第16話 狂いゆく道程 12
詐欺師の女を殺してから数週間後、宮下君から別れ話を切り出された。こちらとしてはなんの未練もなかったので素直に受け入れた。ただ、友人としての関係は続けてほしいと言われた。共通の友人たちはわたしと彼との関係を知らない。そんなわたしたちが急によそよそしくなったら変に怪しまれるからということだった。特に否定する理由もなかったのでそれも了承した。そもそもわたしは友人たちに自分からコンタクトを取るつもりなんてなかったのでそれは無用な心配だと思った。
一つ肩の荷が下りて気が楽になった。大学の単位も若干の余裕が出てきて講義のコマ数も少しずつ減り、わたしは前ほど追い込まれた状況にはなかった。けど就活だけはどうにもうまくいかない。しかも来年には卒論という難題も控えている。そんな時にバイトの方でちょっと面倒くさいことが起きた。新人バイトが入ってきたのだ。それ自体は別によくあることなので、取り立てて騒ぐようなことでもないのだが……
もともと所属している人間の年齢層が高いこともあって体力的についていけなくてリタイアしていく人も多い仕事だ。その分定年を迎えてシルバー雇用で入ってくる人も多くいた。
新人が入ってきたとか、誰それが辞めたとかにはまったく興味はなかったのだが今回ばかりは少し毛色が違った。新しく入ってきたのはわたしよりも年の若い高校生だったからだ。
褐色肌の小柄で可愛いい小動物のような少女。よく喋りよく動き表情もコロコロと変わる。わたしとは真逆の存在だった。正直ちょっとウザイとさえ思った。そんな彼女の教育係に任命されたのがわたしだった。
なぜバイトのわたしにそんな役が回ってきたのかというと年齢が近いからだった。ほかにも細かい理由はあったがそれが大半を占めていた。ほかのバイトやパートの人たちから見て彼女の存在は異界から来た珍生物のようでどう扱っていいか分からなかったのだ。世代間ギャップというやつだ。
たしかにその理由はわかる。
彼女の見た目はいわゆるギャルだ。清掃とは無縁のように見える。実際に腕や指にジャラジャラとアクセサリを身に着けつけ爪までしている。それらは清掃作業を行う上で邪魔でしかない。
それを注意するのがわたしの仕事なわけだ。面倒くさいことこの上なかったが任された以上はやるつもりでいた。別に自分は他人から好かれたいと思わない。よく思われたいとも思わない。だから新人に厳しく言って嫌われたところで痛くも痒くもない。その結果彼女がこの仕事を辞めてしまっても何ら構わない。
わたしは伝えるべきことを淡々と伝えた。よほどおしゃべりが好きなのか仕事中に話しかけてくる事もあったが、それも適当にあしらって、少し厳し目に注意した。わたしの予想とは反対に彼女は注意すれば素直に従ったし仕事をサボったりするようなこともなかった。最初は手のかかる子だなと思っていたけど、ひと月もすれば彼女は一人前に仕事をこなせるようになっていた。
ただし学んでいないこともあった。それはしょっちゅうわたしに話しかけてくることだった。これが仕事中ならダメだよの一言で遠ざけることもできたのだが、彼女が頻繁に声をかけて来るのは休憩中や就業後だった。
拒絶の言葉を口には出さないがやんわりと話しかけるなオーラを放っていたつもりだったが彼女にはそれを読みとる力はないようだった。
でもそれは仕方のないことだとも言えた。この仕事に従事する人たちは年配の人たちばかり。話が合うとは思えない。だからこそ一番歳の近いわたしに興味を向けたのだろう。
そんなある日わたしは彼女に一緒に遊びに行かないかと誘われた。
――なぜ? という疑問しか浮かばなかった。わたしなんかと遊ぶより同年代の子たちと遊んでいる方がよっぽどいいだろうに。
そこでふと考える。わたしは彼女のことを何も知らないのだ。いや、そもそも興味などないのだが、もしかすると彼女は彼女なりに何かしら事情を抱えてるのかもしれない。
例えば、遊んでいそうな見た目に反して実は孤独なのかもしれない。普段独りだから、誰も話し相手がいないから、その反動でとにかく誰かとおしゃべりしたいのかもしれない。
それに巻き込まれるこっちはたまったものではないが……
思えば彼女くらいの年齢の子がこんな仕事をバイト先に選ぶだろうか。ふつうは可愛い制服で選んだりとかイケメンのお兄さんが働いているところを選ぶとかするんじゃないだろうか。
色々考えを巡らせた結果、わたしは後輩の誘いに対し……首を縦に振った――
彼女の誘いを断らなかった理由は単純に興味があったからだ。普段は大学とバイトと家の用事。暇ができれば執筆活動のための勉強に勤しむ。そんな生活を繰り返すだけのわたしにとって彼女のような人間の生態に触れる機会はそうそうない。だからチャンスだと思った。
日曜日。互いにシフトが入っていないその日に後輩と二人で出かけた。彼女ははじめて会ったときのようなおしゃれをしてあらわれた。久しぶりに見るそのキャピキャピとした恰好を見て、そういえば彼女はギャルだったことを思い出した。
最初に足を運んだのはカラオケだった。思えばわたしにとってはそれが人生初のカラオケだった。それを彼女に伝えると、
「マジですかセンパイ!? ありえないですよ!」
彼女は大層驚いた。
「ってか、センパイって趣味なんですか?」
「えっと、読書と映画かな」
文章を書くのにハマっていることは伏せた。
「えー、なんですかそれー。めっちゃ暗いですよ」
ドストレートな物言いがわたしをほんの少し不快にさせる。わたしが少し反論してやろうと思った矢先。
「あ、これ歌お」
後輩はカラオケの機械をささっと操作してマイク片手に歌い始めた。
出鼻をくじかれる結果となったわたしの言葉は一瞬にして伴奏にかき消される。耳に後輩の声が届く。決して下手ではないが上手いかというと微妙なところだった。その歌声に毒気を抜かれわたしは静かにため息を付いて怒りの矛を収めた。
彼女は歌い終わるとマイクをこちらに向かって差し出してきた。
「つぎ、センパイの番ですよ」
機械を操作し適当に知ってる歌を入力し歌い始めると。後輩はポカンとした表情で固まった。
もしかして下手くそだっただろうか?
「センパイそれいつの歌ですか?」
わたしは曲の途中で歌うのを止め、後輩にアーティスト名を告げる。当時人気だったドラマの主題歌だったことも教えた。『月9』といえばみんな知ってて当たり前だったんだよと。
「そんなの聞いたことないですよ? 古すぎですってばぁ」
自分の知っている流行歌はわたしが中学の時の新譜で止まっている。それでも十年は経っていない。わたしと後輩は六歳しか違わない。それでも彼女にとってそれは『古い』に分類されるようだった。
ジェネレーションギャップを感じずにはいられなかった。これ以上歌う気にはなれず、その後はずっと後輩が歌を歌い続け、わたしはそれを聞くだけに徹した。
後輩の歌声を耳にしながら時折創作の参考になりそうな歌詞表現を常に持ち歩いているノートにメモした。
それはとても新鮮な感覚だった。歌というのは短いフレーズで聴く者をその世界に引き込む力がある。凝った言い回しや独特な表現は小説に通じるものがある。
高校時代、文芸部の仲間が「この世で最も素晴らしい文学は『箱根八里』だ」と豪語していた。『箱根八里』とは滝廉太郎が作曲し鳥居忱が詞を書いた曲で、日本人ならほとんどの人が知っているであろう曲だ。わたしはその歌を音楽の時間に習って知っていた。
文芸部仲間は純文学とはこれのことを言うんだと熱弁を振るっていたが、エンタメ系の小説しか読まないわたしには彼が何を言っているかさっぱりだった。そもそも音楽と文学に共通点があるという考え方が理解できなかった。
そのことを思い出して、今なら彼の言っていたことが理解できるような気がした。
――――
カラオケ店を出る頃には午後二時を過ぎていた。遅い昼食をファミレスで済ませ、買い物に付き合ってほしいという彼女の意見で最寄りのデパートで服を見て回った。おしゃれになど一切興味のないわたしは、「これもかわいい」「こっちもいい」と一人はしゃぐ後輩について回るだけだった。何着か手にとって試着して、「どうですか?」「かわいいでしょ?」「似合ってます?」と逐一わたしに訊ねてくる。その都度わたしはうんうんと適当に相槌を打った。こっちの適当な態度も後輩には伝わらないのか彼女は始終笑顔だった。
ただ心の底から嫌いやだとは思わなかった。若い世代と交流する機会のないわたしにとって、彼女の感性に触れることはとても刺激的だった。わたしは後輩が試着室にこもっている隙をついてノートを取り出しメモしていった。
彼女がひとりファッションショーに飽きた頃には午後五時を過ぎていた。
二人で車に乗って後輩を家まで送ろうとすると、彼女は帰りたくないと駄々をこねた。
そう言われてもわたしにはこれ以上未成年を連れ回す勇気はない。わたしに後ろめたいことがなければもう少しくらい遊んであげてもよかったが、こちらは警察の厄介になりたくない事情を抱えている。だが、後輩が家の住所を教えてくれない限りわたしは彼女を家に送り届けることはできない。
結局わたしが折れる形となった。
未成年と街を練り歩くリスクを犯したくなかったわたしは後輩に、このままわたしの自宅に帰るけどそれでもいいかと訊ねた。
すると後輩は急にしおらしくなってゆっくりと首を縦に振った。彼女の日に焼けた頬がほんのりと赤く色づいていた。
てっきり嫌だと言うと思っていた。むしろそれを狙って大胆な発言をしたつもりだった。しかしそれは裏目に出てしまったようだ。あれだけ騒がしかった後輩は家につくまで終始無言だった。わたしは運転しながらこれからどうすべきかと頭を悩ませていた。




