第6話 いくよー!
最初に視界に飛び込んできたのは大きな緑の塊だった。
圧倒的に自然だった。
都会で育った身としては公園の広場に入り込んだような感じだ。
障害物のようなものはまばらに見える住宅のみ。どれも木造だ。
ちらほら整備されたような緑が見える。
いや、緑だけではなく色とりどりの区画で、どうやら畑や花壇が一望できる平地となっている。
一見して丘陵地は存在せず随分と遠くまで見渡すことができて、都会のようなくすんだ灰色はどこにもない。
振り返って家を眺めると木造の家の壁沿いにはツタが伝っており植物と共存しているようだ。
なるほど、これは確かに村だ。
イメージとしては完全に地方。ここ、限界集落だったのか!?
おそらく全ての地域がこのような自然と共生している田舎ではないはずだ。
ふたりが都市と言っていた
軽やかな風と共にチュン、チュン、という鳴き声が聞こえてくる。
鳥がいるのだろう。村にいるということはモンスターではないと思われる。
ヒデヲに昨日聞いた話だと、村や都市ごとにバリアというのが張られていてモンスターの侵入を防いでいるらしい。詳しくは聞いていないのだが、人の往来も阻むそうで各都市には必ず通行用の関所があるそうだ。
あまりの何も無さに若干のカルチャーショックを受けたのだが、目を閉じ大きく息を吸って吐く。
なんとなくだがさっぱりした空気だ。都会の喧騒にはない清涼感がある気がする。
この村には気候に大きな変動が無く比較的穏やかな天候が多いと昨夜聞いたが、
なるほどこれは……和む。
「おうケンジ! そろそろ出る時間だったから、ちょうどよかった」
声のする方へと顔を向けるとすぐ側にヒデヲが座っていた。おそらく俺を待っていたのだろう。メア
も並んで座っている。
「おはようだケンジ。立ち寄りたいところもあるから、そろそろ起きてくれないと遅れちまうところだぜ」
そうか、丁度良い時間に偶然起きれたようだな。
「そりゃ起きれて何よりだった……のか? チヨさんにやさしく起こされた方が、幸福な目覚めだった」
「がっはっはっ。正直なこと言ってくれるな! うちの嫁狙ってんのか? んなことはさせねえ。もし起きてなかったら、俺があの部屋まで行って肘を思いっきり落としてやるところだ」
ヒデヲが肘を構えて落とすジェスチャーをしている。いや、エルボードロップって多分シャレにならないぞ。骨が折れるなり内臓が損傷するわ。起きててよかった。
「おはよう。ヒデヲこそ、昨日結構飲んでたのに、朝は早いな」
「おうよ。いつも寝りゃしっかり直るぜ。ケンジこそ、体調は良いのか?」
「ああ、問題ない」
「もんだいないー!」
メアが声をあげてはしゃぐ。
「チヨから昼メシも受け取ってきたか。よし、じゃあ出発できるな」
ヒデヲはその場でのっそりと立ち上がった。
つられてメアも立ち上がり俺たちの周りを飛び跳ね始める。
「やあ、年をくって衰えてくのが辛いぜ。俺は魔力を扱ったりできないからよ、猶更だ。生活に不満は無いが、もうちっと年に抗いたいねぇ」
ひとりごちながらもヒデヲは軽く腰をひねったり腕を回している。本人が言っていた通りに調子が悪そうということは無いようだ。
生活に不満はない、か。
さっきチヨは言っていた。
息子が帰ってこなくなった、と。チヨも、おそらくヒデヲも、それを気に病んでいると。
独り身の俺には子供がいたらという感情は当然わからない。第一恋愛すらおぼつか無いのだ。
てやんでい共感する術もないぜシット!
だが、突然に身近な人に会えなくなるのは、悲しいものがあるんじゃないだろうか。
「うし、じゃあそろそろ行くか」
当然、俺がそんなことを考えているとも知らずに意気揚々とヒデヲは歩き出した。
「いくかー! いくよー!」
騒ぎながらメアが俺の足にしがみついてくる。
なんてことはないはずなのだ。俺が転がり込んできたとかは関係なく、繰り返される穏やかな日常。ヒデヲには、ヒデヲの人生があるのだ。
ただ、先を歩き出したその背中にわずかな強がりがよぎったように感じた俺は、ついぞ、訊きたかった事を口に出してしまった。
「ヒデヲ、待ってくれ。その、ヒデヲの息子についてだけど……」
「おう、なんだ、どうしたんだいきなり」
うわっ、やっちまったと思いつつも、俺の口は止まらずに続きを継ぐ。
「いや、昨日も息子がどうこう言ってたしな。それにさっきチヨさんから聞いちゃってな……ヒデヲは、辛くはないのか?」
「……」
しばらくの間沈黙が流れる。そよぐ風だけが時間の流れを伝えてくる。足に抱き着いてメアがズボンを握りしめる感触が強くなった気がした。この空気に何かを感じ取ったのかもしれない。
「息子は……トモキは、ある日突然帰ってこなくなった」
やがて、ヒデヲは重々しく話し始めた。
こちらを振り返ることも無く。
「いや、突然ではあったが、必然だったのかもしれない。トモキは、そりゃ俺たちの息子とは思えない程に優秀だった。色んなことをやって村の発展に尽力してくれた。本人は楽しくてしょうがないようだったが、俺たちは何度も驚かされたよ。それから村で留まるに飽き足らずに外へ出てモンスターを狩ってきた時は、そりゃたまげた。確かに、俺たちとは違って魔力を操る才に秀で、腕っぷしは幼いながらもすぐに俺を超えてたよ。はっはっはっ、親の面目なんてあったもんじゃなかったぜ。同時に誇らしくもあったがな」
まるでからげんきのようにして笑うヒデヲは語る。
「トモキは次第に村から出かけていくことが増えた。最初は近隣の散策だったんだが、どうにもその範疇を超えて、ここから最寄りの村へ、街へ。冒険家だったよ、あいつは。だから、数日帰ってこないこともざらにあったさ。だが、それを俺も、チヨも、咎めるような事はしなかった。トモキの実力は俺たちが一番知っていたし、信じていた。それに、トモキが帰ってきて俺たちに旅の話をするのは、それはもうイキイキしていたんだ。外の世界が楽しかった様子が容易に見て、聴いて、理解できた。だから、俺たちも本人の意思に委ねた。いつも笑って見送って、いつ帰ってきても笑って出迎えてやったさ」
ヒデヲは空を見上げる。今、何を見ているのだろう。どう感じているのだろうか。
「だが、結局は認識が甘かったのかもしれん。俺もチヨも、村の外の世界には詳しくないからな。いつものように気ままに帰ってくるだろうと思っていたんだ。だが、長らく帰ってこない間に王都からの使者が来てな。足取りが掴めなくなったと、伝えられた。それだけさ…………」
それから何と声をかけていいのかわからずに気まずい空気が流れる。
「えと……」
待ておい! どうすりゃいいんだよ!? かなり重い話じゃねえか! いや俺が分かって話しかけたんだろこの低能髭ヅラ老け顔クズが! お前は社会に出てマナーってもんを全く理解しなかったようだなよし死して詫びよさあヘルファイアぶちかませおんどれ!
俺の脳内が自責の念で満杯だったが、ヒデヲはひとつ大きく息を吸って、そして声を大にして切り出した。
「だがな、俺は当然信じてるぜ。トモキは死んじゃいねえってな。今だって旅の途中なのかもしれねえし、どっか遠い町で呑気に暮らしてるのかもしれねえ。だから悲しんじゃいねえよ。俺たちはよ、あの親不孝な息子を信じて、ここで待つって、そう決めたんだ。あいつの帰ってくる場所は、ここにあるからな」
晴れやかな晴天に佇むその後ろ姿には、強い覚悟が見て取れた。
すぐ目の前にある背中が妙に大きく感じられた。
……おいおい、ヒデヲのおっさん、あんた、キマッてんな。
それはまさしく、漢の背中だった。
カッコよすぎるぜ。
魅入ったと表現すればいいのだろうか? 先ほどの負の念はどこへやら、俺はヒデヲの背中から目が離せなかった。
どれ程時間が経っただろうか。それからしばらくして、
「がっはっはっ。つまらん話をしたな。さあ、そろそろ行くぞ。今日は忙しくなるからな!」
ヒデヲは結局一度もこちらを振り返らずに右手でサムズアップしそれから俺を促して歩みを進めた。
伊達におっちゃんやってねえな、ヒデヲ。
その背中には先程よぎった不安や恐れは一切無かった。その精神と心が無類の強さを帯びていた。
「ほーらーいくよー!」
メアがズボンを引っ張って催促する。笑顔で。
俺はハッとなってメアの頭を優しく撫でて、それからヒデヲの後を追いかけて歩き出した。