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第19話 捜査ファイル 4

 内ヶ島は『タナトスと踊れ』を読破した。


 エックスの最後の事件は同じ職場に勤務する後輩の少女を手に掛けるというものだった。その事件を起こしてしまったあと、行方の分からなくなった少女の捜査のため、エックスの勤務する職場に警察がやって来る。それがきっかけでエックスの中に不安が生じる。もしかしてこのままだと自分は警察に捕まってしまうのではないかと。そこでエックスが考えたのは石灰翠を誘拐した時に手に入れた一千万を使って海外に逃亡することだった。警察はすでにエックスに焦点を当てて捜査を進めていた。しかし一歩及ばず、物語はエックスの逃亡によって幕を下ろす。


 内ヶ島は悪人が悪人のままなんのお咎めもなく終わることに納得がいかなかった。例えフィクションであっても悪はしっかり裁かれるべきというのが彼の考え方だった。


 早朝、内ヶ島は署に出勤し仕事が始まるまでの時間を使って過去の捜査資料を見返していた。

 目的は『タナトスと踊れ』内で起こる最後の事件に似た内容の事件を探すことだった。しかし、どんなに資料をあさってもそれらしい事件は見当たらなかった。


 田嶋ハルが実際に起こした事件とエックスが小説内で起こした事件にはかなりの差異があるのかもしれない。むしろそう考えるのが普通だ。単純に考えれば、自分が犯罪者である証拠を小説内に書き残すはずがない。だがそうなると解せないのは石橋緑の白骨遺体が見つかった件だ。なぜならそれがきっかけで内ヶ島は小説の作者である田嶋ハルに疑惑の目を向けるようになったからだ。


 結果的に内ヶ島の小説から証拠を得るという方法はほとんど失敗に終わった。そんな彼の望みは田嶋ハルの事情聴取に託された。しかしこれも任意である以上本人に拒否されたらそれで終わりだ。


 内ヶ島はその後の仕事は、田嶋ハルの事情聴取のことが気になってほとんど手につかない状態だった。あまり褒められた行為ではないが、昼休みに彼は自分から警視庁にいる知り合い、白川麗子(しらかわれいこ)に連絡を取ってその首尾を確認することにした。


 すると事情聴取はついさっき終わったところだという返事が返ってきた。しかも白川もそれに立ち会っていた。それを聞いた内ヶ島は今すぐに詳しい話が聞きたいと無理を言って、警視庁にいる白川とビデオチャットをつなげた。


 ――――


 まずはじめに白川は、取り調べの仔細を直接教えることはできないと内ヶ島に伝えた。だからこれはあくまでその時感じた私の感想だとしてその内容を内ヶ島に語った。


 まず最初に田嶋ハルの本名は林ミサキであることが判明した。彼女は当たり前といえば当たり前だが知らぬ存ぜぬを貫いた。仮に林ミサキが犯人であってもそう言うに決まっている。だが、毅然とした態度を貫いていた彼女も一瞬だけ言いよどむ場面があった。それは、聴取担当の刑事が「もしも本当に小説内で行われている犯罪を現実でやっていたとしたら執行猶予はつかない。最悪の場合死刑もありえるぞ」と脅しをかけたときだった。

 その瞬間林ミサキの表情がこわばり、何かを言いかけるような素振りを見せた。が、すぐに態度を戻し、再びやってないものはやってないとの主張を繰り返した。


『林ミサキは終始知らぬ存ぜぬに徹していたわ。「そもそも本当に私が犯人なら自分の犯した罪をたとえ小説の中だろうと表に出すはずがない。きっと何者かが私の小説の内容に似せて事件を起こしたんです。」というのが彼女の主張ね』


 警視庁サイドとF県警の間で石橋緑の事件に関する情報は共有されていた。だからそれがありえないことは二人ともよく分かっていた。


 死んだ人間が完全に白骨化するのにかかる時間は基本的には野ざらしで数ヶ月程度、長くても二年はかからない、土に埋めた状態だとおよそ八年かかる。誰にも読まれなかった小説が有名になったのはここ半年ほどの話で、もし犯人が彼女の小説を読んだあとその内容を真似て遺体を埋めた場合。白骨化していない状態の遺体が出てこなければおかしい。

 最初から白骨化していたものを埋めたということも考えられるが、その場合犯人は警察の把握していないところで犯罪を犯し、遺体が白骨化するまでどこかにそれを隠しておいたことになる。ずっと警察にバレていなかった事件を犯人自らがその犯行を露見させるような愚行を犯すとも思えない。林ミサキの言葉を借りるなら“自分で犯した罪を自ら表に出すはずがない”のだ。

 そもそも発見された白骨遺体は石橋緑のもので確定しているのだから、やはり林ミサキ以外の人間がやったというのは説明がつかない。


「あの、勾留は?」


『なしよ。彼女にはお帰りいただくことになったわ』


 林ミサキを留めておくには証拠不十分。そもそも彼女は顔が広く知られていて、たとえ彼女が黒だとしても人の目から逃げ切るのは至難の業だという判断だった。


「おう。なんだ」


「あ、先輩」


 席を外していた金森が部屋に入ってきて、内ヶ島のビデオ通話を珍しそうに覗き込んだ。


『お久しぶりです金森警部』


「ああ、麗子ちゃんか。――なんだ二人で秘密の話でもしてたのか?」


「ち、違いますよ! 白川さんとは田嶋ハルの事件について話をしていただけです」


「おおぅ。休憩時間にまで仕事とは。熱心なことで」


「当たり前ですよ。それが僕ら警察の仕事なんですから」


「うん。結構結構」


 金森はそう言うと小脇にかかえていた茶封筒を内ヶ島に差し出した。


「なんです、これ」


「さっき鑑識の知り合いと一緒に飯食ってたんだが、石橋緑の件で少し進展があったそうだ」


 内ヶ島が封筒を開け中身を取り出すと出てきたのは白い紙が一枚。


「次期に正式な情報として公開されるやつだ」


「いいんですかそれ?」


「遅いか早いかの違いだ。いいんだよ」


 内ヶ島は紙に目を落としてそこに書かれていることを黙読する。正式な資料ではなく、紙になぐり書きされた簡易メモだった。なるほどこれが本当の目的で、昼食はその口実だったのだろうと内ヶ島は思った。


『ねえ、何が書いてあるの?』


「あ、えっとですね」


 内ヶ島は読み上げることにした。


 現場にあった石橋緑が埋められていた場所に目印として置かれていた黒い石の塗料が新しすぎる。発見された石橋緑の遺体は七年以上経過しているのに対して、その石が七年もそこに置かれていた石だとは到底思えない。普通それだけの年月が経てば少しは塗料が剥げ落ちたり石自体が劣化していたりするはずだがそんな様子は一切なかった。加えてずっとそこにあり続けた石にしては軽い。あの程度の重さなら雨風にさらされ続ければ多少なりとも動いていてもおかしくはない。


 遺体が埋まっていた場所が浅すぎる。現場の山には野生動物が生息していることがわかっている。だとすればあの浅さでは、腐敗の過程でニオイに敏感な野生動物がそれに気づき、土を掘り返したりするはずだ。しかし発見された石橋緑の遺体の一部が持ち去られたり、骨に動物の歯型が残っていたりするようなこともなかった。

 仮に最初は深く埋められていたが雨風によって土が流されたため埋めた場所が浅くなっていたのだとしたら、前述の石が動いていないことと矛盾する。


 埋められていた遺体の状態が奇妙だった。最初に遺体が埋められた場所を掘り返したとき、遺体は仰向けの状態で埋められていたのだろうことが窺えた。しかし、掘り返して全身の骨が出てくるに連れ、ところどころ骨の並びにちぐはぐな箇所があった。まるでバラバラだった骨を知識のない人間がそれっぽく適当に並べたような状態だった。また一部の骨に先の鋭い刃物のようなもので削られたような跡が見られた。


 さらに発見された骨には当時石橋緑が身につけていたと思われる衣類の繊維が付着しているものもあった。加えて掘り返した土の中には現場のものではない種類の違う土が混ざっていた。


 一緒に見つかった遺品について。状態が比較的綺麗だった。ずっと遺体と同じ場に埋められていたと考えるともっと腐敗やカビが新臆していてもおかしくないはず。


「どう思う?」


 金森が読み終えた内ヶ島に訊いた。


「鑑識が違和感を覚えたということは信憑性は高いかと思います」


 その前提で推理するなら、目印の黒い石は最近置かれたもので、そればかりか遺体すらも最近埋められたことになる。つまり殺された石橋緑の遺体は本来は別の場所にあって、最近になってそれを山に埋め直したということになる。そう考えれば現場のものと異なる土が混ざっていたことも説明できる。

 その考えは先ほど内ヶ島がそんなのあるはずないと否定したばかりだった。それが現実に行われている可能性が出てきた。


「そういえば……」


 内ヶ島は小説の内容を思い出していた。


『どうしたの。なにか気になることでも?』


 白川に訊かれ内ヶ島は自分の思ったことを言葉にした。


「小説の話なんですけど。エックスは誘拐した石灰翠を殺したあと、その遺体を家の軒下に埋めるんです。これがもし現実でも同じことが起きてた場合、石橋緑は元々田嶋ハルの家にあったってことかなと。でも、なにか理由があって山に埋め直したのかもしれません」


 だがそうなるとやっぱり分からないのは、なぜ彼女は警察に認知されていなかったこの事件を自ら発覚させるようなことをしたのかだった。しかも遺体を埋め直す際に石橋緑の所持品も一緒に埋めている。ただ移動させるだけなら骨だけを移し替えればよかったはずなのに。まるで早く身元が割り出されることを望んでいたとしか思えない所業だ。


 内ヶ島は林ミサキが何をしたいのかが理解できず頭を悩ませる。


「話題作り」


 金森が脈絡もなく言った。


「え?」


 何も言わず金森は部屋にあるテレビをつけた。


「あの女を見てみろ」


 そう言ってテレビ画面に向かって顎をしゃくる。ちょうど昼のワイドショーがやっていて、話題はまるで図かったかのように田嶋ハル特集だった。内ヶ島は画面に視線を向ける。モニターの向こうの白川は二人のやり取りで田嶋ハルのことだと理解する。


「思うんだが、作家ってのは表に出ず裏方に徹しようとする奴がほとんどだろ。だがこの女は違う。自ら進んでメディアに出演して聞かれてもいないことをベラベラ喋ってやがる」


 それはあくまで金森の偏見だ。だが内ヶ島はその意見に納得出来ないわけではなかった。実際に林ミサキは笑顔でMCの質問に答えている。こういうのは基本台本が用意されている。つまり必要ない質問や嫌な質問は事前に拒否できるはずなのだ。でも先程からやけにプライベートな質問ばかりが投げかけられているように思う。それはまるで売出中のアイドルのような扱いだった。


「承認欲求ってやつだな。こういう奴はまず何よりも自分の欲望を優先する。それが良いか悪いかなんてあと回し。近頃だとネットに写真を投稿するために平気で人の土地に入ったり、食いもしないもん買って用済みになれば捨てる奴らがいるだろう。あれと同類だ。でも本人たちはそれが悪いことだと思ってない。人目にさらして誰かに指摘されてようやく間違いに気づくんだよ」


「その結果が殺人ですか?」


「行き着くとこまで行ったらそうなるだろ。一昔(ひとむかし)前には『有名になりたかった』なんてくだらない理由で殺人を犯した奴もいたくらいだからな。要するにこの女は自己顕示欲の塊なんだよ。誰も知らないことを知っている。警察もつかんでいない真実を自分だけが知っている。それを言いたくて言いたくてたまらなかったんだろうさ。でもそれを言っちまったら捕まっちまう。だから田嶋ハルはそれらを小説という形に変換して世に公開した。だが誰にも見てもらえなければ承認欲求は満たされない。そこで話題作りのために自らの犯行を明るみに出すことを思いついた」


「それがさっき言っていた白骨遺体のからくりですか」


「あくまで俺の推理だがな。麗子ちゃんもそう思うだろ?」


 モニター越しの白川は顎に手を当て考え事をしていた。


『あ、すいません。大事なことを言うのを忘れていて』


「大事なこと?」


『ええ。林ミサキは取り調べの時に「()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()」と言っていたのを思い出して』


「行ったことがない? それ本当ですか?」


 白川はうなずいた。


「でもあれだろ。嘘をついている可能性もある」


『そうですね。ただなんとなく、そう発言している時の彼女は嘘をついているようには見えなかったんですよね』


「まあ、女ってのは嘘が上手いからな」


「違いますよ先輩。それは男が女性の嘘を見抜くのが下手なだけです」


「同じだろうがよ」


「違いますよ」


『えっと。その話は今はどうでもよくないかしら』


 白川に指摘された二人はモニターに向かって頭を下げた。


「でも林ミサキの主張が本当だとしたら、石橋緑の件はどうなるんです」


 内ヶ島はテレビに視線を向ける。林ミサキが笑顔で自分語りをしている。その表情を見てふと思う。


 人を殺した人間がこんなにも明るい笑顔で自分のことを語れるものなのだろうか……


 しかも小説の内容と現実の事件がリンクしているなら彼女は四人もの人間を殺しているのだ。さらに言えば、小説内で行われるエックスの犯行は残酷で残忍だ。とても正気とは思えなかった。


「ま、それは俺たちの今後の捜査次第だろ」


 言いながら金森はテレビの電源を消した。


「あ、先輩なんで――」


 疑問の正体を手繰り寄せようとしていたところでテレビの電源を消され内ヶ島は不機嫌になった。


「そんなにテレビが見たけりゃ録画でもしとけ。――それより昼は終わりだ。仕事に戻るぞ。ってわけで麗子ちゃんもまた今度な」


『はい。失礼します』


 金森が席を離れていく。


「それじゃあまた」


 内ヶ島も一言挨拶して会話を終わらせ仕事に戻るのだった。

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