんだろうが美しいことは素晴らしいことだ。そして、そういう女が見せる苦悶の表情が――


「堪らないんですよね!」


 わたしは両手を目一杯締め上げた。


「クヒャッ――。オゴォ、おゲっ!」


 イモムシ状態の林ミサキがのたうつ。


「ウガ……っ。コホオオオ――」


 酸素を求めて大口きく開けた口から舌が飛び出す。


 この必死に生命活動を維持しようとする姿がたまらない。美しい女性の口から放たれる濁音の羅列、うめき、あえぎ、そういったものがたまらなく好きだ。


 久しく経験していなかったこの感情。


 わたしはしばらく林ミサキが奏でる歪声に酔いしれる。これ以上やり過ぎると本当に死んでしまうというところで両手の力を緩めた。手を離すと林ミサキはゲボゴボとえずきながら粘ついた液体を口から垂らす。生を求めて喘ぐのに夢中な彼女を視界に収めながら悦に浸る。


 林ミサキの呼吸が落ち着いてきた頃合いでわたしは次の行動に移る。


「え? うそッ!? ヤだっ!!」


 林ミサキの服のボタンに手をかけた瞬間、なんとかわたしの手から逃れようとより一層激しく身じろぎだした。しかし手足を拘束された状態では大した抵抗などできるはずがなく、あっさりと服をはだけさせ肌を露出させた。ズボンもベルトを緩め摺り下げる。手足の拘束のせいで服を全部脱がすことはできないが、できる範囲で衣服を脱がした。肌を見られまいと縮こまる彼女を色んな角度からスマホで撮影した。


「もし公表しなかったらこの写真を世界中にばらまきますからね!」


 これは保険だ。こうでもしないと約束を反故にされる可能性があるから。


 林ミサキは羞恥で思考がまとまらないのか、身を縮こまらせ泣くばかりで「うん」とも「はい」とも言わない。思うように行かないことにイラついたわたしは彼女の腕の拘束を解いてやった。すると彼女は反射的に自由になった両手で胸を隠した。わたしは彼女の右手を無理やり取った。


「いやだ。やめて……変なことしないで……」


 なにかされると勘違いしたのか弱々しい声で拒絶する。


 ――さっきはなにされても平気だとか言っていなかったか? まあ、そんなことはどうでもいい。


 わたしはつかんだ林ミサキの右手を手のひらを開いた状態で床に押し付けた。震える指がこわばっている。それから床に置いた金槌を手にして、


「だったらちゃんと返事くらいしろ!」


 厳しい口調で言いながら、金槌の柄を握りしめ思いっきり林ミサキの右手の上に打ち付けた。


「いぎゃああああああっっっ!!!」


「だから返事!!」


 言って、金槌を振り上げる。


 林ミサキは慌てて右手を引こうとするがわたしに手首を抑えられていては引くに引けない。それでも彼女は被害を最小限に抑えようと痛みに耐えながら右手を握りこぶしにした。


「はぎ、はっ、はっ……ひ」


 蚊の鳴くような返事だった。


「そうですか」


 と、納得したふうの態度を見せて振り上げた金槌をミサキの手に振り下ろす。


「あぎゃああっっっ!!!?」


 完全に油断しきっていたところに振り下ろされた鉄槌。山なりになった第三関節に容赦なく叩き込まれる衝撃。その痛さは計り知れない。


「あぎゃあ!! 許して! 許して! やめて! もう分かったから!」


 けどわたしは止めない。心ゆくまで林ミサキの右手に金槌を振り下ろし続けた。すぐに内出血が始まって紫色に変色していく。骨が折れて指があらぬ方向を向く。


 壊れゆく自分の右手を力なく涙目で見つめる林ミサキ。その憂いを帯びた表情が再びわたしの心ををゾクゾクさせる。今すぐ首を絞めてぶっ殺してやりたい衝動を抑え、その誘惑を紛らわせるかのように金槌に意識を集中する。


 後半はもう林ミサキは叫び声すら上げなくなっていた。痛みを通り越して何も感じなくなっているのだろう。ただ悲しそうに、「やめて……。やめて……」と掠れた声を繰り返すばかりだった。


 骨はバキバキに砕け、もはやそれが本当に手だったかも怪しくなるくらいに徹底的に痛めつけてやった。


 わたしがここまでするのには理由があった。小説を盗まれたことは実に腹立たしい事だったが、それ以上に許せないことがあった。


 それは田嶋ハルという名前にある。


 この名前はわたしの本名を少しもじっただけの名前だ。ネットに小説を投稿する際に深く考えずに付けたハンドルネーム。それすらもこの女は盗んだのだ。しかもタージ・マハールがどうだとかいうわけのわからない冗談のネタにまでして。それが許せなかった。自分の名前をバカにされているみたいで悔しかった。


「クソがっ!」


 思い出したら腹が立って、渾身の一撃を叩き込んだ。ブチュっと音がして、ついに皮膚が破けそこからドクドクと血が溢れ出した。


「あ、ああ、ああっ! あっひゃひゃあはや!?」


 林ミサキは狂ったような声を出して左手で傷口を押さえた。そのまま左手も叩き壊してやろうかと思ったがやめた。


 もう十分だった。気が晴れた。


「わたしが本気だって理解してくれましたか?」彼女にはもうわたしの声を聴く余裕がないみたいだった。それでも続ける。「いいですか? 分かりましたね?」


 うずくまる林ミサキを横目にわたしは帰り支度を済ませる。それから彼女の体を無理やり引っ張ってリビングにある電話機の傍まで移動させた。

 119番に電話し、受話器を床であうあうと苦しむ彼女の傍に置いた。わたしがリビングを出ると林ミサキが必死に現状を報告する声が聞こえて来る。それを背にしながら救急車が来る前に家から出てホテルに向かった。

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