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そろそろ温泉の効能が身体に染み入る感覚にも満足した頃に、どこからか笛の音が聞こえてきた。それはアヴィスラ舞曲団の公演で聞いた笛と同じ種類の音色だった。
大地は独奏の音に誘われて急いで身支度を整え部屋に戻った。タオルでわしゃわしゃと髪の毛の水分を拭き取りながら、浴室から出てそのままソファへ向かう。ランスが大地の動線を眼でたどりそのようすを興味深げに見つめているのが分かったが、それについて反応をする余裕はない。耳が音に向かって集中していたからだ。
民族性とでもいうのだろうか、明らかな特徴を持つツェイン・マルギアナの音楽は大地の心に響いた。ロマンティックであり、壮大な世界観であり、豊かな自然と豊かな感情とが交じり合った音楽だ。
大地はツェイン・マルギアナの風土について何の情報も仕入れてはいなかったが、察するに、舞台は広大な領土であり、少なくとも音楽をたしなむ身分においては、風景の美しさや厳しさ、それから心の機微をメロディのそこここに忍ばせそれを、をかしく、またあはれに慈しむ、そうした背景が感じられた。
流れてくる曲は、公演で聞いたものとは違っていた。もう少し、対象が狭い気がする。広く世に訴えかける楽曲ではなく、誰か一人に向かって思いをつづった、そんな気がした。大地には笛の演奏についての技術的な面に関してはまったく知識の外にあったが、それでもこれを吹いているのはとても優れた演奏者であることは感じられた。
何よりも音が直接身体の中に浸透してくる気がする。ざわざわと肌を伝っていくものは、音なのか感情なのか、それとも何かしらの魔法ででもあるのだろうか。身体全体がぞくぞくと震える頃には、もうすっかり大地はこの音の虜になっていた。
そして、なんとなく懐かしいような不思議な感覚が大地を包み込む。
「ずいぶんと聴き惚れていたようだな」
三十分、一時間、どれだけの時間そうしていたのか判らなかったが、笛の音が止んだ時にランスがしみじみとした口調でそう言った。
「あ……、つい」
ランスの存在を無視していたというつもりもないが、結果的にそうなってしまったことは素直に反省する。
「いや、いいんだ。気にするな。誰だろうな、吹いていたのは。宿泊客か? アヴィスラの団員の出張サービスとか?」
「あくまで俺の主観だけど、ごくプライベートな演奏な気がした」
「プライベート? ふむ。まあどっちにしろ儲けもんだ。タダでいい演奏を聴けたんだからな」
そう言いながらもランスの脳裏では、イリアとアヴィスラ舞曲団との関係が推考されはじめているはずだ。もちろん大地もしかり。
奇しくも同じ宿に泊まることになったイリアのことは偶然かもしれない。しかし、何もかもがどこかで大地たちと関りを持って起こっている気がしてならない。
ドアの外ではがやがやと人の通り過ぎる気配がした。イリアたち商人の一団だろうか。夕食のために隣の酒館へでも向かったのだろうか。
「もう少ししたらシャルジュが来る」
「へえ、いつの間にそんな話を?」
考えられるのは、大地が風呂を堪能している時か。ランスがフロントへ伝言をしに行った時だ。
「今日は隣の部屋に泊まってもらうことにした。シャルジュが夕食を運んでくることになってる」
周到さに感心する。
「なるほど。それもいいな」
つまりはもうそろそろモタルドクは閉じてしまわなくてはならないということだ。
モタルドクがスリープから起動していないことを考えると、公爵令嬢の私兵は一つ所にじっとしているということになる。まったく彼らの行動は読めない。いったい誰が私兵たちを動かしているのか。大地の好奇心が増殖する。




