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「ちゃんとした食事、久しぶりな気がするなあ」
シャルジュがメニュー表を見ながら言った。
手の込んだ料理は山から戻って初めてだ。シャルジュはいつもの即決が嘘みたいに何度もページをめくりながら注文を決めかねているようだ。
「珍しく迷ってるな」
大地にはそんなシャルジュが微笑ましく思えた。
「まあね。よし、決めた」
大地の言葉に後押しされたとでもいうようにシャルジュはパタンとメニュー表を閉じた。
「裏の取り合わせ」
ちょうど近くを通りかかった酒館の若くて愛嬌たっぷりの女給を呼び止めると、シャルジュは指三本を立てて、注文を告げた。
「三人前、かしこまりました。今日は果実酒の新物があるけれど、どうなさいます?」
女給が通常なら断りにくそうな艶やかな営業スマイルで訊ねる。
「いや、黒茶をくれ」
「俺も」
いつアーヘルの動きがあってもいいように、酒は控えておく。
「俺は温めたミルクを甘くして」
最後にシャルジュが言ったのを女給は書き留めて、スマイルを一つ、それから階下へと降りて行った。
「裏の取り合わせって、なんなんだ?」
大地は素直な疑問を口にした。
「メニュー表にないんだ。料理長おまかせだよ。魚介、肉、野菜、いろいろてんこ盛りで、ここで、熱々を食べられるぜ」
シャルジュはテーブルに向けた親指で示して言った。
「裏メニューか、なるほどね」
ひと種類に決めあぐねたシャルジュの着地点に、ランスは笑いながら軽く頷いてみせた。
酒館はやがて満席になり、酒の量が増えるにつれて人の話し声も大きくなった。熱弁、笑い声、追加の注文をする声、酒館の従業員の応答、ざわざわと賑わうこの空間は、この街の日常であり、小さな幸せと、時には悲しみとが入り混じった誰かの人生のひと瞬間であるのだと、大地には印象深く感じられた。
ほどなくして大皿に盛りつけられた様々な具材と、着火した炭の入った扁平な火鉢、薄い緑のような黄色のような色を帯びたほぼ透明な液体の入った浅い鍋、取り皿とが運ばれてきた。見た瞬間にしゃぶしゃぶのようだ、と大地は思った。
シャルジュが具材を投入し、火が通ったら好きに取って食べて、と説明した。
しゃぶしゃぶとすき焼きを足して割ったような感じ……、いや、洋風の味付けをしたすき焼きと言った方が近いかもしれない。最後に食べたのがいつかなんて覚えてもいないが、それでもずいぶんと懐かしい気がした。
自分が地球にいたのがもう遥か遠い昔のことのように思える。もちろん、時間の単位も経過も、地球のそれとは比較にならないことも解っていて、そのうえでのひと月に満たないこの日々が、あっという間でありながら同時にとても長いようにも思える。
ふと、自分という存在がまったくの思念だけでしかなかったら、という思いが過ぎる。自分は本当に実体を伴って存在しているのだろうか。ただ夢を見ているときのように、精神のみ、意識のみでしか存在していないのではないだろうか。
「ダイチさん、ほら、もっと食べなよ」
甲斐甲斐しく世話を焼くシャルジュの声が、大地を現実へと引き戻す。
「ああ、ありがとう」
故郷の料理と似ている、と言いかけて、大地はその言葉を飲み込んだ。




