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 がやがやとした一団が席を決め着座したのか、衝立にさえぎられて彼らの姿が大地たちの視界から消える。それから二階席の端から、ひら、ひらと途中で一、二度流される方向を変えながら一枚の布、どうやらハンカチらしいものが落ちてきた。あるいは落とされた。


 それを拾ったのは誰しもの視線を奪いつくすような美しい男で、彼は拾い上げたハンカチを手に、二階席への階段を昇って行った。


「あらまあ、ごめんなさい、わたしとしたことが」

「構いませんよ、どうぞ」

 成り行きを見守っていると、落とし物が持ち主に手渡されたあと会話は小声になり、女性と男、二人の視線が大地たちのテーブルを見下ろした。


 何事か女性が話しながら、ランスに向かってほんの小さく手を振り、会釈をして見せた。さきほどの事情でも説明したのだろうか。男は唇に小さく笑みを浮かべ、それから視線を自分の足元に落としたまましきりにうなずき、一分ほどだろうか彼女の話を聞いていた。


 それから男は仲間の席へと戻り、何事もなかったかのように、ただ落とし物を届けてきただけのように振舞っていて、商人らしき者たちの間でも特別それ以上の話題になるようなことはなかった。


 つい、それらの流れを観察してしまった大地だが、彼女たちの関係がどんなものであれ、関わり合いになるのは避けたいと思った。


「ランス」

「ああ。長居はやめよう」

 ことがことだし、後々深く追求されるのも面倒だ。


 ジョッキを空にすると、早々に大地たちは酒館を退散することにした。


「まいどあり~」

「ありがとうございました~」

 厨房からの威勢のいい声とホール係の女性が大地たちを見送ってくれた。


 店を出てすぐ隣の宿へ向かう。リーガスはすでにシャルジュからの連絡を受けていたらしく、翌朝の食事はシャルジュが案内することになっている、と、確認の意味もあってだろう、告げ、にこやかに出迎えてくれた。


 部屋に入るとすでにランプがともされていた。光量の多くはない柔らかな色の灯りがゆらゆらと揺れている。ベッド脇のランプは傘がステンドグラスのようになっていて、現実とはかけ離れた非日常的雰囲気を漂わせている。無線による電力供給に慣れた大地にとって、懐古的な自然への回帰を思わせるロマンティックな演出に見えた。


 先に、とランスから勧められて大地は浴室へと移った。浴室の大きな窓を開けると星空が視界いっぱいに降り注いでくるみたいに広がっている。


 シヴァン・アルレットに備えられているバスと比べて機能的要素もなく、ただ温泉が流れ続けるだけの浴槽だが、大地は木の香のするバスタブに浸かりながら、久しぶりにのんびりと時間を過ごした。


<明日は終日晴れですよ>

 セルクク星に掛かる雲の流れを読んだのか、エスネムが教えてくれる。


「そうか。そりゃ良かった」

 お湯の流れる音の陰で、街のざわめきが近いのか遠いのか判断がつかずに聞こえる。星々がちらちらと瞬き、自分が今こうしてこの場所にいることが、本当に現実なのかとも思えてくる。ゆったりと、小さな流れを生むお湯に身を任せて、大地は何だかとても懐かしいような気持ちがこみ上げてくるのを感じた。


「おーい、大丈夫か」

 小一時間近くも過ごしたためか、途中で一度ランスがようすを見にきたくらいだ。


「ああ、悪い。今上がる」

 慌てて大地は入浴を切り上げた。芯から温まったせいか、姿見の中で古傷が肌よりも一層赤味を帯びている。備え付けのバスローブを纏って大地は寝室に戻った。


「先に寝るなら灯りを消していいぜ」

 髪の毛をタオルドライしている大地へ、浴室に向かいながらランスは言った。


 彼の驚異的な夜目はすでに大地の知るところである。夜目が利く、というより視力そのものが抜群にいい。大地も決して悪い方ではないのだが、ランスは大陸で遊牧をする民族並みに眺視力が優れている。


「ああ、そうさせてもらう」

 ランスなら大地が手探りで歩くような場所でも、平気で普段通りに歩くことができるだろうと思われた。


 大方の水分を拭き取ってから、今日一日の出来事を、大地は宿に備え付けの紙と羽根ペンで記録した。オグヌイには、任意で一連のそうした動作を記憶することができる。仮に紙を処分したとしても、内容はちゃんとデータ化されて残るようになっている。構造も素材も知らないまま与えられたオグヌイを、それでも大地は直感的に扱うことができていて、次第に時として自分の手首にそれが巻き付いていることすら忘れるほどになっていた。


 それから、ランスの言葉に甘えて大地は室内のメインの灯りを消し、ベッドサイドの、ガラスを通した色の付いた灯りだけに絞った。


 大地にとって、好奇心と目新しさ、奇想な事件とで寝付けないかもしれない不安は、この日、まったく無用だった。



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